シグルデン攻城戦 ~ 侵入編その1~
存在隠しの魔術が施され、別次元に封印された氷雪国家シグルデンの王都。
本来なら誰も立ち入る事の出来ない鉄壁の要塞。
外部からの魔力干渉の流れを断つためだろう。
暴走する吹雪の宝珠――荒れ狂うその魔力の中心に氷城は隠されていた。
あの時の魔女が、魔術太陽に隠れていた原理と似ているか。
ダンジョン化しているこの空間に入り込むには、様々な技術や時間が必要なのだが。
まあ……。
私、ネコだし。
結界破りのプロだからね。
伊達にお散歩脱走をしてきたわけではないのだ!
『よいしょ、こらしょのどっこいせ』
ブォォンと歪な音を立て。
次元の隙間から伸びるのは愛らしい私のニャンコなお手々。
ガサガサゴソゴソ。
ぐにゃにゃにゃと手を伸ばし。
左右の肉球で扉を抉じ開けるように、狭い時空を開いて――。
空間を接続!
『ぶにゃああああああっと! 転移!』
成功である!
勝ち誇った笑みを浮かべ侵入を果たした私に続き、次元の隙間から出てくるファリアル君が周囲を見渡しながら言う。
「暗いので分かりにくいですが……この魔力の気配はシグルデン王族のもの――やはりシグルデンの王城ですね。オートマタの技術提供の時に謁見したことがあるので、間違いないかと」
『んーむ、暗いのう……ここは。余はお腹いっぱいで眠いぞ……ケトス』
その腕の中には羽毛をもこもこに膨らませたロックウェル卿が、コケっと抱かれている。
歩くと……忘れるからね。
暗闇の中で蠢くのは四つの瞳。
底の見えない闇の中。大魔帝の紅き眼光がギラギラと輝く。
そのうちの一つ……。
私のではない獣の瞳が静かに消えていく。
コケー……すぴぴぴぴ、こけー。
ロックウェル卿……暗いせいか、ファリアル君の腕の中で眠りかけてるな。
そりゃ卿はこの世界では最強に近いツワモノ。
敵陣といっても眠れてしまうほどに余裕があるのだろうが。
緊張感ないなあ……。
『ロックウェル卿が眠っちゃいそうだから、ちょっと灯りを点けるね』
「敵に気付かれませんかね」
『まあ――その時は返り討ちにして魔女の事情を聞こうじゃないか。それに、私の照明魔術はダンジョン探知も兼ねているから、どうせ後でも使うしね』
肉球から飛ばす魔力球が、周囲を明るく照らしていく。
私は亜空間に猫の上半身を突っ込んで、ガサガサゴソゴソ。
お目当てのモノを取り出して。
『我が魔力に従い、汝の叡智――拡張せよ』
淡い魔力光を作り出す。
真ガラリア魔導帝国で譲ってもらった中古のマップに魔力を流し、情報を追加。
魔導地図に、二種類のエリア情報を閲覧できるように弄ったのである。
あの国のグルメマップを上書きしたくなかったしね。
今回は私以外に地図作成スキルを持つマッパーがいないので、大魔帝直々のマッピングなのだ。
『結界の影響かな、ちょっとマッピングに時間がかかってるね――少しだけここで待機するね』
「分かりました。こちらも今のうちに少し武装を確認しておきます。ロックウェル卿様は……もう、半分眠っていますね」
私はジト目で卿を睨むが、彼はどこ吹く風。
まあ、こう見えて本当に頼りになるニワトリだ。実際に、何か動きがあったら起きてくれるだろうけど。
猫耳をちょっと跳ねさせた私は周囲を探りながら、白い息を吐く。紅蓮のマントを体に巻き付け、暖房魔術でぬっくぬく。
ちなみに。
私と共に転移してきたのは、ロックウェル卿とファリアル君の二人と。
例の、彼の呼び出した魔王種……謎の触手生物である。
触手生物が私の頭をトントンと叩き、どこから取り出したのか分からないマフラーを差し出してきた。
『ギシシ?』
「えーと、貸してくれるのかい?」
『ギギギギギ!』
「あー、うん。大丈夫。私には紅蓮のマントがあるから、君が使っておくれ。あー……その、マフラーすこし貸してくれるかな。私の魔術でちょっと強化しておくから」
