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人間 ~終わりの足音~【SIDE:影男イヴァン】



【SIDE:影男イヴァン】


 闇夜に広がるのは――大魔帝による滅びの魔術。

 影の逃げ場すらも奪う死の波動が、オーロラのように夜を包んでいる。マルドリッヒの街を、影の牢獄へと作り変えていたのだ。


 オーロラと星々の輝く夜空。

 まんまるなお月様に照らされて――竜の男のシルエットが吐き捨てるように独白する。


 ――影さえ殺す滅びの魔術だと!? あんなものの直撃を受けたら消えてしまうではないか!


 影の中を移動し逃げる翼持つ男の影。

 竜のシルエットが、月夜の街を駆ける。


 逃げる男の影が揺れているのではない、影が逃げているのだ。


 影の名はイヴァン。

 かつて勇者の仲間で供だった上級扇動者ハイ・アジテーターの職にあった者、人間として転生したかつて魔竜だった男である。


 いや――かつて魔竜だった男の残滓。

 そう言った方が的確か。

 なにしろ影男イヴァンの本体ともいえる肉体は既に消滅。闇の魔猫に看取られ、成仏してしまったのだから。

 魔竜のシルエットでまるで悩む人間のように爪を齧り、イヴァンは影を渡る。


 ――人間は、どこだ! 心に入り込める人間は!


 使役される古代アンデッドの群れが徘徊する街。

 影男イヴァンが探すのは、魔竜の能力で隠れ住むことのできる心に隙間を持つ人間。


 魔竜の翼を広げ影を渡る男は考える。

 あの女騎士はどうだろうか。

 オーク神を父に持つとはいえ半身は人の子。多少の無理をすれば入り込める可能性がある。


 ――グフフフフ! そうだ。まだ逃げ延びる術はある! 肉体にさえ拘らなければいいだけの話。それにしても、忌々しきはあの魔猫。大魔帝ケトス。肉体の方の自分が望んだ破壊者。あの、魔猫を巻き込んだのが全ての過ちだったのだ!


 激昂しそうになる感情を抑え、影はまん丸な月夜の下を徘徊する。


 街の中でカツカツカツと甲冑を鳴らす女騎士を、影から探り――そして。

 ニヤァ。

 影が嗤う。

 標的は直ぐに見つかった。

 だが――影男イヴァンは即座にそれが失敗だと悟る。


 ――いや、駄目だ。こいつ! 頭の中には父の姿しかないではないか! こんな花畑に入りこむ力など、今はもう残されていない!


 諦め、影に沈む男は考える。

 ならば、あの嘆きの魔性となりかけている吟遊詩人。

 女神リールラケーとの愛に溺れた男。


 ――名は確か、ケントといったか。グフ! 愚かな男だ。女神は妙にあの男を気に入っていたが――ふん、古き神々と言っても、所詮は女だったということだろうな。まあ、今は滅んだあの女神の代わりに、使ってやろうではないか!


 影を渡る魔竜の男は嘆きのエネルギーを辿り、街を這う。

 ニチャア!

 影が嗤う。

 見つけたのだろう。


 心に接続しようと影を伸ばし、そして。

 バッと身を引き、心で叫んでいた。


 ――いや……こいつも駄目だ! 魔猫との旅で癒され、既に自分の心に整理をつけ始めている。これでは隙がない! あの日々の愛を嘆くだけではなく、思い出とし受け入れ生きていくだと? ふざけるな! ふざけるな、ふざけるな! なぜ平穏を取り戻した、なぜ心の隙間を埋めた! これもあの魔猫の仕業か!


 はぁ……はぁ……っ。

 憤怒から唸りそうになる影男イヴァンはなんとか堪え、息を吐く。

 影男は考える。


 魔性化しかけるほどの嘆きを、なぜあんな糞ネコで紛らわせることができた。

 自分勝手で独善的で、ただ思うがままに世界を救い、世界を危機に陥れ――それなのに猫だからと責任から逃げ、周囲もあの駄猫の暴虐を苦笑いで済ませ、受け止める。

 なぜ。

 なぜなぜなぜ、なぜ自分の扇動は許されない。


 ――落ち着け。あの糞ネコのことなど今は忘れるべきだ。イヴァン、イヴァン、冷静になれ。肉体は勝手に満足し、逝った。元より、アレと自分の心は違った。分離していた。この場さえ逃げ切れば、後はもう安心だ。影として生き、人の心の中に潜んで復讐の機会を待つだけでいいのだ。心を乱すな――次の標的を早急に見つけ出さなくては。


 輝く夜空。

 まん丸のお月さまが、それをじぃぃっと見つめている。


 冷静になった影男イヴァンは次の目標を探る。

 そして。

 ニヤリ!

