169:ライド&レイド
「寒ッ!」
陸でも寒いんだから、海の上が寒いことくらいわかっていたし、濡れるであろうことも当然、理解していた。
……が、それでも甘かったのだ。海上を航行する9mクラスの船というのがどんだけ過酷なのかをわかってなかった。
今日は波も比較的穏やかで風も弱い。とはいっても“この季節、この地域にしては”という注釈付きだ。俺からすると風も強いし、外洋なのでかなり波打っている。波に逆らって帆走すると水飛沫は被る。それも、派手に。
防寒衣だけでは全く意味がない。ケイソンさんから借りた冬季漁用の防水上着を防寒衣の上から重ね着して、なんとか耐えられるかどうかだ。
しかし、それも胴体だけ。毛糸の帽子をかぶっているのに、頭と顔は凍りそうだ。耳なんか全く感覚がない。指先と足先もヤバい。船酔いしたらしく、吐き気と目眩もひどい。
それ以上に、むっちゃオシッコしたい。
「おい、大丈夫かターキフ」
俺は黙って頷く。口を開くと吐きそうだ。
「出直すか?」
「冗談だろ」
「次にまたこんな機会が来るのなんていつになるかわかったもんじゃねえ」
俺としては受けたいくらいだったカルモンの提案を、ルイとティグは一蹴。こいつら、来るとき着てた防寒衣のままで平然としている。脳筋は寒さも感じないのか。
「なに、ほんの3哩じゃ。もうすぐ着くであろう」
どっしり構えた脳筋の重鎮ミルリルさんは不敵に笑う。
カルモンの母トリンさんから借りた浜作業用の防水上着を羽織っているが、サイズが大き過ぎてテルテル坊主みたいになってる。可愛いことは可愛いのだが、いまの俺にはそれを愛でる心の余裕がない。
乗員数に制限があるので厳選した結果、マケインとコロン、エイノさんはお留守番だ。三人とも、どこかホッとしているようなのが気になったが、その理由はすぐに思い知った。
「海賊どもは、いま砦におるのかのう?」
「貨客船を襲ってすぐなら、砦に戻って物資を略奪の真っ最中だろ」
「それか、奪還を警戒して守りを固めてるかだな。すぐわかる」
ルイとティグは嬉しそうだ。まあ、ミルリルもだ。
船の速度が時速でどのくらいなのかは知らないが、俺には永遠に思える拷問のような時間が過ぎた頃、波の狭間に島影が見えてきた。らしい。
いつものことながら、俺には全く、微塵も見えない。こいつら、視力いくつあんだよ。
「あれじゃの。左の、少し高くなった島じゃ。城壁のような木組みと船の……なんというんじゃ、布を垂らす棒の先が見えておる」
「“帆桁”、だな。それは奪われた貨客船か? それとも海賊の持っている船か?」
「どちらも見たことがないので、わからんのう。かなり大きな船じゃ」
「なあミル、それ、どのくらい先?」
「2哩弱というところじゃ」
「まだ半分も来てないの!?」
ゲンナリした俺をカルモンが笑う。
「それはそうだターキフ。帆掛け船の速度は、よほどの追い風でもない限り馬橇と大差ない。それに、まっすぐ進んでいるわけでもないしな」
「風の都合?」
「それもあるが、直進すればまず間違いなく見つかる。海上で捕捉されたら、こんな小舟では嬲り殺しだぞ」
そうならないことは保証してもいいけど、こちらが見つかった場合、奪還部隊が来たと思われて人質に危害が加えられる可能性はあるかも。たぶん見ず知らずの相手だろうけど、自分たちのせいで死ぬような事態は、できれば避けたい。
「ケイソンさん。もう少しだけ、まっすぐ進んでください」
「おい、ターキフ?」
「わかってる。俺が島を視認できる距離まででいい」
もう無理。この時間が倍以上も続くんなら海に飛び込んだほうがマシだとか思っちゃいそう。
指先と耳と、あと膀胱も限界。船べりで放尿しようかと思ったけど、この揺れだと絶対海に落ちる。その前に、下向いたら船酔いで吐きそう。
「ミル」
「わらわは、いつでも大丈夫じゃ。ルイとティグも……ん? ちょっと待てターキフ。このまま行って良いのか?」
そうな。忘れてた。
“吶喊”の連中に俺の転移能力を、ちゃんとは伝えてなかった。意図して極端な短距離転移しか見せてなかったから、移動術かなんかだと思ってるかも。たぶんいろんな意味で、いまさらだな。
「ルイとティグ、カルモンと……ケイソンさんもです。ちょっと秘密にしてもらいたいことがあるんだけど、いいですか」
「なんだ、急に。怖気付いたか」
「漏らしたか?」
「違ッがうわ、黙って聞け!」
