勇者の影 ~清らか女神のメロンパン~前編
逃走に失敗した私は聖女二人に囲まれていた。
一人は私の試練を突破し、本人は気付いていないが超絶スーパーウルトラデラックスにゃんこな修行により精神体向上……まあ専門用語で言えば、大幅なレベルアップを果たした聖女騎士カトレイヤ。
もう一人は、私の試練を受ける価値すら怪しい、独善傾向にある戦乙女風の槍戦士ダイアナ。
胸も性格も顔も、まあダイアナくんの方が世間からの受けはいいだろうが。
私の場合は、にゃははは、どうなんだろうね?
聖女騎士カトレイヤくんをちらり。
魔炎で温かいというのは、ネコちゃんてきにかなり高ポイントなのである!
あー、私って。
炎帝ジャハルくんとか、焔体質な存在にはちょっと甘くなっちゃうのかな?
右手に湯たんぽ、左手に湯たんぽ。
そういうダブル湯たんぽも……いやいやいや、絶対ジャハルくんに人を湯たんぽ扱いしないでくださいっすよ! って怒られるな。
ともあれ。
私が狂信者ダイアナから逃げていると知っていたからだろう。
仕方ないわね――と。
聖女騎士カトレイヤが私を庇うようにスッと前に出る。
「戦乙女……槍戦士ダイアナさん。この方への接近は禁じられておりますわ。相手側から声を掛けられた場合は例外として、自ら接近してはならない。干渉してはならない。けして油断してはならない――もしその禁を破りし時は、我も干渉できぬ。それが白銀様からのご命令の筈よ?」
なーんか、すっごい危険人物みたいな扱いだったのね。私。
いや、まあ実際危険だけど。
ダイアナは美しい顔立ちをキョトンと傾げて、聖女に向かい綺麗な声音で問う。
「ごめんなさい、えーと……」
「カトレイヤよ」
「そうそう、人間にしては活躍なさったカトレイヤさんでしたわね。ごめんなさい、聖女の類の職業から天界に上がってきた方はとても多いので――覚えていませんでした。ありふれた汎用職の方だからといって軽視していたわけじゃないのよ? わたくしのように女神の血筋ならすぐに分かったのですけれど、本当よ? ごめんなさいね」
これ、たぶん嫌味じゃなくて素でやってるからすっごい怖い。
ネコの魔眼で血筋を辿ってみると――ああ、確かに神と人間との魔力が混濁している。人と神との交流が盛んだった時代の名残だろう。
人と神との恋は甘く、蕩けるような熱に浮かされると言うが……ぽかぽかホットケーキよりも甘く熱いのだろうか。
それとも蜂蜜をかけたタイヤキぐらい甘々なのだろうか。
にゃは~♪
おっといけない、ポカポカスイーツを想像していたら涎が垂れそうになってしまった。
まあ、それはともあれ。
彼女の天然な煽り体質な一面は、神と似ているようである。
カトレイヤくんの方はそれに釣られてブチ切れる! かと思いきや。
案外涼し気な貌で、正面から応じる。
「構わなくてよ。それで、この方に何の御用なの?」
「大事な事なので、直接お話いたしますわ」
「だから、それは白銀様に禁じられて――」
彼女の言葉を遮って、私は前に出る。
せっかく庇ってもらったのに申し訳ないが――。
この槍戦士ダイアナ、少し様子がおかしい。
猫の直感がヒシヒシと訴えているのだ、何か仕掛けてくるつもりだろう――と。それに聖女騎士を巻き込むわけにはいかない。
『いいよ、私が応じるよ』
「え? ちょっと――だってあなた、こういう人が苦手なんじゃ……」
なんというか。
まあ――このツンツン聖女騎士の事をちょっと気に入ってしまったのである。
なにより猫を救うという心は実に素晴らしく、彼女自身も黒猫に助けられたという過去があるというのも高ポイント!
私も魔王様みたいにサッと通りすがりで弱者を救うっていう、かっこういいイベントが好きだから憧れてしまうのである!
