VSスカベンジャー ROUND5 10/18 加筆
「保険です」
帝興エアラインの破綻に伴う国内市場の混乱の原因を、戻ってきたアンジェラは一言で言い表した。
ウォール街に居てもアンテナは張っていたらしい。
当り前だが、保険というのはまさかの時に使われる訳で、会社が破綻した際に融資していたお金が回収できないとなった際に支払われる保険というのがあったりする。
その保険の名前をホワイトボードに書いて、アンジェラは説明を続ける。
「クレジット・デフォルト・スワップ。
CDSなんて呼ばれるのですが、これの支払いがウォール街とシティで大揉めに揉めています。
帝興エアラインの負債総額は250億ドルを超えるだろうと言われてますので、楽しい事になっていますよ」
ウォール街は言うまでもなくニューヨーク。つまり米国市場。
シティというのはロンドンの事で、つまり欧州市場の事だ。
保険については、実はロンドンの方が古くてかつ大手だったりする。
私、橘、一条、藤堂、岡崎の手にアンジェラが連れてきたマーク・バーンズが資料を渡す。
今回の仕掛けを見抜いたのが彼だから能力はあるのだ。困ったことに……
「ん?
額が大きいから揉めているって事?
それでもニューヨークとロンドンの大手金融機関ならば、痛手でも大揉めになる金額じゃないでしょうに?」
保険というのは、一社がうけると儲け総どりだがリスクも総どりである。
で、リスクを分散する目的で、この手の保険は大体複数金融機関が組んで受ける事でリスクを分散する。
三兆円の負債も一社なら致命傷だが、10社で三千億円、100社で三百億円、ウォール街お得意の証券化で更に分散させれば、三十億円ぐらいまでリスクは下げられるはずなのだ。
帝興エアラインはナショナルフラッグキャリアだった事から、日本の多くの金融機関が融資に絡んでいる。
で、その状況で保険をとなると融資+保険でリスクがかえって上がるのだ。
結果、別の金融市場であるニューヨークで保険を調達する事でリスクを分散させる。
で、ニューヨークことウォール街の連中も破綻して保険料を支払った場合金額が金額なので『保険料を支払う際に受け取る保険』なるものを用意して保険支払いに備える。
これを金融用語で再保険という。
この再保険を引き受けたのがロンドン市場の金融機関。
こうして、リスクを分散する事で金融市場は世界規模で一体化する。
結果、トラブルが世界規模に広がったという訳だ。
が、それが金融二大都市をまたぐ大揉め?
額が額だが払えない金額ではないはずと首を捻る私に、マーク・バーンズは決定的な一言を言い放つ。
「このCDS。
当事者以外が無制限に買えるんですよ」
場の空気が瞬間的に凍った。
それが何を意味するのか理解したくなかったが、いやでも理解した瞬間に強烈な悪寒が体を震わせた。
今までの話は、帝興エアラインと金融機関と保険会社というある意味当事者だけの話だから分かりやすい。
だが、まったく関係のない第三者が、『帝興エアラインが破綻した際に保険料を支払う』契約を保険会社と結んでいたとしたら?
保険会社は破綻しなかったら第三者の支払う保険料丸儲けだが、破綻したら帝興エアラインに融資した金融機関だけでなく、保険だけを買った第三者の支払いまでしなければならなくなる。
保険だけを買った第三者は、帝興エアラインが破綻した方が儲かるのだ。
「……賭博と何か違うんです?これ?」
橘の一言が端的に物語っていた。
マーク・バーンズは楽しそうに続ける。
「実体は同じようなものですよ。
保険というのは人生第二のギャンブルとはよく言ったものです。
つまり、第三者が破綻する方に賭けて、しかも破綻する方向に動かした。
当事者以外が無制限に買っているので、支払いが莫大という訳です」
多分この手の話になると、表の金だけでは帳尻が合わない。
裏の金が大量に紛れ込んでいる。
勝ったら綺麗な金が渡され、負けたら保険料という綺麗な費用に化ける訳だ。
マネーロンダリングの本質は、得か損かではなく金についている『理由』にある。
保険料というまっとうな事業の経費として計上して節税する事で、税金を払わない分が儲けとなる考え方だ。
三兆円が六兆円どころか九兆円になったとしても驚かないぞ。私は。
「なるほど。
月光投資公司の狙いはこれですか」
岡崎が苦笑する。
種が割れれば、狙いはいつもの金である。
とはいえ、やられたらやり返すぐらいの作法は身に着けて……
「あ。言い忘れていました。
うち、損は出していませんので。その報告の為にボスにお願いしてここに来た次第で」
「は?」
私の顔はさぞ間抜けに見えているだろう。
というか日本人側も皆虚を突かれている。
先に知らされていただろうアンジェラが淡々とその理由を告げた。
「かけていたんですよ。帝興エアラインが破綻時に支払われる保険を。
手数料で一億ドル使いましたが、彼の裁量でかけていたCDSの支払いが確定しています。
支払われた金額は四十五億ドルです」
今の為替レート一ドル120円計算だと、五千四百億円。
帝興エアラインの融資回収どころか、儲けすら出ている現実に私は二の句がつげない。
「つまり、仕掛け人はこっちに害がないように筋を通してきたと?」
藤堂の確認にマーク・バーンズは笑顔で頷いた。
困った。どうしてくれようか?