十重の魔法陣を刻んだ状態にし、マフラーに定着。
私は大魔帝の支援祝福魔術でマフラー自体を強化し、なぞの触手生物の体に巻いてやる。
マッピングが完了するまでは暇だし。
ただ突っ返すんじゃあ悪いからね。
ただの時間つぶしの祝福だったのだが。
それは私達の間にちょっとだけ石を投じる事になったようだ。
ファリアル君が怪訝そうな顔で、私の奇跡を見ていたのである。
『君にもかけようか? なにか身に着けているものを貸してくれたら、ちゃちゃっと祝福しちゃうけど』
「え? えーと……祝福と簡単に仰いますが。ケトスさま……もしやそれは、大いなる光の力、神であるあの方の領分である、祝福の奇跡ではありませんか?」
『ん? そうだけど。見れば分かるだろう』
猫耳を揺らしぶにゃんと答えた私に、何故か彼の表情が僅かに曇る。
あれ……なにやら考え込んでしまった。
ここ敵地だからあんまり考え込まれても困るんだけどなあ。
『どうしたんだい? 難しい顔をして』
「見てわかるから困ってしまったのですが……。いえ……この場所と関係がある事ではないので。お気になさらないでください」
とは言いつつも、彼の表情には迷いが浮かんでいる。
チラチラとこっちを見てるし……マイナスの感情じゃないから別にいいけど、何なんだろう。
仕方ないにゃ~。
こちらから道を作ってやるか。
『なんだよー気になるじゃないか! 疑問があるのなら口に出しておいておくれ。君を守り切れる自信はあるけど、絶対じゃあないからね。後で聞こうと思っていても、聞けませんでしたってなるのも嫌だよ、私』
「ワタシを守る?」
『うん! だって焼豚さんがすっごい美味しかったし。帰ったら山ほど作ってもらう気まんまんだしね! 君を絶対、無事にあの集落に連れ帰るよ!』
涎をじゅるりと垂らしながら、私は焼豚さんの味を思い出しウットリ。
尻尾をもっふぁもっふぁと膨らませて。
素直な願望を口にしたのだ。
どうやら彼の心に届いたようだった。
険しい顔をしていた筈の彼は、困った様に、けれど嬉しそうに貌を崩した。
破顔である。
眉を下げて、彼は言葉を口にした。
「はは、まさか血染めのファリアルであるこのワタシが、他人から守られる立場になるとは――世界は、存外に広いモノなのですね」
『ぶにゃはははは、ファリアルよ。我の偉大さをようやく理解できたか! さあ隠し事などせず、我にそのうちを曝け出すのだ!』
ちょっと私も空気を明るくするためにふざけてみた。
その空気に乗ったのだろう、彼は真面目な貌を作り私の目を見て語り出した。
「では失礼とは思いますが、質問をさせてください。先ほどの祝福は、なんだったのでしょうか。魔道具によるものでもありませんでしたし……他の道具を使った形跡はありませんでした。魔族であるあなたが、どうしてあの方の奇跡を使えるのですか? 理論的にも、魔術的にもありえません」
『あー……。そういや、君。大いなる光を信仰してたんだっけ』
外道な面が目立っていたからすっかり忘れてたけど。
そりゃ一応。
魔族は祝福を使えないと思われているし――今の奇跡も、人間では届かない領域だから驚くよね。
眠っている筈のロックウェル卿の羽毛が、僅かに動いていた。
このままニワトリ卿が騒いでくれたら有耶無耶にできるのだが、関与をするつもりはないようだ。
『私が神の奇跡を使える理由、か。んー、どう言ったらいいかなあ……』
たぶん答えは、転生する前。
かつて私は人間だったから、なのだろうが。
それを説明すると色々と面倒な事が起きる。
きっとファリアル君は心を痛めるだろう。
彼は私の過去を見ているのだ――かつてただの猫であった私が魔族になった情景を。人間を心の底から憎悪し復讐に心を燃やしていた憎悪の魔性としての私を。
見ているのだ。