「なんだい、ターキフさん。わしらは、あんたの頼みならなんでも聞くさ」
さすがカルモンパパ、動じない揺るがない穏やかなリアクション。
「これから俺たちが見せる能力については、できれば伏せておいて欲しいんです」
「「「まだあんのか!?」」」
カルモンとルイとティグがハモる。まだって、うん。あるね。
「ターキフは、できるだけ見せんようにしておったからのう。しかし、それはおぬしらを信用せんかったわけではないのじゃ。余計な面倒や騒動に巻き込まんためでのう」
「「「あれでか」」」
ハモるな。“あれ”ってのが、どれかわからんけど身に覚えはあるだけに反論しにくい。
「あれでも抑えておるということじゃな。おぬしら心配せんでも、いずれ気にするだけ阿呆らしくなる。わらわのようにのう」
「「「……」」」
「それで、ターキフさん。何をやらかすつもりだい」
常識人で苦労人ぽいカルモンに輪を掛けた実直そうなケイソンさんが場の空気を読んでくれた。
心身とも限界が近付いてる俺には非常に助かる。あんまグダグダしてると上か下か両方からいろんなものが出ちゃうし。
「はい、ここから海賊の島まで飛びます」
「「「は?」」」
「カルモンとケイソンさんは、見付からないように船で後から来てもらえますか。沖の島影にでも隠れて、合図を待ってください」
「いや、それはいいけど……」
「飛ぶってなんだ。あたしたちは?」
「だから、一緒に飛ぶんだよ」
「ば、馬鹿いうな! ここから何哩あると思ってんだ。それに、あたしはけっこう……」
「体重は関係ない。船ごとはキツいけど、馬くらいなら運べる、はずだ」
「あ、あたしは、そんなに重くないぞ!?」
あいにく、脳筋ガールの女心を気遣っている余裕はない。
なんとなく、だけど島影のように見えなくもないものが視界に入ってきた。
もう飛ぶか。でも、外れたら水没しちゃうな。こんな冬の海に落ちたら死ぬかも。いや死ぬ。
迷っている暇はない。主に膀胱的に。
俺はティグとルイの襟首をつかむ。ミルリルは俺の首に手を回し、ヒョイっと背中に乗ってきた。柔らかい感触とともに、なんでか不安も迷いも消える。
「ミル、あの緑色の、ふたつ並んだ左側だよな?」
「そうじゃ、そこに海賊の島がある。わらわを信じて飛ぶのじゃ」
「転移」
万が一を考えて、想定した位置の上空に出る。水に落ちるよりはマシだろうと思ったが、これはこれでなかなかにスリリングだ。なにせ、高度が数百mはある。落下中に見付けられなければ再転移、もしくは海没だ。
「「……ぎぃゃあああぁあッ!!」」
落下し始めた俺は暴れるティグとルイの襟首をガッチリと掴んだまま周囲を見渡す。
眼下左前方、数百mのところに、海賊砦と思われる島を発見、そこの城壁脇に再転移を行った。
「げぉお……」
着地して早々にティグとルイを放り出すと胃のなかのものを吐き出し、城壁の陰に回って膀胱を空にする。そこでようやくホッとしてへたり込んだ。
「ふへぇ……」
「“ふへぇ……”じゃねえ! なんつーことしてくれんだ、ターキフ!」
「へ?」
俺をジト目で見るルイ。その後ろでティグが青い顔をして首を振る。
「……あ、ああいうことを、やるならやるで、先にいえ」
「おう、さっきまでは、心と身体に余裕がなくてな。すまん」
「お前なあ……!」
「しっ、誰か来よるぞ」
ミルリルの警告に俺たちは物陰に隠れる。
姿を現したのはボロを重ね着した獣人ふたりだった。犬か狼か知らんけど、痩せこけた野良犬のような顔立ち。手には反りの入った蛮刀を持って、入江の様子を伺っている。
海賊砦の前は内湾のようになっていて、そこには桟橋が掛けられていた。10mほどの細長い手漕ぎ船が5艘と、その倍近いサイズの帆船が1隻、そして少し離れた位置に、奪われた貨客船なのだろう20m級の大型帆船が1隻、係留されていた。
下っ端の海賊たちは、桟橋の前でキョロキョロと周囲を伺う。
「敵襲、ってわけじゃなさそうだな」
「沖を小舟が通っただけだろ。お前は監視に残れ」
「この寒いなかでかよ!?」
「うるせえ、艇長命令だ」
偉そうに吐き捨てて振り返りざま、自称艇長はルイの剛腕で沈められる。反応する間もなく後輩らしき獣人も昏倒した。
「ルイ、殺さなくていいのか」
「心配ない、もう死んでおるのじゃ」
「え」
首の骨が折れていたのか知らんけど、試したらあっさり収納に収まった。
“心配ない”じゃねえ!
