292:ふたりの聖女
「……む?」
真っ暗闇の奥で、青白い光が灯った。少しそのままの光量で光り続けた後、ペカペカと明滅する。
「戦闘?」
「そういう気配はないの。もう敵もおらんし、発光も規則的じゃ。あれはエクラ殿の……合図ではないかのう?」
ミルリルさんが後部コンパートメントを振り返って尋ねる。騒ぎで目が覚めたのか、いつの間にやらヒエルマーが起きてきていた。
「魔力光信号だね。魔王たちに、来てくれといってる」
ミルリルを見ると“知らん”とばかりに首を振った。エルフのか共和国のか、彼ら独自の符丁らしい。
「動けなくなってるとかじゃないよな?」
「それはなかろう。おそらく生かしておいた指揮官の処遇についてじゃ」
「ヒエルマー。すぐ戻る、避難民を頼む」
「任せて」
開けると雪が落ちてきそうな銃座を避け、俺とミルリルはドアからキャスパーを降りる。俺は視力もそうだが、夜目もこちらの世界のひとたちと比べると致命的に効かないようなので、暗視ゴーグル付きのヘルメットを被る。視線に気付いてミルリルにも差し出す。のじゃロリさんは受け取ると嬉しそうに被ったが、それは必要性ではなく俺とお揃いだからという感じだ。たぶん、裸眼でもかなり見えてる。
「手を振っておるのじゃ」
ミルリルの指す方角を見ると、緑の視界にエクラさんと思われる人影が映った。距離で百メートルほどか。のじゃロリさんをお姫様抱っこで転移すると、魔女は雪原に転がった中年男を見下ろしていた。銀甲冑に濃紺の外套を纏った男は規則的にゆっくり小さく白い息を吐いている。撃たれたのは膝だったらしい。7.62ミリの小銃弾を食らったとなれば、膝は千切れかけてもおかしくない。瀕死の重症だったはずだが、尋問のために治癒魔法を掛けたのだろう。淡い色のズボンは血に染まっているものの、見えている限り出血は止まっていた。
「この顔は、尋問の結果かの?」
いわれて目をやると、男は幸せそうな顔で天を見上げているのがわかった。
「最初からさ」
「……厄介そうな話じゃの。皇国軍ならまだ良かったんじゃ。せめて、これが東領の外套ならば少なくとも話は単純だからの」
こいつの着てるのは青じゃないのか。暗すぎてわからんし、俺の目に写ってる画像は緑の濃淡だ。
エクラさんが少し離れた場所で俯せに倒れている兵士らしき死体を指す。背中に戯画化された太陽の紋章があった。
「群青に赤の太陽紋。中央領の外套だよ。アタシは中央領の衛兵にそれほど面識はないが、おそらく本物だね」
「襲撃の目的は、俺たち? エクラさん? それとも、中央領に入るもの全て?」
「それが、何も喋らなかったんだよ。魔導鍵が掛けられてて、無理やり引き出せば器ごと壊れるようになってる」
「……あた、た……かい」
指揮官らしき男は小便でもした後のようにブルッと身を震わせ、笑顔のまま動かなくなった。いままでの経験で知った事実のひとつだ。無益な死ほど、どこか滑稽に見える。
「襲ってきたのは、自分の意思ですか?」
「魔法による誘導はなかったが、感情や記憶を書き換えた可能性はあるねえ。この逆上せたような顔を見ると、扇動者がいるのかもしれん」
「思い当たる者は?」
「多過ぎる」
「何もわからんのと同じじゃな」
ミルリルが笑うと、エクラさんは呆れ顔で首を振った。
「共和国にも、皇国との講和を望まない者は多いのさ。いまの情勢じゃ、特に中央領にね。最前まで共和国の中枢にいた奴ほど、そうさ」
「こいつらが仲間を呼んだ可能性は?」
「あるよ。すぐに襲って来るかどうかはともかく、まず間違いなく呼んだだろうね」
