覚醒する獣達 ~焦がしバターとナツメグと~
魔王様の兄を名乗っていた男。
レイヴァン=ルーン=クリストフこと、闇夜の侵入者が目覚めたのはあの騒動の翌日。
夕刻過ぎのご飯前。
賓客用のそれなりに豪華な部屋の中。
夕食前の軽食に、油揚げが乗ったお蕎麦をちゅるちゅる、七味がピリっと効いた美味しいお味に猫口をうにゃうにゃ!
夢中になってコシのある麺を食らっていたのは、最強ニャンコこと私。
大魔帝ケトスだったのだが。
そんな。
偉大なる私がモフ毛を歓喜に膨らませ。
あつあつお蕎麦の四杯目を頂いてる時のことだった。
魔力の覚醒音が聞こえ――続いて寝息を立てていた男の口から言葉が漏れた。
「ん……ここは――」
漏れる吐息はやはり渋い。
シーツを擦る音が部屋に響き――。
続いて、少しだけ魔王様に似た優しい声が伝う。
「あー……なるほど。なるほどねぇ……完璧に理解したっての。くそ……っ、俺様が負けたのかよ」
お客様用のお蕎麦を食べていると気付かれては不味い。
私は知覚遮断の結界を構築。
結界をカーテンがわりに、大魔帝としての渋い声で告げてやる。
『おや、目を覚ましたみたいだね――ここはラストダンジョンと呼ばれている魔王城。そのお客様用の寝室さ。悪いけれど、力は少しだけ封印させて貰っているよ』
「どうやら、そのようだな――褒めてやるよ、この俺様を負かすとは……さぞや強そうな神獣――……」
男も静かな声で応じ、こちらを向き――。
紅い瞳をジト目にする。
その瞳は警戒するように、むちゅむちゅとチクワを齧る私の猫口をじぃぃぃぃぃぃいいっと眺めている。
あ、結界を貫通して見てきたのか――凄いな。
「なにしてやがるんだ」
『なにって、お蕎麦を食べているに決まっているじゃないか。もしかして、昨夜の戦闘で感覚を損傷してしまったのかい?』
見られてしまったのなら仕方がない。
肉球で掴んだお箸を、んにゃんにゃ♪
むっちゅむっちゅ、ずずず、ごくごくごく、ずずずず!
「いや、感覚は完璧だ。完璧すぎて全部見えてるから困ってるんだっての」
と、いかつい貌と眉間を尖らせ、男は手を翳す。
その一瞬で、空間把握の魔術を放ったのだろう。
魔王城に配置されている大魔族の気配を感じたのか、その大きな手にジト汗が浮かんでくる。
「ったく、なんなんだこの城は……マジありえねえわ。どんだけヤベェ奴らが集まっていやがるんだよ……――てか、負けた? この俺様が、負けただと? だぁぁぁぁああああああああああ!? 負けたのなんて、何百年ぶりだ!? くっそ、こんなんだったらもっと準備して来ればよかったぜ!」
声はちょっと似ているけれど、漏らす言葉はあんまり優しくないね。
アウトローってよりチンピラ君。
魔王様を彷彿とさせる優しいセリフを漏らしたならば、あの日々を思い出してしゅん……となってしまうだろう。
だから、まあ……これはこれでいいんだけどね。
『それはご愁傷様だね。まあ君ほどの実力だ、普通ならどう足掻いても負けないだろうから、油断しても仕方ないさ』
ちなみに。
今ここにいるのは私と、彼との二人のみ。
理由は単純。
もし敵、または魔王様にとって邪魔な存在だと分かったら――即座にこの場で、私がこの男の存在を消すつもりだからである。
『さて――こんな出会いとなってしまったわけだが……っと、少し待っていてくれ。今、ちょーど、お揚げに汁がイイ感じに浸って、味が染みてるから……じゅるじゅる、ずずず、うみゃうみゃ!』
読んでいた魔導書をパタリと閉じ、啜っていたお蕎麦をズズズと一気に呑み込んで。
お腹をポン!
うむ! 美味であったのである!
なぜか彼は私を呆れた目で見ている。
構わず私は肉球あんよで、とてとてとて。
知覚遮断カーテンの下を、うんしょうんしょ!
