神戸教授のおとなの社会学 『売国論』
感想を見てここを語らないとまずいと思った。
意味が変遷した言葉は今の意味だけを押さえると話がおかしくなるので。
こうやって過去を調べて背景を思うと、あの言葉の意味が少し違ってくるのではないかと思う。
でかでかとホワイトボードに書かれる文字に、私たち一同ドン引き。
今日も神戸教授は絶好調である。
「『売国論』。
君たちは国の意思に絡むことができる可能性がある人間です。
だからこそ、これを君たち自身の為に教えておきましょう。
君たちの、君たちの家の大事なので覚えておくといいですよ」
何も誰も言わない。
多分私を含めて、顔が引き攣っているのだろう。
だが、神戸教授はいつにもまして真面目である。
「じゃあ、君たちは国の何を売るのか?
意思、つまり国家方針です。
これを独断で決められる国は強国であり、全てを自らの意思で決めて、他国がそれに従う国を覇権国家というのです」
この国の鎖国は、すでに黒船によって終わっている。
耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らそうとしても向こうからドアを開けられた事は、この国にとって深いトラウマとなって残っている。
「まず前提として、絶対強者の間で中立というのは愚策です。
だからこそ、どちらにつくかを決めなければいけません。
この国の武士たちはお家存続の為に、親兄弟が分かれてどちらかについて生き残りを図ろうとしたのです。
南北朝時代などはそれに当たりますね。
では、我々は誰に国の意思を売ればいいのか?」
神戸教授はホワイトボードにいくつかの国を書く。
それは近代史であり、前世ですら学ばなかったというか学ぶ前に終わってしまった所である。
正直面白いと思ってしまう私が居た。
「この国が明治維新という形で国を開いてから、富国強兵の名の元に己の保身と権力の維持をかけて国を売り続けたという見方もできなくはないのです。
何しろ、維新後のこの国は発展途上国でしかなかった。
売れるものは何でも売らないと富国強兵の為の資金すらなかったのですから。
日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦とこの国はそうやって、この国を売り続けたのです。
英国に」
大英帝国。
当時世界の覇権国家だったかの国は、この国を対ロシアの防波堤としか見ていなかった。
それでもその意味があったからこそ、この国は大英帝国に高値で売れたのだ。
「その後、第一次世界大戦とロシア革命を経てパクス・ブリタニカが揺らいだ結果、この国は売り先をドイツに変えた訳です。
それで第二次世界大戦はえらく苦労する事になります。
で、戦後の冷戦体制から現在まで続くパクス・アメリカーナ体制において、この国は米国に国家方針という意思を売り続けた結果、現在の地位にあるという事ですね」
そこで神戸教授は意地悪そうに笑う。
差し当たって、悪魔の誘惑という感じで。
「では、こう考えたりしませんか?
