栄光の国にて ~にゃんこと蜂さんと王国軍~その2
四大脅威、虚栄の女教皇ラルヴァ。
人の手を自らの子と愛し、捕虜とした人間の手を切り落とし――魔道具化させることで増殖しようと企む狂った信仰者。脅威として、植物魔族としての器から外れた彼女が封印された地。
呪われしその場所に建国された国交無き帝都。
――ネイペリオン帝国。
面倒な交渉をすっとばして全員を魅了し、魔猫の王で異界の邪神たる私の支配下に置こうと思っていたのだが――。
どうやら、そうは上手くいかなかったようで……。
私の猫鼻に嫌な香りがプンプンプンプン。
蠢く空気はジトジトぬめぬめ、本来ならファサファサな筈の私の猫毛が妙に湿っぽくなってしまう。
絶対、これ。
何か起こるやつじゃん……。
猫の直感が言っている、これからとんでもなく面倒なことが起こるのだと。
気配を察した王もすかさず支援を含んだ号令を上げる。
「後退を完了せし者から武器を構えよ、――なにかが、くるぞ! 各自、自らの魔力を高め奇襲に備えるのだ!」
王が迎撃を命じたその瞬間――。
ゴゥ――!
城壁を揺らす程の魔力の波動が、吹き荒ぶ。
すかさず前に出た聖職者の部隊が聖書を翳し、凛と告げる。
「主よ――我等の身を守る盾を御恵み下さい」
祈りにより具現化した輝く光のカーテンが、吹き荒ぶ魔風を受け流す。
魔力の波動による精神汚染攻撃をやり過ごしたのだろう。
風の余韻が、猫毛を擽る。
魔力を孕んだ風が、大魔帝ケトスことハウル卿を演じる私のモフ耳をパタパタと靡かせ――勢いよく通り過ぎたのだ。
私たちの遥か後方。
ざぁぁぁぁぁっ――と鬱蒼とした森を叩き、木ずれの音を立て続ける。
『これは、人間の放つ類の瘴気じゃないね。それも悪意のある攻撃だ。少なくとも、敵なのは確かだろう。各自、カルロス王の命令通りに戦闘準備を――おそらく戦闘になる』
「よもやネイペリオン帝国は……」
王の漏らす言葉を肯定するかのように、城壁の内側からくぐもった呻き声が聞こえる。
神官たちなら気付いただろう。今のは、助けと救済を求める死者の声。
もはや、そういうことだろう。
死者の呻きがデバフとなって部隊の士気を下げる――が。
『君達は大丈夫さ、私が守るからね。仮に死んじゃっても蘇生してあげるし。皆、油断はしないでおくれ。痛い思いはしたくないだろう? なにより蘇生は魔力を結構使って疲れちゃうんだ。死なないように頼んだよ』
ようするに、もし死んだとしても治療は可能である。そう教えてあげたのだ。
これだけで心もけっこう落ち着くだろうしね。
実際、今の一言で兵たちの士気は回復している。
ま、猫の慈悲ってやつなのだ。
カルロス王が鷹を彷彿とさせる目線を私に向ける。
「攻め込むという方針で、よろしいか?」
『ああ、だってラルヴァとやらはこの奥にいるんだろ? ネイペリオンがどうなっているかは分からないけど、行くしかないだろう。それに、もし襲われているのなら助けないわけにもいかないさ』
告げる私の声に応じるように、皆が頷く。
もっとも、既に……遅いのだろうが。
死の香りが、鼻を撫でる。
戦場に立つ高揚を抑えていないと、魔族としての本性がでてしまいそうだった。
暴れ、殺し、復讐せよ――不死の身を人に殺され続けた魔猫として、人間を恨む憎悪が少しだけ込み上げてくる。
ホワイトハウルによる精神修行を終えていなかったら、もしかしたら暴走していたのかもしれない。
それほどの瘴気が、漂っているのだ。
けれど、私はぶにゃーんと、あえて陽気に人間たちを振り向いて。
ドヤァァァァ!
『んじゃ、扉を抉じ開けるからね――我、偉大なる王に使える魔猫。我が往く道を阻む結界よ、分を弁え退くがいい!』
肉球を翳し、魔力をドーン!
