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とある臨時職員の日誌 ~闇~【SIDE:鑑定士ハザマ】後編


【SIDE:鑑定士ハザマ】


 鑑定の途中で襲った違和感。

 そして直感。

 聖女が連れてきた黒猫の鑑定と登録をする、ただそれだけのはずだったのに――。


 臨時職員のハザマは薄らとした汗を浮かべていた。

 古傷の跡が疼いていた。

 顎から垂れる雫が――薄い胸の谷間に落ちていく。


「――……っ」


 底知れぬ恐怖が――女の背筋をぞくりと冷たくさせるのだ。

 肌着と下着が汗で湿って気持ち悪い。


 ごくりと息を呑み。

 彼女は思考する。


 ――闇の中から声? 今のは――先ほども耳にした幻聴と同じ声。ならば……っこのシミこそが……闇の正体?


 もし敵なら、見過ごすわけにはいかない。

 ハザマは恐る恐る、鑑定魔道具の隅に浮かぶシミに触れてみる。

 魔力を通し、念じた。


 刹那――。


 ブシュゥゥゥウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥ!


 突如として、せき止められていたスキル一覧が表示されていく。

 膨大な量のスキルと称号が、ハザマ女史の脳裏を埋め尽くしはじめたのだ。


 ネコパンチ。ニャンズアイ。神速。超高速詠唱。武芸の神域。魔術師の極み。完全魅了。幻影。盗み食い。摘まみ食い。早食い。丸のみ。神速惰眠。サボリの極意。

 様々なスキルが、次から次へと開示されていく。


 ――なによこれ! さっきの情報は、鑑定妨害……っ! じゃあ、本当のレベルは、スキルは!?


 術を制御する手を翳す先は――悠然と咀嚼する黒猫。


 焼き魚をハフハフと喰らう太々しい猫の情報を読み取り――。

 そして。

 驚愕した。


 見えない。

 何も見えないのだ。


 ただただ、黒い闇が鑑定結果として表示される。


 あまりにもレベル差があり過ぎて、ただただ黒い闇にしか映っていないのだろうか。

 彼女は考える。

 その闇が、数字の束だと気付いたのはその少し後。


 これは闇だ。

 たしかに闇だ。

 けれど、闇の一つ一つに信じられないほど細かい文字でレベルが刻まれている。


 細かい数値の集合体が、この闇の正体だったのだろう。

 レベルもスキルも。

 全ての桁が並外れ過ぎて、人間には認識できない。

 結果――ただの黒にしかみえないのだと理解した。


 そして。

 コレは、絶対に敵にしてはいけない存在なのだとも……。

 勝てない。

 けれど、逃げるわけにはいかない――。


 なぜなら――鑑定士のハザマは隣でボケーっとしている聖女を見る。

 シュー=マイル。

 少なくとも中古品に過ぎない壊れた歯車の自分よりも、彼女は大事だ。

 この世界のためには必要な存在だ。

 そう考えた。

 逃げるわけにはいかない。少なくとも、彼女を逃がすまでは。


 ごくりと息を呑み、鑑定士は決意する。


「あんた……なにもの、なの」


 叫びそうになるハザマ女史は、なんとか冷静な言葉を絞り出した。

 震えを押し出すような声だった。


 猫が語りだす。


『へえ、表面だけとはいえ私の奥底の一端を覗けるとは――凄いね、君』


 甘ったるい紳士のハスキーボイスが、室内に響き渡る。

 その声の主は――。

 太々しい顔をした黒猫。


「あんた、魔族ね――」

『ご名答。焼魚の礼もある、自己紹介をさせて貰うよ、我が名はケトス。大魔帝ケトス。異界の魔王様、偉大なる御方の腹心。その頂点に立つ獣神の一柱さ』


 広がる闇。

 突如顕現した玉座の上に乗り、輝く王冠と紅蓮のマントを靡かせて――。

 それはハザマを眺めていた。


 ◇


 大魔帝と名乗る獣が一匹。

 いや、獣神に分類される程の存在なら自称していたように一柱か。


 ハザマは緊張していた。

 これほどの相手を初めて目にするからである。


 彼女はギリっと額に走る古傷を紅く染め、大地から魔力を吸い上げる。

 先手を打つしかない――!


「我翳すは――……っぐ、な……っ、詠唱ができない!?」

『ふむ。こちらの世界も詠唱により力を引き出すんだね。それは――大地から魔力を借り受ける自然そのものを神と認識する魔術に分類されるのかな。実に興味深い。けれど、せっかくの焼魚が埃で汚れるのは困るね。だから――』


 ふぅ――。

 黒猫は息を漏らす。


 ジャギジャギギギギギギギン!


 構えた詠唱も魔法陣も、黒猫の吐息一つで崩壊していた。


「詠唱妨害……っ、そんな魔術、王族だって使えはしないのに!」

『王様が使えなくてもネコの王様が使える、ただそれだけの話だよ――レディ』


 気取った口調で告げて、黒猫は焼き魚を宙に浮かべて自身の身も宙に浮かべる。


『やあ初めまして、かつて愛するものを失った憐れな比翼よ。聖女を守ろうとしたその決意、判断力、人間にしては見上げた根性じゃないか。私は君を気に入ったよ。だから無礼を許そうじゃないか――光栄に思いたまえ』


 猫が見ていた。

 戦う術を失い、死んだように生きる女を見ていた。

 ……。

 巨大化した焼き魚を口に銜えて、おいしそうにクチクチしながら――。


 これは油断を誘う罠だろうか?

