逆境剣 矢切り 下
太刀が打ち上がった。新たな射込みがなかったのは幸いであったといえよう。
「羽鳥乙刀、と命銘呼称することにした」
「やめてくださらんかな」
戯れであればよいのだが、この学者連中はいつでも本気なのだ。ここひと月近い付き合いで、乙十郎にもそれがようやくわかりかけてきていた。
「あちらにいる同志からの報せによりますと、あの矢の射込みは大筒のごとく車に乗せて牽く道具を用いておるらしいのですよ。どうにもおいそれと軽々しく射ることはできぬようで」
「だがそれも、少しずつ改善してゆくことであろう。こちらへ逃げてきたものを追いやったのは、まずかったな」
乙十郎からすれば知ったことかという気分だが、己の行いがその流れの一端にあると思うと、なんともいたたまれぬものがあるのも事実だ。
己が、己の大切に思っている土地を危険に晒してしまったのだという悔いは、知らされた日からずっと乙十郎の奥底にある。己が職分を果たしただけだということは、乙十郎自身が最もよくわかっている。だがそれでも如何ともしがたいのが、こころの持ちようというものであった。
「太刀の扱いには慣れましたかな」
「まあ、いくらかは」
「では、次はこちらに慣れてもらうとしよう」
刀掛けではなく、麻の敷布の上に鞘もなく直に置いてある大業なひと振りを怪訝に思いつつ、これまた倍ほどの長さを持つ柄に両手をかける。
「……」
持ち上がらなかった。
「日々鍛えておるお侍でも、この重さはやはり無理か」
「おい」
わかっていた、という風で頷きを交わし合う学者三名に鋭い睨みを向ける。
「戯れでやっておるわけではないのだぞ」
「わかっている。だがあの大きさと重さの矢を切ろうと思えば、それくらいのものが必要なのだ」
「だが、使い手がおらぬでははじまるまい」
田宮、長谷川、青島三名が黙り、目を閉じて思念している。
「やはり磐梯に頼むしか……」
「だが彼は、我々の中でも異端……」
「学者連中の面汚しよ……」
三者が小声で何をかを言い争っている。どこにでも派閥があるのは同じなのだなと思いつつ、乙十郎は聞こえないふりをすることにした。
「結論が出た」
田宮が代表して告げる。
「隣の郡に、磐梯という学者が隠棲している。そのものの力を借りることにする」
「よくわからぬが、そやつの力を借りれば、何とかなるのか。わかっておると思うが、これは一応密命でもあるのだぞ」
「世捨て人のような男だ。心配はいるまい」
命を受けてより、乙十郎のお役目は一時的に免除されている。すぐさまその磐梯という学者の住処へ向かうこととなった。
秋は過ぎ、すでに冬の装いははじまっている。野の獣の多くは姿を隠し、木々の葉もほとんどが落ちて、空の色を多く見せている。
射込みの騒ぎがあってからというもの、無用の人出は減っている。村々のものもやはり、不安に感じているのだ。人の行き交いが少ないことが、余計に景色の寒々さを際立たせている。
百姓家と変わらぬ一軒のあばら家の前で、田宮たちは足を止めた。家の周辺にはぐるりと畑がつくられており、そこで一人の男が土を弄っている。どうにも、学者には見えなかった。
「磐梯」
だが、長谷川がその男に声をかける。男は土に汚れた顔を上げ、立ち上がろうともせず並んだ者たちを見渡した。
「田宮に長谷川。それに青島か。雁首揃えて何の用や」
「お上よりの命を受けて来た。おまえさんの力を借りたい」
はん、と磐梯が鼻で笑う。
「わしの発明を認めんかった、おまえらがか」
「……そうだ」
乙十郎は小声で、隣の青島に話しかけた。
「発明とは、なんだ」
「彼の専門は、いわゆるからくり仕掛けでしてね……。それで、人の代わりに戦う甲冑武者をつくろうとしていたのですよ」
「何だそれは」
「我々も詳しいことは知りません。馬鹿々々しいことだと、半ば無視しておったので……」
「で、あろうな」
磐梯が立ち上がった。
「ま、話聞くだけは聞いたろか」
田宮の口から経緯が語られる。はじめは乗り気でなかったふうの磐梯であったが、少しずつ話に惹かれているのが、乙十郎にもわかった。
「なるほど。その太刀を扱うために、からくり甲冑が必要であるということだな」
「確かおまえさん、発条仕掛けのからくりとやらを完成しかけていただろう。あれはまだ、あるのか」
「ある。本当に動くか試させてもらえるというなら、合力するにやぶさかではない」
手伝え、と言い捨てて磐梯があばら家の中へ入ってゆく。田宮、長谷川、青島、それから乙十郎の順で続いた。
乙十郎が思い描いていたより片付いている家の中を速足で歩き、土間へ上がった磐梯が、その片隅を持ち上げる。隠し階段と、そこから続く地下室だった。
