107:狩りの褒賞
クマ顔バスまで戻った俺たちは、有翼族のふたりと母娘たちに出迎えられた。
「お疲れ様でした、魔王陛下。王妃陛下」
「いや、あの後は案外あっさり終わったのう。ヨシュアの力あってのことじゃが」
「よしゅあ、さま。まおう、なの?」
娘さんたちが不思議そうに首を傾げ、その後ろで母親は怯えた顔をしている。うん、そうなるのか。
「う〜ん……魔王っていっても、勝手に付けられた渾名みたいなものなんだよね。いま住んでるところの人たちが魔族って呼ばれてて、そこの村長みたいな感じのことしてたら、魔王とか呼ばれるようになっちゃって」
「まぞくの王さまだから、まおう?」
「そうだね。元々は……というかいまでも、ただの商人なんだけど」
事実は事実なので特に突っ込まれることもなく、夜になって雨が強まり掃討戦が続くなか、俺たちは早めに食事を摂ってバスのなかで就寝した。
翌朝、起きると雨は上がっていた。城壁内の避難命令も解除されて、住民たちはそれぞれに出歩き、あるいは復興作業に当たっている。
母娘はメテオラに住むという親類と合流して、無事に引き取られていった。
南端のメテオラに暮らす彼らにも王都近辺の治安が悪化しているのは伝わっていて、母娘のことはずっと心配していたらしい。初老の男女が娘さんたちの手を引いて去って行く。
「名前も訊かんかったのう」
「そうだな。その方がいいと思ったんだ。上手くいえないけど、なんとなくさ」
俺には、偽善的な罪滅ぼしの真似事で罪悪感を糊塗する必要があった。そのためには、彼らの名前は必要ない。名もなき市井の何者かであった方が俺に取って都合が良かったのだ。最低だが、向こうにも利益があったならそれでいい。おかげで少し、気は楽になった。
嬉しそうな彼女たちに手を振って、俺とミルリルは再びメテオラの中心部にある公務館に向かう。
朝方、ルモア公爵からの使いがクマ顔バスを訪れ、親書を渡して来たのだ。どうでもいいが親書、というか貴族の公用文書なんてもらったの初めてである。
戦闘中の公務館は指揮所になっていたが、いまは兵も出払って閑散としている。
出迎えにきてくれたエルケル侯爵は従者とふたりで書類を抱えてどんよりした顔をしていた。
「……お疲れのようですね。何か問題でも?」
「いや、おかげで戦闘は終結し、王家側の残党も無事に制圧することができた。これから政治的な駆け引きが始まるのでな、その用意だ」
俺にはわからない世界なのだが、わかった風な顔をして曖昧に頷いておく。
正直、戦闘より面倒臭そうだ。
「今後の予定なんだが、メテオラを引き渡すための後始末でわたしは数日ここを離れられそうにない。できるだけ早く戻るが、ヨシュア殿は先に侯爵領に向かっていてもらえないだろうか」
「構いませんよ。仲間を引き取れれば、後は急ぎの用もありませんし」
「助かる。領に戻る部隊に案内の者をつけるので、必要な物や要求があれば、彼女に何でもいいつけてほしい。後でバスの方に向かわせる」
「了解です」
俺たちは先日まで作戦司令室になっていた執務室に向かう。
「公爵閣下、お連れしました」
「ああ、ご苦労」
魔獣との戦闘の後で、夜の残党討伐も指揮していたらしく、ルモア公爵もまた疲れた顔をしていた。
それでも剛の者の貫禄で、背筋はシャンと伸びていて、表情は明るい。それは良いことがあったときの明るさではなく、吹っ切れた者が持つ達観のような静けさだ。
もちろん彼も、これから発生する雑事も処理すべき問題も抱えるべき咎も理解しているのだろうから、叛乱の首謀者として腹を据えたということなのだろう。
その首魁が、俺を出迎えて笑う。
「こちらから向かうべきところを、ご足労いただき申し訳ない、ケースマイアンの魔王陛下。昨夜のご助力、多大な貢献をいただき感謝する」
「いいえ、こちらの問題を処理したまでですから。たかが魔導師風情に魔の物を勝手に操られては、魔王の名折れですからな」
自分でも無理な理屈なのはわかっている。
相手も大人なので、“あんたムッチャ必死に倒してたやん”、とかはいわない。
だいたい、俺が魔王つったって便宜上の立場だ。魔物に知り合いなんぞいないし指揮権もない。
「残敵の掃討は済みましたか」
「ああ。王家派の残党は歩兵150と騎兵30、攻撃魔導師が4と魔獣使役師が2といったところだな」
