十一話
現在のエウロパに法と呼べる物はない。だが、暗黙のルールも決まり事もある。
さらに言えば、効力をほとんど失ったが、ドームでの移住当初には法が作られていた。
山本はコンピューターのキーボードを、熟練のエンジニア並みの速度で操作している。その使われなくなった法を、使おうとしているのだ。
使われなくなって五十年以上が経過しているが、効力を失っていない物がある。要塞都市代表の不信任による交代に関する法だ。
山本なりに、もっともエウロパが守れるであろう策をとった。だが、それは山本の独断だ。他の者に責任を負わせない為にしたことだが、責任は取らねばならない。
要塞都市の各部門責任者が、山本を代表として不適切だと考え、その法を実施すれば、山本はエウロパを追放される。他の有人惑星に容易には移り住めない為、それは死刑を意味していた。それだけの覚悟が、山本にはあるのだ。
十二人いる各部門の長へ、いきさつや実施している対応策、今後の動きについて記載したメールを送りつけた山本は、使われなくなった法律のプログラムを起動した。画面には法律の内容と、注意事項などが表示される。それを、山本自身が発動させた。
各部門の長がそれに同意すれば、山本の策は中止される。そして、山本自身も宇宙船一つで、星を出なければいけない。
「代表! これなんだよ!」
「ふざけているのですか?」
山本がメール送信を終えて数分後、警備部と総務部の長が部屋に怒鳴り込んできた。それだけではなく、他の十人も山本の部屋に向かい、ノックもせずに入っていく。
「見ての通りだ。私の独断専行だ。判断は君達に任せる」
山本なりによくないと思えば、すぐにでも殺せという意思表示だ。
「俺はあんたの下で、十五年働いた! 一回でもノーって言った事があったのか!」
「私は二十三年です。代表の無茶は、いつもフォローしてきたんですがね」
「俺も今年で、二十年か。いまだに代表を超える奴は見たことないなぁ」
全員が山本と働いた年数と、思いを口にする。
最後に、警備部長がまとめの言葉を吐いた。
「あんたが駄目なら、この国は亡ぶ! 俺達が言いたかったのは、それだけだ! それから、あんたはそこに、俺達の総意で座ってるんだ! 忘れるな!」
十二の長は、全員一致で法律を否決した。
「私のカリスマも、時には困る物だな」
「うっせえ! くそ親父! 早く始めろ!」
口の悪い警備部長の言葉で、要塞都市最高会議が始まった。
山本は少し呆れたように笑うと、メールには書かなかった策の詳細を喋る。その会議は、十分で終了した。そして、十二人の長はすぐさま動き始める。時間の余裕は全くないからだ。
会議を終え煙草に火をつけた山本は、大介の事を考え始めた。全ては大介次第なのだ。
****
「お? おしい。もう少しだ」
その大介を隣の部屋で見ていたバンは、嬉しそうに仲間を応援していた。
十分という短い時間で、大介は数えられないほどの刃を避けた。
だが、事態は悪化を続けている。怪我自体は浅いものばかりだが、数が多すぎる。体中から血を流し、出血量が危険なレベルに達し始めていた。
徐々に赤い雷は量を減らしている。
グレムリンも回復プログラムを発動させているが、それは細胞分裂を早める物であり、体内から栄養素や血がなくなれば意味がない。それも、一つの傷を治してる間に、新しい傷が増えていくのだから、完治するはずがないのだ。
「はぁ! はぁ! はぁ! はぁ!」
動き続ける大介の体が、限界を迎える。顔にチアノーゼの症状が強く表れ、青くなっていた。目が霞み始めた大介の足は、信じられないほど重くなっている。
人間の運動に必要な物が、何一つとしてない状態で大介は動き続けたのだ。ただで済むはずがない。
敵から振り下ろされる刃を、前かがみになっていた体を引き上げ避けた瞬間に、大介の視界が真っ白に変わる。そして、動かし続けた足が、ついに止まってしまった。
それを、敵が見逃すはずがない。
浜崎の剣は、背中から倒れようとしている大介に向かって、空気を薙ぎ払いながら進んだ。その剣が直撃すれば、上半身と下半身が泣き別れるだろう。
……美紀さん。僕は……。
(くそおおぉぉ! しっかりしろよおおぉぉ!)