 ハザマは考える。

 考えるが――声が先に出てしまう。


「偉そうにするんじゃないよって、叫びたい所なんだけど、どうやら――あたしが何をしても無駄なようね」

『その通りだよ。君は勘が鋭い――実戦経験が豊富なのかな。ふむ、見たところ人間の技術では治せぬ負傷を負って除隊した元軍人、といったところか』


 心を読めるのか。

 それとも洞察力が凄いのか、あるいは両方か。

 ハザマはますます緊張に肌をザワつかせる。


 直感が告げている。

 ズキズキズキと古傷が悲鳴を上げるように熱く疼く。


 こいつは――ヤバイなんてもんじゃない、と。


 世界すらも容易く滅ぼす魔なのだと、告げていた。

 だからだろう。

 突き刺すような恐怖が彼女の口を尖らせた。


「いったい、何が目的なの!」


 室内に響き渡るハザマの威嚇声。

 聖女マイルが何かを告げようとするが、黒猫がモフしっぽをふぁさり。

 それだけで封印の魔術が発動――マイルの動きを軽く封じてみせる。


 あの力の底が見えない聖女の行動を、尻尾の先で容易く制したのだ。

 やはり、タダものじゃない。

 そう――戦意と恐怖、相反する感情に歯を震わせるハザマ女史。


 人の身で自らの前に立つ女を見て、猫は言う。


『目的? はて、目的なんかないさ。ただ彼女……聖女で巫女で教師で? 属性モリモリなマイルくんに召喚されたから、そのついでに退屈しのぎをしているだけ。言っちゃ悪いがこんな世界になんてあまり興味はないのさ。こちらの世界がどういう事情で混沌としているのか、なぜ魔物に襲われているのか。部外者で異邦人の私にとっては全てが些事さじでね』


 大魔帝を名乗る闇は浮いていた身体を玉座に戻し。

 しぺしぺしぺ。

 ただの猫のように毛繕いを始める。


 その身に、並々ならぬ憎悪の魔力を滾らせて――。


 玉座の上で瞳を細める黒猫は本当にこの世界に対して、あまり興味がないのだろう。

 げぷりと満腹の吐息を漏らし、輝く獣毛を靡かせるのみ。


 ふざけているのではない。

 あまりにも強力過ぎる存在故に、本当に全てが些事にしか過ぎないのだろう。


 しかし。

 目的はない。

 その言葉だけは嘘なのだろうと直感が告げる。


 この黒猫は、何かを企んでいる。

 少なくとも目的があるのだ。


 ハザマは思った。


 なんで嘘だと気付いてしまったのだろうと。

 気付かないで騙された振りをできたのなら、それでこの場は収まったはずなのに。


 けれど気付いてしまった。

 思えばそれが、運命の分かれ道だったのかもしれない。


 不意討ちには魔力の刃を顕現させるしかない。

 命を使った、魔力だ。

 おそらく詠唱妨害も受けない。


 決意する女性、悠然と構える黒猫。

 動いたのは黒猫が先だった。


 玉座の手すりに肘をつけて、黒猫はまるで皇帝のような顔のまま――。

 ぞっとするほどの甘い声音で語り掛ける。


『そんなわけで、そろそろ敵意を鎮めてくれないかな? マイルくんも心配している。正直、彼女にふわっと阿呆な発言をされちゃって話がこじれても困るから口を封じているけど、いつまでもそういうわけにもいかないだろう? そろそろ授業があるんだろうし。どうだろうか? その魔力ダガーを引っ込めてくれたら――』

「やはり心が読めるのか――!」


 言葉を遮り、ハザマは跳んでいた。

 ならば目的を隠している事に気付いていると、この猫は知っている。

 もはや匙は投げられた。


「我が身を燃やせ! 魔力よ猛れ! 聖霊よ、汝の信徒の道を照らしたまえ!」


 叫んだハザマ女史は、聖女を後方に下がらせ――ズジャ!

 魔力で無理やり動かした左手を構え、魔力の刃を顕現。


 もし聖女を狙う異世界からの刺客なら――自分がどうにかしなくてはならない。

 もはやまともに戦えぬハザマ。

 彼女にできる、残された手段は少ない。


 頭に思い浮かんだのが――魔力を暴走させることによる、自爆。

 命を燃やした炎の中で、逃がす時間だけは作れるかもしれない。


 この生き延びてしまった命を、聖女のために使えるのなら悪くはない。

 そんな、覚悟と決意が彼女の胸をすっと撫でる。

 自分はこの時のために生かされていたのではないか――そう考えたのだ。


 いつでも発動できるように、魂を燃やし始めるハザマ。

 そんな。

 決意に震える女性を感嘆とした息と共に見るのは、紅き瞳の眼光。


『素晴らしい自己犠牲だね。他人のために命を賭すことができる、それはとても美しい心だ。たとえ自暴自棄であっても、たとえ、全てを諦めた果ての決意だとしても……人間の見せる心の輝きだと私は思うんだ。大魔帝として――私は君を賞賛しようじゃないか!』


 まるで戯曲を眺める王者の顔で、黒猫はパチパチパチと肉球を叩く。

 そして、紅き瞳をスゥっと光らせた。


『でも――自爆は無駄だよ。時間稼ぎにもならないし、そもそも私の気分が悪くなる。遠慮してくれたまえ』


 黒猫が告げる。

 ただそれだけで、重圧が室内を包んだ――!



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