181:魔王軍、北へ
「……おぬし、またえらく開き直ったのう⁉︎」
呆れ顔のミルリルさんが、俺の耳元で叫んだ。爆音が鳴り響くなかでの会話は、ふたりとも大声を張り上げてのものになる。
「ああ、そうだよ! もう隠すのが無理なら、逆に注目を集めて、俺たちを知ってもらう方が安全だろ!」
おどけてみせた俺に、のじゃロリさんは笑顔で頷く。
「さすが魔王、慧眼じゃ!」
まあ、半分は成り行きなんだけどな。
調達した新兵器、どんなものかフワッと想像はしていたものの、まさか実物がこれほどとは思ってもいなかったのだ。
図体はともかく、この騒音。ホバークラフトって、こんなにうるさいのね。巨大なターボ過給ディーゼルエンジンの出す轟音も相当なものだが、直径二メートル以上はある四翅プロペラの風切り音はそれを完全に搔き消す。バリバリと空気を掻き乱す甲高い音は、まるで巨大な芝刈り機だ。
領主館の前では周囲の建材やら資材にダメージを与えてしまうだろうと内陸側の雪原に移動してから出したのだが、その判断は正解だった。というか、もっと街から離れても良かったかも。エンジン始動後は響き渡る轟音と吹き上げられる粉雪に、何事かと集まってきた見物人たちがどんどん増えてくる。あまりの騒音と威容に怯んだのか遠巻きにしたまま近付いては来ない。
「それで、ターキフ。これは一体どういう代物なんじゃ?」
「こいつは、ホバークラフトだ。最近だとエアクッション艇、とかっていうのかな。風の力で少しだけ浮いて、風の力で前進する乗り物だよ」
イギリスのグリフォン・ホバーワークという会社が作った、2000TDという全長十二メートル幅六メートルの中型艇だ。
イギリス海兵隊を始めとしたいくつかの軍でも採用されているが、サイモンから調達したのは白いボディの民生型。奇しくも雪上迷彩の体をなして丁度いい。極地探検やらレスキューやら、顧客の多くは軍以外の民間人や公的機関らしい。
民生型ではあるが、屋根には防盾付きの機関銃架が後付けで装着され、先日調達したチランAPCの主武装と同じベルギーFN社のMAG汎用機関銃が搭載されている。射撃を行う際には操縦席と助手席の間に立って、屋根を開いてアクセスすることになる。風も雪も吹き込むので非常時以外は閉めたいところなのだが、既に非常時だし、どうしたもんかな。
ガルウィング式に開くドアから、俺たちは操縦席に着いた。
「案外、なかは狭いのう」
「そうね。浮かなきゃいけないから軽くしないと」
外寸は漁船より大きいが、それは外部デッキや膨らんだスカートも含むため、密閉式のキャビン容積はクマ顔の幼稚園バスと同じくらいか、あれこれ積載物がある分だけむしろ狭い。船体はアルミが主体で、防弾の想定はされていない。横に並んだ窓の外には、網目の細かい鉄製フェンスを張ってくれていた。サービスというよりもサイモンの住む地域で運用を試した名残かもしれない。弓矢程度ならどうにかなるか。
「……ううむ」
ミルリルさんは船体各部を確認して、わかったようなわからんような微妙な顔をしている。
エンジニアの常として、新しいものに興味は持つし自分で目指しもするが、いざ実用となると技術は枯れて実証済みのものを元に比較検討する。結局のところ、既存技術を凌駕し保守層を納得させてこその革新なのだ。
「どした、何か問題でも?」
「いや、そうではないのじゃ。おおまかな原理はわかったがのう。なんでまた、そんな面倒な真似をせんといかんのかが、いまひとつ理解できんのじゃ。飛ぶなら飛ぶ、走るなら走る、浮かぶなら浮かぶで良かろうに、こやつの立ち位置がピンとこんのじゃ」
