高橋鑑子の『師匠論』
この話を書いて思い出したのが『空の境界』(奈須きのこ 2001年)の矛盾螺旋のシーン。
得物の違いがそのまま生き方の違いに化けるってやっぱ那須きのこは天才だよと思い知る。
神戸教授の『師匠論』を受けた後の話。
実際に師匠を持っているだろう人に話を聞いてみた。
友人の高橋鑑子さんで、剣道少女で道場に通っている彼女は剣道の師匠が居る。
「そうね。こういう話の時漢字って便利だなと思うのよ。
剣の道と書いて剣道でしょう?
剣『術』じゃないのよ」
「???」
首をかしげる私に、鑑子さんが苦笑しながら続ける。
教室での雑談だったので黒板に『術』と『道』を黒板に書いてくれた。
「剣道は剣術とは違うものなのよ。
剣道にはルールがある。そしてそれは武道としてのルールであり、それを破る事はスポーツマンシップに反する事になる。
例えば剣道では面を打てば一本になる。けど剣術ならば首や急所を狙うのは当たり前で、何より一撃必殺でなければならない。
だから剣道は競技であって武術ではないのよ」
なるほど。確かにその通りである。
その後、剣道はスポーツ化してゆく事になるのだが、オリンピックの商業化と国際化がこの流れを決定づけてゆく。
起こったのは五輪競技の一つである柔道。
青い柔道着の衝撃は今でも驚くが、あれこそルールを握ると言う事はこういう事であるという見本の一つであり、柔道で起こった事が剣道でも起こると剣道関係者を怯えさせたのは有名な話。
話がそれた。
で、こんな話だから必然的に私たちにはある人物が浮かんでくる訳で。
「この間不意に襲ってくれたあのお爺様は?」
「桂華院さん。驚かないでね。
あれ、剣『技』なのよ」
鑑子さんはそんな事を言いながら『術』の隣に『技』を書き矢印をつける。
『技』>『術』>『道』という風に。
「技は一般的な技能の事を指すの。
なんとあれ、あの師匠にとって『技』でしかないみたい」
鑑子さんの説明に絶句する私。
その技で護衛の北雲涼子さんが飛ばされて私も傷物にされかかったのだから。
当人曰く『人斬りに術など烏滸がましい。技よ。技』なんて言っていたとか。
いや、どう考えても『術』だろうあれと思うが、故人ゆえにそれを否定しても意味がない訳で。
「話がそれたわね。
で、『術』なんだけど、何度も何度も行って習得するものの事を指すわ。
これは熟語にすると理解しやすいわね。
『芸術』、『医術』、『算術』、『剣術』……これらの熟語に入る『術』は専門的な意味で入っているわ」
なるほど。
こうして漢字を書かれるとその意味合いに納得するしかない。
ある分野に特化して修練を重ね獲得するものの事を『術』と呼ぶ訳だ。
そう考えると先日の一件にも合点がゆく。
あの爺様の杖の一振りを止めたのは目の前の鑑子さんのタックルだったが、親が警官をやっている事もあって自然と逮捕術も学ばされていたとか。
剣道で鍛えた杖の間合いの見切りと、それに応じた逮捕術を選べたのは、それぞ長期に渡る修練の結果なのだから。
その上で鑑子さんは最後の『道』の話に入る。
「『道』って言うのはね、生き方なのよ。
道場での稽古とかで『心が入っていない』って叱られる事があるけど、その心って何って思うじゃない?
つまり、あの竹刀を持った時点で、武士であるべし。
そういう心構えが必要になる訳」
なるほど。
竹刀を持って防具をつけてしまえばもうそれは武芸者ではなく武道家という訳だ。
このあたり剣道はスポーツ化されてゆく過程で忘れ去られた背景なのだろう。
そう言ってから鑑子さんは苦笑して付け加える。
確かにこの説明だけならそう感じるかもしれないと思っていた私にその言葉は予想外だった。
「幕末、剣道が大流行したのだけど、あれは身分階級制度が残っている状況で、武士に成る為の必須スキルの習得条件だったのよ。
だから、正しくは『剣術』の流行。彼らが目指していた『道』ってのが……」
そう言って鑑子さんは『道』の前に『武士』という漢字を足す。
『武士道』。納得。漢字ってのは便利である。
そして同時に私は思い出した。
幕末の京都には無頼の徒を取り締まる治安維持組織が居たという事に。
そう、新選組である。
京の治安維持のために組織された彼らだが、元は浪人の就職活動の一面もあったと聞くから世知辛い。
そんな彼らだからこそ武士に拘り、拘った結果寿命が来ていた江戸幕府と運命を共にする事になる。
彼らを葬ったのは、黒船によってもたらされた銃であり、それによって組織化された近代兵士たちであった。
そんな事を思っていた私の前で鑑子さんがポンと手を叩く。
「ああ。だからあの爺様『技』なんだ。
『術』まで人を斬ったら、人斬りの生き方なんて確実に社会に排除されるわ」
納得するしかないあの爺様の生き様に私と鑑子さんはなんともいえない笑みを浮かべてこの話を終わる事にした。
『技』と『術』の違い
「技」と「術」の違い・意味と使い方・由来や例文 https://chigai.site/19244/
オリンピックの商業化と国際化と柔道
柔道の国際化 と日本柔道の今後の課題 (第四報)
- 国際柔道連盟試合審判規定 と講道館柔道試合審判規定の比較を中心に‐
https://core.ac.uk/download/pdf/199685384.pdf
衝撃だったのはここ。
『当時のサマランチ IOC会長 は、「マスメディア受けしないスポーツの将来は厳しい」「将来、重大な決断をする時期が来るかもしれない」などと発言し、メディア受けしないスポーツに対し、五輪種目から排除するとの警鐘を鳴らしている』
ここからの日本柔道の翻弄と適応と逆襲はそれだけで物語が作れるのだが、追いかける時間が……時間がない……
あと、調べている際に見つけたこの論文は面白かったのでメモ
中学校保健体育における武道必修化の影響と授業展開に関する一考察
https://www.kanto-gakuen.ac.jp/univer/info/pdf/liberalarts_21001.pdf
現代剣道の形成過程 に関する一考察 ―剣道 のスポーツ化現象変遷史を中心に―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/22/2/22_131/_pdf
剣道はスポーツか
https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/kendohyakkashin_13/
逮捕術
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%AE%E6%8D%95%E8%A1%93




