成田空港行きタクシーの中にて

「混んでますよ。成田空港」

「構いませんよ。どうせチャーター機です。

　こういう時の為に残していたのですから、遠慮なく使わせてもらいますよ。

　ラジオいいですか？

　帝国放送協会のラジオで」

「ああ。大統領選挙の開票速報ですか。

　桂華金融ホールディングスのCEOならば、タクシーなんぞ使わなくても社用車で行けばよかったのでは？」

「私もそのつもりだったんですけどねぇ……

　どこかのタクシー運転手の奥様が入手した情報がやばいからって緊急連絡先を使われたら乗るしかないじゃないですか」

「正直繋がらない事を祈っていましたよ。

　エヴァさんでしたっけ？

　あの人が留守の際にこの電話番号を教えてくれたんですが……どうしてあの人橘桂華鉄道会長の直通電話なんて持っていたんです？」

「私もそう遠くない内に会長になるので、橘さんと同じ事をする羽目になりますよ。

　後で名刺を渡しておくので、何かあったら橘さんか私にお願いします。

　桂華銀行でその名刺を見せたら、10億までは無担保無条件で融資できるようにしておきますよ」

「一兆円の白紙小切手を切るお嬢様の部下なのがよくわかりましたよ。

　破り捨てたいなぁ……俺はただのタクシー運転手でよかったんだよ……」

「運転手さん。いや、あえて探偵さんとお呼びしましょうか。

　ご存じと思いますが、私は地銀の出でしてね。

　貴方を使った事はないはずですが、不良債権回収のどさ回りで探偵には何度かお世話になっているんですよ。

　彼らが居なければ、まず隠された帳簿は出て来ませんからね。

　ましてや、今回は複数の国際金融機関がからむ飛ばしときたもんだ。

　お嬢様が岡崎と組んであの派手な仕手戦で大勝利を収めた時にこうなる事は覚悟していましたよ」

「……覚悟ですか？」

「ギャンブルは勝った人間と負けた人間の金額が釣り合わないと成立しない。

　お嬢様が大勝利した仕手戦で兆円単位のリターンを叩き出したとしたら、それと同等の損失を誰かが被っている訳でね。

　大手金融機関幹部の首が飛ぶとか、かつてのうちみたいに経営危機が騒がれるとか、そんな予兆がまったくなかった。

　どういう事だと思います？」

「……表に出せない金すらもぎ取られたと？」

「その通り。

　不良債権処理でヤクザが絡んだ金の回収ほど面倒なものはなかったですよ。

　暴力まがいのいやがらせが日常茶飯事なのはまだいいのですが、あいつら、金融機関のルールを知らずにゲームをやっていたから、当人たちも何が起こっているのか分かっていないときた」

「うわぁ……」

「まぁ、私の話は横に置いておくとして、奥方が見つけたという情報の話をしてもらっていいですか？」

「その為にこのタクシーに乗ってもらったんですからね。

　座席の下にあるファイルをどうぞ」

「……米国証券業協会元会長が……」

「うちの嫁さん、何人かハッカー仲間が居て、今回の件で動いてもらっていたんですが、そちらのエヴァさん曰く『カンパニーの臭いがする』とかで、俺や嫁さんと同じように引きずり込んで……ゲフンゲフン。リクルートしようかって話がありましてね。

　向こうもそれが分かっているので、断るのか受けるのか知りませんが、欧州の魔女たちについて調べてもらっていたんですよ。

　俺も嫁さんもよくわからんので、その受け売りですが、コンピューターお嬢様を捕まえた際に、送金履歴が残っていたそうなんですよ。

　その場所が……」

「パナマと。

　そこから先は私が説明しましょう。

　パナマは有名なタックスヘイブンです。そのペーパーカンパニーに金を注いでいたのが、王立エディンバラ商業銀行。英国どころか欧州でもいけいけの大手金融機関ですが、相次ぐ合併や買収でのれん代に苦しんでいた……と、ここまではまだ表に出せる話ですが、この名前は本当ですか？」

「私も嫁さんもそれを告げられてぴんと来なかったのですが、それほどの大物なんですか。

　彼とルクセンブルク国際商業信用銀行の口座は」

「もう潰れていますけどね。この銀行。91年に。

　破綻時に色々あってそりゃあもうこの国でも表に出せない話がゴロゴロと……とはいえ、銀行というものは潰れたら潰れたで色々大変で、後を引き継いだのが欧州セデル銀行なんですが、ここもまぁ中継地です。

　そのさらに奥、最後に行きつく先がスイスのプライベートバンクと彼らが出資していたヘッジファンドという訳でして。

　そのスイスのプライベートバンクに、お嬢様のムーンライトファンドがあるんです」

「ロマノフの遺産なんてもんが眠っていたプライベートバンクだから、お嬢様の博打で焦げたとしても倒れる事はないでしょうに……」

「私もそう思っていたんですけどねぇ……このレポートが本物なら、喜んで多額の資金を出資したんでしょうなぁ……おかげで私はあわててムーンライトファンドを移さないといけないかもと、こうしてタクシーに飛び乗って成田空港まで向かう羽目に。

　この件を知っているのは？」

「俺と嫁さん。その仲間の三人だけらしい。

　こいつの回収で関西国際空港くんだりまで出かける羽目になりましたよ」

「絶対に言わない事をお勧めします」

「言うつもりもありませんよ。

　こっちは、これからもらう貴方の名刺で憂鬱になりそうなんだから。

　着きましたよ。成田空港」

「じゃあ、これ代金のタクシーチケットと私の名刺。

　今後とも良いお付き合いをお願いしますよ」

「……見逃してくれませんかねぇ。私はただのタクシー運転手なんだ。

　世界の危機とかはテレビ映画で十分なんですって」

「ははは。この件が破裂したら10億程度はした金になりますよ。

　今回のギャンブルの賭け金は、500億ドルですから」