樺太競馬観戦記 その3
長くなりそうなので分割。
書いてて既視感があるなと思ったのは『水星の魔女』でスレッタが来る前のミオリネとシャディクとエランの会話なのかもと思い、一人腑に落ちた。
公爵令嬢と騎士見習いと匿名仮面の石油王の息子のお茶会は、当然のことながら話題が政治から離れない。
というか、このお茶会自体が今日の夜会の為の根回しの為に行われているようなものなのだから。
「で、二人の殿方はこんな場所でどんなお話を聞かせてくださるのかしら?」
あくまで小悪魔っぽい微笑を浮かべながら私が口火を切ると、この場の主であるフランツ・ロートリンゲが実に白々しく説明を始める。
彼の流暢な英語で語られるのは、湾岸諸国に生まれるだろう新しい国の物語だ。
「そうだね。
まず、公爵令嬢は自らの重さを自覚するべきだと思う。
少なくとも、君が何処に嫁ぐかで世界史と地図が変わるからね」
「……そんな大げさな話になるかしら?
私はただ、この国の一市民として振る舞っているだけよ」
「ああ、そうだったね。
だけど、普通の公爵令嬢はテロリストに突っ込んだり、バスの中で芸能人と共に愚痴をたれ流したり、グラビア雑誌で水着姿を披露しないものなのだよ」
「自己防衛と思っていただければ。
それこそ、歴史と地図に影響を与えたりしたくはありませんので」
ごく普通の身内や一般人ならばこのセリフで土下座だが、上の人間、それも過去の遺物である王侯貴族相手ではまた別の理が存在する。
これはそんなゲーム。
仮面の男が綺麗なクイーンズ・イングリッシュで口を挟む。
「それは困るんだ。
少なくとも、我が妃となる女性にそういう活動は望まれていない」
「では、私は対象外という事で」
私の実にあっさりとした物言いに、仮面の殿下が虚を突かれ、騎士見習いが楽しそうに笑う。
私も自分が美人だという事を良く知っているので、それを利用すればどうなるかも理解しているつもりだ。
だから、こういう時に表情を変えて今度は天使のように笑う。
「ここは君の負けだよ。
まぁ、新大陸の連中の策は野暮な上に抜けているから困る」
「そう言ってくれるな。これでも千載一遇のチャンスなのだから前のめりになるのは分かるだろう?
分の悪い賭けだが仕方ない」
「勝手に賭けのトロフィーにしないでいただけます?」
今度はわざと怒った顔を見せる。
その瞬間、仮面の男の顔から感情が消え、次の瞬間には再び笑みを浮かべて言葉を続けるのだ。
仮面越しなのにその顔は本当に無邪気な子供のような笑顔で。……あー、うん。この男、絶対腹黒いわ。
「はは。これは失礼。お嬢様。
だが、貴方にも責任はあるのです。
ご存じの通り、この話は新大陸の外務筋から出てきた話だ」
「ええ。おかげで日本政府が抗議をした上に、大統領が釈明に追われていますわね。
むしろ、そこまでして私を得るメリットが知りたいものですが」
こういう会話は、前提条件を把握した上での言葉の殴り合いになる。
今の会話、三人でも知っている事実の確認だ。
元々はこの秋に独立する南イラク、正式名称は南イラク首長国となる国の安定化の為に始まった米国国務省筋の試案で、私が嫁ぐ事で米国は南イラクの安定化、日本は湾岸諸国の一つに強力なコネを持つというメリットが発生する。
一方で北部イラクと中部イラクの泥沼に四苦八苦していた米国は、南イラクの利権を日本に回しても南イラクに派遣していた自衛隊を利用したかった訳で、このプランは日本でリストラされる予定の自衛隊二個師団をPMC化してイラクに送り込む事で葬られたはずだった。
「まぁ、僕とすれば彼を紹介するまでで、そこから先はライバルという事になっているのだがね」
「で、この樺太競馬だ。
この席というか夜会の為に手を組んだという訳だ」
「まったく、理解できませんわ。
私の身にそんなに欧州と湾岸諸国がご熱心とは」
そんな風に呆れたふりをしながら、私は内心で舌を出す。
この二人の男は本気で私に惚れている訳ではないが、私に利用する価値があるとは思っている。
「熱心にもなるさ。
我が国の石油収入の半分は君の手に握られているのだからね」
いや、米国大統領と恋住総理がイラクに関与しようとして私を排除した詫びがこれというのは知っているが、改めて思うがちょっと詫びが大きすぎないか?これ?
なお、後で岡崎に教えてもらったが、天満橋のおっさん渾身の仕掛けでイランのアザデガン油田の原油を南イラク産の原油として輸出できるようにしていたそうだ。経済制裁を食らっているのにイラク戦に参加してくれたイランに対する米国からのお礼らしい。残り半分は英国のオイルメジャーが握っているので、かつて歴史にあった石油企業国営化という荒業をする前に私の身を奪ってしまえば、合法的に南イラクの石油利権の半分を掻っ攫えるという訳だ。
「……まぁ、納得はしたくないですが、理解はしました。
で、騎士見習い様はどういう理由でこちらへ?」
私の質問にフランツは肩をすくめて答えを返す。
その仕草は芝居がかっているが、嫌味にならない程度に抑えているあたりは好感が持てる。
「公爵令嬢は欧州から見れば、遠くに住む親戚みたいなもので。
それが、遠くに住んでいるのを良い事に好き勝手しているからお目付け役として派遣された。
……という建前でして」
前言撤回。
多分こいつも腹黒キャラだ。
歴史にあった石油企業国営化
読み応えありなので紹介
https://www.eneos.co.jp/binran/document/part01/chapter01/section03.html
石油産業国有化のプロトタイプについて 山崎郎 九州大学学術情報リポジトリ
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2920656/061_p229.pdf




