悪夢の終わり ~救済と罰~ その終わり
戯れを捨てた私は魔王軍最高幹部として、この地に顕現していた。
誰の目もない今だからこそ、勇者の関係者であるダイアナからの情報を仕入れることが出来る。
おそらく。
迷宮の最奥で輝く私の瞳は、酷く狡猾で残忍な色でギラついているだろう。
『さて、待たせてしまってすまなかったね。じゃあ、少し、確認させて貰うよ。いいよね? だって、君。もう嫌だって言えないのだから』
女の魂を操作し問う。
『勇者再臨と簡単に言うけれど、分からない事がある。力ある人間を使うというのは、分かる。けれど――それではただ勇者に適した存在を召喚するだけだろう? あの勇者の魂、生まれ変わりを指定して召喚することはできないはず。どうするつもりだったのかな』
悪夢を恐れる女は素直に答えを返そうと、しばし考え。
口を開いた。
「この地には、勇者様の三つに分けられた力を持つ者がそれぞれ三人、既に生まれておりますの」
ウサギ司書も言っていた事か。
彼女はもはや勇者が元の世界に帰ったことに納得し、それ以上、あの者の幻影を追うことを止めたようだが。
このダイアナはおそらく、違う。
生贄にするため、勇者の力を引き継いだ者を追っていたはずだ。
私は、その情報が欲しい。
別に勇者への恨みを晴らすために何かしようというわけではない。
この女以外にも勇者再臨を企む者がいるかもしれない、それを阻止するためには情報が必要だ。
勇者の破片ともいえる力を受け継いだ者の存在を、把握しておきたいのである。
できれば、大いなる光に知られる前に――。
『君はその者たちの情報を、どこまで手に入れているんだい』
「勇者様の力の行方は把握できておりませんの、けれど、どの力が、三つに分かれてしまったのかは、調査できましたわ」
女は酩酊した状態のまま、答える。
「一つは先導の力。他者を率いその力を何十倍にも増すことのできるカリスマ」
私の脳裏に、勇者に従い魂を荒ぶらせていた英傑達の顔が浮かんでいた。
魔帝さえも押し退ける程に膨れ上がった魔力と、統率された人の力。
なるほど。
導くといえば聞こえはいいが要は扇動系の能力……か。
率いた仲間や部隊を狂戦士状態にし、その力を倍増させる人間が勇者の力を引き継いでいる。ということなのだろう。
例えば、統治者すらも霞ませてしまうほどの扇動力を持った人間が候補――か。
「二つ目は成長の力。人の器に定められた限界を突破し、成長し続けることが可能な特典」
これはまあ、分かりやすいか。
人という器にある以上、どうしても成長には限界がくる。そのリミッターが勇者には存在しないのだろう。
西帝国にいた賢者や、東王国のヤキトリ姫も人間としての器を遥かに凌駕していた。
そういった人間の中に候補がいるのだろう。
人の器の限界は……というと。
炎帝ジャハル君の話だと、だいたい、五重の魔法陣を扱っていれば既に限界を超えたか超えていないかぐらいになるのかな。
六重の魔法陣が使えているのならまず間違いなく候補になるか。
少し変わったところでこういう能力の持ち主は大食漢や健啖家になりやすいらしいが、お腹いっぱい食べられるってのは良い事だよね?
大食漢で人間としてはちょっとぶっ壊れた性能の人間を探せば、そのうち見つかりそうではある。
「三つめは魅了の力。どうしようもなく他者を惹きつける力。特に、強者や権力者からほぼ無条件で好かれてしまう、覇者を惹きつける魔性の呪い」
これは――該当者を探すのはちょっと厄介そうである。
能力条件が他と比較すると曖昧だ。
つまりは――。
王様やギルド長など権力者に好かれる能力、ということかな?
