猫の瞳が見た光 ~深き淵より睨む者~
ダンジョンの外に仕掛けられていた罠を解除した私たち一行は、今度こそ、ダンジョンの中に――!
まだ入っていないんだよね……。
実はこれ、私の魔術のせいだったりする。
手にしていた時属性の懐中時計に魔力を這わせ、時間結界を展開。
空間を操作しているのだ。
ワンコの時間を操作していた、アレである。
カチリ……。
時計の針が止まると――静寂が空間に広がり始める。
私以外の時は止まっていた。
時間操作魔術で、一時的にこのフィールドの時を停止させる事に無事成功。
作業する時間が欲しいのである。
このままで恐らくこの攻略班は全滅する。
それを未然に防ぐため、未来を変えるための細工をする必要があるのだ。
夜中、寝ているうちに靴とかを修理している妖精さんの伝承とかあるけれど、それの猫バージョンみたいなものかな?
ちょっと違うか。
にゃはははは! まあいいや。
第一領域である次元の狭間フィールドを見渡し、息を吐く。
周囲の瘴気は散っていた。
心を蝕み悪心を増長させる特殊な空間は、消失したのである。
実はまあ。
二つ、台風よりもでっかい膨大な瘴気がこのフィールドにも残っているのだが、それは私と魔狼なので問題なし。
罠を突破した途端に湧く領域ボスなどは――いないみたいかな。
『さてと――ちょっと頑張るかな』
言って、私は十重の魔法陣を何重にも展開。
戦争でも仕掛ける勢いで大魔術を披露する。
同時に複数の魔術を発動させているのだ。
最初にするのは――。
魅了した神族達から貰った奇跡の干し林檎を手のひらに乗せて、ファリアル君から教わった錬金術をかけてドロン!
ふっふっふ、サクサクふわふわリンゴパイの完成である!
サクッとしたパイ生地に包まれたシャキシャキ林檎が舌の上で蕩けてイイ感じなのだ!
別にお腹が空いたから時間を止めたわけじゃない。
本題はこれだった。
私の胃袋の中にロストした奇跡の干し林檎の代わりに、神の眷属たちの所持アイテム領域に、天然物の干していない奇跡のリンゴを強制的に所持させる。
最近ちょっとした出来事があって大量生産したのだが。
これ、実はすっごい回復アイテムなんだよね。
見た目は奇跡の干し林檎に偽装してあるから、すり替えた事には気付かれないだろう。
そんなわけで。
元からある奇跡の干し林檎は我が全てパイにして喰らってくれるのじゃ!
私は錬金術で次々と生み出したリンゴパイを、あーん、あーんと齧りながらも手を翳す。
バリ、バリバリバリ!
魔術によって生み出された自動雑用猫人形がわっせわっせと、荷物を運ぶ。
貧相な武具に私の祝福を掛けて、強化。
装備の魔改造を勝手にしているのだ。
強制的にダンジョン攻略準備を進めているのである。
これで時間停止が解けた時には、既に準備が終わっているだろう。
もちろん、都合の良い幻術もかけて記憶をちょっと操作するから、違和感も残らない筈。
正直。
いつまでもチンタラされるのにも飽きたのだ。
猫の手も借りたいなんて言葉があるが、その逆。
猫の手を貸すからとっととせい!
というやつだ!
並みいる敵をばったばったと薙ぎ倒したり、未知のお宝の鍵を開けてドヤ顔をしたり。早く本格的なダンジョン攻略を始めたいのである!
まあ、ここの悪心増長トラップのせいで準備が滞っていたせいもあるんだろうけどね。
その辺も罠だったのかな。
それにしても罠と言えば――。
私に影響を与える程の罠か。
平然としているが、これって実はとんでもなくヤバイ案件だよね……。
なぜここのダンジョン領域ボスはこんな罠をしかけたのだろうか。
わざわざダンジョン外を装って、仲間同士の絆や心を試すようなしょーもない罠を。
私だったら、落とし穴とかで遊ぶんだけどな。
這いあがってきた所を猫パンチでペチペチ、モグラ叩きもできるし。
今度魔王城に仕掛けてみようかな。
ともあれ。
第一の領域。心のトラップともいえる空間は突破したということだろう。
これで次に進めそうである。
その証拠に。
迷宮の入り口を封じていた結界が解けていた。
これ。
迷宮探索っていうより。
試練とか、そういう感じのイメージだよね……。
そういえば。
演技とはいえ助けられたのだ。
時間停止を解除したら例の戦乙女風美女に感謝しなければならないだろう。
私は時間を停止する前の状態に場所を戻し――リンゴパイをガジガジガジ。
ごっきゅんと呑み込み、息を吐く。
さて、じゃあ感謝してやるかな。
礼儀とかって大事だって、魔王様も言っているしね!
