お見合い写真は乙女の履歴書
行き付けの喫茶店『アヴァンティー』に入っていつもの席に座ると、そこには大量のお見合い写真を見て悩む裕次郎くんの姿があった。
「いつものやつね♪
そのお見合い写真、裕次郎くん宛て?」
「そう。
中等部に上がったらこれだよ。
『自分で断りなさい』と父に言われたから、断るためにもちゃんと見ている所」
ウェイターにいつもの注文を頼んだついでに裕次郎くんに確認を取ると、裕次郎くんは苦笑しながらお見合い写真を閉じてテーブルに置いた。
そして、自分が頼んだカフェオレを口にしながら、そのあたりの説明をしてくれたのである。
「兄が本気で北海道に移住しようかと考えているみたいでね。
そうなると、父さんの地盤が空くので義兄さんたちが鞘当をしているんだよ。
その流れで、僕の所にもこんなのがやってきたという訳」
衆議院の選挙区は小選挙区比例代表制だ。
小選挙区については基本当選者は一人。
そこで比例代表当選という形の保険を掛ける事ができる。
この保険は惜敗率というもので判定されるが、この場では筋違いの話なのでおいておこう。
本題は、この小選挙区で勝ち上がらないと総理の椅子になど届かないという事。
総理や総理候補者は地元を離れて全国を飛び回り、各地で遊説して他の議員を助けなければならないからだ。
この強固な王国の地盤を継承出来るか?
それこそが総理への道の第一歩となる。
そしてこの場で大事なのは、総理大臣は基本的に衆議院議員から選ばれるという事。
「兄さんが次も参議院で行くとなると、次の改選は来年の選挙になる。
ここで勝てば更に6年参議院議員になるけど、次の選挙、次の次の選挙も父が出るかどうかわからないからね。
兄は北海道に移ることで、自分の地盤を確保しようとしている。
父の後継をという訳で、義兄さんたちがざわついているのさ」
国盗りゲームみたいなもので、泉川副総理が引退した後にその血族が後継に名乗りを上げれば、よほどのぼんくらで無い限りは当選する。
そしてその候補者は今、県議と市議という座にあるわけだから、どちらが後継になっても彼らが座っていた椅子が一つ空く。
ただし裕次郎くんが立候補できるのは25歳からだ。
「あー。
このお見合い写真の実家って、その空いた椅子狙い?」
「御名答。
めでたく婚約でもしたら、彼女の父かその親族が立候補して席を守り、僕が立候補するまでその椅子を守るって訳」
こうやって閨閥なるものが広がってゆくという訳だ。
日本における、地縁・血縁というのは未だ硬い。
「見ていい?」
「どうぞ」
裕次郎くんの許可をもらってお見合い写真をパラパラ。
彼女たちの実家もなんとなく傾向がつかめてくる。
「ゼネコンというか土建系が多いわね」
「地方の雇用の最たるものがゼネコンだからね。
恋住政権は財政再建を名目に公共事業削減の方向に進んでいるけど、それで苦しんでいる所が結構あってね。
娘を人身御供に出して融資をというケースもあるんだ。
本当にやってられないよ」
議員先生の実家は大体がゼネコンというか土建業に絡んでいる。
それだけ人を使うし、治山治水はこの国において大事な政治でもあった。
とはいえ、恋住政権の方針が一概に悪いと言えないのが今の御時世である。
詰まる所、今の与党が戦後からやって来た事は『都市の金を地方へばらまく』であり、そのバラマキに都市部の人間が激怒したというのが近年の政治不信や政界再編、無党派層の拡大という形になって現れているのだから。
「次は農協役員かぁ」
「昔で言う所の庄屋の人達だね。
土地持ちの豪農で商売に手を出して成功した人達ってやつ」
地方はというか、田舎だからこそ農業票は強い。
そして、この国で農業をしているという事は土地を持っていると同義であり、則ち名士であると同義となる。
特に一昔前は土地を担保として銀行から金を借りていたので、不良債権化と同時にこの辺りの人達がまとめて没落とならなかったのは、彼らの名士としての力があったと言われている。
つまり、議員として公共事業に関与し、そこからギリギリの線で利益を吸い取ってそれを返済に当てていたという訳で。
何しろ地方公共事業の柱は道路とダムであり、それは必然的に農業にぶち当たる。
つまり、地方公共事業のグランドデザインを考える連中と発注する連中と受注する連中が同じなのだ。
腐らない方がおかしいが、それで地方はうまく回っていたと言えば、返す言葉もない。
まぁ、回らなくなったから、財政再建に舵を切ったとも言うが。
「で、これらの家の父方か母方の家に必ず市議なり県議なりの先生がいると」
「その誰かが、僕が立候補するまで、何処かの椅子を温めてくれるという訳」
そんな話をしていたら、ウェイトレスがいつものケーキとグレープジュースのセットを持ってくる。
一時中断とばかりにそのケーキを堪能していたら、裕次郎くんがこんな事を言ってきた。
「桂華院さんの所にもお見合い写真来ているんじゃないの?」
「たぶんね。
もっとも、私は見ずに橘にぶん投げているけど」
そりゃあ、華族やら財閥関係者だけでなく、ロシアの有力者や欧州貴族まで色々と来ているらしい。
私自身未だ実感がないので、橘に任せてお断りを入れていると思うのだが。
「……桂華院さん。どうしたの?」
「別に」
裕次郎くんは、己の恋を秘めて事を成した人だった。
彼の告白シーンは、主人公である小鳥遊瑞穂からの告白にOKをするという形で結ばれる。
常に二番手を心掛けた彼が、その秘めたる恋を主人公によって顕にされるというのが実にエモかったのを覚えている。
彼は、その立場からどうしても一線を引くキャラで、お構いなしに突っ込んできた小鳥遊瑞穂が眩しかったと言った台詞を思い出す。
そんな事を悟られないように、私はグレープジュースを口にした。
裕次郎くんとはその後も話がはずんで、いつものように別れることになる。
地方の土建屋
本当にそれしか職がなく、小泉改革以降地方土建屋が壊滅的打撃を受けた。
それが、治山治水に跳ね返って災害復旧に支障が出る事も度々。
農業と地主
この物語では敗戦による農地開放が行われていないので、この手の階級が残っている。
もちろん、バブルに踊って多大な不良債権を抱えている所も多い。
地方と都市の対立
野党が勝ちだす『一区現象』も無党派の増大もつまる所ここに元凶がある。
そして、小泉政権の経済政策は、地方の切り捨てと都市部の投資(というより地方に金を流さない)事で都市部無党派を味方につける所から始まっている。
これが後の郵政劇場で激烈に効いてくる訳で……




