第三領域と聖女達 ~猫の与えし試練~その2
ホワイトハウルの目が届かぬ場所。
何者かと問われ。
まあ。答えるわけにもいかず私は静かに微笑する。
正体を明かしドヤるのは、まだ早いのだ。
『私かい? 私は――魔狼の友人さ。とても古い……友達なんだよ。それだけじゃあ、駄目かな?』
「そう――。まあ、あなたに興味はないし、別にいいのだけれどね」
そう言いながらも、彼女の意識は自らの剣に向いていた。
心も戦闘モードへと切り変わっているのか、聖女たるその貌を覆う甲冑兜が顕現する。
魔力による武装。
私の猫耳のフサフサは、研ぎ澄まされた魔力の揺らぎを敏感に感じ取っていた。
聖女は私を急襲する気なのだろう。
賢明な判断である。
ホワイトハウルの味方である私は、魔狼に協力する。
大いなる光の回復にも全面協力する。
けれど。
その部下たちに対しての慈悲はない。魔狼からも――救って欲しいとは言われていない。
おそらく。
大いなる光自身が、もはや腐った部下を切り捨てようとしているからだろう。
そしてその正当性も、私には理解できていた。
長年の腐敗が浸透した彼等には、もはや未来がないのだ。
私自身も、彼女たちに関しては――諦めを抱いていた。
魔狼の心を徒に苦しめる害虫とも思っている。
つまり。
既に、私は彼らにとっての敵対者なのだ。
目の前の聖女騎士をちらり。
未来を読んでみても――その滅びの未来は変化していない。
蘇生に近い回復すら可能な奇跡のリンゴ。
聖者ケトスの書による極大奇跡の加護。
その二つをもってしても、滅びの未来は免れない。
蓄積された腐敗が原因か。
それとも、初めから彼女たちの滅びは運命づけられていたのか。
なんにしても。
彼女たちは……滅ぶのだ。
哀れとは思うが、自業自得だ。
彼女たちが立ち直る機会は、既に何度もあったのだろうから――。
部外者である私が関与するべき事案ではないだろう。
でも。
んー、どうなんだろう。
運命とか、宿命とか。そういうの、あんまり好きじゃないんだよね。
と、ちょっと悩んだその時だった。
ふと、私の猫耳がピョコピョコと動き始めた。
ちょっとした気まぐれが起こったのだ。
私は大いなる光とかいう、ネコも救えぬ心の狭い神とは違う。
そんな天邪鬼な対抗心が生まれて、ネコの頭がぶにゃーんぶにゃーんと働き始めたのだ。
チャンスを与えようと思ったのである。
聖女騎士カトレイヤ。彼女の未来は見えていた。
運命の通りならば――彼女はこのまま私に襲いかかり、殺される。存在を消去される。
その未来を変えることぐらいはできるだろう。
魔力を放出しながら、運命を定める世界がこちらを確認できない様に遮断。
私は言った。
『止めておきなよ。君じゃあ私には勝てない』
「何のこと?」
とぼける彼女の心を読んで、私は告げた。
『もしあなたが、仲間を傷つけようとするのならば――力足りずとも、わたしはあなたを後ろから刺す。たとえ、卑怯者と罵られようとも――たとえ、神の道に背いたとしても――わたしが汚れ役を担って皆を救う』
「な……っ!」
ま、一番の理由はこれだった。
彼女の心が透けて見えてしまったのである。
それが私の興味を惹いたのだ。
この娘はまだ、腐りきっていない――そんな直感があったのだ。
心を覗くのは魔猫としての悪癖だが、どうも止められない。
徐々に広がっていく闇の中。
まるで悪戯な猫の口のように、私の口はニヒヒと動いていた。
『自分が悪者になっても敵を討つ。たとえ、仲間に疎まれようとも、蔑まれようとも――なかなか立派な自己犠牲、殉教心じゃないか。まあ残された者の気持ちや、その自己犠牲を察してしまった聡い者の心を考えると、手放しに褒められるものじゃないのだろうけどね』
「読心術――!? 神の御使いたるこの私から!?」
『心は誰にでもあるものさ。それがたとえ、神の使いであったとしてもね。それを読むなんて、私にかかれば造作もない。朝食のお供の熱々コーヒーに氷とミルクをダバダバいれて、即席アイスコーヒーにしちゃうよりも容易い事さ』
心を読まれた彼女は動揺する。
魔族としての私の貌。
悪戯猫な一面が、闇の底から這いずり上がり始めていた。
闇の中からぴょこん! と。
テーブルに手を掛けるように猫のお手々をぐぐーっと上げて、ギラギラなお目めと顔を出している状態である。
彼女は元人間。
その心が知りたくなってしまったのだ。
もっと、もっと深く――人間としての心に触れてしまいたい。
ああ、知りたい。
知って、思い出したい。
私の失ってしまった人間としての心を……。
猫が輝き光るオモチャにジャレようと手を翳すように、私の手が伸びそうになっていた。
びにょーんと肉球を開いて、とりゃ! とりゃ! と掻き寄せたくなってしまう。
が。
私はそれをぐっと我慢する。
猫ならいいけど、獣人モードでやったらセクハラだよね?
