某ラジオ番組にて その2
なんとなく続く
飲まないのに視聴し続けていたから『山崎』のCMがすっかり刻み込まれて……
あのフレーズ『なにも足さない。なにも引かない。』は好きだったなぁ……
「役者というものが、いつから生まれたかというと諸説あるのですが、ギリシア悲劇は最初俳優一人でやっていたそうなんですよ」
「へー。かなり古い職業なんですね」
「中国でも『史記』に役者の記述があります。
おそらく、どの文明圏でもこの役者の発生は大体起こっているのだろうと推測できる理由は、彼らが記憶の再現装置を担っていたと考えられるからです」
「記憶の再現装置?」
「我々が文字による言葉の記録を習得する前は口伝、つまり言い伝えで記憶を継承する事しかできませんでした。
おそらく、先か後かは分かりませんが、それに身振り手振りがついて……初期の初期の『芝居』というのはこうやって始まったのだろうと。
さすがに、学会あたりに出せる話ではありませんが、当たらずとも遠からずかなという所で」
「……ああ、なるほど。人間というのは自分の経験や体験を記録して継承させる事ができる生物ですから、それをより効率よく行うために演劇のようなシステムができた訳ですね?
しかし、それは文字が出現するまでの話でしょう?
文字を扱えるようになったら、その記録は自動的に蓄積されるようになったはずです。だったら、わざわざ役者なんてものを残す必要は無かったんじゃないですか?」
「そもそも、人間の記憶力には限界があるのですよ。そして、一度だけ見たり聞いたりしたぐらいでは忘れやすいんです。だから、何度も同じ事をするわけですが、そうなるとどうしても手間がかかるので、記録そのものが専門化されてゆきました」
「うーむ……なんだか、ややこしくなってきましたねぇ……」
「文字というのは本当に凄い発明で、人は物語を人以外に記録させて継承させられるようになったんですよ。
しかし、文字で記録した物語を解読して再現するのにもまた、専門的な技能が必要でした。それが、役者が残された理由です。
そして、役者側にも変化が発生します。
それまでは、記録と再生を一体化させていたのが、文字の発生によって再生に特化できるようになった。
それと同時に、物語の中で演じられる人間の数が格段に増えたんです」
「え? なんでですか?」
「これは非常に重要な事で、文字によって記録された事で物語が複雑化していった結果、演ずるべき人数が一人芝居で処理できる枠ではなくなりました。
反面、特別な記憶力が不要ならば複数人で分担して演じることも容易になり、なにより分かりやすい。
そして分担した結果、負担が減った役者側は与えられた役に専念する事ができ、より深くその役柄を演じられるようになりました。
こうして、物語の多様性が生まれ、さらに多くの役者が求められるようになっていったのです。」
「なるほど。そういう大事な役者ですが、結構その社会的地位は確立していないというか低いですね?
これは何か理由があるのでしょうか?」
「生きるのに必死な時代、記録を司る人間の専門化は必然であり、それは同時に、権力者にとって疎まれる事になります。
武を司り、諸勢力を打倒した権力者、王にとってその残虐な記録は邪魔でしかない訳で。
世界各地に残る役者や演劇弾圧の歴史の元は、大体そのあたりが由来なんでしょうね。
これも今となってはあまり残っていませんが」
「ああ。そこに繋がるのですか。
それは弾圧されますね」
「たとえば、源平合戦時の静御前の話なんて良い例でしょうね。
源義経と別れて捕まって、鎌倉にて舞を披露しろと命じられた際に、恋人だった源義経を慕う歌を鎌倉幕府のお歴々に披露する。
激怒した源頼朝をとりなしたのは、同じ女だった北条政子だった。
こうした物語が我々の時代まで残っているのは、それを記録した人たちのおかげですね」
「ふむ……確かに、後世になって、そうした話が美談として語られるようになると、当時の人たちとしては不愉快でしょうからね」
「歴史において弾圧された職業は、必然的にその背後に権力者の意向が見え隠れします。
今みたいに役者が弾圧されにくくなったのは、つい最近の事だというのは覚えておいて損はないと思いますよ。
何しろ、戦争で芝居も自由にできなかったのがほんの半世紀ほど前でしかないんですから」
「まあ、戦争はともかく、自由がなかったというのは何となく分かりますね。
だって、権力に逆らったら何されるか分からないですからね」
「だからこそ、近代までは名優の条件として、彼ら役者を庇護したパトロンが合わせて語られたのです。
彼らは、当時社会の頂点にいた人物たちですし、芸術にも深い理解を持っていたはずですから、彼らのお墨付きであれば民衆も納得するだろうと、そういう思惑があったのでしょう」
「……あれ? でも、それならちまたで話題の桂華院瑠奈公爵令嬢は……」
「そうなんですよ。
パトロンであるはずの彼女が超一流のオペラ歌手になっているのは、今の話の流れからして矛盾でしかないですよね。
文化というか権力者にとって都合の良い記録装置でしかない俳優の才能は、権力者にとっては必要のないものです。
……と、言いたいのですが、彼女の才能は本物で、役者側が彼女を離さない」
「あー……なるほど。彼女は特別だから例外なのか。
偉い人も大変ですね。自分が持つ才能すら、立場で枷がはめられるなんて」
「そういう事です。
彼女の存在は、現在の日本演劇界においては劇薬のようなものですよ。
彼女のおかげでクラシックがブームになっているくらいなので、この流れを止められない限り、おそらくは日本の演劇界は大きな変革を迎える事になるでしょうね」
調べ出して沼にハマったので、話半分適当に書いて投げる事にする。
これ、こんなに沼だったとは……orz
パトロンとその庇護者が同一人物なのはおかしい訳で、それも本来は分家筋という傍流だからこそ許されたのだが、もはや一家建てるぐらいの権勢を誇っているならそれすらやめてくれという話のつもりだった……
静御前の歌
『吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋ひしき』
『しづやしづ しづのおだまき 繰り返し 昔を今になすよしもがな』
いいはなしだなーで終わらないのがこの時代。
必要があるとはいえ、この後の胸糞展開は『鎌倉殿の13人』でよく見たやつである。




