虚塔の宴 宴の始末 その2
富嶽放送。
名義を変えてそこが借りていたビルの一室にそれはあった。
「これが、黒革の手帖って訳?」
中古ビルの部屋一杯に詰め込まれていたのは大量の取材資料である。
おそらくは戦前戦中ぐらいのものすらあるのだろう。
見つけたというのに、エヴァの顔色はあまり良くなかった。
「ええ。そうです。
もっとも、機能していませんけどね」
私は首をかしげる。
この国の暗部の一つであるマスコミが蓄えた秘密だというのに、カンパニーオーダーまで入っただろうこいつの発見にまったく嬉しそうな顔をしていないエヴァはその理由を口にした。
「『とても高度な政治判断』がありまして。
私には『こいつには触れるな』という命令が来ております」
まったく承服していない顔でエヴァは慇懃無礼に言い切る。
いつもならその顔を茶化すぐらいのことはするアニーシャもエヴァと同じ顔をしていた。
こりゃ、彼女の方にも似たような命令が下りたのだと察した。
控えていた橘がいつもの口調で私に告げる。
「このビルはこれも含めて、近く売却され私の個人所有という形に落ち着くと思います。
それによって悪用される事なくそのまま時と共に消えるようにというのが、一応の決着と思ってくださいませ」
「ふーん」
あまり興味のない声で私は返事をする。
実際にこれを見に来たのもあの宴の後始末の責任みたいなものである。
だから、こんな形で確認をとる。
「まぁ、処置については了承したけど、こうなった経緯を私に話せる程度に説明してくれるぐらいはお願いしていいでしょう?」
『とても高度な政治判断』なんて私が知ったら帰ってこれない闇確定である。
とはいえ、はいそうですかと納得できないのも事実で、あくまで私が納得できてかつ話せる程度の理由ぐらい言えやという私の詰問にまずエヴァがぶっちゃける。
「もちろん、これを使ってという考えは出ていたんですよ。
ですが、別組織がやらかしやがりまして……」
そういうエヴァの拳がぎゅっと握りしめられる。
表情と声を変えていない分、その激情を察した。
「うちも似たようなものですが、これを使って企業を脅して金を巻き上げるよりお嬢様の慈悲に縋ったほうが楽なので手を引いたというのがありまして」
アニーシャの物言いがサバサバしているので私は思わず笑ってしまう。
当人は真面目なのだろうが、こういう所は本人の資質なのだろう。
「何よ。私の慈悲に縋るって?」
「ロシアは冬季五輪に立候補するみたいで、知名度の高いお嬢様の協力をと」
「あー」
ぽんと手を打って納得する私。
五輪はその候補地決定からして政治案件の一大イベントである。
そして、私的にはあまり納得していないが、ロシアにおいて私の知名度はかなり高い。
「何?オフィシャルスポンサーにでもなれと?」
「そっちの方が楽なんですよ。脅して金を取るにも手間がかかりますし」
私とアニーシャの会話に橘が割り込む。
手にそこの棚にあった取材ファイルを取るが中は見ない。
「お嬢様。一流の詐欺師の条件はご存知でしょうか?」
私は少し考えて岡崎がそんな事を言っていたなと思い出す。
たしか『本当の事しか言わない』だったかな?
橘は手に持っていたファイルを戻してその岡崎と同じ答えを口に出した。
「一流の詐欺師というのは、本当のことしか言わないんですよ」
橘の言葉をエヴァが引き継ぐ。
彼女も棚にずらりと並ぶファイルに触れることすらしなかった。
「諜報活動の九割は一般公開された情報を組み合わせることで成されるんです。
本当に大事な情報は一割もあれば良い方なんですよね。
そして、九割の情報で組み立てられた物語は当たらずとも遠からずの精度を持ちます」
おい。ちょっと待て。
それってと私が言うまでにアニーシャがぶっちゃける。
「つまり、大事な情報なんてなくても、大衆は騙せるんですよ。
メディアは」
ちょうど良い例として神奈水樹を出そう。
彼女の自由恋愛はバレると色々叩かれるのだが、それを『年齢詐称』という情報でぶっ飛ばしたのである。
結果、彼女についてはこんな情報改ざんが発生する。
『神奈水樹はグラビア女優であるが、桂華院瑠奈と縁があって年齢を詐称して同学年に入れられた』
これで、夜の自由恋愛スキャンダルが炸裂しても問題がないわけで、このあたりの欺瞞情報は神奈側から出てきたという。
つまり、『神奈水樹さんじゅうはっさい』という奴でからかってやろうと思ったら、高等部に編入した彼女の知り合いがガチでそれなので止めたほうがいいと久春内七海にたしなめられ……いかん。話がそれた。
「この手の資料を使っての脅迫って強力なんですが、それはこの資料を全部把握している事が前提なんですよ。
米国の情報機関はこの手の情報整理の人材を確保して解析に当たらせますが、現状イラクで手一杯の我が国にここの情報解析の人員確保はできないと」
エヴァの声が棒読みなのも、その人員確保に失敗しただけでなく、イラク情勢の改善で戦争から戦後に向かいつつある中、自衛隊を派兵している日本を刺激したくないというホワイトハウスの力学を察して私はため息とともに納得したのだった。
「わかりました。
最後に一つ。
やらかしたのは何処?」
私の質問にアニーシャはとてもとても良い笑顔で回答を拒否した。
察した私もそれ以上は聞くことはしなかった。