技術的進化ツリーで繋がった源流側にあるのが帆船なのか馬橇なのか、あるいは(来るときに乗ってきたリンコの)飛行船なのか判断しかねる、というようなことだろう。
「そこは、乗ってみれば一目瞭然だと思うよ?」
「魔王!」
声に振り返ると、領主のマッキンが駆けてくるところだった。余命数時間だというのに元気だな。その後ろを、橇を引いた衛兵が追いすがる。橇に乗せられているのは簀巻きの老人。東領主の……名前は忘れた。俺が拾った青外套の爺さん。
「タイレルじゃ」
「ありがとうミル。それで領主殿、こいつが何か?」
「尋問の第一段階で簡単に吐いたぞ。“光尾族”というのは、評議会守旧派の実行部隊だ。今回の艦隊出動も今夜予定されている襲撃を支援するためだと白状した」
うん、何のこっちゃわからん。あまり知りたいとも思わん。曖昧に頷いた俺が理解していないと気付いたマッキン領主は説明を始める。
そういう気遣いは要らんのだが。
説明を聞いたが、特に感想はない。簡単にいえば、よくある話だった。中央領の評議会も一枚岩ではない。利害の衝突は無数にあるが、最も厄介なのが共和国を変えていこうとする改革勢力と、既得権益にしがみ付く守旧勢力の対立だ。議会内の最大派閥である守旧勢力は自分たちの利益を守るため結託し、対立する(あるいは将来的に障害になると予想される)領主や有力者を実力で排除してきた。青外套のタイレル爺さんも、自分の手を汚すわけではないとはいえ、守旧勢力武闘派のひとりだそうな。
「なるほど。マッキン殿の亡くなられた御父君と兄君は、改革勢力とみなされ排除されたと」
「そのようだな。幸か不幸か、南領は守るほどの資産も既得権もない。必死で食い扶持を稼ぎ豊かにしようとした結果がこれでは、やりきれんな」
やっぱ、こうなるのか。なんか俺、こんなんばっかだな。マッキン領主も彼の生き様も嫌いではないし手を貸したくなるのも事実だが……正直、利害が絡んでいるわけでもない他国の政争とか、あんまり関わりたくはないのだけれども。
「ターキフ、何を迷うておる」
「……これでいいのかと思っただけだよ」
手を出すなら最後まで責任を取れと、郡山の婆ちゃんはいってた。ラファンの人たちの安全と未来を、ほぼ無関係な俺が背負わなくてはいけないからだ。
「ラファンの連中は、みな良い奴らではないか。救うてやるのが嫌なのか?」
「嫌というより、怖い」
ミルリルは、俺を見て笑った。馬鹿にしているのでも呆れているのでもない。愛おしいものを見る目で、優しく笑ったのだ。
「おぬしにすべてを背負えとはいわぬ。わらわも、おそらくは当の本人たちもじゃ。全力で挑んで倒れるなら、それはそれで良いではないか。のう?」
「……そんなに簡単には」
「割り切れんか。良いぞ、グズグズと思い悩むのは困りもんではあるが、おぬしの美徳じゃ。常に足元を見て迷い苦しみながら進もうとする魔王を、わらわは心から愛しておる。胸を張って選ぶがよいぞ。それがどのような選択であっても、わらわは常に隣におる」
それは、卑怯だと思うんですよね。満面の笑みを浮かべてそこまでいわれたら、さすがに引けないじゃないですか。
「大方おぬしは、もう決めておったのであろうが」
「まあね。俺たちに喧嘩を売った奴らを、ただで済ます気はない」
「その意気じゃ。さて、では参るぞマッキン殿。敵陣までは我らが送ってやるのじゃ。おぬしは、敵味方の区別さえしてくれれば良い」
「お、おう」
かくいうミルリルさんも、たぶん政治やら派閥闘争やらその結果のテロリズムやらに関心があるわけではないと思うんだけど。
いうまでもなく俺の気持ちは、何もかも筒抜けのようだ。ミルリルは振り返って、俺の胸を指先で小突く。