誰もいない、何もない真っ白な世界で、大介は大好きな美紀に。愛してやまない美紀に向かって手を伸ばす。
時間の歪んだ高速世界の中でも、大介は常に美紀の位置を把握していた。そして、その美紀に向けて歩き出そうとする。大介の心には、それしかないからだ。
愛も、怒りも、悲しみも、大介の全ての感情は美紀の為だけにある。だから、限界を超えた先でも、美紀の元へ進む。
大介の中には、それしか残っていない。
……美紀さん。今、行きます。今。
「おお!」
隣の部屋にいたバンは、椅子から立ち上がり、モニターに顔を近づける。大きな鈍い音と共に、浜崎の剣はたしかに大介にヒットした。高速の動きもバンには見えていたが、モニター越しでは細部まで確認できない。
美紀が乗っていた机を巻き込み、壁に激突した大介は、壁を背に座り込むような体勢で動かなくなっていた。首は力なく垂れ下がり、口からは血がしたたり落ち、両手足はだらしなく投げ出されていた。机が倒され、美紀はその大介の足元に転がっている。
モニター越しには生きているとは思えない。
だが、大介の体は両断されていなかった。
美紀の元へ向かおうとした大介は、後ろ向きに倒れ込もうとした体を無意識で両足のスタンスを広げて支えた。そして、その反動で前のめりに倒れ込みそうになりながら、美紀に向かって手を伸ばしたのだ。
その偶然の行動で、大介の体は浜崎が振るう刃の先から逃れた。
だが、浜崎はそれに反応し、剣の腹部分で倒れ込む大介の背中を、力任せに殴りつけたのだ。それが倒れ込む方向と同じ向きの力だった為、大介は骨に亀裂が入っただけで助かった。
それでも、当たり所が悪ければ十分に死ぬほどの力で殴られており、平面で階段から落ちるように回転しながら机と壁に激突したのだ。体は戦闘が可能な状態ではなくなっている。
その上、大介の意識は白い世界の中から、帰ってきていない。止めをさす為に走り出した敵に、対応する事は出来ないだろう。
絶望の中で、グレムリンだけが左だけになった目を閉じ、神経を研ぎ澄ます。そして、大嫌いで大好きな人間を信じる。
兄弟と呼ぶ男と、その男が命懸けで愛した女を。
****
真っ白な世界で、大介はただ立ち尽くしていた。それ以外にどうすればいいか分からないからだ。
『坊や。私の愛しい坊や』
女性の声を聞いた大介は、振り返る。そこには、赤く光り半透明な美紀がいた。
そう、大介の愛する美紀がいたのだ。
「美紀さん……美紀さん……美紀さん!」
同じく半透明で赤く光っている大介が、美紀に向かって飛ぶ。
その世界には地面や空間の概念がないようだ。抱き合った二人は、全ての力で相手を抱きしめ、口づけする。
「みぎざぁぁぁん!」
『ほら、泣かないの。ぼう……あら? もう、坊やじゃないのね。大介』
美紀は少しだけ寂しそうに笑い、大介の頭をなでる。
大介は美紀の胸で、息が詰まるほど激しく泣いている。
『よかった。頑張ったおかげで、神様がもう一度大介に会わせてくれた』
「えっ? うっ! ああああああぁぁぁぁ!」
大介の中に、美紀の記憶が流れ込む。
そこでは目を覆いたくなるような光景が、広がっていた。敵は人間をモルモットとしか見ていない。ハイブリッド研究の為に、美紀は麻酔もなしに体を弄り回され、おもちゃの様に扱われていたのだ。
発狂してもおかしくないほどの責め苦を受け、脳まで実験の材料とされながらも、美紀は耐えていた。たとえ脳だけになっても、大介の事を想い続けていたのだ。
「美紀さん、僕。僕と一緒に逃げよう! 二人で生きて行こう!」
『駄目よ。大介にも見えたでしょ? 私の脳は、もう限界なの』
「そんな、でも、でも!」
『私はいいの。こうやって、神様が最後に素敵な時間をくれた。私は、今この時の為に生まれてきたのよ』
「嫌だぁぁ! もう、嫌なんだ! 美紀さんのいない世界でなんか、生きていたくない! 僕も一緒に行く!」
大介は、美紀の体を必死につかむ。その美紀の体は徐々に透けていく。
『愛してるわ。大介』
「僕も! 僕も愛してる! 美紀さんを! だから!」
『これからも、大介を……大介だけを愛し続けるわ』
透けていく美紀を見ながら、大介は涙で言葉が詰まる。そして、何とかして美紀が消えない様にする為に、力の限り抱きしめた。
『大介が、死ぬまで愛してあげる。たとえ、誰か別に好きな人が出来て、その人と結ばれても、その他人を含めた全てを私が愛してあげる』
「ああ……あああああぁぁぁ」
『だから、決して自分から死のうとしないで。私は自分が死ぬ事よりも、大介が死ぬ事が苦しいの。悲しいの。ね?』
「いや……いやだぁぁ。みぎざあぁぁんっ!」
『大丈夫。大丈夫よ。貴方の全てを私が肯定してあげる。だから、自分の道を信じて、真っ直ぐ進みなさい』
涙を流しながら首を左右に振る大介の顔を、両手で優しく包んだ美紀は、唇を近づけていく。
『愛しい大介。私の全てをあげる。だから……』
美紀は大介と大人のキスをした。初めてのあの時の様に。
****
《アプランク》
動かなくなっていたはずの大介が、呪文を唱えた。そして、全身から大量の赤い稲妻を放ち、立ち上がる。
