都内某所ギャラリー天音にて
「お邪魔するよ。ご主人居るかい?」
「いらっしゃいませ。岡崎様ですね。お待ちしておりました。主人は奥に」
「ありがとうございます。あまり芸術には詳しくありませんが良い品ぞろえですね」
「お嬢様向けの品を探していたら、こうなったそうで……あなた。岡崎さんがいらっしゃいましたよ」
「ああ。ようこそ。私がギャラリー天音の主人です」
「こちらこそ。桂華資源開発の岡崎と申します。今回はお時間を作っていただきありがとうございます」
「うちのお得意様ですから、こちらから出向く所ですよ。
すまないがお茶を用意してくれないか?」
「はい。あなた。30分後ぐらいにお持ちしますね」
「良い奥さんですね」
「もとはメイドだったのですが、気づいたらこうなっていました。
岡崎さんは独身で?」
「まだまだ身を固めるには……と」
「こればかりは縁ですから。
その時にどう選択するかは……いけませんな。年をとるとついつい説教臭くなる。
本題に入りますか。
フランス政府がルーブル美術館にお嬢様を招待しようと固執する理由ですか」
「ええ。いろいろな筋からおおよその裏はわかっているのですが、肝心の美術・芸術面からも話を確認しておこうと」
「わたしも美術・芸術方面は本業ではないのですが、まぁさわりぐらいでよろしければ。
基本美術も芸術も、近代に入るまでパトロンの存在なしでは成立しえなかった事はご存じで?」
「そのあたりは、こちらも学びましたので。
ですが、寄付を募るには少し今のパリは危険なのでは?」
「でしょうね。
一つは桂華院コレクションを狙っているのでしょう」
「桂華院コレクション?
そんなのありましたか?」
「ありませんよ。
何しろこれから作るのですからね。
ですが、それに早くも群がる連中が居ましてね。
このステンドグラスはお嬢様が文化祭のオークションで競り落としたものと同じブランドなのですが、この手の話は早く伝わるものでして、こうやって売りに来る輩が結構いましてね」
「美術や芸術にも金ってのはついて回るものなんですなぁ……」
「しがない輸入雑貨の貿易商に美術品のコレクションはとてもじゃないけど無理ですよ。
それを見越して、欧米の美術ブローカーや美術館のキュレーターが私に接触してきています。
お嬢様のお金でコレクションを作り、それを己の美術館に飾るという訳で」
「なかなかえげつないですな。美術や芸術の世界も」
「そんな連中が狙っているのは、バブル期に買い漁られてこの国に眠っている美術・芸術品です。
不良債権処理で金融機関に差し押さえられたそれらの品を買いたたこうとしたみたいですが、不良債権処理が一段落したので当てが外れた形になった。とはいえ、会計基準の変更でそれらの美術品を持つ理由を説明しなければならないから、金融機関はそれらをいずれは手放さざるをえなくなる。
それをお嬢様のコレクションという形で買い取りたいのでしょう」
「買取りねぇ……こちらが金を出して美術品を買うだけじゃないですか?」
「そうですね。これはバブル期の紳士たちもそうだったのですが、金を稼いだ連中が次に欲しがるのが名、名誉なんですよ。美術品の収集や保護は、そんな紳士たちの箔付けですな。
お嬢様はもう十二分に金を稼がれた。だからこそ、次に求めるだろう名誉を皆押し売りしようと。
ルーブルの件はそれから外れてはいないでしょうな」
「専門外という割には、なかなか鋭い見識をお持ちで」
「個人輸入雑貨商ってのは、何でも屋でしてね。
最低限耳はよくないと食っていけないものなんですよ。
独り身ならせいぜい美味い食事の為だけに仕事をしていればよかったのですが、嫁さんと娘ができたならばとそれ相応にコネを広げた結果ですよ。
そんな広げたコネの連中が懸念する事が二つあるそうです」
「お聞きしましょう。そのためにこちらに来たのです」
「一つ目は、話題になっているワシントン原則を利用する連中が居ます。
お嬢様に旧ナチスが略奪した美術品を買わせて、かつての持ち主に返還させる。
何も知らないお嬢様は、金を払って名声を買うという仕掛けですな。
欧米のユダヤコミュニティにはこれが効きます」
「……なるほど。
もう稼がなくてもいいほど金を持っているお嬢様だからこそ、その吐き出し方を用意する訳だ」
「もう一つは、お嬢様を利用して偽物を本物にすり替えるとか」
「偽物を本物にすり替える?」
「要するに、売れない画家の絵をお嬢様が気に入った場合、その画家の絵の価値は跳ね上がる。
ルーブルで仕掛けるとしたらこちらが本命でしょう」
「……で、そんな売れない二束三文の画家の絵は先に連中が抑えていると……」
「その通り、おそらくお嬢様は二十一世紀前半における、パトロンの一人となるでしょう。
お嬢様が好む美術や芸術がブームとなり、それが歴史として記憶される。
かつての美術品や芸術品と同じように」
「なるほど。芸術の都を抱える国にふさわしい仕掛けだ……どうなさいました?ご主人?」
「ああ。失礼。
この件を調べる際に娘の通う学園の図書館を利用したのですが、そこの館長さんに面白いことを言われましてね。さすがに荒唐無稽だから……どうしました。岡崎さん。怖い顔をして?」
「ご主人。
その話もお願いします。
そして、その話は絶対に他言無用にお願いします」
「ええ。私も笑われたくはありませんからね。
その館長さん曰く『もしお嬢様が美術館で何かに出会うのならば、それはイースターエッグこそ相応しいでしょうね』なんて話は」
ネタバラシ
『ギャラリーフェイク』(細野不二彦 ビッグコミックス)一気読み中。




