264:巡り来る災厄
翌朝、ハイダル王子は決断した。共和国に戻ることにしたのだ。巫女さんたちも、集落で引き受けるという話もあって悩んではいたようだが、結局は同行することに決めた。
「帰るときは皆でだ。そのときは、協力を頼む」
王子は長老にそう伝え、キャスパーに乗り込んだ。
「確かに、承りましてございます」
集落の住人総出で見送りに来たエルフたちに、俺はサイモンの自信作だという服と布地、ついでに滑車付複合素材弓と山刀を五セット渡した。前に調達した無音武器コレクションの一部だが、俺が射てもまともに当たらんのでミーニャに渡した以外は死蔵してあったものだ。
「これは、お土産です。いずれ縁があったら、また」
「魔王陛下、妃陛下。何とお礼を申し上げたらよいか。どうか王子を、よろしくお願いいたします」
「うむ、心配ないのじゃ。あやつらも北方に居る者たちも、わらわたちが責任を持って守り、幸せに暮らさせるのでな」
恐縮する長老たちの後ろでエルフの女性陣が布地や服を広げてキャアキャアと顔を綻ばせている。喜んでもらえて何より……だけどサイモン、いま気付いたけど全体に色使いが派手じゃね? あいつのいる地域の色彩センスなのか原色系が多いような。褐色美形で原色の服って、なんかマサイ族ぽいような……
まあ、いいか。
「では、行こうかのう」
話しながら振り返った南方で、気のせいか森の端が昨日よりも近付いているように見えて怯む。まあ、それが事実だったところで、少なくともエルフにとっては悪い話ではないのだと思い直す。近付きたくはないけどな。
「では、達者でのう」
「陛下たちも、お元気で」
俺はキャスパーを発進させ、進路を北に向ける。
朝のうちに給油は済ませてあるので、海岸線までは問題なく辿り着けるだろう。二百二十リットルだか入る燃料タンクで、サイモンによれば航続距離は七百キロほどあるそうだ。
……てことは、リッター三キロくらい? 装甲車としては良いのか悪いのかわからんが、ホバークラフトのグリフォンよりは経済的だ。いや、我ながら基準がおかしいな。
「王子、海岸線まではどのくらい?」
「正確にはわかりませんが、二百哩ほどでしょうか」
三百二十キロ前後か。早ければ昼には着くかな。
「このまま何事もなく済めば良いがの」
「ミルリルさん、そういうこというと問題が起きそうなのでやめてもらえませんかね」
「なに、銃は整備も再装填も済んでおるのじゃ。多少の敵ならば問題にもなるまい」
そういう話じゃないと思うんですよね。だいたい盤石の体制だと思った時に限って、現れる敵や魔物はこちらの準備したものを超える数だったり能力だったり想定外のプラスアルファがあったりするんだから始末が悪い。
「そういやミルリル、リンコたちとの連絡は取れてるの?」
「うむ、問題ないぞ。今朝方なんやらいうておった。知らん単語ばかりで、ようわからんかったがの」
「ダメじゃん。本当に拾ってもらえるんだろうね?」
「それは大丈夫じゃ。もう出たとか近くまで来てるとかいうておったからのう」
蕎麦屋か。そんなんいうてまだ準備中だったりしたらこっちがピンチになっちゃうんだけど。
発生してもいない問題を心配してもしょうがないので、昨日から訊きたかったことを王子に尋ねてみる。
「ねえ王子、ソルベシアのひとたちは、なにエルフっていうんだ?」
「なに、とは?」
「ケースマイアンにいたエルフたちとは、少し見た目と生活習慣が違うからさ。別のグループなんじゃないかと思って」
「……いえ、北方大陸のエルフとは接点がないのでわかりません。こちらでは、ただ“ソルベシアの民”、もしくは“魔族”と呼ばれていましたが」
「そうなのか。褐色肌のエルフだから、ダークエルフとか呼ばれてるのかなって、思っただけ」
「ダークエルフ? 聞かん名じゃの」
「そっか、なら良いんだ」
あれ、ダークエルフって作品によっては悪者なんだっけ。不用意な発言だった。もしかしたら失礼な話になってた可能性もあるな。
「わらわたちのいた大陸で、エルフの区分は、北方で暮らしておった人嫌いな“北方エルフ”と南方に広く住む“南方エルフ”くらいじゃな。さらに南のソルベシアは何と呼ぶのか知らんが」
スッドのさらに南……となると、ポーラエルフか? 南極というにはソルベシアはむしろ緯度が高そうだけどな。
「ソルベシアに暮らせば日に焼けるくらいは当然じゃな。わらわもヨシュアも、少しは色が変わっておるのではないか?」
それもそうか。さすがに数日で褐色にはならないと思いますけどね。
日が中天に登る頃には、照り付ける光で車内が凄まじい温度になってきていた。窓を開けて風を通そうにも、装甲車だけに窓は填め殺しの防弾ガラスだ。まだ進路上には岩場や灌木が点在しており、敵の待ち伏せの可能性があるので後部ハッチを開けるのも危ない。
「おいおい……アフリカ走ってたんならエアコンくらいついてんだろ、ふつう⁉︎」