 影男は勝利を確信した。


 答えは初めからここにあった気がした。


 死霊使いの男、リベル。

 かつて愛した女との子を失い、狂ってしまった貴族の男。

 きっと、この男ならば自分とも相性が良い。少し相手に合わせて機嫌を取り、だんだんと侵食して乗っ取ればいい。

 ああ、たまらない。

 他人を扇動し、戦わせるあの日々に戻れる。肉体の方は憎き世界と呪っていたが自分はそうではない。玩具のようなこの世界を壊してしまうなど、勿体ない。もっともっともっと、楽しい戦争を作り出してやろうではないか。

 そして、いつかその果てに――あの黒き猫に復讐を。


 声なき哄笑のシルエットが、月夜に広がり揺れ動く。


 ――さて、その前に。この男に入ってしまおう。


 ニヤニヤぎらぎら。

 影男イヴァンは絶望と嘆きに堕ちた貴族、リベルの中を覗いて――。

 そして。

 困惑した。


 ――ん? ……は? なんだ……これは――黒猫か! モフモフにゃんこが自分の料理を心の底から美味しそうに食べている姿が愛おしい? おかしい! こいつの心にはモフモフな黒猫と、食堂で食事を待つ無数の猫魔獣しかいないではないか! なぜだ! つい先日までこいつには絶望しかなかった!


 狼狽の中、影男は考える。


 ――ええーい、モフモフ猫のことなど忘れよ! 心に隙間を作れ! 思い出せ、絶望を! 思い出せ! 皇帝にまでなろうとしたその憎悪と志を! なぜだ! なぜあの魔猫、大魔帝ケトスと関わる者の心は変わってしまう! ……待て、なんだおまえ。ここは心の中、実体ではない! おい、なんだその貌は、やめ……っ!


 グイグイグイと肉球で頬を押し返され、影の男は唸りを上げていた。


 ――くそ! ここはもう駄目だ! 猫に汚染されている!


 くははははは!

 くははははは!

 心の隙間だらけだった男の中にまで響く、忌々しい黒猫の声。


 ――やめろ、嗤うな! 憎悪の魔性でありながら、憎悪を忘れて人間と戯れる貴様になにがわかる! これ以上、羨ましがらせるな! 見せつけるな!


 貴族リベルの心の中まで侵食する魔猫。

 大魔帝ケトスの幻影に追い出され――影男イヴァンは驚愕した。


 ズザザザザザと地を滑り。


「どいつもこいつも――! 魔猫に騙されおって!」


 思わず恨み言を叫んで、影男イヴァンは慌てて口を翼で塞いだ。

 気付かれていない。

 死霊使いも、一瞬、自らの心に入り込まれたとは気付いておらず、鋭い顔で魔導書を翳しながら走り去ってしまう。


 影男は逃げ場を探した。

 無理を承知で巨人を探る。


 ――駄目だ! ここもネコに占拠されている!


 東洋魔龍も同様だ。

 大いなる光に永遠なる死の皇子は問題外。

 あれの心に触れた瞬間、自らが崩壊してしまうのは分かり切っていた。


 ならば元人間だった魔猫どもの心に――。


 くははははは!

 くはははははは!


 どこまで行っても、あの魔猫の忌々しい嗤い声がモフモフな毛が、追いかけてくる。

 図々しく、他人の心の中でまで寛いで、撫でよ甘えさせよとドヤ顔を浮かべている。


 あの猫と関わった者の心は、猫で染まる。

 侵食される。

 ネコネコネコ、ネコばかり。


「くそったれが――! なにが、大魔帝ケトスだ! あんなデブ、ただ身勝手なだけの駄猫ではないか!」


 ひとしきり、罵詈雑言を吐いて。

 ふと、影男は気が付いた。


 ザワザワザワ。


 何かが、おかしかったのだ。


 見られている。

 どこだ?

 いや、気配はない。


 けれど、見られていると分かる。

 紅く黒い気配がするのだ。

 ふと、男は翼をそろりそろりと縮めながら夜空を見上げた。


 月。


 月はあんなに赤かっただろうか? 一度気になってよく見てみると――。

 違った。

 紅い月が、まるでネコの瞳のようにギラギラギラギラ睨んでいたのだ。


 獲物を追い詰めるような赤い瞳。


 ――月じゃない。月じゃない。じゃああれは……っ!


 翼を広げ、影の中を更に逃げ回ろうとする影男はふと気が付いた。

 既に翼がもがれていたことに。

 男は考えた。

 斬られた? なぜ痛みが……な……!


 ブシュ――ッ、ゥゥゥゥゥゥウウウウウウゥゥッゥゥウ!


 光の速さを越えた攻撃だったのだろう。

 音は遅れてやってきた。


「ぐあぁぁぁぁぁぐぐぐぐ、ぐうぐうぐぐぐぅぅぅぅぅ!」


 影の中をのたうつ男に、ぶにゃーんとしたネコの声が襲う。


『ふむ。そうやって、ただ逃げているだけって事は――隠し球も、切り札もなさそうだね。いやあ、君をさくっと消しちゃった後に、実は街に爆弾をしかけてました! ってなっても面倒だったからね、様子を見せてもらっていたんだよ』


