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エピソード2-15:青い残火、あるいは母の祈り

 

 深夜二時。アリスの隠れ家を出たヴィオラは、静まり返った王都の路地を通り、ミリアの邸宅へと帰還した。

 身体の奥底、神経の束が細く震えているような感覚がある。アリスによる深層回路の強制開放は、ヴィオラの肉体に小さくない変調をもたらしていた。

 

 

 玄関の扉を静かに開けると、リビングの端に置かれた魔導ランプの灯りが揺れた。

 

「……おかえりなさい、ヴィオラ」

 

 ソファには、厚手のショールを羽織ったミリアが座っていた。彼女の膝の上には、裁縫道具と見慣れない布地が置かれている。

 

「……ミリア様。まだ起きていたのですか。睡眠不足は生体リズムの崩壊を招きます」

 

 ヴィオラは淡々と告げ、脱帽した。その瞬間、ランプの光に照らされた彼女の髪が、微かに明滅した。

 かつてリリィと同じ銀色だった髪は、毛先から半分ほどが、透き通るようなクリスタル・ブルーへと変色していた。それはオーバーロック回路の常時起動に伴う、魔力飽和の副作用だった。

 

「その髪……。アリスちゃんのところへ行っていたのね」

 

 ミリアは立ち上がり、ヴィオラのそばへ寄った。その瞳には、驚きよりも深い悲しみが混じっていた。

 

「……肯定。対『零』戦における勝率を引き上げるため、出力のリミッターを物理的に除去しました。この変色は、神経伝達系の過負荷による色素の変質です。機能に支障はありません」

「……そう。痛くはなかった?」

「……調整中は、不快な電気信号を検知しました。ですが、許容範囲内です」

 

 ミリアは溜息をつき、ヴィオラの頬にそっと手を添えた。その手の温かさが、ヴィオラの冷え切った計算回路に静かに染み込んでいく。

 

「無理はしないで、と言っても、今のあなたには届かないわね。……でも、これだけは覚えておいて。あなたがボロボロになって守る世界より、あなたが笑っていられる世界の方が、私はずっと大切なのよ」

 

 ミリアは傍らに置いてあった新しい服をヴィオラに差し出した。

 それは、戦闘用の硬質な防護服ではない。柔らかいリネン生地で作られた、深い紺色のワンピースだった。胸元には、リリィの髪飾りに似た小さな花の刺繍が施されている。

 

「……これを、私に?」

「ええ。調整が終わって、あなたが『ヴィオラ』として動き出すなら、その体に合う新しい服が必要だと思ったの。明日、着てみてくれる?」

 

 ヴィオラは受け取った布の柔らかさを指先で確かめた。

 

「……了解しました。明日の朝、生体機能のチェックが終わり次第、着用します。……ありがとうございます、ミリア様」

 

 ヴィオラの無機質な声に、僅かながらの「湿り気」が混じったのを、ミリアは見逃さなかった。

 

 翌朝。王都近郊の隔離訓練場。

 ヴィオラの新しい出力特性を計測するため、アリス、リリィ、そしてシフォンが集まっていた。ヴィオラはミリアから贈られたワンピースの上に、最低限の軽量装甲を纏っている。

 

「……ヴィオラ。……やる。……手加減、しない」

 

 シフォンが槍を構え、その瞳に殺気を宿した。彼女はヴィオラの変化を、本能で察知していた。

 

「……了解。オーバーロック、第一段階開放フェーズ・ワン。……感覚同調を開始」

 

 ヴィオラの青い髪が、パチパチと音を立てて発光した。

 次の瞬間、シフォンが地を蹴った。銀の槍が、肉眼では捉えられない速度でヴィオラの心臓を貫こうと突き出される。

 ――だが、ヴィオラの視界では、世界のすべてが「静止」していた。

 アリスの端末には、異常な数値が並ぶ。

 

 [ 装着者反応速度:0.0001秒 ]

 [ 神経伝達効率:140%を突破 ]

 

 ヴィオラは最小限の動きで、槍の軌道をミリ単位で回避した。シフォンの連撃が空気を切り裂く轟音を立てるが、ヴィオラはそのすべての隙間に、幻影のように身を滑り込ませていく。

 

「……速い。……あいつ、……消えた」

 

 シフォンの槍を、ヴィオラは指先だけで弾いた。本来なら腕が砕けるほどの衝撃があるはずだが、アイギスと同期したオーバーロック回路が、その衝撃を瞬時に無効化した。

 

「……反撃します。……シフォン様、回避を推奨」

 

 ヴィオラが軽く手を突き出した。ただの掌底。しかし、圧縮された大気が爆発的な衝撃波となり、シフォンの小柄な身体を数十メートル後方へと吹き飛ばした。

 

「……計測終了。……オーバーロック、停止」

 

 ヴィオラの髪の光が収まり、彼女はその場に膝を突いた。全身の皮膚から蒸気が立ち上り、凄まじい熱気が周囲に放散される。

 

「……アリス。……出力、制御範囲内。……ですが、思考速度が速すぎて、……現実の時間が、あまりに遅く感じられます。……少し、怖いです」

 

 アリスは端末を閉じ、ヴィオラの肩を支えた。

 

「……でも、今のあなたなら『零』の首を獲れる。……あとは、あなたの心がその熱に焼き切られないことを祈るだけね」

 

 ヴィオラは、紺色のワンピースに付いた土を静かに払った。

 その胸元の花の刺繍は、激しい運動を経ても、変わらずそこに咲き続けていた。

 

「……大丈夫です。……この服を汚さないように戦う。……それが、私の新しいプロトコルですから」

 

 機械仕掛けの少女は、青い髪を風に靡かせ、遠く北の空を見つめた。

 決戦の時は、刻一刻と迫っていた。

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