ダッシュボードにそれらしきツマミを発見したものの、壊れているのかヒーター機能しかないのか、生温い風が出るだけだった。少しでも換気しようと、銃座を開いてみたのだが……。
「ぶはッ! ヨシュア、これは無理じゃ」
「しょうがない、閉めるか」
細かい砂と熱風が吹き込むだけで体感気温を下げる役には立たないことがわかった。仕方がないので大判ペットボトルを配って頭から水を被ってもらい、五百ミリリットルのミネラルウォーターも配布して過剰なくらいの水分補給を勧めた。
王子たちはともかく、俺とミルリルは乾燥地帯の暮らしに慣れていない。喉が渇いたと感じる頃には脱水症状になりかねん。
「こんな厳しい土地で暮らすソルベシアの民は、よく干上がらんのう」
「「干上がる」」
「干上がるのかよ⁉︎」
思わず振り返った俺に、王子が困った顔をする。
「ソルベシアの民も、望んで砂に囲まれたのではないのです。長い年月を掛けて“恵みの通貨”を減らし、暮らせる場所を少しずつ狭めていっただけで」
「「「「ほんとは、もりで、くらしたい」」」」
だったら、といいかけた言葉を俺は飲み込む。
だったら、戦って奪い取ればよかったのだ。人や動物や魔物を狩って、森に変換し続けていれば。こんな悲惨な結果にはならなかった。命の糧も、隠れる場所も、戦う術も、全て森から得られるのであれば。
しかし、その生き方を選ばないよう王子を縛ったのは王子の母、ソルベシアの王妃だ。彼女ひとりの考えで一国が砂に埋もれるとは思えない。おそらく何代にも渡って守られた、平和主義の理想が彼らの故郷を滅ぼしたのだ。
この世界に来て以来、大量殺戮の能力しかない俺に彼らの選択を笑う資格などないが……いささか、居たたまれない話ではある。
「王子たちの能力が他のエルフにもあるのかどうかは知らんが……あやつらが人嫌いになるのも、わからんではないのう」
同じ結論に至ったか、俺の考えを読んだか。運転席だけに届く声で、助手席のミルリルが呟く。
「敵を殺すか味方を殺すか。その選択の両方を避けるのであれば、接触を絶って森に隠れ住むしかあるまい」
「……そうね」
振り返ると、王子と巫女さんたちはシートで身を寄せ合って寝息を立てていた。
彼らの後の世代がどういう選択をするのか、それは彼ら自身の問題だが、できれば、国ごと滅びた王たちのような生き方でも、他者との接触を絶って絶滅しかけた北方エルフのような生き方でも、俺みたいな生き方でもない何かを見出してくれたら良いな、とは思う。
「ふうむ……」
灼熱の砂漠を走ること、一時間ほど。閉め切った空間にいるよりはマシじゃと銃座で砂混じりの風を浴びていたミルリルが、怪訝そうな感じで息を吐く。
日避けにバスタオルをターバンみたいにしている彼女は、絵本に出てくる砂漠の民のようで可愛いのだが、それはともかく。
「どうしたミルリル? クラッとしたらすぐ教えなさいよ?」
ガシャンという装填音。PKMを構えながら、先を見ている気配があった。
「ヨシュア、減速じゃ。前方に人影、数は……十ほどじゃな」
いや、ちょっと……もう海まで一直線で帰る気満々なんで、そういうのは勘弁して欲しいんですけど。
「少し右じゃ。そう、そのまま直進してくれんか」
連続した砂丘を抜けて視界が開けてくると、その先にある岩山の奥でいくつも煙が上がっているのが見えた。
それが例によって例のごとく、炊煙ではないのだ。黒くて広範囲で、上がり方にムラがある。火事か焼き打ちかだ。
「だーから、そういうの止めてくれっつってんだよ……」
騒がしくなった運転席の気配に、起きてきた王子がフロントガラスの先を食い入るように見詰める。
こちらに走ってくる人影があった。負傷者らしい人間を馬に乗せた者もいる。いまのところ攻撃してくる者はいないが、みな日差し避けの布切れを被っているため人相がわからない。ミルリルが撃たないということは、敵ではないのだろうと車を近付ける。
小さな子を抱えている女性らしき者が見えた。これは民間人だな。
「魔王陛下、向かって来る者たちは撃たないでください!」
「了解、ミル!」
「わかっておる。まだ耳も肌も見えんが、あれは……」
「「「「なかま」」」」
巫女さんズの短い返答で、面倒事が起きているのはわかった。案の定、と思っただけで驚きはしない。
「おい、こっちだ!」
キャスパーを停車させて手を振ると、警戒しながら男たちが駆け寄ってきた。褐色の肌で整った顔に、長身。ターバンのような被り物の下から長い耳が覗いている。
「お前たちは、ソルベシアの民だな」
「はい」
「何があった。他の者たちは」
王子の顔を知らないのか、そのまま男たちは俺たちに助けを求めてくる。
「村が、襲われて。みんな連れて行かれて」
「大きな船が、たくさん」
「破壊や略奪を止めようとした者は、殺されました」
「まだ後ろに、逃げて来る者たちが」
海岸線までは、まだ百キロ以上はあるはずだが。そんな遠くから逃げてきたのだろうか。子連れの女性も?