だから私は迷宮の闇の中で静かに微笑する。
しりたーいな! しりたーいな! とモフモフしっぽを振りたくなってしまうが、ぐっと我慢する。
『優しいんだね、君は――』
「勝手に心を読まないで頂戴! だから嫌なのよ下界の者どもは!」
戦闘モードの甲冑で見えないつもりらしいが、自由に透視できる私の目にはその下の肌が見えていた。
今の彼女は全身ゆでだこ状態である。
優しいと言われて照れているのだ。
……。
すんごいどうでもいいけど、色気のない下着してるなぁ、この娘……。
ネコちゃんがクッションにするには、その……胸がちょっと物足りないんだから、もう少しぐらいパッケージで盛ればいいのに。
こう炎帝ジャハルくんみたいに温かいとか、ジャレたくなる紐付きとか、そういうオプションがあればネコちゃん的には嬉しいのだが。
ま、余計なお世話か。
透視モードをオフにして、私は詫びを告げる。
『ごめんごめん。丸見えだったから――ついね』
「な、変な言い方しないでちょうだい! 精神防御はちゃんとしてた筈よ! だいたい! 上位存在であるわたしの心をどうやって盗み見たのよ!」
『そりゃあ、私は魔族だからね』
「魔族なのになんであんな祝福と奇跡が使えるのよ! おかしいじゃない!」
『何事にも例外はあるっていう事さ。それに白銀様だって奇跡を扱える、例外が二つも揃ったんじゃそれは例外じゃなくなるってね。あはははは!』
瘴気に汚染されていた彼女が基準だったからか。
私には今の彼女が妙に眩しい、尊き存在に見えていた。
ギャップというやつだろう。
自らを犠牲にしてでも、汚れ役になろうとも仲間のためには手を汚す。
それはおそらく、清い心。
彼女は聖職者として天に召し上げられるほどの人物だったということだ。
少し、驕り高ぶりが強くなり腐っていたのかもしれないが――。
まだ、何とでもなるという事か。
大いなる光が回復しさえすれば――まだ、間に合う……。
消費期限が切れてるのは駄目だって魔王様は怒ってたけど、賞味期限がギリギリ大丈夫なら、まあ……って言ってたし。
それに。
魔王様なら、きっとこうして手を差し伸べていたのだろう。
そんな気がしたのだ。
あの日、あの時。
光に向かい肉球を伸ばし続けた私の手を、掴んでくれた時のように。
『さて、まあ冗談はこれくらいにして。君の素直じゃない自己犠牲の精神は理解できたよ。だから――君達が私にとって、助ける価値のある魂なのかどうか。試させておくれ』
だから私は戯れを捨てて、聖女に向かい手を伸ばし。
訊ねた。
『仲間を助けたいかい?』
「なによ、もう――変な人ね。当たり前でしょう」
私の口が、素早く動き出す。
『その当たり前ができない人ってね。結構、多いんだよ。まあいいや、じゃあ助けたいって事でいいんだね――それじゃあ、いくよ。私は君にいくつかの質問をする。君はそれに応えてくれるだけでいい。できるね? できるよね。できないって言わないし、簡単なことなのだから』
「ちょ……っ、待ちなさい! あなた、意外に人の話を聞かないタイプなのね!」
ガミガミ騒ぐ彼女を見据えて、私はしばし考える。
この迷宮を進んで分かったことがある。
どちらにしても今の神代は終わる。おそらくこの迷宮は――。
浮かんだ答えを今は忘れて、私は、未来を変えるかどうかを確かめるために動き出す。
彼女たちには本当に救う価値がないのか。
ひと欠片の希望も残されていないのか。
それを確かめたい。
ザザ、ザザザァァァ。
私の中の闇が溶けて、ダンジョンに侵食。空間を支配していく。
私自身も、ネコの形をとって影の中に溶けていく。
第三領域にあっただろう罠を、奪い取ったのだ。
いま、ここは私のダンジョン領域。
私の都合よく罠も仕掛けも、書き換えることが可能。
つまり、私にも例の試練を作成できるのだ。
ザザ、ザァァァァァァァァ!
闇に染まっていく周囲を見渡し、カトレイヤが呟く。
「これは黒い雨……? どうして、こんな所に――」
『これを黒い雨と表現するのか――なるほど、そうか。私にも分からなかったけれど……そういう解釈もあるんだね。面白い、やはり人間の魂と心に触れるのは嫌いじゃない。良い勉強になるよ。君は、本当に勘が鋭いのかもしれないね――……』
消えた私を探るように周囲を見渡し、聖女は叫んだ。
「ちょっと、ふざけるのはいい加減にして! あなたには借りがあるから黙っていたけれど、さすがにそろそろ怒るわよ!」
『私は真剣だよ。だから、君もどうか――真剣に答えておくれ』
闇から浮かび上がってきた私は、聖女に苦笑を投げつけ眉を下げる。
正面にバッと手を翳し、横に薙ぐように腕を掻く。
刹那――。
空間が闇の爪で切り裂かれる。
浸食した闇が、結界キャンプ空間の一部分を書き換えていく。
しばらくして。
声が響いた。
ブニャァァァァァァン。
ウニャァァァァァアアゴ。
「猫……?」
『そう、猫だよ――かわいいだろう?』
猫の声だ。
訴えるような猫の声は――闇の中を駆け巡り始め。
ブニャ!
顕現した巨大な黒猫が、咢を開く。
私と彼女のいる空間を世界から隔離するように――喰らった!
私たちは黒猫の腹の中、闇の中へと落ちていく。
落ちる世界と、黒い雨。
その中で私は指を鳴らし、聖書を翳す。
むろん、ただの演出である。
『魔力――解放。開け試練の扉。私は君に試練を与えよう。さあ、レディ・カトレイヤ……君の答えを聞かせておくれ――』
深淵の闇の中。
滅びゆく神族達の未来を探るべく。
私は――試練を開始した。