潜り抜け。
悠々と、お客さん用ベットで寛ぎ始めたレイヴァンお兄さんの前でちょこん。
きっと、この口の悪いレイヴァンお兄さんの目の前には、愛らしいスマートにゃんこが現れているだろう。
たとえチンピラでもお客様はお客様。
大魔帝たる私は、恭しく頭を下げて見せる。
『ようこそ魔王城へ、とでも言えばいいのかな。歓迎はしないが、どうか寛いでくれたまえ』
意図した慇懃無礼を感じ取ったのだろう、男は、ほぅ……と片眉を跳ねさせる。
「手厚い歓迎、どうもありがとうよ――まあ魔族として戦いに負けたんだ。おとなしくはしておいてやるよ。今のところはな」
『そうしていただけると助かるよ。君は――それなりに強い。私ならばともかく、他の者達には驚異となるだろう』
昨夜の強襲を皮肉るように、猫の口を嫌味っぽくつり上げる私。
かわいいね?
対するレイヴァンお兄さんも皮肉なニュアンスを含んだ口調で、応じる。
「へいへい、わかってるよ――ところで、この部屋にはアレはねえのか?」
『アレ?』
「ほら、アレっつったらアレだよ。分かるだろ? 一度味わったら止められない、渋くダンディな俺様みたいな大人の嗜みの、なあ?」
レイヴァンお兄さんは、翼をぴょこぴょこ。
うずうずした様子で、素足でシーツをぺちぺち。
なにやら落ち着かない様子である。
『……かつお節とか?』
「いや、猫基準で話されても、困るんだが……まあいい、自分で出すわ」
言って、男は筋肉の凹凸の目立つ肌に……紅い血の紋様を滾らせ。
魔術詠唱。
血脈を利用し力とする系統の魔術か――無から有を生み出すことも可能な、それなりに高度な術式である。
「魔力――解放。我が血肉たる晩餐」
翳す長い指先が、亜空間の隙間にずずずぅ……と入り込み――ずしゅ!
魔法陣が浮かびあがる。
滴る血を受け止める聖杯と共に現れたのは――。
タバコとワイン。
そして、酵母の香りを放つパン。
ナツメグなどの粉末が練り込まれた、おつまみ用のパンだろう。
パンはとても気になるが、もっと気になるのはその魔術。
私の童話魔術、絵本や魔導書に登場する要素を召喚する力。それを更に応用し、神話の書から古き神々の力すらも呼び出す神話魔術に似ている。
まず間違いなく、この男は危険人物だ。
ま、敵かどうかは分からないけどね。
……。
このパン、カリッと焼いて食べたら美味しいだろうな……。
『異界の魔術。それも神に類する逸話――神々の物語を読み解き、魔術として使用する禁術かい――そんな神話、どこで知ったんだい?』
「へえ、これが異界の神話だと知っているのか……おまえさん、転生者か」
互いに腹の探り合い。
その質問には敢えて答えず。
全然、気になっていないけれど――私の猫目はつぅぅぅうっと細く締まり。
おつまみ用のパンを、じぃぃぃぃっぃいいいっと眺める。
じゅるり。
「なんだ、これが喰いてえのか」
『うにゃ! ……いやいやいや、ま――まあ、どうしてもというのなら? 仕方ないから? 貰ってあげてもいいよ?』
「ったく――素直じゃねえな。ほれ、おまえさんにやるよ」
まあ、どうしてもというのなら、仕方ないよね。
うん。
召喚したバターをたっぷりごってり、ぬーりぬり♪
簡易魔法陣で炎を生み出し、軽く炙ってパクリ!
『ぶにゃ!』
モフ猫毛が、ぼふぁぼふぁぁぁぁぁあっと広がる。
中にクルミも入っていたのか。
ほんのり焦げたバターの香りとナツメグの風味が混ざり合い、とってもじゅーし~!
