露骨剣 鮍
獲藻の岬は領内の最南端にあたる。
南東の国境からぐるりと半円を描くように突き出た半島の先、北獲藻と呼ばれている盆地集落を越えたところにある。
北獲藻までは城下から街道が伸びており、北獲藻は南の終点となる宿場町でもある。海に面したその宿場は魚介の荷揚げが多く、それらを商うものや運ぶものたちが、城下やその周りから集まってくる。中央から遠くはあれども、発展と豊かさを感じさせる町並みで、街道も怠りなく手入れされ、また道中の旅人を助ける茶屋や旅籠も設えられている。
おかげでここまでは楽にたどり着けたわい、と矢蟹初葉介は堀石に腰掛けて汗を拭いつつ息をついた。
秋に入ったとはいえ、いまだ紅葉のそぶりも見えぬ時節である。日中はまだ強く光が射しているし、その下を歩けば全身から汗が噴き出す。とはいえ通り抜ける風はひやりとして快いものへと変わりつつあり、長く当たっていると寒さを覚えるような。そんなどっちつかずな季節でもあった。
まあ、冬に来るよりはよかったか、と町屋の向こう側に見え隠れする海を見て思う。獲藻の岸は岩礁が多く、浜は少ない。冬場はどれほど寒々しい景色であろうか、と初葉介は想いを巡らせた。
ことの次第によっては、岩礁を伝って獲藻岬までゆかねばならぬ。潮風が害にならぬほどの季節であるのは、ありがたかった。
初葉介が立ち上がる。初葉介は異相である。まず、上背が大きい。己の同僚たちと見比べても、まず概しては頭一つぶんほど初葉介が上をゆく。
その頭がまた厄介だ。頭に乗っている初葉介の髪は、四方八方に跳ね、毛の先が渦をつくっている。一筋としてまっすぐに撫でつけられたり、降ろされたりしている部分がない。
そんな海峡渦のごとき髪をようやくかき集めて髷らしきものを乗せてはいるのだが、それは跳ね上がった廻りに半ば隠され、島間をゆく小舟のごとき様相を呈している。
せめてその下の格好だけでも整っていればよかったのだが。初葉介の旅装束は笠から行李から、脚絆に草履まで。どれもこれも古く年季が入っている。あるものは塗りが剥げ、あるものはひびが入り、あるものは土色に変わりつつあり、あるものは端がほつれている。先ほど前を通り過ぎていった商家の使いらしき小僧の方が、まだしもまともなものを身に着けているといえそうな。いかにも貧乏侍でござい、とでもいうべき装束の一式である。
一見しては、まともな役目についている侍には見えない。そんな風体であった。
そして、それがときに役立つことがあるということも、初葉介は知っている。
見上げれば、日は中天を越えて下りに入っている。どこかで飯にするか、と考えた。この地方で皮剥ぎ、と呼ばれている魚が滅法うまいのだと、初葉介は噂を仕入れている。領内の中央に座する隙羅山は多くの恵みを与えてくれるが、海の魚だけは産することが適わぬ。頂近くの上流では烏賊蛸に近しい生き物が獲れるらしいという話もあるが、これはいかにも疑わしいと初葉介は思っている。
宿場町を巡る。商人や船乗り、漁師と思しき身なりのものが多く、二本差しの姿は見かけない。初葉介が考えているよりも、侍のいで立ちはこの町では目立つのやもしれぬ。現に、初葉介が道をゆくとそこそこの数が顔を向けたり振り返ったりするのは、この異相のためばかりではないように思われた。
やや奥まった場所にある、手すきに見える一軒に決めて、初葉介は庇をくぐった。
「いらっしゃいまし」
挨拶とともに、前掛けをつけた歳の頃四十ほどに見える小男が寄ってくる。木桶を並べて板を敷いたものを腰掛代わりに使っているようで、初葉介は手近なそれに尻を降ろした。
「親父、皮剥ぎ、とやらはあるか」
「へえ、ございます」
「では、それをくれ。ものは任せる」
店の中を見渡す。昼飯どきであるというのに、人はまばらだ。もちろん初葉介がそういう店を選んだからだが、味の方は期待できぬやもしれぬなあ、と聞こえぬよう小さくぼやく。
そのような数少ない客ではあるのだが、それらがちらりちらりと、やはり初葉介の方を気にしていることが窺える。
小男がやって来て、隣の木桶に器を置いた。
「こちらが刺身で、こちらが焼き物でございます」
「ふむ」