パチリと指を鳴らす。
むろん、何の効果もないいつもの演出である。
誰も見ていないと思うだろうが――。
おそらく。
このダンジョン領域のボスは私を監視している筈。
つまり、気付いているぞとアピールしたのだ。
実際。
全てを見通す私の猫の瞳には、こちらを眺める光のような何かが見えていた。
けっして、カッコウイイ演出に拘りたかったわけではない。
うん。
私は懐中時計を操作し、時の流れを元に戻した。
◇
時間を戻した事に気がついたのは――ホワイトハウルぐらいか。
彼は私に何か言いたそうにしていたが、それよりも前に例の戦乙女への感謝が先か。
時間が動き出した途端。
此度の勝利者。
最初のダンジョン領域である次元の狭間フィールドを攻略した心優しき女性が、こちらに深い礼をしていた。
私も、ありがとうございますと首を抑えながらハハハハと微笑する。
よっし、これでもう礼はしたからね!
『助かりました――えーと、君は……』
「仲間が失礼いたしました。主のために力を貸してくださっているというのに……大変申し訳ありません。わたくしは槍戦士ダイアナと申す神の駒、どうか、以後お見知りおきを」
なんとも、傲慢な神サイドのくせにまともな挨拶と詫びを寄越してくれちゃったのである。
これじゃあ、揶揄うわけにもいかないか。
本当なら名乗られたらこちらも名乗り返したいところだが、今回は正体を隠しているからそれはできない。
だから代わりに、大魔帝たる我の最高の微笑を返すことにした。
『いや、こちらも失礼したね。少し冗談が過ぎたよ』
「冗談と仰いますと?」
美女ダイアナさんとやらの、まっすぐにこちらを見つめる視線がちょっぴり痛い。
んーむ。
チラっと魔狼に目をやり助けを求める。
なんかムカつく奴とか、弱い者虐めしそうな奴を相手にチマチマチクチク。ねちねちと嫌がらせをし返すのは大好きだが、こういう、まっとうな聖職者に私は弱いのだ。
揶揄ったら、可哀そうだしね……。
それに。
ネコちゃん的な私怨を言うならば。
まだただの野良猫だった時代の心がざわつくのだ。
端的に言うと、嫌いなタイプなのである。
『いや、気にしないでおくれ。とにかく、ありがとう』
「いいのです。我らは神の御使い。全ての弱き者の味方。全ての命の母。救済こそが使命であり――我らの存在理由なのです。だから、どうかお気になさらないでください。神はいつでもあなた方を見守っておいでなのですから」
聖職者は女神のような微笑を私にぶつけてくる。
屈託のない清らかさが、私の猫毛部分を苦く擽る。
本当に、心が綺麗なのだろう。
だからこそ。
私の奥底に潜む闇は、その温かさを睨んでいた。
野良猫としての憎悪の眼光が、ギラリギラリと照っていたのだ。
闇の中から光を覗くネコの口のように、ぎしりと私の口の端は歪む。
『君たちは――弱い者を守ってくれるのかい?』
「ええ、もちろんです。救いを求め、どうか祈りを捧げてください。さすれば神の光はあなたを導くでしょう」
『そうか。そうだね。じゃあ殺されそうなときには、大切なものを失いそうなときには――祈ってみるよ。きっと、助けてくれるのだろうから』
穏やかに呟く獣人紳士としての私が表面上で微笑んでいる。
けれど。
心は氷河の底よりも凍てついていた。
「あなたは神を、そして奇跡を信じてはいないのですか?」
『そういうわけではないけれど――私は魔族だからね。すまないけれど、そういう話は苦手なんだ』
「苦手ならば克服すればよいのです。白銀の神獣ホワイトハウル様のように――あなたも主の御力を御信じになってはくれませんか?」
誰もが神に従うと、信じ切っているのだろう。
この世界の聖職者という人種は、多少なりとも恩着せがましい所がある。彼女はあくまでも私のために、そう言っているのだ。
それが、私の苛立ちを撫でた。
無遠慮に、毛を逆撫でしたのだ。
だから。
皮肉が口をついて出ていた。
『本当に、祈れば助けてくれるのかい?』
「もちろんでございます」
『それが猫であったとしても?』
どす黒い声が漏れていた。
女の光を影で覆うように、翳を纏った私の唇は動いていた。
『神は自らを信じる命を救うらしいね。けれど、獣はどうなんだい? 獣が本気で神に祈ったら、あの方は獣を救ってくれるのかい?』
私という闇に包まれた女は、わずかに息を呑む。
それでも、彼女は信念に従ったのだろう。
「え……? あ、えーと……知恵なき獣の場合はどうなのでしょう。けれど、おそらくは……神は祈りを見捨てたりはしない。わたくしはそう信じて生きておりますわ」
彼女は戸惑いながらも、自らの心を迷いと共に告げていた。
私が存外に真剣に聞いていたからだろう。
『そう――なのかな。ごめんね、変な事を聞いてしまったね。どうか許しておくれ』
「過去に……なにか御有りだったのですね。すみません、もはや起きてしまった出来事を巻き戻しお救いすることは、わたくしの力では――できないのです。あなたの御心が早く癒えることをお祈りする事ぐらいしか――」
ダイアナは瞳を伏して祈りを捧げ始めた。
んーむ。
私は神属性があるから問題ないけど。
こんな清らかな祈りを捧げられたら、魔族、ダメージ受けるって……。
その辺も考えて行動して欲しい所であるが、まあ魔族の性質を知らないのなら仕方ないか。
このフィールドに仕掛けられていた罠で悪心を擽られていたせいか、口が軽くなってしまいそうだった。
しばし、落ち着く必要があるだろう。
こんな罠にかかった影響を受けているのは少し情けないが――そういう猫ちゃんのうっかりも必要だよね!