俺たちの動きは伝わっていると思った方が良い。首都に向かう道に敵が待ち構えていると考えた方が自然だ。面倒だな。ホバークラフトのグリフォンは装甲がないし、装甲兵員輸送車のキャスパーは深い雪のなかを移動するのに向いていない。避難民を抱えていなければ、強行突破も選択肢のひとつだったんだけどな。
「なに、心配ないのじゃ。近付かせなければよい」
「そんな簡単な話じゃないとは思うけど……まあ、そうするしかないか」
襲撃者たちの死体を収納すると、俺たちはキャスパーを停めた森の奥にトボトボと戻る。
「早速じゃな」
暗視ゴーグルの視界に人影が映った。その数、十一。無音のまま殺気だけを静かに湛えた、その雰囲気には覚えがある。南領で見た、影の暗殺部隊みたいな連中。名前は……忘れた。
「……“光尾族”、とかいったかのう? 四十近くも屠られて、まだわからんか。貴様らは、手を出してはいかん相手を怒らせておるぞ?」
かつて彼らは刑死した共和国評議会員の命により、南領主マッキンの殺害予告を行ったのだ。そのときも襲撃者の殲滅は果たしたが、見張りに逃げられている。彼我の実力差を知ってもなお……いや、だからこそ退けなくなっているのかもしれない。
「度し難いのう」
ミルリルの前に姿を見せてしまった時点で、彼らの勝ち目はない。突進してきた獣人たちは次々に目玉を撃ち抜かれて転がる。回り込んで弓を射掛けようとしたらしいエルフは、背後に回っていたエクラさんにあっさりと首を捻じ折られた。ミルリルさんが周囲を見渡し、首を傾げるように森の奥へと点射を加えた。隠蔽魔法でも掛けていたのか、何もない場所で血飛沫が弾けて見張りらしき者が転がる。
俺はといえば、見てるだけだ。一瞬で殲滅されてしまったので、こちらは銃を構える間もなかった。
俺の本業は、戦闘ではないからな。うん。
「ミルリル、首都は、ここからどのくらい?」
「百哩弱、九十ほどかのう」
百五十キロくらいか。最短で二時間……迂回や戦闘や障害の排除を考えると、その数倍だろう。雪の降りしきる闇のなかを進むより朝を待った方が良さそうだ。
「不寝番はアタシとヒエルマーで引き受けるよ。アンタたちは少し寝ておきな」
「そうさせてもらうのじゃ」
◇ ◇
運転席で、三、四時間は眠っただろうか。目が覚めると周囲はうっすらと明るくなっていた。俺以外は起きていて、それぞれ携行食を静かに齧っていた。好きに食ってくれと後部コンパートメントに置いておいたものだ。なんだかんだで連食になってしまった。昼にはちゃんとした飯を考えよう。
「……何の話じゃ、それは」
「さあね。アタシにも初耳さ」
運転席の後ろの方で、ミルリルとエクラさんが小声で囁きながら首を傾げている。俺が起きたのを見て、ふたりは困り顔のまま近付いてきた。
「少しは眠れたかの?」
「ああ。何か問題でも?」
「どうだろうね。さっき評議会の連中から連絡があったんでね、こっちの状況も話したんだが」
エクラさんが魔法陣が刻まれた小箱を持っている。たぶん通信魔法陣とかいうものだろう。見た目は、なんというかクイズ番組の解答ボタンをファンタジー風味に仕上げたような代物だ。
「北領と東領の衛兵隊は解体されて、叛乱に関わったものは処刑されたんだよ。中央の兵が踏み込む前に領外へ逃げた者がいたというから、中央領の一部に手引きした者がいたようだ。夜中に現れたのは、その“一部”なんじゃないかという話だね。面通しがしたいそうなんで、死体を運んでもらえるかい」
「いいですよ。それで、何を困っていたんです」
