278:終わるものと始まるもの
「……お別れ?」
いきなりの告白に面食らう俺の隣で、ミルリルは余裕の表情だった。
「なんじゃ、マッキン殿。また誰ぞに狙われたか」
「俺個人でいえば、そこまで恨まれることは、やってないつもりだがな」
「冗談じゃ。エクラ殿がおられるのであれば、荒事で大事はなかろう。となれば、寿ぎを述べるべきかのう?」
「え?」
可愛らしく首を傾げるミルリルを見て、エクラさんは少しだけ頰を緩めた。
「さすがはカジネイルの娘、といったところかねえ。政に関しては勘所を押さえてるようだ」
「それは、どういう……ああ」
「そうだよ。アンタたちのお陰でというか、アンタたちのせいでというか、中央に呼び出されてね」
「ご栄転、ですか」
「望んだわけじゃないな。少なくとも書類上は、そういうことになる」
そらそうだわな、といまさらながらに状況を俯瞰する。正当防衛だとか依頼されて応えただけだとか言い訳はあるけれども、結果的にみれば、たしかに俺たちのせいではある。
「サルズと一緒だよ。むしろ、もっとひどいかねえ」
殺してきた数と、それが抜けた後の惨状。屠ったのは敵対勢力であるから軍事的には安定したといえなくもないが、それが叛乱分子となれば要するに政治的空白も大きいわけだ。抜けた穴を埋めようとするのが協力的・従属的な人間とは限らない。いやむしろ、最初に動くのは火事場泥棒の類だろう。
「どこも病根が根絶やしになったのは喜ぶべきなんだろうし感謝もしてるが、人材が枯渇して後継がいない。復興どころか、派遣された中央の人間に現状を説明できる者さえいない。いま北領と東領は、政治機能が完全に停止している」
「それをいったら西領もだけど、あそこは元々機能停止してたようなもんだからねえ。中央から官吏を送って中央領と統合するってさ」
前回の叛乱騒ぎで、共和国のために動いたのは東岸の飛び地キャスマイアを含む中央領と、南領だけなのだ。“マッキン領主と愉快な仲間たち”でなんとか耐え切ったが、後手に回っていたら首都陥落の可能性もあった。……というか、むしろ確定事項だったな。
「領地制を廃止するんですか?」
「それだと中央の手が足りん。西と中央が統合されて“内陸領”になる。北と東も統合されて、巨大な“沿岸領”になるわけだ。俺とエクラ女史が突っ込まれるのが、そこだ。政治経済の回復が最優先。その後にある大仕事は、七十年前だかに奪われた北部の港町の奪還だな」
「ほう、リンコたちが狙っとったやつじゃな」
ちょっとミルリルさん、その話は後にしてくださいな。マッキン領主も、そこで“俺もしかして動かなくていいかも?”て顔しないように。わしら火消しに回る民間軍事会社じゃないんだから。
「そんな先の話はともかく、ふたりともいなくなったら南領はどうすんですか?」
「「それだよ」」
それ、といわれても。
「首都から正式に依頼が降りてきてる。貴殿に」
俺? そこで、なんで俺?
「旧南領を預けたい」
「冗談でしょ? いや、それより旧ってなんですか」
「海賊砦と合わせて、租借地にしたい」
え、待って待って、なにそれ。
「無理は承知の上だし、断られるのも想定内だ。であればこの際だ、ひっくるめて巻き込んでしまえばいいと思ってな。ケースマイアンとソルベシアの合同統治を提案した」
ちょっと、なにしてくれてんの小太り領主⁉︎
「統廃合した後の領地の切り分けは任せる。人員も予算も物資も情報も、可能な限り回す。なんなら期限を切ってもいいし、サルズと海賊砦だけでも良い」
良いわけないだろ。その場合はきっと、かなり強引な法整備とあからさまな対外アピールが必要になる。元いた世界の、“集団的自衛権”みたいに。
要は、あれだ。“南領に手を出すと、居候の魔王が出てくるかもよ~?(チラッ)”てやつ。発想は……“巡回魔王便”だったか、前に提案された示威用の定期巡回便と同じだ。
「さっきテニアン嬢ちゃんから話を聞いて、森の神木を見せてもらったんだけどね。そちらの問題についても協力はできるよ?」
お、おう……なんか魔女が悪い笑顔になってる。
「……どういう、意味ですか」
「“恵みの通貨”だったかね。それで玉座への転移を行なったそうじゃないか。一瞬で移動できるのは片道だけで、帰りはえらい長旅になるんだとか」
おい、まさか。
「アタシを送ってくれりゃ、戻りも同じように転移で戻れる手配をしてやれるよ。死体なしでもさ」
「「「……⁉︎」」」
「原理はエルフの古い精霊魔法だ。起動用の魔力を魔石に差し替えれば、どうにかなるよ。アンタたちの協力しだいで、アタシはいくらでも手を貸すさね」
ぐぬぬ……それは、たしかに美味しい。が、交渉材料としては少し弱くないか? だって、ほら……
「それは、王子やソルベシアの民に関していえば、朗報じゃな。しかし、冷たいことをいうようじゃが、わらわたちに益はなかろう?」
「そうなんだよ。問題は、そこさね。どれだけでも譲歩するし交渉の用意もあるんだがね、こちらとして差し出せる益が思い付かないのさ」
意外に正直なエクラ女史のコメントに、俺はいささか面食らう。
「ターキフとミルを物や金で釣るのは諦めてるんだけどね。ケースマイアンの側で、何か欲しいものはないのかね?」
魔女から話を振られたリンコと爺ちゃんズは、揃って首を傾げる。
「ないかな」
「思い付かんのう」