権力者の協力者を得る。
それは戦闘力には直接関係しないが、勇者にとっては重要な能力なのだろう。
まあ確かに。
この世界の神話や童話でもそうなのだが――勇者って、なんか無駄に王様に好かれるイメージあるんだよね。ええ? そこまで好かれちゃうかって話がこの世界の冒険譚では結構多いのだ。
それが勇者としての資質。
隠れスキルのような効果の影響を受けていたと考えれば納得できる。
ある程度、因果律や運命を操作できる強力な力になるだろうか。
王様や皇帝とかに好かれてしまうのなら、王族関係者と親しくなっているものを追えば――そのうち辿り着くのかな。
しかし、こんな能力を同時に併せ持つんだから。
勇者って、敵に回すと本当に厄介だよね。
どこに存在しているのか分からない、その三人。
おそらく、近しい間に生まれているだろう三つの魂――か。
人としての限界を超えた三兄弟。
または三姉妹……。
んー、私、人間の情勢にはあまり詳しくないからなあ。
今度、西の皇帝にちょっと心当たりでも聞きに行くかな。
他の勢力に狙われる前に――私が保護、または敵に対抗できるだけの力を与えて加護しなくては。
その者たちも生き贄にされたら可哀そうだし。
なにより勇者が再臨したら困るからね。
『それで、他に何か勇者再臨についての情報は? 君以外にもそういう事を企んでいる動向があるのなら知りたいのだけれど』
「……」
女は何も答えなかった。
もう勇者再臨に関する情報は持っていないのだろう。
念のためにもう一度糸を引き、無理やりに言葉を引き出すが――。
女は答えることなく、首を横に振るだけ。
『そうか。ありがとう役に立ったよ』
これで、もう用はない。
頬に涙の筋を残し呆然としている女に、私は目をやった。
勇者という光を欲し、全てを失った女。
この者はおそらく、自らの選択が過ちだったと顧みることはないのだろう。
勇者に関することは全て、何を捨ててでも優先してしまうのだろうから。
そこに悪や善の感情など。
ないのだ。
それはきっと、不幸な事なのだろうが。
私には少しだけ羨ましく思えていた。
私も全てを捨てて。
自分の思いだけを貫いて、勇者を元の世界に帰す事よりも魔王様の身を案じていれば……。
守りきれたかも知れないのだから。
彼女の悪夢は終わらない。
勇者の魂が戻るまで、終わることなく悪夢の草原を歩き続ける。
私は――少し考えて。
問いかけた。
『じゃあ最後の質問だ、君はどうやって殺されたい?』
存外、穏やかな声が漏れていた。
愛しい者を前にすると、全ての前提が狂ってしまう。
私と彼女の中に浮かぶその共通点が、憐憫を生んでいるのだろう。
「わたくしは……勇者様の手で裁かれて、その腕の中で……死にたい、ですわ」
言って、女は何もない空を見る。
「いまでもわたくしは、あの時の選択を、勇者さまの帰路を断ったことを、過ちだったとはおもっておりませんわ。けれど、勇者様にとっては誤った答えだったのしょうか。あの日から、勇者様はかわってしまった」
生きるゾンビと化した女の瞳は遠くを眺めていた。
そこはおそらく――あの日彼女が、生まれて初めて、助けられる人間を見殺しにしただろう草原。
悪夢を繰り返し続ける草原。
麦の穂がざわざわと泣き続ける静かな土地。
彼女にとってのターニングポイント。
勇者にとっても。
魔王様にとっても。
私にとっても――運命が変わってしまった分岐点。
だから。
あの怨霊たちが作り出し召喚した呪いの幻影は、この草原を悪夢の地に選んだのだろう。
女の唇は言葉を紡ぎ続ける。
「ずっと謝りたかったの。どこがまちがっているのかしら。わからないけれど、謝りたかった。けれどあの人は、わたくしが謝る前に……いなくなってしまった。ずるい、ですわ。いくらわたくしの事を嫌いになってしまったと言っても、ずるい、じゃないですか。だから、もういちど、もういちどだけお逢いして、その手で殺して貰う。あの人の恨みを、憎悪をうけて、この世から去りたい。わたくしはそうやって、死にたいのです」
そして、女は言った。
「それがわたくしの望み。最終目標でございますわ」
『なるほどね――……そうか、君は……』
私は気付いてしまった。
気付きたくなどなかったが……察してしまった。
勇者の関係者ダイアナ。
彼女が勇者を再びこの地に呼ぼうとしていた本当の理由――それを知ってしまった。
この女は、殺されるため。
愛しい存在である勇者に裁かれ殺されるために、呼ぼうとしていたのである。
善悪も罪も分からない。
けれど勇者の大切な何かを壊してしまった、それだけは分かっていたのだろう。
だから。
最後は愛しい者にその罪ごと貫かれて、殺されたい――か。
彼女の道程は血で穢れていたが。
その願いだけは、とても綺麗で純粋なモノだったのだろう。
『そうか、分かったよ。君は恐らく後の時代で極悪人として名を残す。勇者を失い狂い堕ちた女、虐殺に狂った英雄として……誰しもがその名を呪い、忌諱するようになるだろう。けれど――私だけは君の願い、企み、哀れな心。全てを覚えておいてあげると約束するよ』
言って。
私は姿を変貌させていく。
死にゆく彼女に、せめてもの救済を与えることにしたのだ。
ザアァァァアァァァァアアアアアアアアアアァァァァァ……!
