31 忘れられぬ一撃に
「うわわっ」
足元が不安定で、湊はとっさに屈んだ。
なぜか足下が布となっていた。そのうえ、平らな地面についていない。
頭上を見ると、布がしぼられた形状が見えた。
大きな布に包まれて運ばれたのだろう。頭から被せられたが、逆になったようだ。
それよりも何よりも――。
「しまった、着替えてくるべきだった……!」
庭掃除中だったため、ジャージにサンダルである。
なんというしまらない格好であろうか。
とはいえ、そんなことに構ってはいられない。布越しに大気のうねる音が聴こえるからだ。
『ほい、ついたぞ~』
『あけるよー!』
風の精たちの声が聴こえた瞬間、ふぁさりと花が開くように布が開いた。
突如、視界に飛び込んできた景色に湊は目を見張った。
厚い雲が渦巻く空に、荒れくるう海。
その中間地点の宙に浮かんでいた。
風の精たちが布の端を持ってくれているが、あまりに心もとなく、立つこともままならない。
台風並みの暴風が吹き荒れているゆえ立てないのが、正直なところである。
湊はややたるみのある布を両手で握りつつ、あらためて眼下を確認した。
波間に連なる群島がある。その先に、大きな大陸が見えるが、形状的に日本ではないかもしれない。
詳細は見えないが、群島の平野部に民家が密集しており、赤茶色の屋根が多かった。
「日本より、もっと南の方っぽいな……。うわっ」
突如斜め上からの暴風に身体が沈んだ。
見上げると、風神と対峙する神獣がいた。四肢が長く、首と頭も長い。
「――馬?」
頭部と背中にツノはあれど、全体的に似てはいるだろう。が、明らかに通常の馬とは異なる箇所があった。
「眼がいっぱいある……」
額と、さらに胴体の側面に三つずつ。
「全部で九つだね」
唸る風でほぼ聴覚がきかない状態でも、風神の声が耳元ではっきり聴こえた。
「九つの眼を持つ神獣といったら、神獣白澤……!」
知った名を口すれば、複数の眼から槍のごとき視線を投げつけられた。
しばらく睨んでいた白澤であるが、すぐに興味をなくしたように風神へ視線を流す。もののついでとばかりに、強風を風神に叩きつけた。
「白澤は、瑞獣じゃなかったんですか!?」
つい言ってしまった。
幸運の前触れとして現れる獣ではなかったのか。風神への行動から、気性の荒さがうかがえた。
「そうなんだよ。おめでたい獣のはずなのに、好戦的でね。暴れ馬はほんと困るよ」
ひょいひょいと攻撃をかわしつつ、風神はこともなげに言う。
「すごく怒っているみたいなんですけど」
「そうなんだよねぇ。寝ている時に、ちょっとぶつかっただけでこれなんだ。短気極まりないよね」
「それはなんとも……」
神々の世界のことはわからぬ。
「ところで、雷様は?」
「あの雲の中でのんきに寝ているよ」
風神が指す上空を見上げると、小ぶりな黒雲があった。もこもことした輪郭が明確で、触れてみたくなるかわいらしさだ。
しかしながら、時折その下側に枝分かれして走る稲妻は実に恐ろしい。
「いかにも雷様っぽいベッドだな……」
感想を漏らした時、いななきが聞こえた。
竿立ちになった白澤が風神へと突進する。ぶつかる寸前、風神が上空へ逃げた。勢い余った風が吹き荒れ、渦を巻く。海水をも巻き込み、大きな柱状に。
あまつさえ海上を走り、群島へ向っていく。
「みんな俺を島の方へ運んで!」
湊が指示するより早く、風の精たちは群島のもとへ運んでくれた。即座に風を放ち、真正面からくる風にぶつける。
「重い……!」
神気を含む風は自然の風とは異なる。同じく神気を多分に含ませた風を連続で繰り出し、ようやく相殺できた。
ほっと息をついたのもつかの間、空を縦横無尽に駆ける白澤が、後ろ足で黒雲を蹴った。
蹴ってしまった。
かの雷神がおやすみ中のベッドを。
「いってぇッ、なにしやがる!」
いまだかつて聞いたこともないドスのきいた声が響いた。
雷神なのは間違いない。
ゆらりと身を起こすその少年体と、赤い肌には見覚えがある。しかしその逆立つ髪と、般若めいたご尊顔ははじめて見た。
神鳴りがとどろく。
黒雲から天へ延びる太い柱状の稲妻は、さながら宇宙へ放たれた砲弾のようであった。
恐ろしすぎる。
子どもの頃、雷鳴の日は必ず母に「雷様におへそを取られたくなかったら、隠すのよ~」と脅されたものだ。
かつてはことさら雷が怖かった。物心ついてまもなく、近所の大木に落雷したのを目撃したせいもあるだろう。
