夏目賢太郎警部と小野健一警部の将来の話
人間二回目ともなると書式も慣れたもので、慣れたくもなかった上からの説教と始末書を提出した夏目賢太郎警部は、本庁から九段下の交番に帰ってくる。
それを、一番奥の席の小野健一警部が笑って出迎えた。
「よお。二枚目。
色男になったじゃないか」
「言わないでくださいよ。
結構気にしているんですから」
まさか護衛対象自ら自爆を防ぐなんて想定している訳もなく。
かといって彼女が動かなかったら自爆されて被害者が多数出ていただろうという事が分かっているだけに、夏目警部の落ち込みはひどい。
「まぁ、あれについては桂華院家からも気にするなとは言われているが」
「そういう所でフォローするのが華族の華族たる所以なんでしょうね」
官僚というのは基本減点主義であり、始末書というのはキャリア官僚にとってそこそこな傷となる。
同じ対象の護衛で二回も始末書が出るというのは他のキャリア組が行きたがらない事を意味し、そこに桂華院家がフォローを入れたという事は『経歴に傷が付くだろうけど、天下りあたりでフォローするからこれからもよろしく』というご指名に他ならない。
「どうせ上にガツガツ行くつもりはなかったんだろう?」
「そりゃあ、キャリアですから上にぐらいは意識しますけど、気性ですかね。
どうも出世意欲と言うものが乏しいと前藤先輩に説教された事がありますよ。
その辺りが、今回の失敗で露骨に出ちゃいましたけどね」
「で、その先輩から後輩へありがたいお言葉だ。
あのテロ事件、日米露の三国合同捜査が決まったらしいからお前も顔を出してくれだそうだ」
「あのテロ、そこまででかくなりましたか……」
イスラム過激派のテロという事で世論には説明がされている成田空港テロ事件。
その実態は、空港のテロを陽動としてアンジェラ・サリバン桂華証券取締役を狙うのが本来の目的であり、マネーロンダリングの仕組みの発覚を恐れたロシアン・マフィアの犯行であるというのが取り調べの結果その筋の人間に暴露されてしまったのである。
結果、狙われた桂華院瑠奈以上に激怒した人間が発生することになった。
その人物の居る建物を小野警部が茶化す。
「そりゃそうだ。
あのお嬢ちゃんは、オーバルオフィスの主と仲良しだそうじゃねぇか。
テロ戦争の報復に自分の友人が狙われ、その下のカンパニー出身の元秘書さんまで狙われた。
激怒しないようじゃ、合衆国大統領なんてやってられんさ」
小野警部はキャリアでこそないが、前藤管理官と友人やっているのだから頭が悪い訳がない。
そういう人間だからこそ、前藤管理官は九段下の交番の所長に彼を持ってきたのだ。
多分、自分と同じくお嬢様番としてそのまま九段下交番を管轄する麹町警察署の副署長に押し上げるつもりなのだろう。
当人はここが気に入っているので抵抗していると酒の席でぼやいていたが、夏目警部共々お嬢様に関わったのでいやでも出世させられる。
多分その時は自分が麹町警察署の署長になるのだろうなと夏目警部はなんとなく察したが、それは言わずに小野警部の話に乗る。
「ウォール街も大混乱らしいですね。
対テロ戦争は今の米国の最優先事項だけに、テロの資金源となるようなマネーロンダリングシステムの存在を米国は許容できない。
ところが、そんな怪しい危ない金だったからこそ利率が良いんで、ウォール街の連中は知らんぷりをしてそれに手を貸していた。
頭を抱えているでしょう」
二人が話題にしていた元秘書であるアンジェラが調べて唖然としたのだが、ウォール街でのマネーロンダリングは最先端金融商品を駆使して行われていた。
アンダーグラウンドの金をペーパーカンパニーに移し、そこからの配当を証券化した上でバレないように他の証券化商品と混ぜて売り抜けるという手口もさる事ながら、目くらましとして混入された証券化商品の中にロシア国債が入っていた事が事態を更にややこしくしていた。
