道化余話 浅草のバー『シュバルツリッター』にて 2025/04/04投稿
キャラの使用許可ははるか前にもらっていたので、先に旅立ってしまった亡き友に捧ぐ。
浅草という町は江戸の頃から栄えていて、新旧が入り混じる町だ。
そんな浅草の外れにある堤防沿いの雑居ビルの地下にその店はあった。
「『シュバルツリッター』?」
「ドイツ語で黒騎士って意味らしい」
「へーそうなんだ」
「あいにく、俺も小野のおやじさんに教えられた口でな」
そういって、近藤俊作は三田守を連れて店に入る。
カウンターの向こうでほどよく年を取った紳士が二人を見つけて声をかける。
「いらっしゃい。近藤さん。久しぶりですね」
「ああ。今日は、こいつに酒を奢ってやろうと思ってな」
男二人で酒を飲むというのは、大体それがそのままで終わらない事が多い。
近藤俊作の女房となった愛夜・ソフィアもこの店に行くと言ったとたんに笑顔で送り出すぐらいなのだから何かあるのだろうとさすがに三田守も身構える。
「何か適当なのを頼むよ。
こいつにも」
「近藤さん。さすがにそれは……」
「構わん。俺も同じようにおやっさんに奢られた」
「近藤さん。ご結婚なさったのでしょう?
私が奢りますよ」
マスターが笑顔で告げて、棚から祝い用のシングルモルトを取り出す。
親から子に、上司から部下に、酒を奢るという事は同時に店を教える事であり、それはコネの継承という側面があったりする。
三田守はまだ気づいていないが、今回の奢りは結婚した事で危ない事からある程度身を引くと同時に、何かあった時のために三田守を顔つなぎ要員としてマスターに認識させる事が目的だった。
「では、探偵家業はそろそろ廃業で?」
「そうしたいのは山々だが、危ない橋を避けるのが精いっぱいでね。
小野のおやっさんが偉くなったから、下の俺たちはもう少し踏ん張らないとという訳で、こいつを連れてきた。おい。挨拶しろ」
「あ。はい。三田守です」
「よろしくお願いします。
私はここのマスターをしております矢坂幸太郎と言います。
これはご挨拶のしるしです」
そういって、二人の前に琥珀色の液体の入ったグラスが置かれる。
ビールと日本酒を嗜むぐらいしか飲んでいない三田守の飲みっぷりに近藤俊作は苦笑しながらグラスを傾ける。
「まだまだお前には早かったかな」
「そういう、近藤様も小野様とお連れの時に……」
「そうそう。今のこいつとおんなじ顔をしていたよ。
懐かしいな……」
男の会話は簡単に情と仕事が切り替わる。
女にはついていけないウエットでドライな会話が酒の肴となる。
「小野さんは今は管理官でしたっけ?」
「ああ。それが終わったら麴町警察署署長に凱旋さ」
「それはお祝いしないと。ごちそうを作って待っていますよ」
「伝えるさ。
で、こっちでは何か変わった話はあるかい?」
「それぞ、当人たちに聞いてくださいよ。
それを見越して今日、この時間に来たのでしょう?」
そんなタイミングでドアがバンと開き、豊満な金髪美人が黒人の護衛を連れて実にやさぐれた顔でカウンターのいつもの席らしい所に座る。
「ますたー。いつもの!」
「はいはい。荒れてますね。いつもの事ですけど」
「聞いてくれる?
もー上が無茶振りしてしてさー!