強制力を付与した解錠の魔術である。
構える私達の前で、城門が揺れた。
◇
ガガガガガガガァァァ――ッ!
轟く金属の重い音。錆びた扉の勢いよく開く音が――王の率いる軍勢の横を通り過ぎた。
冷たい風と、饐えた匂いが同時に過る。
開いた扉の先にあったのは――闇の世界。
朝だというのに、あちら側はまるで冥府のように暗い沼地になっていた。
『ネイペリオンの民よ、聞こえているかい? 私だよ、私。生きている者がいたら返事をしてくれないかなー?』
返事はない。
魔力による返答も、ない。
王が私を見るが――ヒゲを横に振って、返答がなかったことを知らせる。
『さて、既に賽は投げられた――来るよ』
霧の沼地の奥に見えるのは、無数の軍勢。
そのフォルムは人型を保っているが、纏う気配に人の面影はない。
不死者の気配に敏感な聖職者たちが、悲痛な声を上げる。
「この気配は……死者の群れ!」
「そんな! では、ネイペリオン帝国の人々は……っ」
彼女たちの声に応えるかのように、ザザ……ザザ……っと肉が地面を擦る独特な足音が響く。
続いてやってきたのは、スンと香る腐敗臭。
闇を見通す私の瞳は、既に敵を捉えていた。
判別はアンデッド。
歩く死人の部隊。そして――その貌に張り付くのは、ラルヴァの眷属、呪われし栄光の手。
それはさながら栄光の手による死人部隊。
魔道具と化した手が――犠牲者の遺体、または瀕死の人間の身体を操っているのだろう。
鮮度の良いゾンビの顔に、仮面舞踏会を彷彿とさせる手の形をしたマスクが張り付いている。
そんな姿を想像して貰えばいいだろうか。
肉体の腐敗があまり進んでいないのは、魔道具としての栄光の手から魔力が流れ込んでいるからだろう。
『蟲魔公ベイチトくんによる過去視の映像にあった、積まれた人間たちの手。共に封印されたであろう栄光の手が、先に動き出していたのか。ここの死者達は魔道具に操られている』
闇を見通す能力のない人間達にも伝えてやると――彼らの顔が引き締まる。
「死者、ですか」
『ああ、死者だ――残念だとは思うけれどね。感傷に浸るのは後にしよう』
私は魔王軍最高幹部としての声音。
大軍の命を預かる大魔帝としての声で告げた。
『今は戦いに集中したまえ――泣くことも後悔することも、後でいくらでもできる。なにより、君たち人間は優しい。きっと、戦いが終わった後で何度も繰り返し後悔することになるのだろう。間に合わなかったと、咽び泣くことになるだろう。だから、今だけは――前を向きたまえ』
冷淡な鼓舞を責める者はいない。
今の言葉そのものが、精神防御を大幅に増幅させる魔術支援だとも気付いているのだろう。
栄光の手の死人部隊。
彼らがその本能に任せて攻めてこない理由は単純。
彼等よりも憎悪を滾らせ、闇の中から世界を睨む者――つまり、私がいるからである。
私も性質で言うのならば、この者達に近い。
まあ憎悪の魔性だからね。
邪悪なる存在として、私は彼らの最上位種。
先輩なのである。
さて、怯んでくれている今のうちに。
『悪趣味もここまでくると立派なもんだね。さて、まずは小手調べ――と』
肉球を鳴らし、空と大地に八重の魔法陣を展開。
ずぅうぅぅぅぅん――と。
上下から挟むように捕縛。
闇の呪縛結界で敵を覆い、行動を封じながら私は告げる。
『魔術による捕縛は有効、か。んー……こりゃ、一日二日で死んだって感じの人間じゃないね』
闇を覗く力を持っているのだろう、人間の中で唯一見えている宮廷魔術師ワイルくんが言う。
「ハウル卿。あなたのお力で蘇生することは――」
『おそらく襲撃されてから数ヵ月は経っている――不幸中の幸いか、死した魂はまだこの地に縛られているようだから、もしかしたら……まだ損傷が軽い死体の蘇生なら可能かもしれない。けれど……無謀だ。遺体を損壊させないように倒す必要があるから……難しいかもしれないね』
ようするに、私が首都ごとドカーン! とやってしまうと、救える可能性のある人間を救えなくなってしまうのである。
こうして呪縛かなにかで一人一人、行動を制御しないといけないわけだ。
となると、問題が一つ。
むろん、破壊するのが大得意な私だが――こういう、繊細な力加減が必要になる……魔術は……ねえ?