ミルリルとエクラさんが、顔を見合わせて首を振る。困っていないという意味ではない。何を困っているのか説明しにくいという感じか。
「北領や東領の奴らが逃げるとしたら、揃って叛乱に関与した皇国なんだけどね。あっちはあっちで内紛が酷いことになってるのさ」
知ってるかと訊かれて頷く。とはいえ伝聞だけだが。ケースマイアンやサリアント王国に対して外征討伐を進めてきた将軍派が倒れて、いまは内政拡充を掲げる宰相派が力を持っている(らしい)ことくらいだ。その後、将軍派の残党が共和国の叛乱を焚きつけて、壊滅したのは見てる。
「そうか、アンタたちは当事者だったね」
「望んで関わったわけではないがの」
「でもエクラさん、いま皇国に残っているのは宰相派だけでしょう。北領や東領の敗残兵を受け入れるわけがないのは理解できますが、内紛というのは?」
「宰相派のなかにも、強硬派と穏健派がいるんだよ」
「停戦合意に来た連中は、穏健派というわけじゃな?」
「そうだろうね。事前交渉の内容を読んだ限り、比較的いまの状況が見えてる。損を被ってでも和平を結んで国を立て直す覚悟だ。なんとか皇帝まで抱き込んで、いまハーグワイで条件交渉に臨んでる。問題は強硬派だ。共和国に膝を屈するくらいなら国交断絶と国境線の封鎖を行うべきだ、なんていう連中だからねえ」
共和国から見れば身勝手なこと甚だしい。失敗したとはいえ他国を蹂躙したのだ。賠償を拒絶したところで済むわけがない。いまさら“そいつらが勝手にやったことです知りません”は通用しない。停戦合意に失敗したら、規模はともかく武力衝突は避けられない。
「軍の後ろ盾もない将軍派、みたいなもんじゃな。いくら威勢の良いことをいうても鼻で笑われて終わりじゃ。一戦交える、となれば兵のない皇国は、どっかから戦力を引っ張ってこんと話にもならん」
昨夜ミルリルが仕留めてくれたのは、その強硬派に降った、もしくは勧誘された東領の元衛兵といったところか。そこまでは、わかった。けど、なんでそこでミルリルとエクラさんが困り顔になる?
「自軍に戦えるだけの兵力はない、引き込める戦力は共和国のお尋ね者だけ、となると皇国の強硬派はお手上げだ」
「そこで阿呆な御託に乗せられたということなのかのう?」
「無理に旗頭を捻り出したんじゃないかと思ってるんだけどねえ」
「何ですか、それは」
いいながら同じセリフを寝起きに聞いたのを思い出す。ミルリルも同じことをエクラさんに訊いてたな。つまり、最初の話はそこに戻るわけだ。
「北領、東領、中央領、皇国の敗残兵どもが集まってるそうだ。北領南西、皇国との国境付近にあるイルムっていう古い砦を占拠して、自分たちが共和国にも皇国にも属さない第三勢力だと名乗ってるそうだよ」
俺とミルリルは顔を見合わせる。そりゃ、たしかに第三勢力ではあるんだろうけどさ。敗残兵の国を作るのはいいけど、そんなの誰から承認されるんだ。曲がりなりにも補給を支えられたケースマイアンとは違う。孤立状態で生き延びるとしたら、兵だけで構成される集団など暮らしが成り立つわけがないのだ。山賊集団としてなら、なんとかなるかもしれんけどな。
「そやつらの目的は、何なんです? 処刑命令の撤回ですか? それとも、砦を独立国として承認しろとか?」
「そんな話は聞いてないね。ただ、“悔い改めよ”と繰り返すばかりだとさ」
「……旗頭っていうのは、宗教関係者ですか?」
「当たらずといえども遠からず、かねえ。そいつらによると、自分たちは“聖女の使徒、なんだとさ」