『ふむ、まあまあ美味しいじゃニャいか! 我が主の城へようこそ!』
「えぇ……俺様、マジでこのドヤ顔、駄魔猫の手下どもにやられたのかよ……軽くショックなんだが……」
眉間に刻んだ皺はわりと濃かったりする。
負けるとは思っていなかったのか――けっこう、マジで凹んでいるのだろう。
「で、弟は今、どうしている。眠っているらしいってのは、噂では耳にしているんだが。それ以上の情報はさっぱりな。誰か知らねえが、俺様よりも上位存在である、とある極悪猫魔獣が情報を魔術で封じているらしくってな――分からんのだよ」
どうやら、戦いの後遺症などはなさそうである。
正真正銘。
ホワイトハウルやロックウェル卿には多少劣るが、格をほぼ同じくする大物魔族なのだろう。
常在戦場。
ただシーツに寝そべってニヤニヤしているだけなのに隙はなく、放つ魔力は並の魔族を軽く凌駕している。
『その質問に答える前に、確認させておくれ。君が魔王様の関係者だということは理解した。けれど、本当にお兄さんなのかどうか、正直、判断できていない。なにしろ魔王様、ご自分の事はあまり語らない人だからね――君に関する情報がなにもないんだ』
「だろうな。俺様もこの世界に遊びに来たのは数回程度だし」
ということは、異世界に棲んでいるのか。
魔王様も元はこの世界にはいなかった、ということだろうか。
ともあれ。
『悪いのだけれど、本当にお兄さんかどうかわからない君の扱いに正直困っていてね。とりあえずはお客様という事になっている――暴れない限りはね』
「酒とタバコさえ切らさなきゃ暴れねえよ」
『分かった、それはこちらでも手配しよう――で、君は本当に魔王様のお兄さんなのかい?』
可能なら証拠が欲しいと、猫目で訴えるが。
「その前にこっちも確認させろ。てめぇ……は、って聞く前にもう分かってはいるんだが。噂に違わぬマイペース。道化を演じ、わざと隙を作る知恵ある獣。何よりもその――夥しくも禍々しい憎悪の魔力、そして膨らむモフ毛。おまえさんが大魔帝ケトスであってるか?」
男は、蛇のような紅い瞳を輝かせ、人を食ったような顔で言う。
『それでは、遅ればせながら自己紹介をさせて貰おう』
言って私は魔術詠唱。
身体を宙に浮かべ――いつものように亜空間から大魔帝セット一式を召喚。
猫目石の魔杖と王冠を輝かせ。
紅蓮のマントを翻す。
静かに――悠然と瞳を紅くギラつかせた。
『そう――私こそが大魔帝ケトス。世界を揺蕩う魔性が一柱。魔王様の牙であり爪。あの御方の忠実なる僕。お眠りになられている魔王様に代わり、今の魔族を束ねている魔猫さ。その力は、まあ君ほどの男ならば分かるだろうね。本物の憎悪の魔性だよ』
「そのようだな」
飄々としていた様子だったその貌をきつく引き締め。
レイヴァンは淡々と告げた。
「並外れた感情と心。その在り処である魂を暴走させた存在が行き着く、先。世界からの監視の目、運命の歯車から外れ覚醒した化け物――それが魔性だ。おまえさんは人間と世界そのものへの憎悪を。あの極悪ニワトリは人間と世界への怨嗟を。あの、かっわいいぃぃぃワンちゃん様は、人間への嫉妬を。そして、あの狐は子の命を人間に奪われた故に、子を宿そうとする色欲、多情を……それぞれ暴走させた魔獣ってわけか」
なかなかどうして。
ずかずかと、触れにくい獣の心までをも躊躇なく口にする男だ。
『フォックスエイルはその事を誰にも語っていない。私にもね。もし君が無礼を働き、傷つけようとするのなら――私は躊躇なく君を消す。どうか、覚えておいて欲しい』
「おー、怖いねえ。それ、マジの警告じゃねえか」
猶予はあと二回。
ザァァァァアアアァァァァアアっと、黒い雨音がどこからともなく鳴り響く。
異形なる闇へ――全盛期の姿へと、私の身体が変貌していく。
空間が、闇の中へと沈んでいった。
「世界に干渉し。領域をハックしたか……すげえな、おい。世界から支配権を奪うなんて、ケトスとやら、おまえさん、本物の化け物だな」
鳴り響く絶望と憎悪の雨の中。
猫の咢がぎしりと動く。
『私はね――できる事ならば、私の知り合いには傷ついて欲しくないと思っている。だから、どうか――約束して欲しい。私に君を消させないでおくれ』
それはきっと魔王様も悲しむことなのだから――と。