もし、これが敵の計算なら。
相手はなかなかセコイ戦い方も選べる敵という事だろう。
『カルロス王。この惨状になにか心当たりはあるかい?』
「いや――なにしろ山脈を隔てた先にある国家ですからな。我らとの接点はあまり……ただ、極めて軍事的な強大な国であったとは伝わっております。よもや、既に落ちていたとは考えてはおらんかったが……むぅ」
既に戦場を駆ける騎士の顔をしたカルロス王は、予想される惨劇とは裏腹。淡々とした声音で告げた。
「皆の者、平常心を心掛けよ。冷静になるのだ。我等の目的を忘れるでない。三傑のワイルよ、鑑定を。これでは状況が分からん。誰でもいい、あの闇の霧を掃うのだ」
「畏まりました――」
すかさずワイルくんが杖を翳し、その横で聖書を片手に神官長ミディアム女史が祈りを捧げる。
「では、わたくしが照明を。皆さま、明るくなりますので目にご注意を――」
告げる彼女の周囲に、光が満ちていく。これは――。
「大いなる光様の慈悲に感謝を、我等に光の道をお与えください!」
神官長が扱う魔力は……これ、既に大いなる光の力を借りた奇跡だね。
大いなる輝きの系統の奇跡じゃないね。
そりゃまあ。
逃げ回っている大いなる輝きより、力を貸してくれると約束してくれた異界の主神、大いなる光の奇跡を使った方が効果的なのは確かだが。
なんとも、切り替えの早い聖職者である。
呆れと感心を含んだ私の視線に気づいたのか、彼女はにこりと笑みを返してくる。
「我が翳す道に光を――偉大なりし聖光」
神官長ミディアムの放つ光の弾が、周囲を明るく照らし出す。
沼地を照らす魔力光。
神の光が、城門を隔てた先にある死者の国の全貌を浮かび上がらせる。
そこに広がっていたのは、廃墟と化した首都。
生活の名残を失った冷たく暗い城下町だった。
そして――そこに徘徊する存在は……かつて人間だった者。
「なんと……」
「これは……っ」
呻く王国軍。
彼らの瞳にも栄光の死人部隊が見えたのだろう。
内側から開けられた帝都で待ち構えていたのは――無数の屍の兵隊達。
やはり。
ネイペリオン帝国は既に、滅びていたのだろう。
冷静さを保ったまま。
しかし眉間に僅かなシワを刻んだワイルくんが鑑定魔道具を発動させた。
「鑑定結果が出ました――皆の思念に転送します」
鑑定の結果は……やはりこの帝国の兵士や民間人。
そのなれの果てだ。
彼らの腕の先はみな、鋭利なナニかで切断され切り離されている。
悲痛に歪んだその顔面に張り付くのは、植物の根を彷彿とさせる大きな手。
切り落とされ魔術処置を施された聖遺物。
栄光の手。
魔道具と化した遺骸の一部が、死した骸の顔にがしりと張り付き、掴んでいるのだ。女教皇ラルヴァの眷属と考えるべきだろう。
滅びた帝都の扉を睨む私は、あえて冷淡な声音で猫の口を上下させる。
『冷たいようだが、地脈も調査せずに、よりにもよってあんな邪悪な存在が封印された呪われた地に建国したんだ。こうなってしまうのは仕方がないね……可哀そうだとは思うけれど』
王が死者の部隊を睨みながら、問う。
「ハウル卿、ラルヴァは既に目覚めておるという事だろうか」
『いや、おそらくまだだろう。あの手の魔族は欲望に充実だ、目覚めたと同時に人間のてを求め徘徊する筈。まあ、眷族は活動を再開しているんだ、それは近いうちにアレが目覚める兆候とも取れるだろうが。それに――栄光の手は並以上の魔道具だ、主人の目覚めの兆しを察し、自立して行動しているという可能性も考慮すべきだろう』