異世界の住人に支配された三人は、動揺し動きを止めた。
(よし、行くぞ。ブラザー)
大介と美紀は、グレムリンの信頼に答えた。
だが、端末内のグレムリンは笑っていない。怒りで歯を剥きだし、目を血走らせている。糸でつながったグレムリンにも、情報が流れたのだ。
まだうつむく様に力なく垂れていた首を、大介はゆっくり持ち上げた。
それと同時に、ギリギリで形を保っていた美紀の脳が、液状化して周りのジェルと混ざりあっていく。それは、もう二度と大介は美紀に会えないという事だ。
大介の両目からは、雷よりも赤い涙が流れ出している。物質化しそうなほど圧力がある怒りの眼光は、異世界の住人すら怯ませた。
だが、回復プログラムを起動させているが、大介の体はぼろぼろのままだ。浜崎達はすぐに剣を構え直し、走り出した。
「僕は、お前達を許さない。絶対に」
大介の声に、力はこもっていない。
だが、呟きと同時に体中が発光を始め、部屋の明かりが消える。そして、積乱雲の内部であるかのように変わり果てた室内を、無数の真っ赤な雷が縦横無尽に駆け抜け、敵の目をくらませていた。
敵は真っ赤に光る大介の体と、大量の雷が放つ赤い電光に照らされている。意を決して雷を避け、大介に剣を振り上げた敵は、息をのむ。
大介は異世界の人間でも知覚出来ないほどの速度で、左の掌底を柄頭に放ったのだ。握っていた剣が手から離れた敵は、両目を閉じる。ただ、その目蓋が落ち切る前に、体を縦にブッシュナイフの刃が通り抜けていた。
「なっ、なんだこりゃ?」
モニターを両手で掴んだバンは、何度も瞬きをする。
その瞬きの間に、大介の立ち位置がどんどん変わっていた。何がおこったか、全く理解していないようだ。
ここまでではないが、魔法を使わない人間にも起こりうる現象なのだが、異世界の住人は知らない。大介の精神が肉体を凌駕したのだ。
幽世と同じ感覚を、現実に持ち出した大介は、異世界の住人にも知覚出来ないほどの速度で、歩く。
走ってはいない。
だが、歩くだけでも、敵から見える限界速度を超えており、大介の姿が短い距離を瞬間移動したように、敵達には遅れて知覚されていく。距離を詰める大介の姿は、敵から三つの連なった残像にしか見えない。
敵が一歩踏み出す間に、一番奥の大介が消え、手前にもう一人の大介が現れる。 その敵がもう一方の足を持ち上げる頃には、上下に両断された下半身は、上半身からの信号を受け取れなくなっていた。
最後に残った浜崎だけが、斬る瞬間に少しだけ止まった大介の姿を、とらえる事に成功したらしい。体が悲鳴をあげるほど身体能力を限界まで引き出した浜崎は、剣を眼前の大介に剣を振り下ろす。
浜崎が斬りかかってくるのとは反対側にいた、もう一人の敵を見ていた大介の頭がぐにゃりと歪む。正確には実際に歪んだわけではなく、速く動きすぎて浜崎にはそう見えたのだ。
単分子化したナイフの刃は、浜崎が振り下ろす剣がプリンや豆腐であるかのように、何の負荷もなく斬り進む。そして、そのままナイフは浜崎の首を切り落とした。
「大……ちゃん……」
浜崎は昔の大介を表す呼称を呟き、動かなくなった。
首をなくした体は、少しだけ遅れて剣を振り下ろした勢いで、前のめりに倒れる。
……誰も、許さない。
金属の扉を切り裂き、大介は宇宙船内にいる組織の者を蹂躙した。大介の動きにまともに対応できる者は、一人もいない。他に乗っていた組織の兵士五人は、宇宙船の操縦室で座ったまま命が尽きる。
その間に、浜崎が斬られる前に部屋から飛び出していたバンは、宇宙船の自爆装置を起動していた。そして、忠誠を誓った組織の為、操縦席の隣にあるコントロールルームへ入ってきた大介に、全力で立ち向かったのだ。
バンは浜崎と同等かそれ以上の速度でタックルを仕掛け、大介を抑え込み道連れにしようとした。
だが、バンの手が大介に触れる頃、すでにその魂はこの世から消えた後だ。脳天から両断されたバンは、そのまま二度と動かなくなった。
美紀を大事そうに抱えた大介は、その速度を維持したまま、宇宙船から離れる。そして、宇宙船が粉々に砕け散ると同時に、元の時間へ帰還した。
****
……美紀さん。
大介は、瀕死の体で荒野に座り込んだ。そして、美紀を抱きしめ、涙を流す。
声を出さずにその場で泣き続ける大介に、グレムリンは声をかけない。端末の中で回復プログラムを動かしながら、画面に背を向けて座り込む。そして、目を閉じて角を撫で続けた。
数時間後、爆発の知らせを受けた山本率いる警備部が、荒野に到着する。その時には大介は出血や全身の打撲により、美紀を抱えたまま気を失っていた。
山本達は大介を急いで車内へ運び、要塞都市へと駆け戻る。
気を失っている大介の顔は、戦いの時とは違い、穏やかな物に変わっていた。
ただ、大介は気を失っているが、警備部の人間がいくら力をこめようと、美紀からだけは手を離さない。
強く強く、愛する人を抱きしめた大介は、深い精神の奥で穏やかに眠る。死んでも大介を愛し続ける、彼女の夢に包まれて。