「のう、ターキフ。他国の事情は他人事と、放置するのは簡単じゃ。それが日々の糧に困っておるような無力な民であれば、どこぞの誰かがやれば良いと見て見ぬ振りをするのも仕方がなかろう。しかしな、おぬしはもう無力でも民でもないのじゃ。膨大な知恵と無敵の力、多くの頼りになる仲間を持ち、それを御する器量もある。この世の悪に天誅を下すのは、もはや魔王とその妻の責務じゃ」
いや、それはさすがに、魔王じゃなく天使とか神様とかの仕事じゃないですかね。ミルリルさんの場合、勢いで理屈がモニョッてんのか魔王が正義の使者だと本気で信じてるのか読めんのでリアクションに困る。
「わらわたちは確かに、共和国の人間ではない。しかしのう、力無き者が虐げられ、志ある者の声が封じられ、不快な理不尽がまかり通るのは許せんのじゃ。かつて同じように奪われ虐げられ救いを求めておったわらわを救い出し、迷える民たちとともにこの世の楽園へと導いてくれたのは他ならぬおぬしではないか。わらわは、偉大なる魔王の天啓をこの地にももたらして欲しいと思っておる」
そうだったっけ? 何か俺とは違うどこぞの偉人や英雄の話みたいになってないですかね。
「しかし、それは、わらわの我が儘じゃ。己が思うようにするが良い」
恐る恐るといった感じでルイとティグが乗り込み、領主と五人の護衛が続く。簀巻きにされた東領主を客室後部に放り込んで、とりあえずは搭乗完了。
俺が操縦席に座り、ケイソンさんが助手席に座る。助手席の後ろに、カルモンが立った。
「ターキフ、俺たちは何をしたらいいんだ?」
「いや、俺たちは領主からの依頼で遠征に出るから、家族持ちはラファンに残ってもらう。最初にケイソンさんの家に寄って、マケインたちと交代だ」
ケイソンさんは静かな表情で、カルモンは困ったようなホッとしたような顔をして頷く。
「後部乗員には、“しーとべると”を着けさせたぞ。出発準備完了じゃ」
ミルリルが運転席の屋根を開いて上部機関銃座にヒョイっと上がった。本来は車内に立って使う想定らしいがミル姉さんだと身長が足りないため、戦闘時は屋根に腰掛けて射撃を行うことになる。
「ミル、大丈夫か」
「無論じゃ。こちらは、いつでも良いぞ」
いまだ敵の素性も兵数も不明だというのに、いつにも増してご機嫌なのは、UZIとスター拳銃とアラスカン・リボルバーの他に新しい武器を手に入れたからだ。
ずいぶん前からサイモンに頼んでおいた、M79グレネードランチャー。肩付けの木製銃床が付いた擲弾発射器だ。二本の弾帯をたすき掛けにして、革帯でランチャー本体を胸の前に吊ったミル姉さんは全身兵器状態でご満悦の表情。
目の前には銃架に据えられたFNのMAG汎用機関銃まであって、百三十四人どころか千人くらいは鼻歌混じりで殺せそう。
「ターキフ」
グリフォンを発進させようとした俺は、呼びかけられて銃座を見上げる。ミルリルが、愛おしげな表情で俺を見ていた。
「進む先だけを見よ。己が望みだけを、真っ直ぐに求めよ。おぬしの背は、わらわが守る」
「……ありがとう。頼むよ」
スロットルを開いてその場で旋回すると、遠巻きにしていた野次馬が一斉に飛び退いて逃げようと散らばって行くのが見えた。エンジン音が高まり、プロペラ音が大きくなった。最初はゆっくり、次第に速度を上げてホバークラフトは雪原を矢のように飛んで行く。目指すは共和国中央領。魔王軍最強のふたりによる威力偵察だ。俺の味方に危害を加える者は、誰だろうと残らず皆殺しにしてやる。
「さあ行け、ヨシュア!」
俺にはもう、怖いものなど、なにもない。