「こいつだ」
そこに据え付けられていたのは、人が身に纏うにはあまりに大きすぎる鎧だった。しかも全身を覆う、文字通りの大鎧である。
「肘、膝など各所に発条という、動きを援けるからくり仕掛けが仕込んである。これにより、纏うことで常よりも大きな力を出すことができる、という甲冑や」
「何とも、面妖な……」
「だが遂に、実際に動かすことは叶わんかった。誰も、わしの発明に見向きも、手伝いもしてくれへんかったからな」
学者連中の差し引きなど、乙十郎にはどうでもよかった。
「これを着れば、あの太刀を持つことができるのか」
「さてな。そいつは動かしてみんとわからん」
「では早速試してみよう」
全員で、そのあまりに大きすぎる甲冑を表に運び出した。もしかするとそれは、乙十郎たちがはじめて一つの働きをした瞬間であったやもしれなかった。
ひと休みをしてから、装着に取り掛かった。これほどの大きさとなると、もはや一人では身に着けることはできぬ。また、身に纏うというよりも甲冑の中に入る、というかたちに近いため、入ってしまった後は、外側から誰かに助けてもらわねばならぬのであった。
「着けられたぞ。どうじゃ、お侍」
踏み出そうと試みる。が、動けぬ。
「動けぬではないか」
「普段より大きく脚や股を曲げてみてくれ。曲げたぶんだけ、反動で踏み出しやすくなるはずや」
「ふむ」
試してみると、果たして磐梯の言う通りであった。
腕の方も試してみる。はじめに曲げるのには力がいる。が、伸ばすのにはほとんど己の力を用いず動かすことができる。それを利用すれば、重い太刀も持ち上げられそうではあった。
「だが、これで思うように動くのは難しそうであるな」
「持ち上げられるだけでも御の字だ。何とかするしかあるまい」
「太刀の次は、甲冑か……」
乙十郎ひとりが、戦国の世に逆戻りしたようであった。
大甲冑は狭まった場所が通れぬので、学者たちが協力して羽鳥乙刀を運んできた。
「試してみてくれ」
軋みを上げる腕を動かして、柄を掴む。厚い籠手越しではあるが、重みや感触は確かに感じられる。
羽鳥乙刀を持ち上げた。
「成功だ」
学者たちが歓声を上げている。磐梯ひとりが目を見開いて、僅かたりとも見逃さじというふうで動きを追っている。
「構えてみてくれ」
磐梯に堪えて、矢切りの構えを取ってみる。矢切りの構えは両手を提げる構えであるから、からくりの助けをさほど受けられぬ。肩や腕に相当の負担がかかり、支えるのがやっとであった。
「ふむ」
磐梯が甲冑に近づき、大きな鉄の輪のようなもので、甲冑の各所から飛び出ている釘のようなものをきりきり回す。そのぶんだけ、腕の重みが和らいだように思えた。
「持ち上げた状態で、一度こうやって調整し直した方がええな。とりあえず今は、斬るときにだけ差障りなかったらそれでええやろ」
「斬れるのか、これで」
「あんさん次第やな」
その場凌ぎをいくつもいくつも積み重ね、そうしてその最後に乙十郎が乗せられる。このようなことはこれで限りにして欲しいものだと思った。乙十郎に次があるのかは、はたしてわからぬが。
「報せはこれで送られる」
田宮が四挺の種子島を運んできた。弾ではなく、色のついた煙を上空に撃ち出すのだという。煙はそれぞれ白黒紅黄に色分けされており、その色と数の組み合わせで場所と角度を報せるのだ、ということだった。
「まずはどこに据えられるかだ。それがわかれば、射出される範囲と方角がわかる。それがわかれば、あとの計算は難しくない」
「だからまず、かの射ち出し道具が動かされ、据え直されれば、合図を送るよう指図しております、ほれ、あのように……」
丘の向こうに黒く細い煙と紅の煙が一本ずつ、上がっていた。
「まずい。はじまったぞ」
「お主ら、わざとおれを困らせているのではあるまいな」
「むしろ都合がよいと考えるのだ。今なら既に甲冑を着込んでおるし、太刀も持っている。磐梯も傍らにおるし、絶好ではないか」
「だが、試しをしておらぬ」
「戦場でそのようなことを言っておられるのか、お侍は」
乙十郎は口を開けたまま、暫し固まった。学者の言葉が沁みてくるのがわかる。
そうか。直に刀槍を交わしておらずとも、これはすでに戦であったか。
戦国の世は遠くなり、戦であるかそうでないかの境は徐々に曖昧にされているが。それは多くのものの目には触れなくなっただけであり、その目に触れぬところで、こうして闘争は続いている。
