神戸教授のおとなの社会学 『師匠論』
感想を見てからのネタ拾い
「皆さんは学校に行く事で学問を学べますが、少し昔はそもそも学問を学べる場に辿り着くこと自体が大変な時代でした。
それでも人は寺子屋などで学んでいたのですから、この国の向学心は褒めてよいものなのでしょうね」
そんな感じで始まった神戸教授の講義だが、今回のテーマは『師匠論』である。
何を言い出すかと構えていた私たちに出てきた言葉は自虐ネタだった。
「この間、耳に挟んだのですが、私が君たちへの講義をしている事についてやっかみの声が上がっているらしいのですよ。
象牙の塔は狭い界隈でして、そういう声が出るのはある意味必然なので、ネタついでに師匠というものについて教えておこうかと」
ここまで雑談みたいな感じで進めていた神戸教授の顔がギュッと引き締まる。
それで出てきた言葉は、神戸教授の心からのアドバイスなのだろう。
「皆さん。師匠は早めに持ちなさい。
そして師匠を見つけたならば、長く付き合いなさい」
最初の言葉は分からなくもないが、長くとは?
首をひねる私たちに神戸教授は黒板に『6:3:3:4』と書く。
あ、これ小学校、中学校、高校、大学の年数か。
「君たちは小学校6年、中学校3年の義務教育、そこから先の高等学校の3年、更に大学の4年を学び、さらに大学院まで行く人もいるでしょうが、多くはここで社会に出る事になります。この間に多くの出会いと別れをする事になります。
それは我々教師側もそうなのですが、これだけ長く時間をかけているのに、その人に教える事ができる時間が実は短いのです」
言われてみればそうだ。
クラスの担任ですら、通しでする所としない所がある上に、学校が変わるために否応なく教える教師も変わってしまう。
考えていた私に神戸教授はホワイトボードに、『知識』と『知恵』と書いて丸で囲む。
「現代社会は専門化が進んで、否応なく人材育成において『知識』の詰め込みを強要していると言われても仕方ない側面があります。
多くの人間を画一的に育成して、秀才の数でこの国は繁栄したと言っても間違いはないでしょう。
……まぁ、それだと一人の天才によるゲームチェンジに手も足もなくやられてしまうのですがね。
私は、この講義を聞きに来ている中で一人が天才と成ってくれるなら勝ちと思っています。
裏返せば、その一人以外はどうでもいいんですよ」
私の方を見て身もふたもなく言いきりやがった。
とはいえ『天才学』なるものを教えている神戸教授にとってはある意味自明な事でもある。
ここで神戸教授は私たちを見てとてもいい笑顔で笑う。
「じゃあ、その一人以外にとって学問は無意味か?
そうではないでしょう。
そういうのを含めて、師匠というものを見つけなさいと言っているのです」
そこで一度言葉を切って、神戸教授は一人の幕末の偉人の名前を黒板に書く。
明治維新前に命を落としたが、計り知れない影響を残したその人物の名前は佐久間象山。
「この人の名前は日本史を選択した方ならば知っているかもしれません。
幕末の学者ですが、彼の門下には勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬など明治維新において活躍した人たちが綺羅星のごとく集まってきます。
そんな彼らすら、師から色々と学んだのです。
良い事も。悪い事も。
反面教師という言葉も馬鹿にはできないんですよ」
神戸教授の冗談まじりの口調に講堂内になんともいえない笑い声が広がる。
笑っていいのか、かといって笑わないと失礼かもという日本独特のあの笑い声がおさまると、神戸教授の顔がまた真剣に戻る。
その表情の変化に私たちも思わず背筋を伸ばした。
「学ぶ事の本質は『知識』ではありません。『環境』なんです。
裏返せば、佐久間象山は彼の才能ではなく、彼の教え子たちによって偉人と呼ばれるようになったという見方もできます。
もちろん、彼自身の才能を否定するつもりはありませんが、それだけでは彼はそこまで大成しなかったと思います。
教師の方も、人を教える事で、自らも学んでいるのですよ」
私たちに語りかける神戸教授の言葉に嘘はないだろう。
だからこそ、私たちは気を引き締めないといけないと思うのだ。
「そういう師弟関係ができてくると、弟子は師匠に対して尊敬を持って接し、師匠もまた弟子に敬意をもって接するようになります。
師匠は弟子に自分の考えを伝え、弟子の考え方を受け入れる度量が必要になり、そして弟子の話を聞く耳を持ち、時には諭す必要があります。
そして弟子は師匠の教えを吸収して、成長していき、師匠を超えていくものなのです。
皆さんはまだ学生ですが、それでも既に師匠と呼べる人と出会えた人は幸運ですよ。
そして、少ないとは思いますが、私を『教授』や『先生』ではなく『師匠』と呼んでくれる人は、どうか師匠の話をしっかりと聞いてください。
では、皆さんは今日はここまでにしておきましょうか」
そう言って神戸教授は頭を下げ、自然と出た拍手が講堂に響き渡る。
神戸教授の話を聞いて、私はふと思った。
この人の事を師匠と呼びたいとは思わないが、この人が先生と呼ぶ人間はどんな人間なのか興味があった。
「私の師匠ですか?
恥ずかしながら、やばり高宮館長でしょうね。
あの人は、私よりはるかに真っ当で、かつ優れた師匠ですから」
少し誇りながら神戸教授は高宮館長の名前を出す。
その後のオチを忘れずに。
「ただ、あの人を師匠にすると、あの人の物語に取り込まれるんですよ。
天才も凡人もなく、自分の人生ですらなく、あの人の物語の登場人物に。
私は師匠と慕いはしますが、あの人は人を導く事ができないのが欠点なんですよ。
だからあの人から学んで離れていった人たちが各界の著名人となるのでしょうけどね」
神戸教授の物言いがなんとなく分かるのが困る。
この話少し深堀りする予定。
佐久間象山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E8%B1%A1%E5%B1%B1
佐久間象山から吉田松陰を経て福沢諭吉や新島襄へと繋がる明治維新の学問の系譜って調べると面白そうなのだが時間が……時間がない……




