150:生き延びた者と死にゆく運命
俺たちが冒険者ギルドに入ると喧騒が止み、慌ただしく駆け回っていた連中がピタリと動きを止めた。
誰もがこちらを見たまま、何かをいいかけた姿勢で固まる。
「おうミル、ターキフも生きてたか」
近寄ってきたのはサルズの冒険者ギルドでも屈指の強者である虎獣人のティグだけだ。
度胸があるのか何も考えていないのか、彫像化した有象無象を気にも留めず、俺たちの肩を叩き頭をワシャワシャと撫で回して奥のテーブルに引っ張っていく。
そこでは“吶喊”の面々が、あれこれ殴り書きされた紙を前に頭を抱えていた。
「ぐぬぬぬ……」
「何を唸っておるんじゃ?」
格闘筋肉ガールのルイがドンヨリした顔で振り返る。俺とミルリルを見て、ヘニョッと情けない苦笑を浮かべた。
「……お、おう、ミル」
「わふ」
ルイの足元にうずくまっていた白い塊が膝の間からフンフンと鼻面を出す。
「あれモフ、なんでここにいるんだ?」
「知らんけど、お前らが来るのを待ってたみたいだぞ」
「わふ」
「ほう、あの店に入ると迷惑かと思ったのじゃな。賢いヤツじゃ」
わかんのかい。
たしかに2m級の白雪狼となると、宝飾品店には入らんで正解だったかもな。
「こいつは、お前らの従魔じゃねえのか?」
「妖獣ではあるが、わらわたちに従属しておるわけではないのう。対等な仲間じゃ」
「わふ」
「おう、すまぬモフ。ちょっと用があって置いてってしもうた。もう用は済んだのでな、後で遊びに行こうかの」
「わふん」
置いてけぼりで少々ご不満だった様子だが、なんとか納得してもらえたようだ。
どうでもいいけど、この子たち完全に“会話”してるよね。俺もそのうち、このくらいわかるようになるのかな。
ルイが迷いながら、俺たちを見る。
「……なあ、お前たち。……カルモンを助けてくれたらしいな」
「なに、行きがかり上じゃ。礼をいわれるようなことではないわ。それより、そやつがいまどこでどうしておるのか訊きたいんじゃがの」
“吶喊”の面々に一瞬だけ、緊張が走る。
ミルリルは詰め寄ってきたルイに真正面から受けて立つ。大小極端な女性ふたりはキスでもしそうな近さで見つめ合った。
「何をするつもりか訊いてからだ」
「勘違いするでないぞ。手は出さん、というか何もせんわ。あやつには、受け取るべき報酬があると思ったまでじゃ」
「報い、とかじゃねえだろうな?」
「阿呆なことを抜かすな。あやつに何の報いがあるというんじゃ。揃いも揃ってどうしようもないクズどもを、依頼主だからと最後の最後まで身を挺して守ろうとしたんじゃぞ? 愚直で不器用ではあったが、実に立派な男じゃ」
巨漢紳士のマケインが苦笑しながら首を振った。
「……やっぱり、お前たちは最後までやったんだな」
「狙って殺したのは、なんだかいうドワーフの女頭領とその手下だけじゃ」
「だけじゃ、って……簡単にいうけどね。コフィナの鉱山砦は難攻不落で、討伐に入った衛兵や冒険者が誰ひとり戻らないままなんだよ?」
「それはまた大袈裟な話じゃのう」
「大袈裟なもんか。行方不明者の数は、ギルドで把握してるだけでも30を超える」
そんなに。やっぱりあのドワーフ盗賊団、殺して正解だったな。
「終った話はどうでもいいんじゃ。ちょっと耳を貸さんか」
ミルリルが手招きすると、“吶喊”のメンバーたちは怪訝そうに身を寄せた。俺たちはテーブルの上で顔を突き合わせ、声を潜める。
「ペイブロワとその一味は、犯行を見られたという理由で護衛のカルモンを口封じしようとして、返り討ちに遭ったわ」
「あのエルフの商人は?」
「ベイナンなら、ペイブロワに殺されたよ」
「最低だな」
「……で、だ。カルモンは少なくとも、護衛の責務は十分以上に果たしたんだ。護衛依頼の報酬以上のカネは受け取るべきだと思うんだ。彼に会わせてくれないか?」
「……だったら構わんけど、そんなカネどこにあるんだよ。あたしたちが踏み込んだときには逃げ遅れた手下とクソ忌々しい盗賊専属追跡者だけで、金目のものなんて何にも残ってなかったぞ?」
「俺たちが持ってる」
それを聞いた“吶喊”の連中は揃って天を仰ぐ。
「なるほどな。わかった。まあ、あいつにも少しくらいの役得があってもいいだろ」
「他人事みたいにいってるけどな、ルイ。それは、お前たちもだよ。お手柄だったのは聞いたけど、褒美はもらえたのか?」