ともあれ、そんな風に幾度も名を聞いて育ったおかげで、湊は雷神のことを畏怖と少しの親しみを込めて〝雷様〟と呼んでいる。
「か、雷さま……」
おののきながらつぶやくと、雷神が振り返った。
瞬時に逆立っていた髪が下り、吊り上がっていた目も下がる。
「あら? アンタ、なんでこんな所にいるの?」
いつも通りのやわらかな女言葉であった。
うすうす気づいていた。雷神はあえて女言葉を使っているのだろうと。
雷神の普段の所作に、女めいたところはまったくないからだ。
「僕たち、本性はいかついおっさんだからね。無駄に怖がられないように、わざとやわらかい言葉で話しているんだよ」
と、風神が白澤と戦いながら教えてくれた。
相変わらず察しがいい。心が読めるようでこちらの神もやはり油断のならない、否、恐るべき存在である。
「それはいいけど、アタシを蹴ったあの馬にやり返さないと気が済まないんだけど」
雷神の髪の毛先がふたたび浮き上がり、湊は腰が引けた。
「やっぱりまだお怒りだったんですね……!」
「あったりまえよぉ! やられっぱなしなんてアタシのプライドが許さないわっ」
きっと白澤を睨み据えた雷神をどう止めたらいいのか。
無意味に手を動かしていたら、雷神が黒雲ごとそばへきた。
「というわけでぇ、アタシの代わりによろしく〜」
ほいと、小さな太鼓――雷鼓を渡された。
反射で受け取ってしまったそれは、棒がついており、太鼓に一本ついた紐の先に玉がついている。
「これ、どう見てもでんでん太鼓じゃないですか。なんでこれを俺に!?」
「だから、アタシの代わりに、それであの馬野郎に雷をお見舞いするのよ」
「む、無理です!」
「大丈夫、大丈夫。一発だけしか出ないから」
「そういう問題じゃないんですけど!?」
雷神が半目になった。
「あらぁ、いいの? アタシがやったら島に落ちるけど?」
「なんでですかっ」
ふわわと雷神があくびをする。
「だってアタシ今、寝起きなんだも~ん」
ふざけているわけでもないのだろう。実際、その頭部はぐらついており、目もしょぼついている。
今にも寝てしまいそうだ。
突然眠りを邪魔されたのだから、無理もあるまい。
雷神は雷雲に横たわりつつ、軽い口調で言う。
「アンタ、いまだって二神の力も遣えてるんだから大丈夫よ。イケる、イケる」
ゴロリとうつ伏せになった雷神は、重ねた手の甲に顎を乗せ、真正面から見据えてきた。
「人生、何事も経験でしょ。お仲間を一人も死なせたくないんなら、やりなさいよ」
それをいわれたら、腹をくくるしかない。
「――わかりました。では、このでんでん太鼓はどう扱ったらいいんですか」
「狙う場所を決めて、鳴らせばいい。ただそれだけよ」
湊は布の上で視線を正し、毅然と顔を上げた。
風神と白澤は幾度も衝突を繰り返している。白澤が距離を開けたその瞬間を待つ。握った雷鼓の柄が奇妙にあたたかく、落ちつかない。
「はい、狙って狙って~」
神経を研ぎ澄ませているせいか、やけに陽気な雷神の声が耳につく。
そして、白澤が風神の風に飛ばされた瞬間、雷神の気配が尖り、口調が変わった。
「撃て」
鋭き指示に、雷鼓を振った。
雷神の乗る雷雲から、稲妻が放たれる。
蛇めいた動きで見事、白澤に命中。光の中で白澤の毛が逆立ち、眼がかっぴらいた。
そして、落下していった。
まさかここまで威力があるとは思わず、湊は呆然となった。
一方、雷神はいたく満足げだ。
「やるじゃな~い、上出来上出来〜」
「あー、やっと終わった。助太刀ありがとう。――神はしぶとくてなかなか死なないから、あんまり気にしなくていいよ」
風神にまでにこやかに言われても、はいそうですかとすぐさま気持ちを切り替えるはずもない。
雷鼓の消えた手のひらを上に向けたままの湊を、風の精たちがまるっと布でくるむ。
『さあ、帰ろ帰ろ~』
『いくぞいくぞー!』
一瞬にして消えゆく一団を、風神が笑顔で見送る。一方雷神は、すでに夢の中へ旅立っていた。
★ アニメ化が決まりました! ★
ひとえに応援してくださった皆様のおかげです。
心より感謝申し上げます。
放送日をお楽しみに。
https://kakuyomu.jp/users/_enju_/news/16818792436582716072
既刊の電子書籍も各ストアですんごいお求めやすい価格となっております。
これを機にぜひ。




