サードドミノ
足りない所は、後で加筆するかも。
桂華信託銀行にも籍を置いている桂直之は、そちらの仕事もこなしている。
旧北海道開拓銀行非主流閥出身だが、桂華院家の身内の彼は、どうやって出世させるかという事で桂華金融ホールディングス内部でも色々な駆け引きの駒にされていた。
一条進桂華金融ホールディングスCEOからアンジェラ・サリバンへの禅譲が既定路線になった今、彼の処遇でアンジェラの方向性が見えるというのが内部の噂なのだが、当人はその噂を肯定も否定もできないほど仕事に追われていた。
「代行返上。
……こんなにあるんですか……」
「桂華グループは寄り合い所帯だからね。
内部の年金回りの整理だけでも一苦労なのに、会計制度の変更で今のうちにという企業が続々と手を挙げている。
桂ファンドマネージャーについては、本当に申し訳ないとは思うが、手を貸してもらいたい」
お嬢様の貯金箱の見張り番としてここにいる彼なのだが、その肩書きを名乗る程度の金融知識とキャリアは積んできたつもりである。
加えて一条及び桂華院瑠奈と直結するパイプを持つ彼を、押し寄せる信託銀行の千載一遇のビジネスチャンスに猫の手も借りたい桂華信託銀行首脳陣が遊ばせておく訳もなく。
かくして、桂の前の巨大ホールには莫大な紙とパソコンと帳簿が置かれ、行員が血走った目で書類とモニターを往復していた。
代行返上。
企業年金は本来は基礎年金、厚生年金、厚生年金基金の三つがまとまったものである。
で、厚生年金と厚生年金基金については企業がそれを国に代わって運用していた。
それを辞めるから代行返上である。
「桂華グループの代行返上は全てここに集められて処理される。
そこで得たノウハウ等を活かして、他企業へ売り込みをかけている訳だ」
「それで、私に何をさせようというつもりなのでしょうか?専務」
旧債権信託銀行出身の専務は、元大蔵省からの天下り組であり、この問題が何を引き起こすか理解していた。
だからこそ、彼は誰も聞いていないだろうこの職場の中で爆弾を炸裂させた。
「これ、おそらく政局になるぞ」
よくわかっていない桂直之を前に、専務は淡々と説明をする。
その会話の意味に気づいて桂直之の顔色も変わる。
「目の前のこれ、桂華グループ全社の代行返上作業なんだが、名簿が杜撰でね。
そっちはまだいいとして、問題は厚生労働省側の名簿だ。
我々だけ間違えていて、向こうの名簿は正しいと君は信じることができるかい?」
青ざめた桂直之の沈黙が全てを物語っていた。
それを確認した専務は、そこから先の展開を他人事のように予想する。
「省庁再編で厚生労働省が出来上がって縦割りがなくなったというが、それによって専門家が飛ばされた。
今、あの中でこの問題を把握している連中は居ない。
そして、この問題を理解して見なかったふりをしていた大蔵省は分割されて、金融庁は新設ゆえに功績に躍起だ。
代行返上。
各企業が必死に応対しようとしているから、巨大な売り圧力になって市場を混乱させるぞ」
企業年金を代行していた理由は、それを国に払うより代行する事で手元に資金が残るというのがあった。
つまり、入社した社員の積み立てを預かって運用しながら、退職した人の年金を払う。
右肩上がりの経済ならば問題がなかった。
それがバブル崩壊とゼロ金利政策で運用が苦境に立たされた企業が続出。
年金の積み立て不足が囁かれだした90年代後半からよくぞここまで持ち直したという株価のおかげで、一息ついている企業も多いはずだった。
で、それを喜ばない連中が居た。
桂直之がそれを言う。
「去年からの大相場で各企業は元手資金を増やしましたからね。
物言う株主たちは配当に回せとうるさく言っているのでしょうな」
利益は株主に還元すべし。
日本式株式会社はもう古い。
海外からのこの波に政府とマスコミが便乗し、押しとどめただろう大蔵省は省庁再編で力を失っている。
その流れで時価会計がさらに追い打ちをかける。
年金の積み立て不足を貸借対照表の負債に計上するようになったのだ。
「年金の運用は保有株や債券によって行われている。
つまり、毎年ごとにその評価を帳簿に記載しろと言っている訳で、本業の利益が相殺されかねない」
「まぁ、90年代後半の住専処理で彼らが何をやらかしたかを知っていれば、投資家はそれを求めるよ。
帳簿の透明化は今や国際化の必須事項と言っていいだろうからな」
問題なのは、急激な円安に伴う株高局面で代行返上を申請する各企業の手元に含み益がある事だった。
それを株主に出せというのが彼ら物言う株主の主張である。
そんな彼らに、この杜撰極まりない年金管理がバレたら、喜んで代行返上を求めて企業に圧力をかけてくるだろう。
「時価会計は不良債権処理を推進する政府の目玉政策の一つだ。
おそらく、この不具合を報告しても握りつぶされるだろう。
君の功績として、一条CEOに、お嬢様に、泉川副総理に伝えたまえ」
そこで彼は言葉を切って、問題の核心を告げた。
それがどう繋がるのかこの二人は知らない。
「政府の規制緩和と都の中小企業とベンチャー企業融資を専門とした新銀行設立の動きを操っている奴がいる。
金融ビッグバンで存在価値がなくなった信託銀行を買収しようと食指を動かしていて、うちにも現場レベルだが非公式の接触があった。
桂華金融ホールディングスの上場は今年春。
欧州の魔女たちが去年の大火傷からの復讐を考えていたなんて妄想が現実にならないといいのだがね」
代行返上
元ネタ『代行返上』 (幸田真音 小学館文庫)
多分『年金未納問題』や『消えた年金問題』の火元がここ。
これが大炎上して政権交代まて行くとはこの時思っていなかった。
なお、この本みたいにならなかった理由を私は一つ思いついている。
この代行返上の舞台となった2003年春。
つまりイラク戦争が勃発した訳で、地政学リスクの解消と戦費調達に伴う米金利上昇から派生したドル高でハゲタカ連中は動きを封じられた翌年、あの日銀砲が火を噴いた。
歴史は後付けで見るとそれ相応の理由を提示してくれるから面白い。
都の新銀行
新銀行東京
当時の都知事の大失敗の一つ。
とはいえ、調べてみたら中小建設業者向けのつなぎ融資の側面がある『公共工事代金債権信託』があるから、新宿ジオフロントを抱えるこの世界の都からすれば新銀行は欲しかったのだろうなぁ。きっと。




