エピソード2-19 :凍てつく永遠の祭壇、あるいは青き奇跡
最上層の扉が開かれた瞬間、肌を刺すような魔力の奔流が二人を襲った。
そこは、塔の心臓部。巨大な琥珀の魔力炉が脈打ち、その周囲の壁一面に、数え切れないほどの少女たちが閉じ込められた琥珀のカプセルが埋め込まれていた。
その中央に、白衣の男――マスター・クロノスが立っていた。
「……よく来たね、愛しき欠陥品たち」
クロノスは、侵入者たちを見ても眉一つ動かさなかった。彼の背後にある魔力炉の前には、一人の少女が浮かんでいた。
それは「零」によく似ていたが、さらに幼く、顔には目鼻立ちすら描かれていない、のっぺらぼうの「素体」だった。
「紹介しよう。これが全ての始まり。Lシリーズ、Vシリーズ、そして『零』の雛形となった『原初』だ」
「……あんたが、全部の元凶」
シフォンが槍を構え、低い唸り声を上げた。
「……マスター・クロノス。あなたの行いは、生命倫理の規定を著しく逸脱しています」
リリィが二刀を抜き、青い魔力の光を纏わせる。
クロノスは薄く笑った。
「倫理? 私は永遠を求めているのだよ。感情などという不確定なノイズに振り回され、朽ちていく君たちを、美しい琥珀の中で永遠に保存してやろうというのだ。感謝こそすれ、恨まれる覚えはないな」
彼が指を鳴らすと、「原初」の素体がゆっくりと動き出した。顔のない頭部が、ギギギ、と二人の方を向く。
「さあ、教育の時間だ。出来損ないの最新型が、完璧な旧型に勝てる道理がないことを教えてやろう」
「原初」が手をかざした瞬間、空間そのものがねじ切れるような衝撃波が発生した。
「……ッ!?」
リリィは即座にアイギス・零式の防御を展開したが、その衝撃は装甲の許容量を遥かに超えていた。体が数メートル吹き飛ばされ、床の琥珀石材を砕いて転がる。
「……リリィ! ……こいつ、硬い!」
シフォンが影から飛び出し、槍による連撃を叩き込む。しかし、「原初」の周囲には目に見えない超高密度の魔力障壁が展開されており、シフォンの絶技をもってしても、表面に微かなヒビを入れるのが精一杯だった。
「無駄だ。彼女は純粋な魔力の塊。感情という不純物がない分、出力に一切のロスがない」
クロノスが冷ややかに解説する間も、「原初」の攻撃は続いた。単純な魔力弾の一つ一つが、飛空艇の主砲並みの威力を持っている。
リリィはヴィオラのデータを元に回避パターンを構築しようとしたが、演算が追いつかない。
「……速すぎます。それに、この出力……物理法則を無視しています!」
「……チッ。……アリアのタルトみたいに、甘くない!」
シフォンが舌打ちをし、自身の「死神の力」を解放する。黒いオーラが槍を包み込み、強引に障壁をこじ開けにかかるが、「原初」はそれを腕一本で受け止め、逆にシフォンを壁まで殴り飛ばした。
二人は圧倒されていた。個々の能力では勝ち目がない。
「……しまっ……!」
一瞬の隙を突かれ、リリィの足元が琥珀の蔦によって拘束された。「原初」がその無貌の顔をリリィに向け、両手に莫大な魔力を収束させる。回避不能な至近距離からの極大魔法。
(……ここまで、ですか。……申し訳ありません、アリア様、ミリア様。……お姉様)
リリィの視界が赤く染まり、思考回路がシャットダウンの準備を始める。
死の光が放たれようとした、その時。
――諦めるな、リリィ。
脳裏に、懐かしい声が響いた。
無機質で、けれど誰よりも温かい、あの声が。
(……ヴィオラ、お姉様?)
――あなたのコアには、私の全てが記録されている。私の演算能力、私の重力干渉、そして……私の「意志」が。
リリィの胸の奥、ヴィオラのデータが格納された領域が、かつてないほどの熱を発した。
――私が力を貸す。二人で、あの空っぽの人形をぶっ壊すわよ。
「……肯定、します!」
リリィが叫んだ瞬間、彼女の瞳の色が、銀色から透き通るようなクリスタルブルーへと完全に変化した。
同時に、髪の青い部分が激しく発光し、周囲の空間が重く歪み始めた。
「原初」が放った極大魔力弾が、リリィの目の前で霧散した。
いや、霧散したのではない。リリィを中心に展開された超重力場によって、魔力の構成因子がバラバラに引き剥がされたのだ。
「……な、何だ!? その出力は! Vシリーズの残骸データごときで、あり得るはずがない!」
クロノスが初めて狼狽した声を上げた。
青い瞳のリリィ――いや、ヴィオラの意識が強く表出したリリィが、ゆっくりと顔を上げた。その口調は、いつもの丁寧語ではなく、冷徹な断定口調へと変わっていた。
「……クロノス。貴様の計算式には、決定的な変数が抜けている」
リリィ(ヴィオラ)が手をかざすと、「原初」の巨大な体が、見えない鎖に縛られたように地面に縫い付けられた。
「……家族を傷つけられた時の、私たちの非合理的な出力係数がな!」
その隙を見逃すシフォンではなかった。壁から這い出した彼女は、リリィの変化を見てニヤリと笑った。
「……遅い。……待ちくたびれた」
「……文句は後で聞く。行くぞ、シフォン!」
「……了解。……死神の本気、見せてやる」
シフォンが地を蹴った。その速度は、先ほどまでとは次元が違っていた。
彼女の槍は、もはや物理的な打撃ではない。「死」という概念そのものとなって、「原初」の障壁を紙のように食い破った。
「……ギ、アァァァァ!」
「原初」が初めて苦悶の声を上げ、体勢を崩す。
そこへ、リリィ(ヴィオラ)が突撃した。
彼女の二刀には、自身の重力干渉と、シフォンの黒いオーラ、そしてリリィ自身の青い魔力が複雑に絡み合い、渦を巻いていた。
「……これが、私たちの答えだ!」
「「トリニティ・ブレイク・オーバー!!」」
二人の、いや、三人の少女の魂が乗った同時攻撃が、「原初」の胸部にあるコアを直撃した。
時が止まったような静寂の後。
まばゆい光と共に、「原初」の体は琥珀の砂となって崩れ去った。魔力炉が停止し、塔全体を揺るがす振動が走る。
崩れ落ちた「原初」の残骸の前で、クロノスは腰を抜かしていた。
「馬鹿な……私の完璧な計算が……感情ごときに……」
リリィの瞳の色が、ゆっくりと元の銀色に戻っていく。青く発光していた髪も、落ち着いた色を取り戻した。
彼女は肩で息をしながら、自身の胸に手を当てた。
(……ありがとう、お姉様。……あなたの声、確かに聞こえました)
胸の奥の熱は、静かに、けれど確かにそこに残っていた。
「……終わり。……帰る。……お腹空いた」
シフォンが槍を収め、いつもの気怠げな様子でリリィの肩に寄りかかった。
「……はい。帰りましょう。アリア様とアリス様が待っています」
二人は、崩壊を始めた琥珀の塔を後にした。
その背中には、カプセルから解放され、眠り続ける数多の少女たちの未来と、ヴィオラというかけがえのない家族の記憶が、確かに背負われていた。
長い冬が終わり、王都に本当の春が訪れようとしていた。