やけに白い魚だな、というのが初葉介の感想であった。特に小鉢に盛られた薄い刺身は、遠目には烏賊のようにも見えるほどに白い。これほどに白い肉身を持つ魚というものを、初葉介は知らない。
醤などが添えられておらぬということは、そのまま食せということであろうか。
口に含む。塩で軽く締めてあるのがわかった。魚を食しているとさほどに感じさせぬ、淡泊な味わいで、地味よりも噛みごたえを味わう一品であるように思える。
白身の下に、やや桜色がかった身が添えてある。おそらくはどこか別の部位なのであろうが。
「肝でございます」
初葉介の迷いを見取ったのか、板場から顔を出した小男が告げた。
口に運ぶ。少しの苦みと、とろりとした舌触り。なるほど、こちらは酒が欲しくなるな、と言いかけて口を閉じた。
焼き物へと箸を移す。こちらにも塩が振ってある。だが一味足りぬなあ、と思った。
やはり身そのものの味わいが強い魚ではないようで、ならば鰯なんぞを扱うときよりはやや強めに味をつけておく方がよいだろう。小男の親父はやはり、さほど腕がよいわけではなさそうだ。
だが、この皮剥ぎという魚自体は、確かにうまい。
「このあたりを侍が訪れることは、少ないのか」
板場と、周りの客に聞こえるように問うてみる。小男が慌てて飛び出してきた。
「いや、どうも皆がわしをやけに気にしておるようなので、こちらも気になって、な」
「へ、へえ。多くはござんせん。ですが、滅多にない、というほどでもなく、お役目で来られるお侍様などはお見掛けいたしますが」
「浪人者は訪れることがないか。ま、そうであろうなあ」
宿場町の終点ということは、もうここより後は行く先がないということである。常であれば、だが。
「近頃は、わしのようなものでここいらに来たものがあるかな」
「そういやぁ、秋口のはじめくらいに俺ぁみたなあ」
船乗りらしき客の一人がそう言う。大きな収穫だった。
そういったものたちが利用する旅籠や寺社などを聞き出し、初葉介は店をあとにしようと立ち上がる。
「そうだ、親父。この皮剥ぎという魚、いったいどのような魚なのだ」
「へえ。何というか、変わっておりますな。さほど魚らしくないといいますか。こう丸っこい形で、口なんか妙なふうにとんがっておりまして。まあ、魚の中でも、えらい変わりもんですなぁ」
「そうか」
やはり来ているのか、半四郎。
初葉介の双眸は、遠く獲藻岬を睨んでいた。
儀賀半四郎は獲藻の出であるという。
初葉介の知るうちでただひとり、上背の高さを同じくする偉丈夫であった。
半四郎もまた異相であった。
頭が、大きいのである。それも、上や横にでなく、後ろに長く、大きい。髷を結えば、それが後の後の方にゆき、前から見れば元結が見えないほどであった。
その異相であるから、これまでにさまざまな苦労を経てきたようであった。
城下の宿衛番方は世襲ではなく、毎年武術の腕が立つものを選んで割り当てられている。初葉介と半四郎は今年の番方勤めで同組になり、知己を得た。
この組にはどうも変わりものばかりが集められたようだ、と初葉介が察したのは、ひと月ほどが過ぎ、己らの組が決して城下の、人の目につく場所には配されないのだと気付いたからだった。
あるとき、弁当を使いながら語り合ったことがある。
「獲藻の生まれのものは、な。時折、拙者のような異相のものが生まれ出るのじゃ。どのような因果かわからぬが、そこで生まれた幼子のうち、何人かは必ずこのような頭になる。ほれ、お主の髪。それと同じじゃろう」
初葉介の父は初葉介のような渦を巻く髪ではなかった。だが、祖父が似たような髪をしていて、髷結に困ったという話は、聞いたことがある。どうしてそのようなことがあるのか。不可思議なこともあると思ったものだ。
「大きいのは頭だけではない。このとおり、背も大きくなるし、力も強くなるものが多い。つむりの巡りのよいものも、多かったそうじゃ。だから、獲藻ではこの拙者の異相は大事にされておった」
だが城下では、勝手が違うのう。握り飯を頬張りくもぐった声で言う。
「わしはご城下の生まれだからよくはわからぬが。だが、わしが他へ赴いたとて、この頭は、さほどに目立つであろうか」