まだ経済危機から再建途上のロシア国債は、格付け会社から投資不適格の烙印を受けている。それを、桂華金融ホールディングスを始めとする日系金融機関は大量に引き受けていた。もちろん、彼らはオプションとして原油等の資源支払いでリスクをヘッジしていたのだが、それほどのリスクがあるということは、裏を返せば日系金融機関が手を引いた瞬間にロシア国債は大暴落する。
それ故にロシアは日系金融機関以外の国債の引受先を探しており、その際にロシア国債の利率には大幅なプレミアムが付けられたのだが、そのプレミアムを償還するための資金調達元がマフィアの絡んだマネロンである上に、その利益の一部はマフィア側からチェチェンに流れていたというおまけまで発覚し、ロシア政府も震撼した。
そして、それらの舞台となった樺太銀行及びその樺太銀行に知恵を授けたウォール街の投資銀行群に捜査のメスが入ったのはある意味必然と言えよう。
トドメとばかりにそんな樺太銀行の原資の一つが、かつて東側崩壊を狙って注入された米国の工作資金であった事までバレてしまった。そして、イラク戦局で厳しい状況のネオコンたちがCIAに猛攻撃を仕掛けるというワシントンの暗闘にまで発展した今回のテロ事件。
もちろん、そんな事が起こっているなんてこの二人が知る訳もなく。
「つまり、私が出るのは桂華院家への連絡係としてですか?」
「それ以外にどう説明しろと?」
TVでは、連日捜査が入る豊原市の樺太銀行本店及び樺太道庁が映り、アナウンサーが状況を説明していた。
ちなみに、今の逮捕者の話題は表向き与党の地滑り的大勝利となった先の総選挙に絡む公職選挙法違反であり、樺太道警察が信用できないという事で、霞が関の樺太復興庁には東京地検特捜部が、樺太道庁には他県の警察が応援名目で介入していた。
既に逮捕者は百人を超え、自殺者も国内外で十人を超える大スキャンダルとして世界を賑わせている。
そんな二人は知らない。
成田テロ事件の後、メイド長に泣かれた上に正座で説教されたお嬢様が即座に報復に出た事を。
正座で足が痺れたまま、電話口でお見舞いの言葉を言う大統領にこんな台詞をのたまった事を。
「大統領。
大統領のお立場は私、とても良く理解しております。
今でも、大統領と共に子供ながら一緒に戦えたらと思っておりますのよ。
ですから、こういう時なので、微力ながら大統領のお手伝いをさせてください」
なお、その一部始終を見ていたエヴァは、この時のお嬢様を見て一歩引いたらしい。
そして、報復の一手をこのお嬢様は笑って口にした。
「米国が計画している戦費調達のための国債。
全部うちで引き受けさせてくださいな♪」
こうなるのを恐れていたアンジェラも、後にエヴァから聞いて額に手を当てて天を仰いでつぶやいた。「釘を刺したのに」と。
しかし、先のテロで標的にされた彼女の立場では文句の出しようがなかった。
この時のロシア国債
ムーディーズでba2
ロシアン・マフィアとチェチェン
正確にはチェチェンマフィアと言ったほうが正しい。
チェチェンがロシアで迫害された結果、彼らがアンダーグラウンドに追われ、そのアンダーグラウンドで力をつけてきたという訳なのたが、お金に国境はないとばかりにウォール街の投資銀行連中は何も考えずに手を貸した模様。
もちろん、ロシアの大統領は激おこなのは言うまでもない。
ネオコンとCIA
ネオコン連中はベトナムで痛い目を見た連中で、CIAの情報分析の失敗がベトナムの敗戦につながったと信じていた。
南ベトナム政府のごたごたの主役の一人であるCIAはクーデターを主導したりしてこの件ではたしかに何も言えんのがまた……
警察の他県介入
県警本部長や道警本部長は内地キャリア組が順繰りで配されるので、下はともかく上は内地統制がとれていたのがポイント。
このため、他県増援の受け入れの後、主導権を握る(つまり汚職警官を内部粛清した上での捜査)事ができる。