しばし考え――。
『死後、数ヵ月が経っているということは……私がこの世界に顕現するより前に滅んでいたという事になる。この帝国はネモーラ男爵との戦いには、参加していなかったのかい?』
「使者を送ったが……残念ながら」
歯切れ悪く、言葉が途切れる。
使者は返ってこなかった、ということだろう。
人間同士の縄張り争いだ、そこに私が掛ける言葉はない。
私は猫の頭を回転させ――覚悟を決める。
魔族として、人間たちに目をやった。
人間ではない闇の存在としての威圧感をアピールしながら、私は無機質に告げた。
『さて――君達には二つの選択肢がある。この地で滅んだ人々を殲滅し浄化。死してその躯を辱められる彼らを解放し天に送るか』
瞳を閉じて、魔の霧を放ちながら私は続ける。
『こちらの答えは簡単だ。蘇生や救助をこの際、諦めるのなら――私は少し本気を出そう。呪われし哀れなこの地、ネイペリオン帝国を荒野と化し、全てを虚無へと帰してしまおう』
それが可能なだけの魔力も力も、私にはある。
『そしてもう一つ。これはあまりにも不毛な選択肢だ。可能性は極めて低い。けれど、まだ蘇生が可能なものがこの中に存在しているかもしれない。呪われし地に縛られた死者の魂、そして完全には朽ちていない遺骸。この二つの条件さえ整えば、蘇生の可能性もゼロではないんだ。時間をかけ――魔力と備品を消費し、僅かに救える命を拾う。これが二つ目の選択肢だね』
むろん。
時間はかかる。時間がかかればかかる程、女教皇ラルヴァの目覚めは近くなる。
それは彼等にも分かっているのだろう。
私は残酷な問いかけをしているのだ。
もし私が優しいだけの魔猫であったのなら、何も告げず――この地を魔の咆哮で滅ぼしていたのだから。
けれど私は問いかけた。
なぜ、このような行動に出てしまったのか――私にも分からなかった。
『無責任なようだけれど、この世界からしたら私は部外者だからね。君たちが選びたまえ。どちらを選んだとしても、私は君達を蔑んだりも責めたりもしない。ただ、報酬を得るために、言われるままに協力をしよう』
ざぁぁぁっぁぁぁぁぁぁあ!
冥府に沈んだネイペリオン帝国の瘴気。
その悲しく冷たい風よりも、更に冷たい、周囲を凍らせる魔力が私の猫毛から漏れ出ていく。
「な、なに……なんなのですか、全てを呪い恨むような、この悍ましき、瘴気は!」
「まさか、ラルヴァがもう既に目覚めて」
濃い霧の中。
獣の咢が上下する。
『案ずるな――この憎悪、この魔力は四大脅威から漏れ出たモノではない。これは――我から漏れ出る憎悪の魔力だ』
巨大な前脚が――闇から這い出てくる。
世界を呪い恨む紅き瞳が――ギラギラと闇の煙を照らす。
そして――私は言った。
『さあ、選ぶがいい。人間よ。脆弱なりしも力強き者。我等、魔の眷属と渡り合えるほどに勇猛な種族よ。我は汝らの判断に従おう』
ラルヴァの眷属に滅ぼされた帝都の民。
周囲に渦巻く憎悪を吸い――私はこの地に顕現した。
『汝らの答えを聞かせよ。汝らの願いを聞かせよ。我は長しえの憎悪を喰らいし者』
死者の国と化したネイペリオンに、魔が生まれた。
『我こそが大魔帝。我こそが偉大なる魔王様に仕える魔猫王――ケトス。異世界の邪神なり』
私の正体を知らなかったものも多かったのだろう。
邪猫異聞録に記されし、異界の魔。
一目で巨悪と分かる邪悪なる獣。
全盛期の姿で顕現した私に――人間たちの瞳は、釘付けとなっていた。




