デザイナーメモ 豊原の娘たち
もちろん影響を受けたのは『リコリス・リコイル』である。
樺太道警主席監察官となった前藤正一警視正だが、彼の出世を語る上で、東京にいる桂華院瑠奈を外す事はできない。
公安畑でキャリアをスタートしてから、彼女の専属部署である通称『お嬢様係』を経由して樺太道警の腐敗一掃の為に送り込まれ、新宿ジオフロントでの出来事で大粛清が確定していた警察庁が彼を戻すために出世させたというのが真相だったりする。
「あの一件で、あの時の上は総理と都知事の不興を買っちまった。
退職金と天下り先があるうちに逃げ出そうと慌てている最中だよ」
とは英雄にならされた酒飲み友達でもある小野健一警視だが、彼も警視正出世の上に麴町警察署署長が約束されており、彼の出世の手伝いをしたら自分も出世させられたというおとぎ話的寓話に苦笑するしかない。
豊原の地上に建てられた五階建ての樺太道警本部だが、その地下には樺太地下都市の全てを網羅する秘密通路と建物以上の広大な地下施設があり、その全てを幹部職員ですら把握していないというのはこの樺太道警では有名な話である。
出世させられて帰国する以上は仕事をしろと暗に言っている訳で、彼は彼のオフィスに座ってかつてこの地にあった国の暗部を眺める事となったのである。
「『豊原の娘たち』。党秘密警察に所属する非公然組織で、首相直轄のスパイ組織。
その設立にはKGBが関与……」
第二次世界大戦後、極東で発生したいくつもの戦乱でできあがった人造国家。北日本民主主義人民共和国は、その誕生から崩壊までソ連の影があった。
ソ連を始めとした東側がベルリンの壁崩壊で崩れ去った時点でこの国には未来は無かったのだろうが、この国は生みの親であるソ連よりは少し長く生き残る事になる。
「……元々は、当時の東側が行っていた浸透工作の下部組織であり、ハニートラップ育成部門を首相直轄にしたのは、彼女たちを護衛兼ハーレム要員として利用しようとしたから。
結果、北日本軍の諜報機関、秘密警察こと国家保安省治安維持警察とも違う第三の組織として重きをなす事になる……」
官僚組織は必然的に重複を嫌うが、同時に自分の領域と定義すれば相手の縄張りすら奪いにかかる。
軍特殊部隊・秘密警察にもハニトラ部門が作られ、結果この三者は国内外で足を引っ張りあう事になるが、これに東側崩壊時の難民急増が拍車をかけた。
軍・警察・党の足の引っ張り合いは、長期政権を築いていた首相が倒れた時に最悪の形で火を噴く事になる。
「……組織は大隊編成で、実働部隊が四個中隊に支援組織。
札幌及び東京を中心に、ワシントンDC・ニューヨーク・サンフランシスコ・ロスアンゼルス・ロンドン・パリ・ベルリン等に諜報関係者を配備。
大量に発生した孤児から技能優秀者を抜擢し育成。
その多くはコールガールとして要人に接触して情報入手に成功している。
常に二個中隊が豊原で待機しているが、本部第一中隊は首相及び党幹部の愛人兼護衛供給源として機能していた……」
権力者の私利私欲はここに極まれりというが、その反動も大きかった。
党幹部と繋がった彼女たちは末期だった北日本政府内において党幹部の権勢を利用したが、それは権力闘争の表舞台に立たされる事を意味していた。
「……前首相の死去から始まった『マースレニツァ革命』において、まず真っ先に粛清されたのが党と彼女たちだった。
豊原地下都市の暴動弾圧にかこつけて展開していた秘密警察が党及び政府主要施設を制圧。
親衛隊と共に排除されて海外に展開していた連中が生き残りを模索する。
東京及び札幌で活動していた連中は、ソマリアで暴れていた傭兵と組んで北樺警備保障を設立し桂華グループに買収。
海外の彼女たちも似たような経緯を経て、その土地の政府組織やアンダーグラウンド勢力に吸収された……で、その生き残りである君たちがどうして私を訪ねてきたのかね?」
書類を読みあげた前藤主席監察官が目の前の女性に尋ねる。
警部の階級章をつけた制服を着た中年女性だが、その階級が本物かどうかわからないくせにその制服は本物だろうというあたりがこの樺太道警の内部腐敗のひどさを物語っていた。
「ビジネスの話を」
「それこそお門違いだ。
他を当たりたまえ」
「もちろん声はかけているんですよ。
岩崎・内調・米国と」
「……樺太銀行のマネーロンダリングに絡んでいたな?」
「もちろんです。
で、司法取引を持ち掛けたと」
「私に声をかけた理由は?」
「……貴方が桂華と繋がっているから」
女警部の返事に前藤主席監察官がとても嫌な顔をする。
彼女たちの切り札を察したからに他ならない。
「お嬢様の周辺でまた嵐が起きると?」
「むしろどうして平穏無事に過ごせると思えるのか私は聞きたいですね」
旧東側諸国では動揺が始まっていた。
2003年12月から始まったバラ革命はグルジアの現政権を倒し、2004年のロシア大統領選挙はテロまで発生する流血の事態の中で現職が再選を果たし報復を唱えていた。
2004年5月1日。ポーランドやバルト三国をはじめとしたいくつかの旧東側諸国がEUに加盟。欧州の拡大を後目にイラクでは分割してなお戦闘が続いている。
「あのお嬢様は、こ う い う 時 に 便 利 なんですよ。
血が正統性を担保し、日本から金を引っ張れる。
既にグルジアでは不明な資金が反政府側に流れたとか。
新宿は何もなかった事にしたみたいですが、いつまでも何もなかったでは済みませんよ」
つまり、かつての北日本政府の対東側戦略兵器の証拠を握っていると暗に言っているようなものだった。
前藤主席監察官はため息をついて確認する。
「内調でなく、岩崎でもなく、米国でもなく、公安に取引を持ち掛けた理由は?」
「大粛清をするみたいなので。
座る椅子には困らないでしょう?」
彼女たちも官僚であった。
頂点の椅子を狙わないでそこそこいい顔がしたいならば、粛正確定の警察はうってつけだろう。
官僚が表に出るのは自分が勝っている時でしかない。
「その制服の身分で報告書を作成したまえ。
身分はその報告書に合わせて作成する。
報告は私に、君たちの処遇は今は私が預かる」
おそらくは警察庁公安局直属の組織に再編成されるだろうと考えつつ、前藤主席監察官は一つだけ嫌味を言う事にした。
「そうだ。
君たちの中に陰陽師はいるかな?」
「陰陽師??」
素の顔を見せた女警部に前藤主席監察官は笑った。
冗談でも目は笑わない事で真実を混ぜて。
「あのお嬢様にかかわるなら、探しておきたまえ。
二度ばかり、あのお嬢様は『Xファイル』のお世話になっているからな」
この話のオチ
書く前
「DAみたいな組織を作るか……」
書き上げると
「何で私『長いナイフの夜』を調べているんだ???」