「欲しいものは自分で作るからのう」
「……聞く相手を間違ったかねえ」
「まあ、ドワーフたち技術屋に聞いても難しいですかね」
「魔王としてのアンタに必要なものはミル嬢ちゃんだけだってこたあ、アタシにもわかってんだよ。でもね、商人としてのアンタなら、なにがしかの勝機を……いや商機を、見出せるんじゃないかねえ?」
「ほう」
ミルリルさん、何ですかその顔は。
「さすがじゃの。わらわが逆の立場で交渉するとしたら、踏み込むのはそこじゃの。下手に情に訴えんところも賢明じゃ。うむ。ここでヨシュアの、“うぃんうぃ〜ん”の本領発揮じゃな」
魔女と領主と王子と護衛と、のじゃロリさんまでもが俺を見る。俺が話題の張本人なんだろうけれども、どうにも蚊帳の外にいるような気がする。いままでも、わりとそうだったけどさ。
「……いや、そんなムチャ振りされても」
「無理は承知の上だ。できることなら何でもやるし、何でも渡す。沿岸領が安定するまでの間だけでも良い。何なら名義だけでも良い」
いや、他はともかく最後のはないな。ミルリルさんも、目が合うと真顔で小さく首を振る。自分の与り知らんところで名前だけが独り歩きするのだけは絶対にナシだ。これ以上おかしな二つ名を増やされたくない。
なんやかんやといわれたが、そんなもんすぐ返答できるわけもないので、こちらが一段落したら話し合いのため首都ハーグワイに向かうことになった。正直、面倒臭い。
逃げようかと思ったけど、ハーグワイ共和国評議会理事長メルローからの書状を渡された。何度か見かけた例の巻物だ。内容はマッキン領主から口頭で聞いたのと同じだそうで、書状は共和国政府からの正式依頼だと証明するためのものでしかない。要は、“マジだぞ”との釘差しである。
マッキン領主とエクラさんは、これからラファンに戻って、休む間もなく中央領に向かうそうな。
「“吶喊”の連中は元気でやってますか」
「ああ、ムチャクチャ良くやってくれてるぞ。いまはローリンゲンに付いてハーグワイだ」
エルフの巨漢でラファンの商業ギルド長だ。けど、首都?
「あの爺さん、ラファンに赴任してひと月にもならんのに、元いた中央のギルドに逆戻りになりそうだ。自分を殺そうとした奴の後釜だってよ。笑えんな」
「笑えないですね」
俺は笑ってもいいと思うんだけど、巻き込まれそうだからそう答えておく。
「それじゃ魔王陛下、妃陛下。またね」
「共和国首都で待ってる」
なんとなく“地獄で待ってる”的に聞こえる台詞を残して、エクラさんとマッキン領主が出港していった。
行きたくない。逃げられないかな。全部ほっぽり出してケースマイアンに逃げちゃダメかな。ダメだろな……。色々とコネクションできちゃったもんな。ああ、もう……
俺はゲンナリしながら小太り領主たちの船を見送る。
ふと振り返ると、ミルリルが不思議な表情で見ていた。喜んでいるような困っているような、不安と期待が不完全に混在しているような。
「どしたん、ミルさん」
「ヨシュア。ひとつだけ、訊いてよいかの」
「……え? ああ、うん。もちろん」
「冬休みが終わったら、魔王業に戻るのじゃな」
「それはまあ、そうね。ずっと遊んでばかりじゃケースマイアンの皆にも悪いしさ」
雪が解けて周辺地域との行き来が出来るようになったら、色々と問題も発生するだろう。やりたいことも、やらなくてはいけないことも多い。いろんなことを試して、いろんなものを作って、仲間たちが幸せに暮らせるような環境を作って、そして……
……そして。
俺はいつものように、そこで考えを止める。その先にあるものを見ないように目を逸らす。空っぽで真っ暗でドンヨリしたそれが、俺のなかにある未来のイメージ――というよりもイメージがないことの顕れ――であることは自覚しているのだ。でも、向き合う覚悟はない。ずっと直視しないように生きてきたから。いまさら夢を見ろといわれたところで、目を凝らせば凝らすほど、浮かび上がるのはドロドロした不安と虚無でしかないのだ。親に手を引いてもらえないと外に出られないガキか。そんなことだから、いつまで経っても社畜根性が抜けないんだ。
“ターキフには自分をえらく低く見る癖がある”
ミルリルにいわれたことがあった。他人からどう見られるかということに興味がないのではないかと。そういうタイプは“揺るぎない自信と確固たる自我があるか、それとも逆に、失うものなど何も無いと開き直っているか”のどちらかのはずだけど、俺はどちらに見えないのだと。
でも違う。自覚してなかったけど。ずっと必死に、自覚しないようにしてきたけれど。
――俺は、自分に、興味がない。
「ヨシュア」
耳元で響いた優しい声に、俺は顔を上げる。そこでようやく、腕に温かい手が触れているのに気付く。
「わらわは、改めて誓う。ずっと、一緒に居る。どこにも行かぬ。けして、離れたりせん。だから、わらわに。わらわたちにじゃ。力を、貸してくれんか」
光が。ミルリルの手から放たれた赤の光と、俺の手から立ち上る青の光が。指し示す。
西を。マッキン領主たちの船が向かう先を。ラファンのある。サルズのある。ケースマイアンのある。西の方角を。溶け合う光が真っ直ぐに貫く。
「わらわは、どうしても見たいんじゃ。おぬしが作る、思うがままに進んだ先に現れる……」
膨れ上がる光に照らされて、ミルリルは笑った。
「……楽園を」