そんなわけで。
私は小声で聖女の耳を揺らす。
『私は大丈夫だから。カトレイヤくん――君は離れていておくれ』
彼女も私に小声でヒソヒソヒソ。
「本当に大丈夫なの? この子、おっとり聖人君主みたいな顔をしているけれど――神族の中でもトップクラスに強いわよ。なにか、嫌な予感がするの――あー、あなたなんて心配するつもりはないのですけれど? ま、まあちょっとだけ気になるといいましょうか?」
『はいはい、ツンデレ乙』
「ツンデレ?」
『ははは、なんでもないよ。まあ、心配してくれているって事は分かったよ、ありがとう。あ、言っておくけれど、私がまともに名前を覚えるなんて結構名誉な事なんだから、そこんところをよく覚えておいておくれ』
本当に大丈夫だからと、そうウインクで合図を送る。
何が名誉なの? と一瞬眉を顰めるが――彼女はこくりと頷く。
その頬はなぜかちょっと赤くなっていたが。
ともあれ。
聖女騎士カトレイヤは先ほどの試練で、私の力の一端を知ったのだろう。
素直に従ってくれたようだ。
とりあえず様子をみるつもりらしく、私に礼をし、取り巻きを連れて離れた場所に移る。
『待たせてしまったみたいで、すまないね』
「いえ、こちらこそ邪魔をしてしまったみたいで。申し訳ありませんわ。また虐められているものかと思いまして……心配で心配で、つい声をかけてしまいましたの」
『あの子は、いい子だよ。ちょっと素直じゃないみたいだけれどね』
そう。
その魂は高潔な輝きを放っている。もはや、ホワイトハウルの裁定にも耐えうるほどの精神を取り戻しているのだ。
私はただ少し、未来を変えただけ。
不慣れな祝福を扱う際に私が聖書を翳したように、ただちょっと、補助輪を貸してやっただけだ。
未来を勝ち取り選んだのは、聖女騎士カトレイヤ。
あの純粋で奔放な聖女自身による力である。
けれど。
眼前で悠々と佇む、この女神の末裔はどうだろうか?
「あら、そうなのですか。あまりいい評判はきかない方なのですが――」
『それは自分で判断するよ。他人の評判だけで決まる世界はちょっと困るね』
そんなことになったら私は人間世界に介入して、奇跡と引きかえに食事を要求する愉快なグルメ魔獣になってしまう。
「まあ――あの子の事はどうでもいいじゃありませんか。忘れられているようなので改めて自己紹介をさせていただきます。わたくしはダイアナ。槍戦士ダイアナでございますわ。きっとあなたの御力になれると信じております」
『大丈夫、ちゃんと覚えているよ』
「おかしいですわね。さきほどの話ですと、わたくしの事を覚えていないようでしたのに――」
女がこちらに向けてくるのは完璧なスマイル。
男はもちろん、女性ですら惑わすほどの女神の微笑だった。
「わたくし、他人からそういう態度をされたことがなかったもので。少しだけ――悲しいですわ。いえ、責めているわけではないのですよ、本当に、少しだけ、悲しかっただけなのです」
と――濡れた唇を輝かせ、自らの胸を抱き寄せるように腕を組むダイアナ嬢。
おそらく、わざとだろう。
んーむ。
その腕の狭間。実った二つの大きなメロンパンが、聖女カトレイヤにはない豊穣を齎しているが――正直、ネコちゃんてきには硬そうで好きじゃないなあ。
魔炎の湯たんぽオプションも期待できそうにないし。
なんか、潔癖すぎて消毒液の香りとかプンプンしそうだし。
うん、失格。
まあ、魅了耐性のない人間なら男女問わず虜になっていたのだろう。
これで騙されて気を許してしまうとアウト。
記憶を奪われて、神の僕にされてしまうのだろう。
これで本人は良い事をしているつもりなのだから恐ろしい。
んーむ、恩の押し売りって怖いね。
ま、私にはそんな力は効かないんだけどね。
「悪いけれど、私に魅了は通じないよ。君よりも――美しいからね」
『まあ、そんな事を言われたのもわたくし、初めてですわ。確かにあなたは美しい――けれど少し傲慢が過ぎるのではなくて? わたくしより美しい存在なんて、あの方以外には、おりませんもの』
そのあの方っていうのが、どの方かは知らんが。
どーしよ。
これ、あんまりしつこいなら、もう対処しちゃっていいよね?