ルモア公爵の言葉を受けて、エルケル侯爵がテーブルに置いた書類を指す。俺には読めんが、数字が書いてあるようだ。
「敵の生き残りから情報を集めましたが、ほぼ殲滅できたようです。行方がわからない指揮官や魔導師が数名いますが、生きている可能性は低い。危険性はないでしょう」
「軍船にいた魔獣使役師はわらわが殺したぞ。海群狼を操っておった奴じゃ」
ミルリルの言葉に、エルケル侯爵が頷く。
前線に張り付いていた俺たちと接触こそなかったけど、侯爵も叛乱軍の副官として城壁内部で兵の配置と物資補給に駆け回っていたそうな。
なんか俺からみると、戦闘より大変そうだ。
「妃陛下の討たれたそれが、宮廷筆頭魔導師だったようですな」
「……そうか? そう大した魔力は感じなかったがのう」
それは、あなたが1発で射殺しちゃったからなのでは。
海に落ちたから死体もないし、本人の姿を見てもいないから確認のしようがない。けどまあ、50近い海群狼を操ってたくらいだから実力者ではあったのだろう。
「最後に深棲山椒魚を放ってきた魔導師の方が、どこか油断できぬ空恐ろしさがあったくらいじゃ」
「そいつは、先代の筆頭魔導師だったイルマイユ翁です。おそらく無足龍を操っていたのも彼でしょう。蟲使いと呼ばれた変人で、現役時代には都市をいくつも壊滅させたのだとか」
……やっぱ、えげつない奴だったんだ。
“呆気なく終わった”とか“最後なのに地味だった”とかいっちゃってたけど、実はおっかないのを相手にしてたのね。先手必勝で動いてなかったら死んでたわ。
「ああ、ヨシュア殿。本日昼に王族の処刑を行いますが、その前に、彼らに会われますか」
エルケル侯爵からの提案に、俺は少し考えて首を振る。
「ヨシュア、良いのか?」
「良いも悪いも、いまさら会ってどうすんだよ」
元の世界への帰還の術がないとわかった時点で、もう王個人に対して特に用はない。
復讐心も、なくなったとはいわないけれども、いまさら無力な王に何を話そうが不快な思いをすることはあっても溜飲が下がることはない。
「向こうの自業自得とはいえ、俺は王から3万の兵と、3人の王子と、3人の召喚者を奪った。結果的にそれが国そのものを奪うことにもなった。ただの無力な老人になったのなら、もう俺から伝えることもないし、聞きたい話もないな」
「なるほど。では、些少ですが、こちらを」
公爵は従兵に指示して、大きな車輪付きワゴンを2台、運ばせてくる。
そこに置かれていたのは高価そうな装飾の箱がいくつかと、剣が10本ほど。もうひとつの重そうなワゴンに満載されているのは、同じサイズの木箱。従兵が開けると、金貨が並んでいた。
「金貨は、我々からご助力いただいたお礼ですな。討伐した魔物から取った魔珠の代金も含まれます。もうひとつは、王が宝物庫から持ち出しメテオラに持ち込んだ宝物。公爵の身で僭越ながら、そちらは王国からの詫びの印としてお納めいただけないかと」
少し迷って、俺は公爵に尋ねる。このまま受け取るのもいささか気が引ける。
「気持ちはありがたいですが、貨幣、特に金貨の流出が王国経済を破綻させつつあることは聞いてますか」
公爵はわずかに驚いた顔になったが、小さく頷いてエルケル侯爵に視線を向ける。
その態度から、どうやらルモア公爵は武将タイプの貴族で、内政は侯爵が中心に動いているようだとわかる。
「もちろん把握はしています。ですが、それは問題のいち側面のみを見た意見でしょう」
「……というと?」
「金鉱は、ほとんど南部貴族領にあります。貨幣を生産する造幣廠も王国中部の貴族領寄りにあって、既に貴族領軍が接収しました」
王国の……少なくとも王都周辺地域の経済破綻は、貴族領側の意思によるものも含まれていた、ということか。南部で貨幣を溜め込む動きがあった、つまり貨幣の流通が意図的に絞られて、王都周辺の経済が悪化したとも聞いている。
容赦ねえな、とは思わんでもないが俺のいえた義理ではない。自分ひとりの責任じゃなかった、というのは俺の気分を少しだけ軽くしてくれた。
そんな単純で簡単な話でもないんだろうけど、そっから先の話は、それこそ俺の知ったこっちゃない。
「なるほど。では、遠慮なくいただきましょう」
やったあ。なに買おうかな……?