「襲撃を受けているのは、海辺の集落か?」
「いえ、カイマニの村です。渓谷のある」
地名でいわれてもわからん。男たちは村の方向を指差すが、逃げてきた方角からはずいぶん東に逸れている。混乱しているのか距離の単位を知らないのか、どのくらい先なのかは判然としない。
「「エルフは魚を食べない。貿易もしない」」
護衛の双子が王子の横で警戒しながら俺にいうが、何の話だそれ。どんな生き方してるかなんて聞いてねえ。
「海辺に住む必要がないというておるのじゃ」
いや、知らんし。ふつう船に襲われたんなら集落は海岸沿いだと思うだろうよ。
とりあえず備蓄してた水と携行食料を出して、逃げてきた者たちを集めるようにいう。彼ら全員を連れて移動はできない。
「南に逃げろ、そこには民を守る森がある」
「森? そんなものはない」
「いまはあるんだ」
俺と王子を交互に見て、信用して良いのか迷っているようだ。それはそうだろう。必死に砂の海を渡って嘘でした、では死んでしまう。
「百哩ほど先だが、馬で一刻も走れば梢が見えてくる。そこまで行けば、草花の言寄せで助けを呼べるだろう」
「いや、無理だ。俺たちは、帝国に力を奪われて……」
コトヨセやらいうのは知らんが、エルフの通信手段なんだろう。それを使うには魔力が要ると。
「拘禁枷のことなら、心配ない」
目に付く限りの人間から、収納で奪い取って投げ捨てる。誰もがポカンとした顔でそれを見ると、自分の胸を弄って困惑する。
「どう、やって」
「いいから逃げろ。そこにある水と食料を持ってな」
「あ、ああ」
日除けの布を子供に掛けていた女性を見て、バスタオルを与える。少し考えて、被せたタオルの上から水を掛けた。彼女は干上がり掛けていたようで、ほっと息を吐いた。
「さあ、水を飲んで。子供にもだ」
「あ、ありがとう……ございます」
「後ろのお仲間が生きていたら、助けて後を追わせる。着いたら森にいる男から救援を寄越してもらえ」
キャスパーの前では、巫女さんたちが負傷者に治癒魔法を掛けているようだ。動けるようになった者たちには水を飲ませ、ペットボトルと食料を持って南を目指すよう伝える。
「ミルリル」
「妙じゃの。逃げてきた者たちに村の位置を訊いたが、やはり煙より東を指しておる」
「それじゃ、あれは何が燃えてるんだ?」
「魔王陛下」
思い詰めた顔の王子と護衛が俺たちに頭を下げる。
「……これ以上のご助力を願うのは過分なことと、」
「いいよ」
「「え」」
「ここまできたら、ついでだ。行こう、みんなは銃撃戦の用意を」
「「「はいッ!」」」
正直にいえば、どうせこうなるんだと思ってたんだよね。俺はキャスパーの運転席に戻る。助手席にミルリルの姿はなかった。外にもいない。
「……あれ?」
「虐げられた弱き者を見過ごしにできんとは、魔王というのも因果な商売じゃのう」
ミルリルさんが、銃座で微笑む。
いや、そこまでやる気満々でいうセリフじゃないですよね、それ。俺はクラッチを繋いで車を出し、カイマニやらいう渓谷の村へと向かう。
「うむ、仕方があるまい。魔の力を持つ者の業であるぞ、我が妃よ」
ヤケクソ気味に魔王を演じて、俺たちは笑った。




