神戸教授のおとなの社会学 『重臣論』
多分私の話が他のなろう小説とずれているのは決定的にここだと確信した所だったりする。
「君たちの多くがいずれ何らかの組織の上に立ちそれを率いる事になるのでしょうが、何度かこの授業で言ったように、全てを自分一人で決めてしまうと『独裁者』となり、肉体的・精神的に破綻します。
だからこそ、己の持っている権限を誰かに与える必要があります」
今日の話は実際桂華グループを率いる私にとっては身につまされる内容である。
ちらりと見ると、同じく企業のトップに立ってしまった栄一くんや、いずれ議員としてそういう立場に立たねばならない裕次郎くんあたりは既に真剣に聞き入っている。
一方で光也くんの顔が真剣ではあるが少し違うように見えるのは、神戸教授がこれから言うやつになるからなのだろう。
「重臣。
漢字というのはこういう時に趣がありますね。
『重要な職務にある臣下』だから重臣。
昔はこの言葉を別の言い方で言っていたのですよ」
そして神戸教授はその言葉をホワイトボードに書く。
「『家老』。
『家』が家なのはおわかりでしょうが、何で『老』の言葉がつけられているのか?
昔は、『年寄』と書いて『おとな』なんて呼んでいたのですよ。
今ほど寿命が長くない武家社会、病気や戦で死ななかった老人たち。
それだけで、凄みというのを感じませんか?」
あれ?
神戸教授はたしか才能優先でそういうのを軽視するタイプと思っていたのだが?
私が不思議そうに首を捻ると、神戸教授が種明かしをしながら苦笑する。
「私は、一人の天才が時代を変えるという主張で教授の椅子に座らせてもらっているのですが、じゃあ、その天才をどうやったら捕まえられるのかという話もしておかねば無責任だろうと思いましてね。
それを実践しようとした天才の名前と言葉をここで上げましょう」
神戸教授はホワイトボードに四文字の漢字を書く。
『唯才是挙』。
漢字というのは便利だ。言葉の正確な意味は分からなくても、個々の字の意味からなんとなく察する事ができるのだから。
「これは中国の三国時代、魏の曹孟徳が出した『求賢令』の言葉です。
『たださいのみこれをあげよ』。つまり、家柄や出自、経歴にこだわらずに、ただ才能のある者だけを推挙するようにという布告ですが、皆さん知っての通り三国時代の覇者は魏ではなく、魏を乗っ取った晋でした。
なお、晋を作った司馬一族ですが、彼らは曹操にその才を愛されて登用された司馬懿によってその出世の道が開かれました」
実に楽しそうな神戸教授に対して何と言っていいか分からない私たち一同。
これ、『才能のみで抜擢した結果、家を乗っ取られました』という話な訳で、それを避けるためには私たちも才能を磨……それで全部決裁すれば独裁者となる訳で……。
「皆さん、色々と考える所があるみたいですね。
そんなジレンマの解決法を歴史の偉人の言葉から探す事にしましょう」
そう言って神戸教授はホワイトボードに戦国時代の武将の名前を書く。
『黒田官兵衛』と。
「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と天下人の近くに居た彼は、その栄華と没落を間近で見た武将でした。
そんな彼も、成り上がった為に、人材確保はえらく苦労したと聞きます。
実際、彼の死後江戸時代の黒田家は三大お家騒動と呼ばれる『黒田騒動』を引き起こしていますからね。
彼はこんな言葉を残しています。
『老臣の功を忘れて遠ざける一方、新参の家老や奉行をつくるので、諸臣一般は納得しない』。他にも『かつての功臣で部下の信望を集めている者を近づけその意見を尊重してやれば、家中は睦まじく諸士は安心して出仕する事ができる』とも言っていますね」
私たちはまだ子供である。
そして、大人となった時に何かを率いるのならば、私たちの周りに大人がつけられているはずである。
その大人を大事にしなさいという事なのだろう。この話は。
「独裁者になりたくないのならば、大人を頼りなさい。
大人は、子供が本当に困っているのならば助けてくれるものです」
そんな話をした神戸教授は笑いながらネタバラシをした。
私たちが心の中でずっこけたのは言うまでもない。
「いやまあ、最初は才能ある人材をなんとしても捕まえろという感じで授業を進めようと思ったのですが、その元になる曹操の話を確認したら、こうなった訳で……」
「瑠奈。
お前の所って神戸教授が言った重臣って居るのか?」
授業が終わった後、栄一くんがそんな事を言ってきたので私はあっさりと言う。
多分、私の中で重臣は彼らなのだろうと。
「まずは橘と一条ね。次に藤堂。
この三人に叱られたら私もごめんなさいというしかないわ。
次が岡崎とアンジェラにカリンかしら?
おっさん……じゃなかった天満橋はちょっと保留」
「それだけいるのは羨ましいな。
俺の所は一門と譜代はつけられたけど、まだそういう重臣を見つけられないよ」
それを聞いていた裕次郎くんと光也がつっこむ。
私たちは黙るしかなくなった。
「いや、普通は同世代でそういう人間を見つける訳で、僕たちの世代で既に持っているのがおかしくない?」
「こいつらが特殊過ぎるんだよ。
そんなに突っ走ってくれるな。追いつけなくなる」
その日の夜。
神戸教授が言っていた黒田官兵衛の逸話を確認して笑う。
あ、これ岡崎にそそのかされて市場で暴れたのまんまじゃないか。
橘も一条も一線を退きつつあるから、このあたりは考えておかないといけないが、一度二人と話をする事を決意したのだった。
曹操の求賢令
深く掘り下げた記事があったので紹介。
官僚の宮仕えに爆笑。
曹操の求賢令が年々過激になっていて爆笑
https://hajimete-sangokushi.com/2017/03/16/%e6%9b%b9%e6%93%8d%e3%81%ae%e6%b1%82%e8%b3%a2%e4%bb%a4%e3%81%8c%e5%b9%b4%e3%80%85%e9%81%8e%e6%bf%80%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%a6%e7%88%86%e7%ac%91/
#はじめての三国志 @otoboke3ngokusiより
黒田官兵衛の逸話
これ『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』にあげたのは私である。
当時『修羅の国(以下略)』を書いていてサイコロファンブルって黒田官兵衛登用失敗したのだけど、なんとかインチキできんのかと足掻いていた私を史実でぶん殴ってくれたのは今となっては懐かしいものである。
黒田如水の大名論
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-10753.html