私は静かに猫口を蠢かしていた。
そんな私を斜に構えた様子で覗きながら、男は苦笑してみせる。
「全てを憎悪し、それでもなお――人の持つ輝きを忘れられぬ虚ろなる闇、か。なるほど――それがお前さんの本性ってわけだ」
きしししと、男は闇の中で嗤う。
男の翼の裏。
無数の魂が有象無象とざわめき立つ。
あの群れは……イナゴ、いや飛蝗か。
この現象には覚えがある。
全てを喰らい、全てを滅ぼす黒き眷族たちの大移動。
いわゆる蝗害だ。
蝗の群れが田畑を荒らすアレである。
こちらの世界でもアレに似た現象が、たまーに起きるのである。
この男は、全てを喰らい滅ぼすほどの闇を内包しているという事だろう。
その正体を微かに覗き見て。
私は、すぅっと瞳を細める。
『貴様は――悪食の魔性か』
「さあな、まあそれに類する魔性だって事は――教えてやってもいいがな」
挑発するように、男の翼の裏から飛蝗の群れが翅を鳴らす。
紅い瞳を尖らせ――彼らは喰わせろ、喰わせろと蠢き立つ。
悪食の眷族共と、飄々とするこの男の魂は連結しつつある。
どうやら訳あり、という事だろう。
もしかしたら、その辺りもここを訪ねてきた理由に関係しているのかもしれないが。
ともあれ。
今は、フォックスエイルの事だ。
『あまり我を煽るな――できる事ならば、あの御方と近しき香りを放つ者を消し炭にはしたくない。猶予はあと一度だ。よく、考えるがいい』
次にもう一度、茶化すようなら私は躊躇わずこの男を消すだろう。
ただ静かに。
穏やかに――私の瞳は、魔王様の兄を名乗る男を眺めていた。
「分かった。あの狐にも、他の奴らにもあの話はしねーよ――魔族として約束する。おまえさんは正真正銘、まごうことなく憎悪の魔性だ。魔性の身に堕ちた同胞とあまり出逢ったことがなくてな。試すようなことをして、悪かったよ」
と、頭をぽりぽり。
きまりが悪そうに唇を尖らせる。
どうやら、一応そういう良心を持ち合わせてはいるようだ。
この様子からすると、魔性に関心でもあるのだろうか。
まあ、この男も同類みたいだが……。
ともあれ。
ぷしゅ~と元の黒猫に戻った私は、パンを齧りながら言う。
『それで、君は自己紹介をしてくれないのかい?』
猫にお願いされたら全てを承諾する。
それが世界共通のマナーだろう。
タバコをとんとん、自ら呼び出した灰皿に燃えカスを落とし彼は言う。
「自己紹介もなにも、てめぇには招待状を送っただろうが」
『あれ、招待状だったんだ……すまないけれど、もう処分をしてしまってね』
レイヴァンお兄さんは、なにやら思い立ったのか。
急にがばっと起き上がり、ニヒィっと不精ひげを残す口をつり上げる。
「しょーがねえな、じゃあ、教えてやる! 我が名はレイヴァン=ルーン=クリストフ! 泣く子も跪く大魔族、黒薔薇の貴公子。レイヴァンとはこの俺様の事だ! 俺様の情報は伝わっていなくても、黒薔薇の貴公子の名は伝わってるんだろ? さあ! この二つ名を聞けば、もう分かったな! この名に歓喜し、平服しな!」
ほーめーろー! おどろーけー!
そんな空気を醸し出して、うずうずムフフ。
レイヴァンお兄さんが私のモフ毛を眺めている。
どーしよ。
なんか知ってる体で話されている。
『いや、申し訳ないんだけど。まったく、しらないよ?』
私は首を横にぶにゃーんと倒し、事実を告げる。
駆け引きでもなんでもなく、それが事実だと分かったのだろう。
ビシっとお兄さんの貌がヒクつく。
あー、分かる。
よおおおおぉぉぉぉっく分かる。
褒められ待ちだったのに、肩透かしされると……じみーに辛いんだよね。
「はぁ? んなわけねーだろうが!?」
『いや――だから、黒薔薇の貴公子って言われても知らないんですけど』
名前を知っていたら平伏すほどの存在らしいけど……。
知らんもんは知らん。
「マジで……?」
『うん……マジで』
えー……今回は私の無知とか、うっかりとか。
すっとぼけとか。
そういうんじゃなくて……魔王軍、全員が知らなかったんだけど……どーしよ、この空気。
それにしても……。
なんらかの魔性であるのは確かだし。相当な大物なのも確からしいが。
魔王様の関係者って、なーんで私以外。
みんな変人ばっかりなんだろ……。