変える形は――かつて私が喉笛を噛みちぎり殺した人間。
勇者の姿。
私の幻影は実体を伴った真なる幻影。
おそらく、本物の勇者の魂がここにあるのと同じ状態になっている筈だ。
私は勇者の姿で糸を引き、唇を動かし。
女の頬を撫でた。
「勇者、さま?」
『君の悪夢を終わらせてあげよう』
その言葉で、女は自らが死ぬのだと悟ったのだろう。
「ごめんなさい、勇者様、わたくし、ほんとうに、何がただしくて、なにが間違っているか、わからなかったの――」
『ああ、知っているよ。だから君は裁かれる』
私の言葉は、彼女の耳には勇者の言葉として届いていたはずだ。
私は女の髪を掬い、美しい顔立ちが崩れないように――指でなぞった。
乱れた髪を整えてやってしまったのは、相手が女性だったからだろうか。
せめて、綺麗な姿で――。
そんな憐憫が私を動かしていたのだ。
女の瞳が揺らぐ。
「あなた、勇者様じゃないのね……」
『どうしてそう思うんだい?』
私の幻影は完璧なはずなのに。
彼女は見破っていた。
何が間違っていたのだろうか。
「だって、勇者様なら、わたくしにここまでやさしく、してくれないでしょうから――」
指摘した女は――それでもありがとうと言葉を漏らし。
残念そうに草原を見つめた。
『そうか、ごめんね。なら――本気で君に幻影を掛けよう。瞳を閉じれば、あとは君の望む最後の姿が再生される筈だ』
「瞳を閉じれば……本当の勇者さまに、会えるの?」
勇者の姿のまま、私は女に囁いた。
『大魔帝として約束しよう。私は君の中から勇者の情報を全て盗み見た――魂の細部まで再現すれば、それは本人ではないけれど……君を騙すことくらいは容易だろう』
「すごいのね、あなたは……だから勇者様も……」
言葉を漏らしながら――。
女は満足したように瞳を閉じた。
その瞬間――。
私の本気の幻影に、女の意識は戒められていく。
今の彼女の意識。
そこは恐らく、最も愛した勇者の傍。
静かに、女は勇者の腕の中で身を任せて――……。
細い指を伸ばした。
おそらく、あの運命の草原で――女は勇者に詫びているのだろう。
勇者の腕の中で罪を詫びて裁かれて、その腕で散る。
それが。
罪の意識が分からない彼女にとっての、救済と罰。
私は女の魂に手を挿し込み――魔術を発動させた。
彼女の記憶の中を辿る。
楽しい思い出、悲しい思い出。全てが勇者の事でいっぱいだった。
いや。
勇者しかいなかった。
勇者様、勇者様、勇者様。
勇者こそが彼女の全てで、それ以外の何も必要なかったのだろう。
女の魂の中。
勇者を想う心の奥に眠る光を――握る。
ズズズズゥ……。
女の体内から引き抜かれたのは、一振りの剣だった。
それは。
勇者に適性のある者のみが、握る事を許される伝説の剣。
名も無き勇者の剣。
勇者という誰もが知るその名に、本当の名を奪われてしまった哀れな人間の剣。
かつて私が噛み砕いた聖剣である。
私はそれを引き出した。
誰よりも勇者を愛し、見つめ続けていた彼女の記憶の中から拾い上げ。
再構築し、この地に再び蘇らせたのだ。
この剣は――本物だ。
本当にあの者が使っていた、忌まわしき剣だ。
けれども、この女にとっては最も重要な意味を持つ武器。
彼女の愛した勇者。
その剣を用いて、私は女の身を貫いた――。
ズシュゥゥゥゥ――!