俺の質問がいまいちピンとこない様子のルイに代わって、虎獣人ティグが応える。対外的な交渉を見る限り、“吶喊”のリーダーは彼のようだ。
「俺たちは、依頼で動いたんじゃねえ。アジトを急襲して持ち帰ったのは死に掛けの冒険者と口を割らない盗賊専属追跡者だけだ。あの小男がよほどの情報でも吐かない限り、どこからも何にも出ねえよ」
「悪いが、あいつは、何も吐かない。だから、“吶喊”の報酬も、俺たちが肩代わりする」
「それは……筋違いじゃねえか?」
「そうだな。でも、その筋を違えたのは俺たちだ。納得いかないかもしれんが、呑んでもらえないかな」
「報酬を出す条件は、お前たちの情報をどこにも出さないこと。違うか?」
「違うのう。それは、余計な災いを呼ばんための条件じゃ」
ミル姉さんのあからさますぎる釘刺しに、ティグがブンブンと頷く。姉さん脅し過ぎや。
「まあ、カネを受ける受けんは自由じゃ。どうする?」
“吶喊”の連中は気まずそうに視線を合わせる。
その逡巡の理由はカネを受け取るかどうかではさそうだ。当然ながら盗賊専属追跡者の行く末などでもない。
「……カルモンのヤサを教えるのには、条件がある」
「ルイ、それは」
「黙ってろマケイン。あたしはやるって決めたんだ。あんたが降りるなら構わねえけど邪魔すんな」
「誰が降りるなんていったんだよ。でもターキフたちを巻き込むのは違うだろ」
「貴様らの話は回りくどいのう。サッサといわんか」
ルイは俺たちを見る。決意を秘めた視線だが、どこか不安げに泳いでいる。
「故郷に帰るカルモンの護衛を頼みたい。当然あたしたちも加わるが、おそらく途中で盗賊ギルドの襲撃がある。騎兵や傭兵、魔導師を含む50人近い敵で……」
「よいぞ」
目を逸らしかけていたルイは、キョトンとした顔で俺とミルリルを見た。
よほど驚いたのか、いつもの険のある表情が消えている。素顔のルイは、案外子供っぽい顔だった。
「……は?」
「無論、受けるのじゃ」
「俺も構わないぞ。どのみち自分たちの保身のためにやんなきゃいけなかったことだしな」
「そもそも目を付けられる原因を作ったのは、わらわたちじゃしのう?」
くしゃっと崩れかけた彼女の顔を、横からモフが舐め回す。嫌がる素振りを見せるが拒否しないのは思わず泣きそうになったのを聡く優しい白雪狼が隠してくれているのを察したのだろう。
「わふ」
「ほれ、モフも参加するというておるぞ。こやつの機動力は馬なぞ足元にも及ばんからのう」
「それより故郷に帰るというのが気になるんだが、傷の具合が悪いのか?」
俺の疑問には、またティグが答えてくれた。
決死の覚悟か何かを秘めていたのかもしれないけど、俺たちがサラッと乗ってきたことで拍子抜けしたような顔をしている。
「怪我はエイノが治癒魔法であらかた治した。でもな、あいつは妻子持ちだ。今回の件で盗賊ギルドに目を付けられて、サルズの町にいれば家族を巻き込むことになる。依頼は失敗ってことになってる上に、依頼主を捨てて逃げたクズどもがあることないこと吹聴して碌な依頼も受けられない」
ミルリルが俺たちを振り返った。目だけが全然笑ってない笑顔で。
「それは大変じゃのう。ルイ、すぐにカルモンの元へ案内せい」
いっそ穏やかな彼女の声に、冒険者ギルドのあちこちでこちらを窺っていた奴らがビクリと視線を向ける。その目にちらつく憤怒の光に、見る者すべてが背筋を凍らせた。彼らはみんな、先日の乱闘劇を見ている。乱闘というか、ミルリルの一方的な蹂躙を、だ。
「カルモンは最後まで戦った立派な男じゃ。あやつに仇なす者、あやつの誇りを汚す者には、わらわが黙ってはおらんぞ!」
端の方でこちらを見ていた冒険者が身体を強張らせ、腫れの残った顔を蒼褪めさせる。30歳ほどの、赤毛の男。乱闘の際にティグと殴り合っていた相手のような気がする。
カルモンを追い込んだのは、あいつか。自分たちはさっさと逃げておいて、最後まで責務を果たそうとした勇敢な男の足を引っ張るとはな。
「貴様は、もう手遅れじゃ。顔は覚えたぞ? せいぜい遠くまで逃げるが良いわ」
俺とミルリルは震え上がる赤毛の冒険者を見据える。名前は知らない。もう知る必要もない。
サルズを拠点に生活している“吶喊”の連中は殴るだけで済ませたが、俺とミルリルはしょせん部外者だ。極論をいえば、選択肢は0か1しかない。敵か味方か。生かすか殺すか。
「ま、待ってくれ、俺は……」
「なに、次に会った時が貴様の最期じゃ。せいぜい苦しまんように送ってやるわ」




