コングロマリット・ディスカウント その2
小売業というのは、ネットがというか通販が発達する前までは基本店を持たないと成立しない業種だった。
日銭が入り、客と顔見知りになる事がビジネスにつながる訳で、それはこの国の経済成長と共に良き中間層となった消費者を全国津々浦々で奪い合う小売戦国時代の到来となる。
で、その勝敗を決めるのは店舗数であり、それを維持する物流網であり、彼らは全国の都市部から地方都市に至るまで土地を買いあさって店舗を建て続け……バブルで巨額の不良債権を抱える羽目になってしまった。
不良債権処理において、物流企業、とりわけ小売業の名前が見受けられるのは決して偶然ではないのである。
その不良債権処理に苦しむ日本小売業を虎視眈々と狙っていたのが欧米の小売業であった。
「状況は分かりました。
なんでうちなの?」
早退して九段下桂華タワー内部に設けられているムーンライトファンド——今は桂華資源開発の名前になっているが——のオフィスで私が岡崎に尋ねると、既に用意していた答えをすらすらと口にする。
「まず、帝西百貨店グループがお買い得というのが理由でしょうね」
「お買い得?」
売る気は毛頭ないのだけど、外から見ればそんな様子があるのかもしれない。
首をひねる私に岡崎は、最近構築中の帝西百貨店の店舗網を説明する。
「帝西百貨店は、百貨店・スーパー・コンビニの全てを抱え込んでいるじゃないですか。
大都市や県庁所在地に本城となる百貨店、それを支える支城として展開するスーパーに、そのスーパーの末端として動いているコンビニエンスストア。
買えるのならば、これで日本の物流網を一気に構築できます」
なるほどと頷く私。
とはいえ、売らなければ絵に描いた餅である。
つまり、外から見たら売るかもしれないという隙があったという事。
それも岡崎が説明してくれた。
「この帝西百貨店実は事業再編で立ち位置が結構微妙だったんですよ。
桂華鉄道グループに属させましたが、実際に動いているのは桂華商会の方なんですよね」
「あー」
日本の百貨店の成り立ちの一つに、ターミナル駅に併設して集客効果を期待するというのがある。百貨店を本業としている帝西百貨店としては、各地のターミナル駅近くに建つ既存店舗との連携に有利と考えて桂華鉄道グループの方を選んだのは自然なことだろう。しかし百貨店以外の、広範囲に展開するスーパーやコンビニの運営を考える場合、物流網の構築と全国規模のネットワークを利用できる総合商社の方が動きやすいのもまた事実だった。
「今だから言いますけど、町下ファンドの代表も帝西百貨店については警告していたんです」
「へぇ……」
自分でも分かるぐらい冷え冷えとした声が出た。
それを聞いた岡崎が慌てて取り繕う。
「少なくとも町下ファンドの代表は警告してくれただけで、動いてはいないですよ。
あの人、モノ言おうにもお嬢様相手だと分かっているから、敵に回る下手はしませんって」
「で、なんて言って代表を退かせたのよ?」
私の確認に岡崎が冗談ぽく砕けた口調でばらしてくれた。
おそらく、私以外だったら通用しないだろう理由を。
「『コングロマリットディスカウント』。
複数事業を抱える企業がそれにリソースを取られる事で企業価値が低く見積もられている事を意味します。
帝西百貨店はその中に百貨店、スーパー、コンビニを抱えていますからね。
おまけに、収益ではコンビニ、スーパー、百貨店の順だ。
町下代表は『半分の株を売ってスピンアウトさせろ。もしくは百貨店だけでも切り離してしまえ』と」
なるほど。
株価至上主義が言いそうな事である。
で、岡崎はなんて切り返したのかと思ったらこれである。
「帝西百貨店はお嬢様の遊び場の一つです。
ティル・ナ・ノーグやホールでのコンサート等。
まさかお嬢様にコンビニの駐車場前で歌えと?」
「ぶっ!
ちょっと岡崎!
もう少し言い方ってあるでしょうに!!」
笑ったから負けである。
というか、ちょっとやってみたいかもしれない。
コンビニ前コンサート。
警備とかえらい事になりそうだが。
「まぁ、代表も笑ってくれましたので。
百貨店ホールやスーパーのイベントスペースは、お嬢様のおかげでアイドルイベントがよく行われて売り上げに貢献していますからね。
笑い話で終わらせましたが、多分代表は月光投資公司の事を掴んでいたんじゃないかと。
間違いなくこうなる事を読んで身の潔白を証明したかったんでしょうな。
そうすれば、味方面してこちらのアドバイザーにつけますから」
お金が絡むとこの魑魅魍魎ぶりである。
何とも言えない顔をしていた岡崎が真顔に戻る。
「要するにこの話、桂華グループが帝西百貨店を手放すという話が前提になっています」
「私、売る気なんてまったくな……ん?」
岡崎の言い回しに気づく。
私ではなく『桂華グループ』と岡崎は言った。
という事は……
「桂華院公爵家のクーデターは潰したわよね?」
「ええ。だから別口です。
仕掛けたのは帝西百貨店内部の人間。
つまり、これは独立運動なんですよ」
スピンアウト
会社の一部門を切り離して独立させる事。
スピンオフと同じだが、こっちは資本関係を含めて元会社の関係が完全に切れる。
アイドルイベント
イメージはローカルアイドルやご当地アイドル。
Wikipediaだと2010年代あたりと書いているが、作中時間だとハロプロ全盛期なので、多分全面協力したのだろう。
前にも書いたがお嬢様は『Berryz工房』あたりと同世代。
ハロプロ エッグ オーディション2004の連中に先輩と呼ばれる……凄いなこの時の面子……




