お嬢様の修学旅行 中等部 三日目 その1
作業BGM
『ウンディーネ』 牧野由依
ローマから飛行機でおよそ小一時間ばかりで、ヴェネツィアのマルコ・ポーロ国際空港に到着。
2002年に完成した新ターミナルにて、恒例行事になろうとしているパイ投げは明日香ちゃん。
「ふっふっふ。きれーにぶち当ててあげるわ!」
「ある程度は手加減してくれると嬉しいかなって」
長い付き合いである。私のノリも分かっている明日香ちゃん。
もう、この流れは『押すなよ!絶対に押すなよ!!』ってのは分かっている訳で。
「では、瑠奈ちゃんの顔めがけてパイを……」
「はい。そこまで」
明日香ちゃんの手からパイが取り上げられて、優雅に一礼する欧州系美男子が一人。
そんなノリの登場なのにこちらの護衛が何も言わないあたり、圧力をかけたのだろう。
ならば、その筋書きに乗ってあげましょうか。騎士見習いさん。
「あらお久しぶり。湾岸カーレースの時以来だと思いますが、どうしてこんな所へ」
「どこかの誰かさんが欧州のタブロイド紙一面にでかでかとパイを食らった写真を掲載された結果、親戚一同が大激怒してね。
僕がそれを止めてこいと押し付けられたという訳で」
「それはそれは。
その親戚一同とはお付き合いはしないつもりですが、あなたも大変ですわね」
場の空気が凍るが、騎士見習いは笑顔を崩そうともしない。
さすが欧州貴族社会の御曹司。面の皮が厚い。
「それでもあなたは我々の身内だ。
それを導くのも身内の義務という訳で」
優雅に一礼した姿を私のパイ投げ写真を撮りそこなったパパラッチたちが撮り、それが明日の欧州各紙面、タブロイドだけでなく高級紙すら掲載した一言をこう芝居かかって言ってのけたのである。
「おかえりなさい。公爵令嬢。
欧州は貴方の帰還を歓迎します」
ヴェネツィアというのは『海の都』と呼ばれている。
アドリア海に浮かぶ島に都市を築き、長く海上交易で栄えた都市国家。
その繁栄と栄華はこうやって海からその都市を眺めると見えてくるものである。
空港から都市へは水上バスが走っており、それを借り切ってこうしてアドリア海を疾走すると女子たちの会話は当然あの騎士見習いの話になる訳で。
「桂華院さんの前で優雅に一礼したあの人誰?」
「本物の欧州貴族で欧州の婚約者候補の一人だって」
「デビュタントがあの人なの凄くない?」
「すっかり話題の人になっちゃって。瑠奈ちゃん」
「まあ有名税として受け取っておくわ。明日香ちゃん」
騎士見習いがこの水上バスに乗ってこなかったのは、あくまで修学旅行なので部外者はお断りというのと、あの空港パイ投げが本当にまずかったから出張ってきたのが本音で、空港の桟橋から手を振って見送るあたりも好感度上げの仕草なのだろう。たぶん。
そんな事を考えつつにやにやと寄って来た明日香ちゃんを連れて後部デッキへ。
水上バスは思ったよりスピードがあり、海風もあるので聞かれるような事はまずない。
「あの噂話の仕込み、明日香ちゃんの所のグループに来てた?」
「私には届かなかったから、可能性が高いのは薫さんの方かしら?
華族だから繋がりとかあるんじゃない?」
女子にとって恋は戦争である。
そんな所に各国が政治を持ち込んでも感情で潰されるのが女子の恋愛というもので。
ましてや私たちは花の中学生。政治なんて知った事かと言えたらどれほどよかったやら……
「で、瑠奈ちゃんカルテットの三人からあの美少年に乗り換えるの?」
「それすると、多分王冠押し付けられるからパス」
「ニュースでやっていた、南イラクに嫁ぐって話、マジだったの?」
「その南イラクの殿下、多分ロンドンでお出迎えしてくるわよ。あの騎士見習いが出てきたのならね」
「うわぁ……さすが瑠奈ちゃん。わーるどわいどー……」
「よければかわってあげようか?
イケメン選び放題」
「その二人愛媛選挙区で立候補できないから私もパス」
なんとも世知辛い会話をする私と明日香ちゃんの所に、ひょこっと蛍ちゃんがやってくる。
手には空港で買ったのだろうクロワッサンが。なおこちらではコルネッティというらしい。
蛍ちゃんはこういう時にそっと私たちに寄り添ってくれるから、明日香ちゃんと共に大事な友人なのだ。
「難しい話はやめていただきましょうか」
「そうね。本場のエスプレッソと一緒にね」
(うんうん)
島の中の都市で建物の高さがほぼ均一なので、街の中の運河に入ると遠景が見えなくなり、自分が現代ではなくこの街が輝いていたヴェネツィア共和国にいるような気が……
「明日香ちゃん。ヴェネツィア共和国の最盛期って何時だっけ?」
「最盛期は知らないけど、レパントの海戦はたしか1571年」
「よし帰ろう。日本じゃ戦国時代じゃないの……」
(……?)
そんなやりとりを挟みながら、水上バスはそのまま今日の宿泊先のホテルに到着したのだった。
夕食に海産物が多かったのもあって私も含めて皆嬉しそうに食べているのは、そろそろ日本食欠乏症になりかかっているからかもしれない。
Q.何でヴェネツィアに来たの?
A.この作者『ARIA』(天野こずえ マックガーデン)にはまっておってな……その前に『海の都の物語』(塩野七生 新潮社)を読んでおったからその整合性に苦しんだというギャップが……




