お嬢様の修学旅行 中等部 五日目 その8
「たぶん無理だと思うんだけど、このまま帰るって駄目なの?」
まだ待ち時間が長いので、ワゴン車の中での暇を持て余した雑談である。
できないとは思っていたが、エヴァが目をつぶってとても残念そうに首を横に振る。
「我々としても東京直行をお願いしたい所なのですが……お嬢様。お忘れになっているでしょう?
ロンドンでは晩餐会があるという事を」
今まで行ったイタリアとフランスは一応共和国なのだが、困った事に英国は王国である。
立憲君主制の下で貴族はいまだしぶとく生き残っていた。
「お嬢様は公的には桂華院公爵家ご令嬢。
おまけに、この騒ぎの源であるロマノフ家の血を引くお方。
公的な欧州デビューはこのロンドンでの晩餐会になるのですよ」
「あー……だから、ヴェネツィアで騎士見習いが出てきた訳だ」
「それと、内々ですが王室関係者のご出席も……」
「ぉぅ……」
こういう時に爵位の高さが仇となる。
当然同格を主賓に据えるだろうし……まさか……
「ねぇ。エヴァ。まさかと思うんだけど……ロイヤル筋って来るのかしら?」
「私からは何とも言えませんが……むしろ何故来ないと思われるので?」
「ですよねー」
エウァの突っ込みにがっくりと頭を下げる私。
ロンドンでの晩餐会出席は確定となった訳だが、そのためにもこのパリから出ないといけない訳で。
「で、私は無事にパリを出られるのかしら?」
「そこは我々が万全を期してお連れしますとも」
「お連れできなかったら、我々も失業なんでね」
横から突っ込んだエヴァの元同僚をエヴァが睨むが、視線は私たちを見ておらず、車に近づいてくるパリ警官の姿を捉えていた。
「こっちの協力者だ。ドアを開けるつもりはないが、お嬢様がたは後ろに隠れてくれ」
そんな訳でフロントガラス越しの会話だが、指で宙に文字を書く筆談と来た。
無線とか聞かれていると言っていたがここまでするのかと他人事のように思う私。
「良いニュースと悪いニュースが一つずつある。
まずは良いニュースだが、お嬢様たち以外の修学旅行生がル・ブルジェ空港に無事に到着した」
「で、悪いニュースは?」
「ルーブル美術館での情報が途絶したままだ。
DGSE。対外治安総局の奴らの排除がうまくいっていない」
エヴァの確認に元同僚がぶっちゃける。
ルーブル美術館内部は、テロリストの襲撃の後で完全に疑心暗鬼が取りついてしまい、誰もが誰もを信用できないゆえに動きようがないという状況に陥っていた。
「大統領命令が出ているのに抵抗するって……どういう事なのかしら?」
「この仕掛けは複数の陰謀の糸が絡まって起きたようなものだからな。
おそらく、仕掛けをまだ諦めていない馬鹿が粘っているんだろうよ」
「そんな馬鹿がここを襲うとしたらどう出てくると思う?」
二人の会話に私が割り込む。
成田空港でもあったが、この暴動を私へのテロとして見れば、まだ仕掛ける側には手段がいくらでもあるのだ。
考えろ。
そうすると最初のテロは……ん?
「おかしくない?
私がルーブル美術館に入った後でセーヌ川で爆発が起きるはずだったのよね?
なんで、私がルーブル美術館に入るとセーヌ川で爆発が起きるの?」
よく推理ドラマや推理コミックで見るのだが、最初の事件こそ鍵なのだ。
その上で最初の事件をもう一度よく見直せば、この爆発ほど不自然なものはない。
「テロで私を始末するならば、潜ませた三人に襲わせればいいだけでしょ?
セーヌ川で爆発を起こす必要なんてないのよ」
「お嬢様を殺したい奴と、お嬢様にイースターエッグを渡したい奴の仕掛けがバッティングした……」
三人集まればなんとやら。
しかも三人の内一人が元職で一人が現役の諜報員ときたもんだ。
こういう時に心強いったらありゃしない。
「多分、お嬢様を殺したい奴の仕掛けもバッティングしている。
テロリストとマフィアそれぞれのヒットマンの存在は確認している。
おそらくはテロリストがルーブル美術館で襲撃した方で、マフィア側はまだ動いていないか動けないか……」
「爆弾なんて高度なものを扱って人的被害はほとんどなしだ。
プロの仕業というかDGSEだろうよ。仕掛けたの」
「だから何で、DGSEがお嬢様にルーブル美術館でイースターエッグを渡すための仕掛けがセーヌ川で起こる爆発なのかって事よ」
「……ん?
ちょっと待って。何? 蛍ちゃん?
……うんうん。『そもそもイースターエッグなんて美術品持ち出していいの?』って……あっ!?」
「「あっ……!?」」
私たちの会話を聞いていた蛍ちゃんが私に耳打ちで話してくれた盲点に私たちが絶句する。
言われてみればそのとおりで、偽物のイースターエッグを持ってゆくならともかく、私の手に渡って本物として扱われるようになった以上は勝手に持ち出せる訳もなく。
「テロ発生時のルーブル美術館での避難経路出せる?」
「ああ。こいつだ。
第二次大戦時の秘密通路を通って避難してもらう……そういう事か」
一人で納得した元職員に私とエヴァと蛍ちゃんが目で『説明』と睨んだので、元職員はDGSEの仕掛けを披露する。
「つまりだ。お嬢様をルーブル美術館に来させるのではなく、この避難通路に来させるのが目的だったのさ。この『第二次世界大戦時に作られた避難通路』で『ユダヤ人資産家が隠したイースターエッグを発見する』という『ニュース』が発信される事でイースターエッグは本物になる。
そのニュースが発信されれば、もうイースターエッグは用済みだから回収するにもルーブル美術館ってのは都合がいい」
「そのニュースが流れてこない上に、ルーブル美術館がいまだ沈黙を続けているって……」
青ざめたエヴァの言葉を元職員が続ける。
たぶん私も青ざめているのだが、聞くのを止めるという選択はなかった。
「ああ。ルーブルが沈黙している理由は間違いなくこれだな」




