悪役令嬢にざまぁされたくないので、変装道具を買いましょう④
「破廉恥って、どういうことぉ? オレ、そんなことしたかなぁ?」
「したでしょ!」
「んー。何したっけ? 教えてよ、カミレ」
教えて? え……、鼻にチューしたって言うの? それはちょっと……。いや、結構恥ずかしい。
「分かるでしょ?」
「分かんないから、教えてぇ?」
嘘だ。絶対に分かってるやつ!
私が恥ずかしいから言いたくないって、分かっててやってる。
「言わないからね」
「えー。何でぇ?」
そう言いながら、レフィトは再び銀縁の眼鏡をかけた。
「カミレ、教えて?」
顎をくいっと持ち上げられ、レフィトは意地悪な笑みを浮かべた。
間延びしてない話し方もわざとだ。
そんなこと、分かっている。分かっているけど──。
「鼻にチューしたでしょ」
「したよ。カミレが可愛かったからね」
「……それがエッチだった!」
くぅ……。眼鏡には勝てない。逆らう術なしだよ。
……って、あれ? 何でレフィトが床に崩れ落ちてるの?
「レフィト?」
「ねぇ、もう学園辞めちゃわない? オレと今すぐ結婚しよう?」
私を見上げた眼鏡の奥にある、琥珀色の瞳が熱を持っている。私を求めているのが分かる。
思わず頷こうとした、その時──。
「はいはーい。デートを続行するお客様、プロポーズをするならもっとロマンチックなところでやりましょうか。あと、お嬢さん。流されたら、駄目だかんね」
カガチさんの言葉に、ハッとした。
レフィトが喜んでくれるなら……と無意識に頷こうとしていた。危なかった……。
「何で、邪魔したのかなぁ?」
「あそこで頷かせんのは、卑怯だろ。おまえは、あんな状態のお嬢さんに頷かれて嬉しかったのかよ?」
「……嬉しかったよぉ?」
そう言って、レフィトは笑った。それなのに、目の奥が暗い。
頷くことを望んでいたけど、頷かないで欲しかった。よく分からないけど、そんな感じに見える。
レフィトが欲しかった答えは分からない。だけど、私の中の答えは決まっている。
結婚しようと言ってくれたことは、素直に嬉しかった。まだ早いとは思うけど。
「レフィト、ありがとう。でも、ごめんね」
「謝らなくていいよぉ。カミレの弱みに付け込んだのは、オレだからさぁ」
「うん」
レフィトは笑っている。だけど、その瞳は捕食者のように見えた。瞬き一つでいつものレフィトに戻ったけれど。
私が獲物で、今か今かと墜ちてくるのを、誘い込まれてくるのを待っているかのような、そんな感覚に陥った。
「この眼鏡に人の心を操る力なんか、ないんだけどな。それだけ、お嬢さんが眼鏡好きってわけか。俺も眼鏡をかけたら、ときめいてくれんのかー?」
そう言って、レフィトの顔から眼鏡を取って、カガチさんがかける。
何というか、無口なカガチさんの方が似合いそうな気がする。
「どう? ドキドキする?」
「いえ……」
カガチさんだって、整った顔をしているのに、不思議なくらいまったくときめかなかった。
以前の私なら、ときめいたと思う。だけど、知らず知らずのうちに変わったみたいだ。
「レフィトだから、こんなにもドキドキしたんだと思います」
「そっかぁー。残念」
少しも残念じゃなさそうにカガチさんは言った。そして、レフィトの方に向かって、笑いかけた。
「良かったな。お前だからみたいだぞ」
その言葉に何度も頷けば、レフィトがへにゃりと笑う。
さっきまでの雰囲気はもうない。そのことに、ホッとした。
「知ってたよぉ。でも、ありがとぉ」
プイッと横を向いて、レフィトは言った。
レフィトを見るカガチさんの視線は優しい。兄と弟。そんな表現がピッタリな気がした。
「ところで、賭けはお嬢さんの勝ちだよな? 鼻血を出してたけど、気を失わなかったわけだし」
確かに気を失わなかった。倒れなかったら、という条件は満たしていた。
正直、レフィトの眼鏡姿はめちゃくちゃ見たい。何度でも見たい。何なら、一生眺めていたい。
だけど、危険でもある。お願いをされたら、叶えてしまいそう……なんて、あまいものではなかった。眼鏡をかけたレフィトの願いは、無意識に叶えようとしてしまうのだ。
「そうだね。ふたりきりの時に、たまにかけようかなぁ」
「鼻血も出したし、倒れなかったけど、引き分けでいいんじゃない?」
ふたり同時に話してしまい、思わず顔を見合わせた。
「もう、見たくないのぉ?」
「見たい!! でも、正気を失って迷惑かけるし、自分を見失うというか……」
今日まで、なくても生きてきたのだ。知ってしまった分の苦しさはあるが、迷惑になると分かっていて、無茶を言うつもりはない。
何より、リスクが高すぎる。本当は喉から手が出るほど、眼鏡姿を欲しているけれど。
「それなら、ふたりきりの時だけにしようよぉ」
ふたりだけの空間で、レフィトの眼鏡姿を見放題……。
いやいや! それこそ、危険だから。早まるな、私。早まっちゃいけな──。
「オレが色んな眼鏡かけたの見たいでしょぉ?」
「見たい!!」
あ、ハメられた。いや、まだチャンスはある。
見たいけど、見たいけど、ものすごーく見たいけど!! レフィトの眼鏡姿は諸刃の剣だ。身を滅ぼす予感しかしない。
「オレもカミレが喜んでくれると嬉しいからさぁ。眼鏡かけた時に約束はしないようにするよぉ」
「……いいの?」
それなら、問題は何もない。私得でしかない。
「その代わり、またドレス着てのデートもしてねぇ?」
「えっ?」
「オレだって、カミレのドレス姿を見たいからさぁ。いいよね?」
そう……きたか。ドレスでのデートは正直避けたい。でも、レフィトの眼鏡姿は見たい……。
「分かった。レフィトは眼鏡を、私はドレスを着て、互いに欲を満たそうってことね」
私の方が準備も含めて大変だけど、対価が分かっている方が、眼鏡をかけたレフィトを存分に摂取できるというもの。
がしり……と謎の握手を交わし、互いに頷き合った。