この振り上げたこぶし……
「とはいえ、この保険は事が発覚する前にかけたという事でしょう。
あまり感心はしませんね」
一条が苦虫を噛み潰したように言う。
たしかに、この手の賭け事は出目が出た後に賭けられない。
つまり、マーク・バーンズは帝興エアラインが危機的状況に陥るのを知っていたという訳だ。
アンジェラが連れてきたのはきっと褒めるためではない。
こいつの処遇をどうするかだ。
「とりあえず、事の次第を最初から聞かせて頂戴。
結果だけぽんと渡されて無罪放免と終わらせるには、金額がでかすぎるわ」
「これは、向こう側からのサインです」
「向こう側?
誰よ?」
私の確認にマーク・バーンズはわざとらしく間をおいてその名前を告げた。
そこでその名前が出て来るとは思わなかったからだ。
「スカベンジャー」
誰もが言葉を発しない。
その沈黙の中、マーク・バーンズは仕掛けの説明をする。
「要するに、今回の一件は樺太がらみの融資が元凶なんです。
帝興エアラインは樺太航空を吸収した事で、樺太航空の債務を引き継いだ。
そして、その債務経由で樺太銀行のマネーロンダリングシステムに組み込まれた。
で、このシステムが発覚したのは、帝興エアラインではなかったでしょう?」
日本を代表するナショナルフラッグキャリア。帝興エアライン。
ここに対する融資なんてのは、マネーロンダリングにおける最高の洗濯となる。
マフィアがセックス・ドラッグ・バイオレンスで稼いだ汚れたお金が樺太銀行に集められて、帝興エアラインに融資される。
その返済なり利子なりで綺麗になったお金がマフィアに渡されるというのが今回のマネーロンダリングの簡単な仕組みである。
こういう事をやっていた会社が他にもあり、その会社が破綻した事でこのシステムが世界に露呈した。
「日樺石油開発」
岡崎が割り込む。
やっぱりこの面子で仕掛けに気づいたのは岡崎だった。
マーク・バーンズは岡崎を一瞬だけ見て、私に向かって説明を続ける。
「実はスカベンジャーの本命は帝興エアラインじゃないんですよ。
帝興エアラインの破綻によって紙くずになった旧樺太航空の債券が狙いです。
旧北日本企業の債権は、連中が資本主義になれていなかったせいもあって、色々と穴があるんです。
それを米国なり英国で訴訟に持ち込んで勝てたなら、一気に掻っ攫えるんです」
「掻っ攫うって帝興エアラインを?
破綻してもナショナルフラッグキャリアよ。
国がそれを邪魔するに決まっているじゃない」
私の言葉を聞いたマーク・バーンズは楽しそうに笑った。
多分聞いている隣のアンジェラは顔に手を当てていた。
あ。これ、ろくでもないやつだと察した。
「そんなちゃちな獲物じゃないですよ。
お嬢様。彼らスカベンジャーが狙っているのは、解体途中ですがいずれ誰かが再建するだろう樺太銀行のマネーロンダリングシステムそのものですよ」
これを聞いて私はこいつを切らない事を決めた。
そして、国際金融の闇のなんと深い事かと嘆息して、ぬるくなったグレープジュースを飲んだのだった。
CDS
これがリーマン時に大炸裂した時を考えてみよう。
リーマンの破綻は64兆円。
そのCDSがどれだけ世界にばらまかれていたか……
人生第二のギャンブル
元ネタは『人生第二の買い物』で一番の買い物は『家』となる。
で、これを教えてくれた人は一番のギャンブルを『結婚』と言い切っていたwww
2020/10/18
わかりにくいという感想を受けて説明部分を大規模加筆。