 紅い月が、そのままネコの瞳へと変貌し。

 滅びの魔術に包まれたオーロラ色の夜空一面に、巨大な憎悪の魔猫の姿が顕現する。


 月が見ていた。

 いや、猫が見ていた。


 今まで見ていたのは夜空ではなく、大魔帝ケトスそのものだったと気が付いた。黒い夜空は大魔帝の黒い獣毛。月は憎悪の魔性としての紅き瞳。

 器が違う。

 この魔猫は、まるで空を包む宇宙のように強大な、果てのない存在だったのだろう。


 もはやこれまで。

 だからこそ、扇動者イヴァンの影は叫ばずにはいられなかった。


「大魔帝ケトス……っ、殺戮の魔猫! きさまさえ……っ、きさまさえ巻き込まなければ!」

『にゃははははは! どうだろうね。君達の計画は案外にずさんだった。魔竜神復活のための生贄は冥界神の竪琴でほとんど浄化されていた。ローカスターの魂もとっくに洗浄されている。もし、私が魔剣を喰らっていなくても――君達の思惑は終わっていたんだよ』


 その声は、背後から聞こえていた。

 ざわ。

 ざわざわざわ。


 振り返る事が、できなかった。

 背筋に冷たい汗が流れる。影の筈の自分が汗を流す筈がないのに。


『あれ、汗を掻くんだね君――もしかして……人間の心の方、だったのかな? じゃあ、本体の方は魔竜の心だったのかな? ふむ、そうか。魔竜の方が安らかに眠ったって訳だね。それは魔竜と相性の悪い私には、ちょっと新鮮だね』


 それは、思いがけない言葉だった。

 自分でも知らない事実だった。

 けれど――影の男は考えた。


 たしかに自分は人間なのではないかと。

 魔竜の心を、人間の心が汚染していたのではないかと――そう思ったのだ。

 ニヒィ。

 影男イヴァンは考えた。


 これは最初で最後のチャンスだ。

 もし、自分の心が人間であるのなら――大魔帝ケトスは自分を殺せない。

 あの黒猫の心の変化を、イヴァンは知っていた。

 ずっと調べていたから、探っていたから知っていたのだ。


 少し前から、大魔帝ケトスは人を殺さなくなっていた。

 最後に人を殺したのはいつの事だっただろう。

 いつも理由をつけて、この魔族は人間を殺さずにいた事を扇動者だった男は知っていたのだ。


 だから。

 男は振り返った。

 扇動者として、勇者の供として活躍した時代の技術、全てを活かせば必ず助かる。


 ――感謝するぜえ、勇者様。いつかアンタがいる異世界にまで侵食し、裏切ってくれた復讐を! ググググ、グハハハハハハハハ!


 さて。

 人間として、反省をしたフリをすればきっと――。


 そう思っていたのに。

 振り返った先。

 耳元で、音がした。


 バリ――。

 裂くような爪の音だ。


 紅い月が、冷めた瞳で見下している。


 意識が、遠のいていく。


 ど……し、て……――大魔帝、ケトス……。

 こいつは、人間をもはや、ころせ、ない……はずで……は――?


 おかしい、おかしい!

 おかしい、おかしい、おかしいおかしい!


「……な、ぜ――、人間を、ころせない、はずじゃ――っ」


 影が揺れる。

 形を保てなくなる

 薄れる自我の中。


 魔力を失い、ただの影となっていく自分を感じ、イヴァンは空を見上げた。

 紅い月が見ている。


 影の男は耳にした。

 確かに、ネコの声を聞いたのだ。


『何を勘違いしているのかは知らないけれど、別に殺せないわけじゃないよ? ただ、グルメを通して私が変わった様に、人間達にも変化が現われているんだろうね。私が殺そうと思う程の悪人が、少なくなっただけの話さ。そして君は――殺すべき人間だった、ただ、それだけの話だよ』


 紅い瞳が――。

 ギラギラギラと睨んでいる。


 その瞳に、扇動者イヴァンに向けていた憐憫はない。

 ただゴミを見るような目で、猫は自分を睨んでいた。


『あの男はきっと転生できる。成仏したからね――けれど君は……まあ、無理だろうね。これで最後さ。もう何も考える必要はない。虚無の中、ただの魔力となって永遠に終わらない消滅の夢を見るといい』


 永遠の眠りを告げる、紳士の声。

 ゾクゾクとするほどの低音が、魂を揺さぶる。


 ネコの後ろ。

 蠢く影がある。


 凍てつく眼光。

 冷徹な紅き瞳を持つ、人間の紳士。

 表情のない男が、眺めていた。前髪の隙間から覗く、底の見えない憎悪の瞳で――。


 そこに、ネコの時にあった戯れはない。

 ただただ全てを憎んでいるような、世界そのものを呪い殺すほどの邪気を放ち、それは世界に顕現していた。

 おそらく、これが。

 大魔帝の人間としての心。


 目の前に、肉球が迫る。

 踏みつぶされる。

 消される。


『さようなら』


 いやだ。

 消えたくない。

 消えたくない! なにか、策を――っ!


 バリ――。

 ……。






【SIDE:影男イヴァン】 ―終―


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[良い点] 猫は世界を救う。はっきりわかるね まりゅうは最後まで憐れだった
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