なにこれ。俺こんなもんを冒険者ギルドで食らいかけてたの!?
「なに、当たらねば無効じゃ」
「こんなときにまで心を読むのやめてくれませんかね」
「へッ、いままで避けられたのなんてターキフくらいしかいねえよ」
その顔やめろ。再挑戦しようとするな。やったら撃つぞ。マジで撃つぞ。
どうでもいいけど、ルイってマジでヤダルとキャラが被ってると思うんだよね。口調も似てるし。
「さて、お宝の前に人質の安否確認じゃな」
「助ける義理はねえだろ」
「まだまだ甘いのう、ルイ。身代金を要求するほどの相手じゃ。助ければカネになるということではないか」
「なるほどな!」
悪い顔でほくそ笑む脳筋会話をスルーして、俺たちは砦の城壁を回り込む。
さほど長射程の必要も甲冑相手の戦闘もなさそうなので、武器は減音器付きのMAC10にしておいた。
城壁内には、島の中心になっている高さ10mほどの丘。どうやら、そこにアジトがあるようだ。
「砦というにはお粗末じゃの。これでは、ただの物見台じゃ」
城壁の裏側を見て、ミルリルが呆れ顔でいう。
たしかに、構造的には幅の広い木組みの櫓であって、アジトの四方を囲ってはいない。目隠し程度の役には立つが、アジトへの侵入を防ぐ機能はないのだ。
“敵を発見しさえすれば負けない”、という発想なのかもしれない。なにせ、ふつうは船でしか接近できないのだ。発見も容易い。
その考え方はアジトにも適用されていて、丘の中腹に組まれた入り口らしき木組みの関門までの間に、何の遮蔽物もない。その代わり、2百m四方の開けた平野を横切らなくてはいけない。
見張りは、丘の手前に2カ所、それぞれ5人ほど。そして入り口ゲート前に4人。
「あたしたちは回り込んで右奥の奴らを仕留める」
「ターキフは左の5人じゃな。わらわは入り口前の奴らじゃ」
「待て」
せっかく静音仕様のMAC10があるのに、わざわざ発見リスクを冒す必要はない。
200mくらいなら転移で飛べる。それを説明したら、全員から不思議そうな顔をされた。
「なんでおぬしは全部自分で片付けようとするかのう?」
「それもそうだけど、なんで見付かっちゃダメなんだよ?」
「なんでって、襲撃を察知したら人質が危ない目にあうかもしれないだろ?」
「まさか。海賊にとっては、カネを生むお宝だぞ? 他所に移そうとはするかもしれんが、殺したり傷付けたりはしねえよ」
そう、なの? ここまでの俺の努力は無意味?
「では、気を取り直してもう一度じゃな。ルイとティグの襲撃と同時に、攻撃開始じゃ」
「「「おう!」」」
その声とともに脳筋ふたりの姿が消えた。転移でも使ったのかと思うほどの速度で右奥の見張りたちのなかに飛び込み、気付かれるより前にひとり目の首をへし折った。ふたり目を撲殺して、3人目を……
パパッパパン。隣でUZIが鳴った。
「あとは、おぬしだけじゃターキフ」
「うそん!?」
慌てて転移で飛び、全自動射撃で45口径弾を叩き込む。2秒と掛からず30発を撃ち尽くす凄まじい発射速度は弾薬消費という意味では不経済だが、殲滅時の致死率だけは高い。
こちらに気付く間もなく5人は崩れ落ち、俺は装備ごと死体を収納してティグたちのところに移動する。
「後はこっちでやる、先に行ってくれ」
「「おう」」
ルイとティグを入り口に向かわせ、彼らが倒した死体も収納する。転移で飛んだ入り口ゲート前には、目玉を撃ち抜かれた死体が4つ。
「いつものことながら、すごい……っていうか」
いや、絶対おかしいと思うんだよね。
射撃地点からは250mくらいあったし。拳銃弾で、というか少なくともオープンボルトのUZIで精密射撃できる距離じゃない。
それを、ワンショット・ワンキルって。
「わらわと“うーじ”の絆が成せる技じゃな」
「いや、絶対そういう問題じゃないから」
ミルリルさんは俺の疑問を些細なことだとばかりに、ふんわりと笑って俺たちを手招きする。
悪漢と人質が待つ、海賊砦へと。




