130:凍える谷
飛行船トルネード号は山脈の西側を旋回、村と思しき開けた場所が見える高度まで降下してくれた。
「たぶん、あの村が最西端かな。ハーグワイ共和国の大きな街はみんな海沿いだって聞いたから、まだ5百哩はあるみたいだけど」
リンコがゴンドラの縁から下を覗き、手製の望遠鏡で東側を確認する。ケースマイアン付近は晴天だったが、共和国に近付くに連れて少しずつ荒れ始めた。いまも上空は少し雲が厚く、地面近くも粉雪が舞って視界が悪い。
ゴンドラ周辺にドワーフとエルフの技術を取り入れた魔導障壁を展開しているとかで、密閉感はないものの寒風吹き荒ぶという感じでもない。
まあ、俺たちは飛行船から降りてしまえば吹きっさらしなことに変わりはないのだが。
「何にも見えんのう」
ミルリルさんたちドワーフも周囲を見渡しているが、進む上での目印になるようなものは発見できていない。彼らの視力が驚異的とはいっても、遮蔽されたものまで見通せるわけではない。
「このあたりでいいよ、リンコ。ありがとう、後はこっちでどうにかなるから」
国境はとうに超えている上に、乗ってるのが全長50mもの巨大な未確認飛行物体だ。あまり近付くと無用な騒動を引き起こしかねない。
「気を付けてね。まあ、大丈夫だと思うけど」
「大丈夫だよ、もちろん。戦争しに行くんじゃないんだからさ」
「どうだかな」
遊覧飛行に参加していた人狼族の青年ペルンが笑う。
「ヨシュアが接触して戦争にならなかった国はないぜ?」
「俺たちが、だろ? 俺の方から喧嘩を売ったことはねえ。……よな?」
ミルリルさんは苦笑して肩を竦める。いや、そこは助け舟を出すのがパートナーの仕事でしょうよ。グレーゾーンがかなり広いのは自分でも理解してるけどさ。グレーっつうのは白ではなく黒のグラデーションだって話を聞いたことがあったっけな。
「それじゃ、なんか急用があったら有翼族の誰かに伝言を頼んでくれ。いざとなったら、転移で帰る」
「なあに、心配することはあるまい。いまのケースマイアンに攻め込めるような兵力なら、春まで進軍は無理じゃ。それより、あまり無茶するでないぞ?」
ドワーフのリーダー、ハイマン爺さんから激励を受けた俺はミルリルを抱えてゴンドラの縁に脚を掛け、地上まで短距離転移で飛ぶ。
地面に到達すると、ぼふりと積雪が舞い上がる。新雪が厚く積もっていたらしく、腰近くまで埋まってしまった。
山林が近いせいか、風はさほど感じられない。獣人族の姐さんたちが作ってくれた魔獣毛皮の防寒具を着ているおかげて、寒さも耐えられないほどではなさそうだ。
無事に到着したことを知らせるために手を振ると、上空の飛行船がゆっくりと旋回しながら西に向かって飛び去って行った。
「いよいよじゃの」
「ああ。ハーグワイってのが、どんなところか楽しみだ」
新居を手に入れたといっても毎日ひっきりなしに誰かしらの出入りがあったし、ふたりきりの生活なんて本当に久しぶり……というよりも、ほぼ初めてか。誰もいない環境なんて王都からの逃避行の初日くらいしか記憶にない。ほとんど追われて殺しての日々だったからな。
ラッセルというのか、雪の中を漕いで移動していたが、ほんの数分でゲンナリしてしまう。俺はたぶん登山家には向かないんだろうな。
「東に向かうんだけど、方角はわかるか?」
「もちろんじゃ。“こんぱす”も持ってはおるがのう」
収納内部の整理がてら、死蔵品をごっそりケースマイアンに置いてきた代わりに新しく冒険グッズやら装備やらを買い込んでしまったのだ。
サイモンからは、今度は何を目指しているのだと呆れられたが。
「ケースマイアンの食料は、足りるよな?」
「いや、むしろ春まで連日の宴会でも続けん限りは食い尽くせぬであろうな」
いまは塩にも燃料にも困らないので保存食作りも盛んに行われていて、収納に預かりっぱなしだった地龍や地走龍、有翼龍といった大量の肉類もあらかた加工された。どれも味は絶品で、いくらかは手土産にもらってきていた。
ミルリルをお姫様抱っこして、近くに見えた小高い山の上まで飛ぶ。視界が開けると、その先には森に囲まれた平原が広がっていた。不自然に広く植生が見られないところから考えて雪の下は湖か沼なのかもしれない。
氷の厚さが不明なため着地はせず、そのまま転移で飛び越えて対岸の山に着地する。
「先は長いのじゃ、無理はせんでもよいぞ?」
「全然、問題ないよ。このまま半日くらいなら行けそうだ」
「……ふむ。おぬしに触れているとわかるのじゃが、ずいぶんと魔力が上がっているようじゃの」
そういやステータスを見なくなってずいぶん経つな。
常用するスキルがあまり数値と関係ないせいもあるが、そもそも獣人やらエルフやらドワーフやらと一緒にいると標準値を見失って意味がないのだ。
ケースマイアンでは、人間でいうと勇者クラスのスペックがゴロゴロいる。趣味嗜好の違いのせいでパラメータがかなり歪みたいだが、そんな超人の群れに混ざっていれば数字や階位の上下動に一喜一憂する気はなくなる。
便宜上は魔王とか呼ばれるようになったものの、ステータスで見れば下から数えた方が早いレベルの雑魚である。ちょっと切ない。
「……うん、皆が幸せなら、俺のステータスなんて、どうでもいいんだよ。ホントだよ?」
「わらわは何もいうておらん。おぬしは誰に言い訳をしておるのじゃ」
山やら谷やらを転移で次々に飛び越えながら東へと進むうち、奇妙な感覚に囚われる。ミルリルさんを見ると、ニヤリと不敵に笑って肩から下げていたUZIを軽く胸元に引き寄せた。
「なにやら追ってくる者がおるな。ヨシュア、その先の谷で出迎えるぞ?」