戦であると宣してしまえば、もはや後には引けぬ。だから互いに、これは戦であると宣さず、できうる限り戦でないように見せかけながら、戦を行っているのだ。そのことに、乙十郎はようやく気付いたのであった。
「あいわかった。やろう」
「あの合図に従えば、ここより東側の国境だ。動けるかね」
「やってみよう」
脚を動かす。一歩一歩が重いが、身丈が大きいぶんだけ、歩幅も大きい。走るほどには動けぬが、総じてみればそれほど鈍重になるというふうでもない。
気になるのは、乙十郎自身の疲れだけであった。だがこれは、気合で何とかするしかない。
長谷川と青島に先導されて、大甲冑を動かす。観測と言っていたか、この手の算術にはどうやらこの二人がより長けているようであった。
「おそらくこの辺りでしょう」
「あとは角度だが」
「あまり深いところへは落とさぬようにするはずです。本当に戦がはじまってしまいますからね」
「さもあらん」
またもや煙が上がった。今度は白二本、黄二本、黒三本という複雑なものだ。黒の三本目が斜めに傾いでいる。
「どうやら同志たちが見つかったようだな」
「そりゃまあ、見つかるであろうな」
「だがよい試しができた。我らの本懐だ。お侍が気に病む必要はないぞ」
「気になぞしておらぬわ」
これは戦であるとこころに決めてからすでに、乙十郎の肝は据わっている。
下草の浅い、広い荒れ地である。ここであれば、飛んでくる大矢を見逃すこともない。
季節の変わりに相応しく、今日のこの日も風は強い。矢の落ちる位置に、ずれが生じるやもしれぬ。
だが乙十郎は、学者たちを信じることにした。
「お侍よ、もう三間ほど後ろへ」
「心得た」
ぎしりと甲冑を軋ませながら歩を移す。そして腕を提げ、矢切りの構えを取った。
荒れ地の後ろは田園であり、その後ろにはいくつかの小屋と厩が見える。国境を侵したと怪しまれぬよう、わざと荒れ地を一部残してあるのだ。そこを狙って射込まれるというのは、理に適っていると思われた。
だがな、と乙十郎は虚空を睨む。そのすぐ傍には、その土地で生きるものたちが住まっておるのだ。
乙十郎が守りたいと思うものはそういうものであり、だからこそ今、このような無理を引き受けてここに立っている。己の足と、大甲冑の鐙を通じて、大地と繋がっているのがわかる。
だが大地と。土地と繋がっておらぬものなら、どうであろうか。例えば己の土地から逃げてきて、逃げた先でも見つかり、追い出され。元の土地へと無理やり戻されたものどもであれば、どうであろうか。
他人が住む土地などどうでもよい。いや、自分の今いる場所ですらどうでもよいと。そのように、思ってしまうのではなかろうか。
大矢をつくり、飛ばす。その発想こそがまさに浮浪の根底から沸き上がったものではないのか。
これはそのような闘争であるのやもしれぬ、と乙十郎は思いを馳せた。
「本来なら発射の合図を報せてくるはずだったが。おそらくはだめになったろう。おまえさんの腕に頼るしかない」
「心得た。ここならば、見える。やってみよう」
鼠色の空に黒点がちらりとかすめた。おそらくあれがそうだろう。
全身に力を入れ過ぎず。弱め過ぎず。信じられぬほどの大太刀に大甲冑という源平武者のごとき出で立ちで、乙十郎は待つ。
視界で黒点が大きく膨らんだと感じた瞬間。乙十郎は動いていた。
大甲冑の初動は遅いと乙十郎は見込んだ。だが、一度動き出せば、己一人より大きく、速い力で太刀を振り抜ける。
羽鳥乙刀を突き出す。その切っ先が、目の前まで迫っていた大矢の先端を捉えた。
右下側に強く力をかけ、軌道を逸らせつつ、突進力を削ぐ。たとえそうしたところで、矢の勢いは止まらぬ。常であれば残心で身を躱すところだが、この大甲冑ではままならぬ。
だから常よりも強く、矢を押し返す。
太刀が砕けるのがわかった。同時に、矢の先端も砕けている。矢の残滓が、砕けたそのまま己に向かってくるのがわかった。
大甲冑に衝突する。己が繋がっていたはずの地から浮き上がり、吹き飛ばされたのがわかった。
どれくらい経ったのか。乙十郎は瞼を開いた。地に仰向けに転がっている感触がある。どうやら、命を繋いだらしい。
顔を少し上げると、大甲冑の胴が砕け散っているのが見えた。だが、中の身体は、小さな切り傷程度で済んだようだ。骨は、折れておる気がしたが。
周囲に影ができているのに気づいた。田宮、長谷川、青島。それから磐梯と、近隣のものと思しき百姓たちが集って転がる乙十郎を見下ろしている。
乙十郎は引きつらせながらも、僅かな笑みを浮かべる。それからまだ動く左手で、籠手越しに大地を撫でる。
帰ってきたぞ。その言葉は、乙十郎のこころうちにだけ響いた。
(完)