あたしを便利道具を出す猫型ロボットか何かと思ってんじゃないかってー……」
そんな美人の絡み酒を横目に近藤俊作が三田守に小声で話しかける。
「あれ、樺太酒造のユーラ・タチアナ東京支社長。
北日本政府の元国有企業だった樺太酒造が生き残っているのは、あの人のおかげと噂される女傑だよ」
「聞こえているんですけどー。近藤君。
乙女に向かって女傑はないでしょ。女傑は」
「いやだって、あなた俺が小野のおやっさんに初めてここに連れて……」
にこり。女に歳の話は厳禁である。
蛇ににらまれたカエルのように口を閉ざした近藤俊作を見て、過去がどれぐらい遡れるかしらないが、ここで口を開くほど三田守も馬鹿ではなかった。
「科学のちからってすごいのよ♪」
「「あっはい」」
そんなやり取りを見て、マスターが三人の為にまたグラスに琥珀色の液体を注ぐ。
新入りの三田守に彼女の経歴を披露するという形で酒の肴は続いてゆく。
「樺太酒造ってのは旧北日本政府の国有企業で、北日本政府の酒を一手に作っていた所だ。
民営化後にこっちに進出して、日本に流れるウォッカの七割とロシア向けウォッカの輸出はこの企業から出ている。ついでに国内酒造メーカーが手を伸ばそうとしているのも、この人があの手この手で払いのけているって訳だ」
「もっとも、それだけじゃ食えないから、バイオ部門や医療部門にも手を出していてね。
人材派遣業とかもやっているのよ♪」
「その人材派遣って人身売買と売春ですよね」
声は別の所から聞こえた。
いつの間にか入ったやさぐれた男がグラスを傾けている。
その男の後ろに護衛の男が佇み、そういう男と存在がアピールしていた。
ユーラ・タチアナは男の言葉にも笑顔で挨拶する。
「あら。乾さん。ご出世したのだから奢らせてくださいな♪
ちなみに、近藤くんの奥さんをこっちに呼んだのがうちの人材派遣部門」
三田守が青ざめる。
愛夜・ソフィアは樺太から売られてこちらで娼婦として過ごし、ヤクザの愛人となっていた過去があるからだ。近藤俊作が怒るかと顔を覗くと、その顔には何とも言えない哀愁が漂う。
「あの劣悪な樺太からこっちに連れてこられただけでも幸運だし、この人も政財界の要人の愛人として体を使っているから怒るに怒れないんだよ……」
「近藤くんのタクシーは安心できるし、近藤君の筆おろしはわたしだし」
「ぶっ!!!!!」
「趣味で偽名を使って吉原で男漁っているから、もう怒るに怒れないんですよ……」
過去話をばらされて近藤俊作が吹きだすが、割って入った乾という男は苦笑するばかり。
三田守の視線が乾という男に向かったのと同じく彼が口を開いた。
「私の名前は乾一輝。今はしがない貿易商ですよ」
「小野さんが出世する人事で公安に帰るんですよねー♪」
三田守のこの店の空気が下がる瞬間に身を震わせるが、マスターは苦笑してネタ晴らしをする。
「ここは元々そういうお店なんですよ。
最初はそうなるつもりで作った訳ではないですが、東西冷戦のさなか双方の情報交換の場となり、バブル崩壊と北日本併合で互いに敵でなくなりつつもテロとの戦いなんてものが始まって、店を閉める訳にもいかない。
この街にはね、こういう場所はまだたくさんあるんですよ」
「小野のおやっさんが現役だった時に知りたかったってぼやいていたよ。
おやっさんはたしか前藤さんって人に連れてこられたと言っていたな」
「前藤さんも出世なさいましたね」
「あの人、今、樺太道警の主席監察官ですよ」
そろそろ三田守も察してくる。
近藤俊作が彼をここに連れてきた理由は、こういう危ない情報を定期的に入手させるためだという事に。
酒の肴という体で、三田守の前で情報が提示されてゆく。
「桜田門の偉い人たちがその上から不興を買ったらしく、天下りがあるうちにと沈む船から逃げ出すネズミよろしく辞めていっているそうで」
「うちの所にも樺太道警の偉い人が天下ってくるみたいね。
まぁ、本社が何を言っても東京には影響を与えないから安心していいわよ」
「タチアナさん。貴方の失脚計画は私が知っているだけで両手の指が折れるんですが、何で生きているんです?」
「それはこの体を駆使して……というのは冗談として、きれいな金を握っているから、潰しづらいのよ。乾さんだって、桜田門に戻るにあたって最重要人物の動向は押さえておきたいでしょう♪」
ああ。ここに繋がるのかと三田守はようやく察する。
乾とタチアナの言っている最重要人物というのが桂華院瑠奈という事に。
彼女の定期情報を提示するのが、近藤俊作と三田守に与えられた仕事だという事に。
「さてと。帰るわ。
乾さんもほどほどにね」
「あなたほど底が抜けていませんので」
黒人の護衛を連れてユーラ・タチアナが店を出ようとする前に、三田守に近づいて人には聞こえない声で囁く。
(お仲間の加護つきかぁ……懐の葉っぱのお守りは大事に持っていなさいな。千春さんによろしくね♪)
「おい。坊主。何を言われたんだよ?」
近藤俊作にからかわれたが、三田守はグラスを傾けてごまかすことにした。




