386:洋上の邂逅
推進用の巨大なファンブレードが轟音を立てて回転し始めると、初めて乗った侯爵とスールーズの面々は恐怖と興味と困惑とでそれぞれに右往左往し始める。
「すっかり忘れておったが、ミードは大丈夫なのかのう?」
「たぶんな」
操縦席の後ろにある座席には“血盟誓約の剣”の入った木箱が固定され、臨時の神棚みたいになってる。
ミードの霊は木箱の上で所在無げに座っているが、他の皆には見えていない。エルケル侯爵が持っていた魔力可視化の術式巻物は俺にプレゼントされたが、表示中ずっと魔力を消費し続ける――そしてキラキラ光るので運転してて気が散る――ため収納に仕舞ってある。どうせミードの姿は、俺には見えてるしな。
「気分が悪くなったりしてないか?」
俺は振り返ってミードに確認する。幽霊に気分があるのかどうかは知らんけど。
「いまんとこ、問題ねえな。正直いうと、久しぶりの外出で、ちょっとワクワクしてる」
自嘲気味にいって、ミードは笑う。やっぱ幽霊にも気分はあるわけね。ミルリルには見えてないはずだけど、気配は感じるらしく俺の背後を怪訝そうに振り返った。
「なんぞいうておるのかの?」
「ああ。お出かけできて嬉しいってさ」
「なるほど。となればミードを屋敷に縛っておったのは、未練や執着ではなく、あの短剣だったわけじゃな」
正確にいえば、短剣というよりスールーズの愛と敬意だが、俺は黙っておいた。
動き出すと後ろから、エルケル侯爵が操縦席まで歩いてきた。誰でも最初は、車窓風景を正面の窓から見たがる。
「すごい速さだな。ヨシュア殿、これは以前乗せてもらった“ばす”とどちらが速いのだ?」
「最高速度は、同じくらいですかね。馬の全力疾走の二倍前後、ですが条件が楽なのでバスより飛ばせますよ」
「条件?」
ホバークラフトは、フラットな場所でしか速度が上げられない。ラファンの周辺にさほど大きな集落はないが、起伏はそれなりにあるし、障害物もある。厳冬期を過ぎて人馬の行き来も増えているようなので気を使う。とりあえずさっさと海に出る。海岸線が見えてきたとき、エルケル侯爵は少し怯んだ顔になる。
「……まさか、ちょッ、待っ……」
「大丈夫じゃ」
傾斜地から海面にアプローチすると、グリフォンは波を蹴立ててグングンと進み始めた。
「「おおおおぉ……」」
後部コンパートメントからも驚きと戸惑いと感心の混ざった呻き声のような歓声のようなコーラスが聞こえてきた。
「船にもなるのか」
「もともと船といった方が正しいですかね。地面が平らなら陸も走れるというだけで」
そのまま沖合数百メートルまで出ると、進路を北に取って速度を上げた。目に付く範囲に障害物はないので、日暮れまで巡航速度のまま目的地を目指す。今日は晴天で、風は少し出ているものの波はそれほど高くない。
「夕方には陸に上がって野営する予定ですが、共和国の北端までは行けると思いますよ」
「三百哩近くあるはずだが、それを一日でか」
約五百キロ。休憩含めて七時間ちょっとあれば行けるはず。俺は頷いて、ふと妙なことに気付く。
「この効果は、侯爵の魔法ですか?」
「効果?」
風は吹いているのに船体が流される感じがない。グリフォンの周囲が、軽い無風状態になっている。飛沫も立たず海面もフラットに凪いでいる。それを説明すると、侯爵は笑った。
「ああ、わたしだな。意識していなかったが、習い性になっているのかもしれん」
風魔法と水魔法はエルフの得意分野だが、クォーターエルフであるエルケル侯爵も同じで無意識のまま周囲に軽い防壁のようなものを作っているのだとか。いまはそれが、グリフォンの船体にも及んでいると。
「便利じゃのう。わらわたちドワーフの火魔法では鍛冶と荒事以外に向かん」
「それはそれで物凄く助かってるよ。それに、行った先では十中八九、また荒事が待ってる」
「貴殿らは、変わらないのだな」
「好きこのんでやってるわけじゃないんですけどね」
半分ウソだけど、俺はそういって笑った。
二時間ほど航行するうちに、慣れたようで乗員はみんなそれぞれリラックスして半分ほどは座席で眠り始めた。こっちのひとたち、わりとどこでも寝れるっぽいな。都心暮らしのサラリーマンみたいだ。
「ミルリルも……」
何かあったら起こすから寝てなよと伝えかけて、声を落とす。のじゃロリさんもお疲れなのか、既に助手席で眠っていた。寝顔はまだ幼い感じで可愛い。
もう少ししたらどこかで上陸して昼飯にしよう。ふとコンソールを見ると、上に置かれていた通信機が光っているのに気付く。ヘッドセットが繋がっているので音は出ていなかったようだ。操縦しながら頭に掛けて通話ボタンを押す。
「はい、どした?」
“あ、ヨシュアが出るのは珍しいね。いま上空なんだけど、見える?”
リンコの声にフロントウィンドゥから空を見渡すが、それらしいものはない。だいたい、何に乗ってんのかもわからん。大型の飛行船ならなんとか視認できると思うんだけど、高空に上がった小型機なら俺の視力では厳しい。
「いや、わかんないけど。何か問題でも?」
“あれ? ヨシュア、状況把握したからみんなで北上してるんじゃないの?”
「皇都に攻め込んだときに知り合った、皇国の少数民族を訪ねる旅だ」
“へえ……いいね、そういうの。ディスカバリーチャンネルみたいだ♪”
無駄話はいいから用件をいえというのに。ああいう天才タイプには天然が多いからな。キョロキョロしてると、上空を双胴の飛行船が横切る。こちらに確認させようとしているのか高度を下げ、すいーっと弧を描いている。前に見たのよりも細長くて小さく、速度と機動性が高い。また新型開発したのか、あいつら。
気嚢もゴンドラの船体もブルーグレーで空に溶け込む色合いになってる。いわれて凝視せんと気付かんな。
“共和国から奪われたっていう皇国の港なんだけど、そこで暴動が起きてる”
「え」
“皇都が魔王に滅ぼされたから、ただでさえ皇国内はメチャクチャっぽいけど、港の城壁内部が最も騒動が激しいね。上空から見てもかなりの魔力光と爆発が見えてるから、砲兵と魔導師が加わってるみたい”
「ええぇ……」
“海に面した国なら、カネと物が集積するのは港だし、そうなると利権も集中する。敵対国に囲まれた国の首都が陥落となれば未来はないし、奪った物資を持って海から外に逃げれば一挙両得でしょ?”
でしょ、っていわれてもな。皇国の人間が逃げる先なんて、奪った船で行ける距離にはないと思うんだが、そこまでは考えんのかな。他人事だから、どうでもいいけど。
“どうする?”
「う〜ん……ぶっちゃけノープランだ。どうすっかな」
皇国がどうなろうと興味ないから、できれば行き先を変えたいんだけど。スールーズの集落は、その港町からそんなに遠くないっぽいんだよな。
「状況はわかったけど、リンコたちが出張ってきた理由は?」
“魔王陛下のための情報収集と航空支援でございます”
「うん。そういうのいいから。本音は?」
ポンコツ(元)聖女にして皇国の悪魔と呼ばれた女子高生マッドサイエンティストは、下手くそな慇懃演技を止めてクスクスと笑った。
“最終決断はヨシュアの判断に従うけど……これってチャンスじゃない? ケースマイアンが、海を手に入れる、さ”