勇者の影が、女の身体に覆い被さっていく。
「ぁ……っ」
貫かれた衝撃で幻影の一部が解除されたのだろう。
女は静かに目を開いた。
「……ゆう……しゃ、さま……」
そして。
ゆっくりと目線を落とし……熱く刺さるそれを見つけて、頬を緩める。
再臨した勇者の剣。
彼女ならば分かるだろう、これが本物なのだと。
女は自らの胸に刺さった輝きに細い指を伸ばし――愛おしそうに指でなぞった。
私はそれを冷淡な瞳で見つめた。
記憶の中の勇者なら、こうしていただろうからだ。
「あぁ……その瞳、この刃……こんどこそ、本物……ですわ」
本当に彼女は嬉しいのだろう。
歓喜に打ち震えているのだろう。
その血塗られた指が――何度も、何度も……。
自らに刺さる刀身を指でなぞる。
まるでそれが愛の証とばかりに……。
勇者の幻影を被る私を、勇者と認識し――勇者の剣で貫かれたまま。
こちらを見て――。
「わたくしは、狡い女でした。酷い女でした。それでも……あなたを……あいしていた。それだけは……ほんとう……なの、です……よ」
彼女は笑っていた。
「ごめん……なさい、ね……あなたを、愛してしまって……あなたの、すべてを、こわしてしまって――ほんとうに、ごめん……なさい」
それでも……愛しています……と。
色を失っていく女の唇が、愛を囁いていた。
勇者の刃に罪を貫かれ。
消えゆく女の贖罪の言葉がこだまする。
しばらくして。
剣をなぞっていた女の手が、滑り落ちた。
ドサリと……女神の末裔、その美しい腕がただの肉塊となって滑稽に落ちていく。
女神の血による美の加護が消えたのだろう。
それが。
自分の記憶を塗り変えてでも、愛し続けていた――。
勇者のためにウソばかりをついていた彼女の最後。
猫である私には愛がうまく理解できなかったが……。
やはり。
彼女の愛だけは嘘偽りのない、真実の心だったのだろう。
そう、私は思う。
再臨した勇者の剣が女の魂を裁き、その根源を焼いていく。
おそらく、転生すらも許されないだろう。
女の命の輝きが消えていく。
魂が枯れていく。
やがて。
美しい肌から色が失われていき。
女は死の眠りについた。
女の身体ががくりと軋み、動かなくなったのだ。
その最後の横顔は、とても安らかそうだった。
既に人間ではなくなっていた彼女の身体が、音もなく消えていく。
カランカラン……カラン……。
消えずに落ちた勇者の剣だけが、消えた彼女の跡を感じさせた。
私は――。
女の命を刈り取った。
主義に反するが……この手で、女性を殺したのだ。
おそらく。
狂った女の最後の瞬間は、愛しき勇者の腕の中。
自らの罪を裁かれたと知って、満足して逝ったことだろう。
◇
女の死に反応したのだろう。
静かに――幻影が崩れていく。
草原の残像が霧となって散っていく。
ざぁぁぁぁぁぁっと、音が鳴った。
麦の音だ。
なぜだろうか。
消えていく麦の穂のさざめきに耳を傾けて、私はしばらく動けずにいた。
潮騒にも似た音の響く中。
消えていく思い出の麦畑。
持ち主を失った勇者の剣に反射するのは……一匹の黒い猫。
夕焼け色に輝く猫の瞳は、その穂先の最後が消えるまで追い続ける。
いつまでも、いつまでも。
麦が奏でる哀れな女の最後から目を離せずに、眺め続けていた――。




