エースはどこにある? その3
富嶽放送を巡る攻防は、アイアン・パートナーズが14%ほどの株式を保有した事を発表した事で大混乱に陥ろうとしていた。
グリーンメールや第三者の陰を考えていた筋は、アイアン・パートナーズが容赦なく猛烈に富嶽放送株を買い進めるのを見て、本気と感じて慌てて対策を考えるもすでに遅し。
残り6%も手に入れるだろうという状況下で、外資規制に抵触する総務相の動きに注目が集まろうとしていた。
同時に、東京株式市場はこの富嶽放送の趨勢が騒がれるのを境にして下げ基調が続いていた。
「ああ。それは富嶽放送がらみでインデックスが動揺しているんですよ」
呼んだ一条の返事は実にそっけない。
まぁ、この仕手戦においてまだ第三者でいられるからというのもある。
「インデックスというのは、市場の動きを示す指数の事です。
色々あるのですが、その指数構成銘柄に東証一部上場企業の富嶽テレビが入っているんですよ」
「あー」
頭を抱える私。
こんな所にこんな暴落の種があろうとは思っていなかった。
「現状、富嶽放送がらみで免許が取り消された場合、富嶽テレビも免許を取り消されるのではないかと市場は恐怖しています。
で、指数構成銘柄だった富嶽テレビを外す為に投げ売りが発生。
それが引き金でメディア株全体に投げ売りが起こって、その投げ売りで指数が下がったから更にトリガーが発動して、損切りの投げ売りが更に投げ売りを呼ぶ始末」
「あちゃー」
株で億万長者になる人の多くは売りによって財を成すというのはこういう理由である。
買いは『儲かる』という心理なのだが、売りは『損する』という心理で損切りを誘発するからだ。
かくして、その大衆心理が『売り』から『暴落』に移った時、一部の億万長者と大多数の貧乏人に選別されるのが株式市場という場所である。
まぁ、今までの勝ちが次の勝ちを保証しないあたり、公平なのかもしれない。
平等ではないあたり、実に憎たらしいのだが。
「まぁ、市場によく起こる波というやつですね。
これだったら、四月には収まりますよ」
「どうして?」
私の質問に一条はカレンダーをめくって四月の桜の絵を見せて言った。
「一つは、この国において新年度になるからです。
つまり三月での数字で一年が区切られて、そこが今年度の基準になります。
高いリターンを上げているファンドばかりではないんですよ。
そういうファンドは、三月までの数字が下がる方が今年度の数字を上げやすくなる訳です」
人の持つスケジュールの罠である。
前年度の数字が100で20上げるよりも80から100に戻す方が上げやすいという訳だ。
感心する私に、一条は四月のある日を指さして告げる。
「もう一つは、桂華金融ホールディングスが上場するからです。
この日を境にお嬢様の懐に数兆円もの資金が転がり込みます。
市場の大本命とみられているホワイトナイトが、マネーの大軍団を率いて登場するのがこの日です。
ここまでで勝負を決めていないと、お嬢様の一存で全部ゲームがひっくり返り兼ねないんですよ」
なるほど。
好き勝手暴れているヘッジファンドにも彼らなりのルールがあり、守るべきタイムスケジュールがあるという訳だ。
「そういえば、お嬢様。
うちの娘を泣かしたそうじゃないですか?」
バンカーというより親という顔で一条が尋ねる。
あの岡崎との会話の一件、一条絵里香経由で伝えられたらしい。
「わかっています。
オールインギャンブルをする時はそれ相応に配慮します」
「まずそのオールインギャンブルを止めてくれと言いたいのですが。私は」
予想されたやり取りをしながら私は株価チャートを眺める。
前の時もそうだったが、詰まる所金であり数字が私の命を奪いに来ている。
このチャートの乱高下の波に呑まれた人間のなんと多い事か。
「思ったより叱らないのね?」
「それは佳子さんにお任せしますので」
「ちょっと!それ反則!!」
この話がメイド長の佳子さんまで広がっているとは思わなかったので慌てる私。
また深夜まで正座はいやである。
「お嬢様!大変です!!」
私たちのやり取りにドアを開けて岡崎が入ってくる。
二人の仲はよろしくないとは聞いていたが、いやな顔をしないあたり二人とも大人だなぁなんて考えていた私に、衝撃的な言葉が飛び込んでくる。
「樺太銀行マネーロンダリング事件に絡んでいた米国銀行が日本から撤退することを発表したんですが、そこに富嶽放送の株式が8%眠っていたんです!
日本法人の清算に伴って、これらの資産は証券会社が契約によって引き受けたんですが、彼らにはTOBを断る理由がありません!!」
一条が受話器を取って桂華金融ホールディングスに確認の指示を出し、岡崎はモニターをつけてその経済ニュースを映し出していた。
14%に8%を足せば22%。
外資規制に確実に抵触する。
ここから先は政府判断となり、多分免許は取り消される事になる。
株式チャートはこのニュースを受けて一斉に『売り』から『暴落』に突き進もうとしていた。
これが四月まで続いて……
「あ。なるほど」
一条がめくったままのカレンダーを眺めて気づく。
なんで私を消したいのか分かったからだ。
桂華金融ホールディングス上場からすぐに新宿ジオフロント一期工事完成式典が行われる。
ここで私を消せば、暴落に抗おうとする私と数兆円の資金が宙に浮くという事に。
「誰が仕組んだか知らないけど、見事だわ……」
己の命がかかっているというのに、口から出た賞賛に苦笑するしかなかった。
元ネタ『ヒルズ黙示録』 (大鹿靖明 朝日文庫)より。
フジサンケイグループ創業者でクーデターで追われた鹿内一族の株がシティトラスト信託銀行に預けられて、シティ日本法人が金融庁検査で株価操作や暴力団関係者への融資にマネーロンダリングとやりたい放題だった事がとがめられて日本から撤退というか追放されて、その株が大和証券SMBCにというドミノが冒頭38Pから展開されてこの時点でぶん殴ぐられた衝撃を受けた覚えが。
なお、金融危機後の外資の傍若無人ぶりに躊躇うことなくメスを入れたのが小泉総理の信任厚い竹中平蔵金融担当大臣。
本当にこの人は好きにはなれないが、この時の仕事は評価せざるを得ないと思い知る今日この頃。