他者の中に混じったとき。半四郎も初葉介も、目立つことには変わりはない。だがその中にも、とけ込める異相と、そうではない異相というものが、あるように思えた。
その考えを初葉介は告げなかったが。
波が砕ける岩礁を初葉介は歩く。そのことが誰よりもわかっていたのは。おそらく、半四郎自身であろう。
半四郎が上役を傷つけ、出奔した。いったい何があったのか。詳らかなことは何一つ、明らかにされなかった。
だが。半四郎は上役を殺めるのではなく、顔の皮膚を削いだのであるという。それを聞いたとき、初葉介にはおおまかな経緯が察せられた。常日頃より失言の多い上役ではあった。初葉介も幾度、腹立たしい気持ちを抱いたことか。
それでも初葉介が激発しなかったのはおそらく。それでもまだ、己はこの中に混じりあえるのだという繋がりがあったからであろう。
足場の定まらぬ岩場を抜けて、獲藻にはほどない、砂地の浜へ踏み入れた。円を描くように陸地は伸びており、その先の高台に獲藻の岬はある。
半四郎がこの獲藻に戻っていることは、すでに調べがついている。そして獲藻は狭く、他に続く宿場はない。いわば逃げ場のない土地に、わざわざ飛び込んだようなものだ。いったいどのような思いで、故郷へ戻ったのか。
あまりにもあからさまではないか、半四郎。
探索は容易かった。容易すぎた。つまり、半四郎は隠れる気などないということだ。
砂浜に一つ、影があった。大刀はすでに抜き身で晒されている。
「拙者もそちら側にゆきたかったのだ。初葉介」
そうなのだ。この獲藻で骨を埋める。そのような道とて、あったはずなのだ。
初葉介は無言で刀を抜き出した。
「拙者は人ではないのだ、初葉介」
「知っている」
静かに答える。そうだ。初葉介は気付いていた。
「そうか。お主は衿屋道場の出であったな。今でも教えは、伝わっているのか」
打ち寄せる波に合わせるようにして、刃を立て、両手で構える。
わしは愚かだ、と初葉介は思う。そして、半四郎も愚かだ、と。
異相ばかりが集められたとわかったとき、初葉介は安堵した。かたちは違えど己と同じ場所にこれだけの数がいるのだ、と。そういうことを、知ることができたからだ。
剣の腕前に信を置いていることも、初葉介をこころ強くさせてくれた。初葉介の髪は目立つし、侍らしくはない。それでも剣があれば役立つことができる。そう思えたからだ。
そして同じく集められたものたちも。半四郎もそうだと、信じていた。
そのようには思えなかったのだな。半四郎。
人は愚かだ。柵をつくり異相を分け隔てたら。今度はその異相の中でまた、新たな柵をつくりはじめる。
そうして柵をつくり続けて。いったい最後には、だれが残るのか。
初葉介には、そこまで思いを馳せることができなかった。いや、初葉介だけではない。だれもがだ。
草鞋を捨て、強く砂を掴んだ。互いに正面に構え、摺り足で場を移す。
半四郎が先に掛かった。
上背を活かした切り下げ。並のものであれば、それで終わっていただろう。だが初葉介もまた長身であり、達人であった。
刀身の中ほどで受け止める。半四郎が口を大きく開くのがわかった。
それは骨のように見えた。尖った肋骨の束。その小さなものが、半四郎の口から飛び出、初葉介の顔面に向かってくる。半四郎の尋常でない頭と力の源がこれだ。半四郎の肉体は、おそらく二人前なのだ。
素早く、脇差を抜いていた。左の手は、受け太刀をしてすぐに離れている。
顎を斬り割るようにして下から上へ。飛び出たもうひとりの半四郎を裂いた。半四郎の顔がずるりと剥がれ、骨の束と一緒に海へと跳ねた。
刀を引き倒しつつ、すれ違った。背中越しに半四郎が、砂浜に倒れるのがわかった。
両刀を納め、駆け寄った。
「このようなことを続けるのか、お主らは」
顔を失った半四郎が言う。初葉介は首を振った。
「わからぬ」
返事はなかった。半四郎はもはや、答えなかった。
亡骸を浜に横たえる。先ほどから潮風が強くなり、着物の裾をはためかせている。
立ち上がり、岬を眺めた。高くなった波が、岩礁を打ちつけている。
初葉介はすべてを打ち捨て、宿場への道を戻りはじめる。
嵐の季節が、やってくるのだ。
(完)