『自分の事を全て自分で決められたなら』と」
少しの間とともに神戸教授の顔が元に戻る。
そして、ホワイトボードに書きながら解説を続ける。
「そのチャンスは、89年から始まりました。
『ベルリンの壁崩壊』から始まるソ連を中心とした東側の崩壊による冷戦の勝利です。
つまり、西側陣営内部で勝利後も結束するのかという疑念と、序列争いが発生しかかっていたのです」
そういう解説と共に、次々と世界史を揺るがすイベントがホワイトボードに書かれてゆく。
そのイベントに際して、この国は選択をし、国を売り続けたからこそ未だこの地位にある。
89年 ベルリンの壁崩壊
90年 湾岸戦争
91年 ソ連崩壊
92年 マーストリヒト条約締結 ユーロとEUへ
93年 野党連合政権成立
94年 北日本崩壊 南北日本統一
95年 阪神大震災 新興宗教テロ事件
96年 立憲政友党出身の総理が誕生
97年 香港返還 アジア通貨危機 不良債権処理
98年 ロシア通貨危機
99年 ITバブル ユーロ誕生
00年 政局混乱
01年 恋住政権誕生 同時多発テロ
よくもまぁこれだけイベントがあったものだ。
そして、それらのイベントにおいて、ついにこの国は米国からの独立というか覇権奪取に動かなかった。いや、動けなかったといった方がいいのかもしれない。
「実際、そういう動きはあったと私は聞いています。
それを押しとどめたのは、当時の政経の第一線に居た人間が第二次世界大戦経験者で、『米国相手にもう一度戦争なんて御免だ』という事だったそうです」
そりゃそうだ。
あの国相手にもう一回太平洋戦争なんて私でもごめんである。
神戸教授は真摯に、そして穏やかにこんな言葉を言った。
「二位でいいじゃないですか。
休戦なり停戦なり降伏なりと呼び方はあるでしょうが、太平洋戦争においてこの国は米国に負けた。
その後の核冷戦体制を経て、戦争が国家滅亡どころか民族殲滅の危機まで呼び起こしうる現状で、再度覇権国家たらんとして挑む。
そのリスクは割に合わないですし、米国はまだ話せばわかる国ではありますよ。
これがこの国の売国。意思を米国に売り続けている現状です」
ぱん!
神戸教授が手を叩く。
その音に我に返る私を含めた生徒たち。
そして、神戸教授は私を見据えて尋ねた。
「じゃあ、せっかくなので聞いてみましょう。
貴方は、貴方の意思を貫くためだけに、そこそこの平和と適度な生活をしているこの国の国民一億四千万人をチップとして、覇権国家というギャンブルに挑む意思はありますか?」
神戸教授の目が、この部屋の全生徒の目が私に注がれる。
私はあっさりと、その誘惑を投げ捨てた。
「お断りです。
私、恋住総理と同じで、この地位と生活、結構気に入っているんですよ」
中国に国を売る売国が盛り上がっているけど、本来、つまり2000年前後までは対米追随外交の貫徹に国が揺らいでおり米国に国を売る事を売国と言っていた時期があったんだよ……
耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らそうとして
『攻殻機動隊』。
調べてこの名言の元ネタはJ.D.サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』だと知る。
日本の覇権国家チャンス
こういうのは論文よりも文化で見るとその当時の世情が出るので、二つのコミックを紹介しよう。
『沈黙の艦隊』 (かわぐちかいじ モーニングKC 1988年から1996年まで連載)
戦後日本における外交方針と国家の自主性に一石を与えた。
後半の解散総選挙の結果はすごく興奮したなぁ……
『日米決戦2025―そのとき、日本は決断した!』(小林源文 他 ボムコミックス 1992年)
架空戦記ブームとも絡んで多分このあたりで決断していたら、覇権国家になるチャンスがワンチャンあった可能性がある。
恋住政権の功績
間違いないのは、この政権において対米追随外交が確定した。
ちなみに面白いのは、溜池通信で確認してびっくりしたのだが、当時の米国はあの政権を反米的と考えていた事。
これは、不良債権処理の尻拭いで外資に国富を譲り渡したという事で、国民の不満を背景に反米的行動が目立っていた時期でもあったりするからだ。
にも関わらず、あの政権は9.11の後から米国に旗幟を鮮明にした。
つまり、覇権国家ガチャをせずに石(経済)を持ったまま去った事だろう。
その後の経済的失策とかはまた別の機会に語るとして、外交安全保障面でのこの決断は今もこうしてこの国を守っている。それは忘れてはいけない。
お隣の某国が現在有り余る人民を石に変えて覇権国家ガチャを回しているのを見ていると色々思う所が。が。
あの言葉の意地悪な見方
「二位じゃ駄目なんですか?
だってあなたの国ずっと米国の下で二位に甘んじていたじゃないですか?」
おまけ
『売国機関』(カルロ・ゼン 原作 BUNCH COMICS)はいいぞ……




