お嬢様の修学旅行 中等部 三日目 その2
ヴェネツィアの夜、ホテルの庭にジャージ姿で出る。
街が島の中にある上、貸し切りにしたホテルも島みたいなものなので安全はかなり確保されている。
こうやってジャージ姿で庭に出ても大丈夫な程度には気を緩めていたら、ジャージ姿の高橋鑑子さんが何かやっていた。
庭に立って竹刀は持っていないけど剣の構えでじっとする事しばらく。
私に気づいたらしく手を振ってきたので声をかける。
「何やっていたの?」
「イメージトレーニング」
彼女はそういうと再び剣を正面に構えて動きを止める。
その動きはとても美しく見ていて飽きない。
そういえば彼女って剣術少女だったっけか。
「便利よ。これやると頭が冴えるの。今やっているのは一対一で戦うシチュエーションね。
ただの妄想でなく、実際に体を動かすように考えるのがポイントなのよ」
彼女はポーズを解いて私に向き直ると嬉しそうに説明してくれた。
なるほど、でもこれって実戦を想定したものみたいだが……?
「もちろん、実戦想定。
現実にはできないからこうして構えたまま、相手が飛び込んできた時とかを考えているのよ。
桂華院さんもやってみる?」
「面白そうね。それ」
私はその誘いに乗ることにした。
互いに向かい合って一礼し剣を構えるふりをする。
そこから動かずに私と鑑子さんはイメージで剣を交わす事になる。
空気が変わる。鑑子さんが笑っていた。
笑うというのは攻撃的なものだとは誰の言葉だったか……
「桂華院さん。笑っているわよ」
「あら失礼。高橋さんだって笑っているけど」
「あらまぁ。まだ修行不足ね」
動かずに会話を交わすが、殺気を飛ばすあたり鑑子さんヤル気であるし、それに乗る私も大概である。
動かないのに息が荒くなり、汗が垂れるのに拭けない。
互いの頭の中ではこの庭の中を縦横無尽に動き回って、剣戟を交わしているのだが、私は鑑子さんに決定打を与える事ができない。
「うーん。高橋さんってこんなに強かったっけ?」
「多分、あの爺様を止めた時に、一つ外れたかなーと」
あれか。裕次郎くんと共に助けてくれたのは感謝するが、よく止められたよなあれという記憶が蘇る。
師と呼ぶにはあまりにもあの人斬りの爺様を知らないが、あの最後の技だけは見てしまったから使えない事はない。
それを止めたのが目の前にいる鑑子さんという訳で、イメージの中では何度しかけても私は鑑子さんに一撃を入れる事ができなかった。
とはいえ、逃げる事は徹底的に仕込まれた私は、鑑子さんの仕掛けを逃げるかわす受けるとなんとかしのぎ続ける。
動いていないのに汗だくになる二人だが、鑑子さんは笑みを崩さないのに、私は息があがりつつある。
これは負けたかと思っている時に、急に鑑子さんから強烈な殺気をぶつけられ、体が自然と動いて受けるために下がってしまった。
同時に気力が尽きて芝生の上に倒れる私を見ながら、鑑子さんは笑った。
「……ハァハァ。完敗だわ……」
「いいえ。かなり粘られたわ。逃げに回った桂華院さんはやっぱりしぶといわね」
起き上がると控えていた橘由香がタオルを私に渡してくれる。
危ない事だったら止めようと思っていたのだろうが、はたから見ればただ向き合って構えた結果、汗まみれになった私が下がって自ら倒れただけである。
この程度の事では、怒られることはないだろう。多分。
「真面目に桂華院さん剣の道に来ない?
いい人斬りになれるわよ」
「残念ながら、私はその人斬りとかを束ねて戦をする大将なので。
大将が刀を持って戦場で暴れたら、戦は負けでしょ?」
「それはそうね。
振られちゃったかー」
行くつもりはないとはいえ、無限にある可能性の一つがこの時閉じたような気がした。
きっと多くの人はこういう事を続けて、何かになろうとして諦め続けた結果、何にもなれずに大人になるのだろう。
けど、その何かを見つけた人にとって、時代が合わなかった事が自覚できるのは不幸ではないのだろうか?
昼間の明日香ちゃんとの会話を思い出した。
「この街の最盛期とは言えないけど、歴史に名が出るのはレパントの海戦で1571年。
高橋さんだったら、その時代に行けるとしたら行く?」
思わず口にした質問だが、これが現実になったらと思うと少し怖いものがある。
何しろ私がそんな不思議存在でこの世界に来ている訳で。
鑑子さんは笑ったまま言い切った。
「多分行かないわよ」
「どうして?」
「私、選択肢を間違い続ける女なので。多分行ったら間違えるんでしょうね」
「それ、行きたいって言っているのでは……」
橘由香のツッコミを無視して鑑子さんは部屋に戻ろうとして私に声をかける。
「あ、向かいの家の三階に誰かいるみたいよ。
窺っている気配を感じるから」
橘由香の警戒した顔と更に外で控えていたらしい側近団が警備に鑑子さんの言葉を伝えるのを見つつ、鑑子さんに私は素直に称賛の声を投げかけた。
「多分、間違えても歴史に名は残しそうね」
「けど、それで天下をとれないから間違えるのよ。きっと」
警備が鑑子さんの指摘した部屋に突っ込んだら、パパラッチがいて御用となった。
わざわざ大金を払ってその部屋の住人から借りたらしいのだが、フィルムを没収されて御用となったそうな。
笑うというのは攻撃的
正しくは『笑うという行為は本来攻撃的なものであり獣が牙をむく行為が原点である』でシグルイ(山口貴由 チャンピオンREDコミックス)である。
2003年8月号から2010年9月号まで連載している。