ファリアル君は私をまっすぐに見て、言った。
「教えていただけないでしょうか。あなたは――いったい、何者なのですか」
『人間は……よくその質問をするね――』
私と接し、絆のような何かを結びかけた人間はこぞってその質問をするのだ。
私ですら分からない、その問いを――。
その度に、私は深く考える。
かつて人間だった頃の情景が微かに脳裏を過った。
どれほど手を伸ばしても届かない過去。
獣の手ではきっと、もう二度と掴めない淡い記憶の数々。
私にも友がいたのだろう。家族がいたのだろう。
もしかしたら愛する相手もいたのかもしれない……。
けれど、全てがもはや幻。泡沫の夢に浮かぶ残滓に過ぎない。
夢の中。
思い出そうと猫の手を伸ばしても。
どれだけ必死に鳴き声を上げても。
不安定な肉球では掴めなくて、淡く溶けて散ってしまうのだ……。
そして私は少し寂しくなる。
だから。
いいのだ。
私は魔王様の部下。
ただそれだけがはっきりとしていれば、いいのだ。
消えてしまった思い出の苦さだけを噛み締めた私は、極力、気を遣わせないように穏やかな貌をして彼を見た。
血染めのファリアル。人でありながら人の器を超えてしまい人間から弾き出された哀れな魂。
彼に、嘘はつきたくなかった。
彼の瞳を見て、大魔帝ケトスとして私は猫の口を開いた。
『かつて一度だけ、私は人間だった時期がある。ただ、それだけの話さ』
彼はその答えを想定していたのだろう。
驚きはしていたが、動揺はあまりしていない。
ただ――ほんのすこし、物悲しい顔で私を見つめていた。
「ケトス様が……元、人間……。人間としての……心を持ちながら……人を恨み魔性と化した、大魔帝。なるほど……それは、たしかに、いいにくい事、かもしれませんね」
彼はすみませんでした、と小さく詫びた。
何について詫びられたのか、私には分かってしまった。
人として、人を憎むのはやはり……悲しい。
このやり取りは、何度目だろうか。
そう、私は魔族でありながらも……魂のどこかに人間の残滓が漂っているのだろう。
そしておそらく、憧れを抱いている。
人という残酷な種族。
輝きも醜さも持ち合わせた不安定な種族。
短く脆弱な命の中。その一瞬を強く生き、藻掻こうとしている彼らに対し尊敬と嫉妬を抱いている――。
人間。
生きる彼らの輝きが……羨ましいのだ。
少なくとも今の私は、そう思い始めていた。
私は鼻腔を擽った切なさを心の渦の中に仕舞い込んで、太々しいドヤ猫としての声を上げる事にした。
暗いのは、似合わないのだ。
『ぐにゃはははは、翳のある私って、とっても素敵だろ?』
「え! ええ、まあ……信じられない程に幸運値が上昇してますけど……デメリットとかないのですか?」
聡い彼は私の意図を酌んだのだろう、それ以上は何も言わなかった。
ただ口の端に優しげな微笑を浮かべていた。
『んー、強いて言うなら幸運になりすぎちゃうぐらいかなあ。これ、確率判定のスキルが全部成功になっちゃうんだよね。効果期間中に告白スキルとか使えば絶対に成功するけど、効果が切れた後で虚しくなっちゃうだろうし』
「確率判定スキルの確定化ですか……幸運値の向上に――運命改変と、因果律の操作を同時に……? む、むちゃくちゃですね……」
確かに。実行する時は、うにゃにゃのにゃで一発だが。
言葉にしてみるとけっこう凄い事をしているのかもしれない。
『まあ私、ネコだしね。猫っていう種族自体が運気向上系の支援魔術に適性があるし……にゃはははは、驚くのも無理はないさ!』
意図していなかったドヤに、ニヒィと頬を緩め。
私はちょっと自慢げになぞ生物の身体? ぽい球体にマフラーを巻いてやる。
祝福マフラーをすっごい喜んでるけど。
いや……これ、本当になんの生き物なんだろう。
まあ、味方だしいいか。




