お嬢様の修学旅行 中等部 四日目 その1
遅れた理由
天野こずえ電子書籍一気読み
『ARIA』だけでなく『あまんちゅ』まで読んだのは我ながら反省。
『浪漫倶楽部』や『クレセントノイズ』はDMMの電子書籍になっていないんだよなー
ヴェネツィア観光だが、この街は基本船での移動となる。
そんな訳で貸し切り水上バスに揺られてやってきたのはサンマルコ広場。
ドゥカーレ宮殿やサン・マルコ寺院を見学する事もあって、ここのカフェで待ちながらこの街の空気を味わう。
「おや、奇遇ですね。公爵令嬢。ご一緒しても?」
「あら、奇遇ですね。騎士見習いさん。少しでよろしいのでしたら」
なぜかクラスメイトが居なくなって、橘由香一人が隣に居る状況で騎士見習いさんが席に座る。
どれだけの圧力をかけたのやらと内心思いながら、私はカフェ・ラッテを堪能することに。
「そういえば、考えていただきましたか?」
「何をでしょうか?」
「ヴィーナー・オーパンバル」
ただそれを聞きに来たのならば、栄一くんたちクラスメイトを遠ざけるには大事過ぎる。
ここまでする以上は、これは話のきっかけなのだろう。
「さあ?あちこちにお呼ばれしているから、迷っている所で」
「最悪、うちに出なくてもモスクワには行かない事をお勧めするよ」
ほら来た。どいつもこいつも私が再三再四日本人だと言っているのに無視しやがってと、その血の定めたる金髪をわざとかき上げる。
という訳で、本題である。
「そこまでロシアを避けているのは何故?
おかげで、アラスカ経由で政治的茶番劇を空港で披露する事になったのだけど?」
「君の国ではあまり大きく報じられていないだろうが、ロシアの隣国のウクライナで今大統領選挙が行われているんだ。その大統領候補者が暗殺されかかってね」
あー。国際ニュースで話題になった奴だ。
あれは桂華資源開発内部でも調査が進められたのだけど、オレンジ革命に繋がるから『放置で』と言った覚えが……私がそんな事を考えていたら、騎士見習いは淡々と歴史の点を線でつないでゆく。
「かの国周辺はただでさえきな臭いんだ。
君の暗殺未遂から、2003年のグルジア政変、2004年地下鉄爆破テロ事件に、8月にはロシア航空機2機が爆破されて多数の犠牲者を出している。
この間、ロシアの北オセチア共和国ベスラン市の中学校がテロリストに占拠されて子供を含めて386人もの犠牲者が出た大惨事が起きたばかり。
そして今なおチェチェン共和国ではテロとの戦いの名目で戦闘が継続中だ。
こっちがどれぐらい君たちの修学旅行に気をもんでいるか分かるかい?」
絶句する私。
たしかに個々のニュースは押さえていたがそれが線になるとこんなにきな臭く……ん?
「私の暗殺未遂?」
「君の成田空港での活躍は歴史ではそう記録されるだろうね」
そう言われると何も言い返せない私。
それを確認して、今度は米国側の方も騎士見習いはぶっちゃける。
「君が肩を入れている米国も正直どうなるか分からない。
南イラクは君の国と英国がなんとか分離独立させてごまかしたが、中部イラクのベトナム化は進む一方で、北部イラクはトルコがクルド人武装勢力へ介入していつ終わるかどうか分からなくなっている」
「だから、欧州と?」
「そのとおり。身内だからね」
彼の言わんとする事は分かった。
それに納得できるかと言えば別問題ではあるが。
「お聞きしたいのですが、窮地に陥った時に助けを差し伸べない方の手を取るとは考えないので?」
「ああ。公爵令嬢はまずそこから話さねばならないのか」
こちらの皮肉に実にぎょうぎょうしい言い回しをする騎士見習い。
とはいえ、出てきた言葉は私にとっては想定外だった。
「窮地に助けたら共倒れになるじゃないですか。
我々が差し伸べる手は、窮地の前か後なんですよ」
そう言って、彼は視線をサンマルコ広場に向ける。
まるで最盛期のヴェネツィアにいるような空気で。
「この街だってそうだ。
歴史に名を刻んだレパントの海戦はこの街の窮地だったが、勝った彼らが何をしたかご存じで?」
そう言われるとたしかに知らないなという顔をすると、騎士見習いは軽蔑と賞賛と羨望の入り混じった顔でそれを言ってのけた。
「足並みを揃えなかったキリスト教諸国を見限って、オスマン帝国と講和したんですよ」
それを聞いた私が思ったのは納得だった。
ゲームのエンディングで何で私は逃げられなかったのか?
多分その前に手は差し伸べられていたのだろう。
逃げられたのならば、やはり手は差し伸べられたのだろう。
同時に、今の私について彼らはこう言っているに等しいのだ。
「なるほど。
今の私は窮地を脱したのですね」
「その通り。成田空港での立ち回りは窮地としか呼べないでしょう。
だからこそ手を差し出したと」
そう言って手を差し出す騎士見習いの手を払いのけたいと思った。
多分、昨日の夜の高橋さんの立ち合いの影響だろう。この手を払いのけたら公爵令嬢としての未来が閉ざされるのだろうとなんとなく思っていた。
だが、血なまぐさいロシア周辺と、テロとの戦いの泥沼に落ちつつある米国の現状を知った上で、新たに差し出された欧州という選択肢を跳ねのける勇気が私にはなかった。
本当の窮地である2007年のあの瞬間まで、もう3年しか残っていないのだから。
躊躇う私に彼はとどめの一言を告げる。
「その時のヴェネツィア大使の言葉が残っていますよ。
『強国とは、戦争も平和も、思いのままになる国家のことであります。我がヴェネツィア共和国は、もはや、そのような立場にないことを認めるしかありません』」
ため息を深く深くついて、私は彼の差し出した手を握ったのである。
「窮地の前か後。
確かに言質は頂きましたわよ」
「ええ。まだ見習いですが騎士に誓って」
本当にこの時期のロシアが今に繋がっていてなぁ……(遠い目)
『強国とは、戦争も平和も、思いのままになる国家のことであります。我がヴェネツィア共和国は、もはや、そのような立場にないことを認めるしかありません』
『海の都の物語』(塩野七生 新潮社)より引用。