私は瞳を細め、声に魔力を乗せて戦乙女に問う。
『言い方を変えようか。君――私と関わるなって言われていなかったっけ?』
「あら、そうでしたかしら? けれど、わたくしは迷える信徒を導くもの。たとえ上司に命令されたとしても、信念のためには――その命を守らない勇気も必要だと思いますの」
頬に手を当てて、おっとりとした仕草を見せているがその全身には既に様々な強化奇跡と祝福が付与されている。
そしてなにより。
既に武器も構えていた。
最初から装備していたのだろう。
見えない槍が彼女の手に握られているのである。
手にする不可視の槍は神が鍛えたとされる神器、獣人殺しの聖槍。
この聖槍はたしか……勇者の関係者の所持品であったと思うのだが。
『君が所持するその透明な槍には見覚えがある。君、百年前の戦争に参加していたのか、なぜ、天界の人間である戦乙女が――あの戦争に』
「まあ! あなたも参加なさっていたの? わたくし、あの頃はまだ天に召し上げられておりませんでしたから――この見えざる殺戮の獣殺しを手にして……それなりの戦果をあげましたのよ。あの方、美しき我が仲間。勇者様と共に」
女は昔を懐かしむようにうっとりと頬を赤らめる。
この女、今勇者の名を口にしたか。
『へー、その槍。正式にはそういう名前だったんだ。なんか成人病みたいな名前で、ダサ……変わっているね』
勇者という単語を聞き、思わず辛辣な言葉を吐きそうになってしまった。
危ない危ない、今の私は獣人紳士なのだ。
「成人病?」
『あー、いいんだ。気にしないでくれ、こちらの話だよ』
私は瞳を伏し、思考する。
なるほど。
この娘、勇者の関係者だったのか。
魔王様を眠りにつかせた元凶。
我が牙で長しえの呪いから解放された――遠き地よりの転生者。
疎ましきも哀れな存在、勇者。
世界と世界の狭間に揺蕩う黒マナティ――この世界の住人に身勝手に召喚されたブレイヴソウル達、彼らがなりえたかもしれない、もう一つの未来の形。
ああ、まただ。
またあの者の影が私を戒める。
あの忌まわしき影が見え隠れしている。
魔王様。
勇者などという魂にまで同情し。
滅ぼすことを躊躇ってしまった御労しい魔王様。
優しい我が君。
我が見た唯一無二の光。
できることならば、私はあの者の魂を解放してやるよりも、あなたの無事を選択したかった。
あなたさえ無事ならば、あなたさえ笑っているのなら他に何も必要ないのだから。
けれど、私は――。
あなたの命に従い――世界に呪縛された哀れなあの者の、魂の解放を選んだ。
全ては過ぎ去った事。
全ては私の選んだ事。
その道を選んだことを後悔していないと言えば嘘になる。
けれど、おそらく。
間違ってはいなかったのだろうと私はそう信じている。
勇者の魂が解放された時、魔王様は確かに安堵したように微笑んでいたのだから。
魔王様と勇者の関係は知らない。
けれど、今にして思えば知り合いだったのではないだろうか? そう、思う時が増えていた。
私が人間の心に触れ変化したからか。
その御心が、少しだけ、分かってきたような感覚があるのだ。
知り合い。
あるいは――もっと深い……。
いや、それ以上の詮索は不粋か。
私の闇が零れたからだろう。
女神の末裔槍戦士ダイアナは胸の谷間に大粒の汗を垂らしながら、唇を震わせた。
「あら、なにかしら急に……! さ……寒気が……っ、このわたくしが、震えるだなんて……。なに、なんなのですか……? この悍ましきも恐ろしい瘴気は――迷宮の、罠?」
その出所が私だとは微塵も思っていないのだろう。
僅かに緊張した面持ちで、女は周囲を見渡し――魔力を溜め始める。
まあ。
勇者と言ったら世間一般では一応正義の味方。聖なる存在に位置する者たち。
その武勲を認められて天界に召し上げられていても不思議ではない。
『まあいいや、それで――白銀様に接近を禁じられている君が、私に何の用だい?』
「え? ……ええ、そうでしたわね。すみません。その白銀様が遭難者の魂を発見してくださいましたの。それで意見を聞きたいから、あなたを連れてきて欲しいと。そう、それだけのことで御座います。どうか、こちらに来てくれませんか?」
女神の末裔、戦乙女ダイアナが穢れのなさすぎる手をこちらに伸ばす。
『本当に、ホワイトハウルがそう言ったのかい?』
「ええ、もちろんでございます。わたくしが脆弱な獣人の方に嘘を吐く理由など、ございますでしょうか?」
そう言っているが、私にはホワイトハウルの状況は把握できているし。
遭難者の正確な位置も把握している。
そんな状況にはなっていないのだ。
つまり。
これ、なんかよからぬことを考え出したな、こいつ。