ともあれ。
私は思考の海に落ちていく――。
んーむ、なんか私。
完全に嫌味な悪者みたいだよね。
いや、まあ現在進行形で悪の親玉代理だけど。
やつ当たりに近い問いかけだったかと、私は少し反省していた。
人間としての私は自らの発言を恥じていたのである。
けれど同時に、こうも思っていた。
きっと、これこそが本音だ。
助けてくれるというのならば。
あの時、あの日、あの場所――で。
なぜ助けてくれなかったのだ?
と。
唸りを上げる黒猫が、心の奥で偽善と欺瞞を呪っていた。
◇
心の奥。
深淵の底。
聖職者の祈りを見つめる猫は、心の中で唸り鳴く。
憎悪に囚われた猫が紅い瞳を輝かせる。
なぜ我を助けなかったのだ?
なぜ我が愛する者を助けてはくれなかったのだ?
殺され続ける我を眺め、何故なにもせずに、傍観していたのだ?
と。
あの日の私。あの日、殺され続けた黒猫が――深き淵の底から、光を凝視していた。
人間としての私は冷静に考える。
糧として獣を殺す。それは分かる。
我らネコも獲物を捕らえ喰らうのだから。
なれど、あれはただの虐殺であった。
ならば――なぜ救いの手を伸ばしてくれなかったのだろうか。
再び、黒猫としての私が怨嗟を漏らす。
我は見た。
光を見た。
絶望の淵で痛みと悲しみを耐えて這った汚泥の上で、我は何度もあの光を見た。
憎い、憎い。
ああ、憎くて堪らない。
正義を騙るその口が――おぞましき魂が、憎くて堪らないのだ。
壊してやる、殺してやる、全てを消し去ってやる。
裏切ったのは我ではない、きさまらだ。
横たわる我は何度も願ったのだ。
どうか、助けてくださいと。
祈ったのだ。
動かなくなった焦げたパン色の足を思い出し――猫の瞳で醜い人間と、清々しく晴れた天を見続けながら。
あの光こそが、神なのだと気付いて猫の手を伸ばし続けたのだ。
我は見た。
光を見た。
しかし、光は私を見ようとはしなかった。
祈りは届かなかった。
祈りは届かなかった。
届かなかったのだ……。
お前たちの神は、我を助けなかった――。
猫の眼には今も尚、人の醜き行いが映り続けている。
そしてなにより。
お肉屋さんの前で、魚屋さんの前で。
じゅるりと涎を垂らしながら、食べたいニャ~と祈っていた我を――神は見捨てた!
光り輝くお肉さんに、魚さんをくれなかった!
くわぁぁっと、ネコ目を見開く心の奥の、その横。
魔族としての私が、猫魔獣としての我が心の中で魔に祈った。
憎悪と怨嗟に揺れる我を救ってくださったのは神ではない、魔王様だ。
我が祈りを拾ってくださったのは、魔王様だ。
魔王様こそが我の光。
我が見た唯一の輝き。
魔王様こそが神。
魔王様こそが慈悲深き御方。
魔王様のみが、我を支配する権利を有する唯一の王。
我はケトス。
魔王様より魔を守る使命を与えられた大魔帝、ケトスなり。
大魔帝は考える。
その心優しき魔王様の愛した魔狼が、こんな汚泥に囚われているのは――正しき事なのだろうか。
このダイアナと呼ばれた聖職者は確かに心清らかな者だ。
心の底から神の救いを信じる、聖職者の鑑ともいえる聖人だ。
けれど。
他の者は?
既に腐敗し、修復不能なのだとしたら?
その腐敗に、魔王様の愛した魔狼が苦労をさせられ続けるのならば――。
神獣であるからと神に仕える必要が、あるのだろうか?
その価値があるのだろうか?
今の彼らに、魔王様の愛犬が力を貸し与える程の価値が本当に、あるというのだろうか?
我には分からぬ。
分からぬが――これ以上、我の心を煩わせるのならば。
いっそ。
本当に。
神という存在。
その全てを喰らい尽くしてくれようか。
……。
大魔帝としての私が、そう唸りを上げそうになっていた。




