5 山神さんちでキャンプを
ぴりりと甲高い鳥の鳴き声に、山道を歩いていた湊は見上げた。
梢がしなったと同時、近くの藪からも小鳥が飛び立つ。
忙しなく羽ばたく翼と広がった尾羽根は、精巧につくられた芸術品のようだ。
林冠を突っ切っていくその鮮やかな飛翔から、目が離せない。
「湊、あんまり見とれてると、転んじゃうよ~」
隣を歩むウツギに注意されてしまった。
「――ああ、うん。気をつけるよ」
顎を下げ、視界に入った山道は落ち葉が覆っている。朝日がお目見えしてそれなりに経っていようとも、露で濡れていた。
気をつけないと、滑ってしまうだろう。
「たとえ転んで濡れたとしても、磨が乾かしてやるのじゃ」
肩に乗るカエンが軽い口調で言ってきた。
「いや、いいよ。そんなことに神様パワーを遣わなくていいから……」
湊はやや引きつった笑みを返した。
本日はここ、山神さんちでお泊り会である。
前々から計画していたことで、ようやくその日を迎えることができた。湊が背負うザックはパンパンである。いろいろ準備してきていた。
むろんこの山の所有者である裏島家の許可は得ている。というより、いつでもお好きにどうぞという状態である。
涼やかな瀬音を聴きながら、湊はかずら橋を渡る。
横手から風が吹きつけてくるうえ、足元の隙間は広く不安定だ。足がすくむことはないが、気持ちのいいものではなかった。
慎重に歩を進めていると、ペイっと肩からカエンが跳んだ。橋の手すり部分に着地し、ふんわりとした尻尾をたなびかせ、前をゆくウツギを追いかけていく。
「なんか、カエンご機嫌だね」
「だって、カエンはツルが好きだもんね~」
ウツギが笑いながら言うと、カエンが当然のように答えた。
「うむ。藤のツルがもっともよいが、かずらもよいものじゃ」
束ねられたカズラを軽快に回り、螺旋を描きつつ進む。
「それも祖神様の影響なの?」
「そうじゃ」
カエンは、祖神たるカナヤコカミの血が濃い。ゆえにその性質と好き嫌いまでも強く受け継いでいるという。
カエンが藤とみかんを好み、犬を苦手とするのはそのせいである。
なんでもその昔、カナヤコカミが犬に追いかけられた際、ミカンの木に登って助かり、またある時は藤の木に登ってやり過ごせたからだとか。
いつぞや山神から聞いたそのことを思い出しつつ、かずら橋を過ぎると、道が草に浸食されかけていた。
「刈らないと」
と湊はついつぶやいてしまったが、すぐさま行動には移さない。移せないというのが正しい。
なにせ、すでに登山客がいるからだ。
山道を下ってきた二人組はカメラを持っている。動物か鳥を撮りに来たのだろう。
この山には、付近の山々では見られない種が多いからだ。彼らの長である四霊がいるからなのだが、それはさておき。その希少種を目当てに山を訪れる者も日に日に増え、常連となっている者も多い。
この二人組もそうだ。湊と同年代の青年たちである。
すれ違いざまにあいさつする間、湊の肩に乗るカエンは、大きなまなこでじっと二人組を見つめた。
「あっ」と片方が立ち止まり、あたりを見渡す。連れが振り返った。
「おい、どうした」
「――なんか見られてるっぽい」
敏感なタイプのようだ。連れはそんな反応に慣れているのか、訝しがる様子はない。
「お前、この山にくると毎回そう言うよな。けどいやな感じじゃないんだろう?」
「今日はちょっと刺々しい感じがする」
「あーらら、嫌われちゃった?」
連れは笑っており、深刻にはとらえていないようだ。
湊の数歩先をゆくウツギも笑う。青年たちには聴こえない声で、カエンに忠告した。
『カエン、害のない人間は睨んじゃダメだよ』
『――睨んではいないのじゃ』
そっぽを向くカエンは、ややバツが悪そうだ。
かずら橋を軽快に渡っていく青年たちから離れつつ、湊はカエンに問うた。
「カエン、まだ人を許せないのかな。嫌い?」
かなり間を置いたあと、カエンは消え入りそうな声でつぶやいた。
「――嫌いではないのじゃ」
まだ思うところはあるのだろう。
カエンはその昔、術者の願いに応え、自ら刀剣に降りてやったのである。
それはもともと人間に興味なり、思いなりがあったからこそだろう。
にもかかわらず、粗末に扱われ、あげくには放置されるという、手ひどい裏切りにあった。
ゆえに、そうあっさりと元のように戻るはずもなかろう。
少しずつでいい。ゆっくりでいい。また人間に寄り添ってくれるようになってくれれば。
と湊が思っていると、ウツギが笑いながら茶化した。
「嫌う程度ならいいじゃな〜い。憎んでないならね!」
「うーん、まあ、そうかな?」
「そうだよ。ちょっと睨むぐらいなら、敏感な者しか気づけないよ。山神だったらそれだけでも、相手がちびっちゃうけど~」
洒落にならぬ。
そのおっかない山神はといえば、ここにはいない。近くに気配もない。おそらく山の奥深くにある磐座にいるのだろう。
湊が目指すのもそこなのだが、その前に寄る場所があった。
おなじみの祠だ。
ほどなくしてその祠の真正面に立った湊は、ポツリとつぶやく。
「綺麗だ」
祠のみならず、周辺に雑草も落ち葉すらない。
実のところ、これが最近の常態である。月に一回の定期清掃が必要ないほど、掃除がいき届いていた。
ウツギが、祠の屋根に駆け上がった。ちょこんと座すも、罰当たりな、などと思うはずもない。輝かしいその身は神々しさしかない。
ともあれ、ウツギは祠を軽く叩きながら、教えてくれた。
「これに向かって手を合わせる前に、掃除をする人間がいっぱいいるからだよ。中には『雑草をいただいてもいいですか!?』って祠にお伺いを立てる者もいるからさ、了承の意味で祠の後ろに小石を落としてやると、喜んで持って帰るんだよね〜。意味わかんない」
最後は真顔で言ってのけた。
湊は笑いながらも、念のため、祠の中ものぞいた。
三つの丸い石が寄り添っている。
それらは山の神の代わりとはいえ、ただの石にすぎない。そのうえ、むき出しの状態である。けれども、動かされた形跡はなく、誰も触れていないのは明らかだ。
湊は満足げな笑みを浮かべつつ、つくづく思う。
「この国の人たちは、ホント信心深いよね」
「ゆえに、なんのへんてつもない雑草を持って帰ると?」
カエンは不思議そうだ。
「どうだろう。世の中、変わり者もいるからなんともいえないけど……。あ! もしかしたら、この御山には神様がいるから、雑草にも何かしらの霊験があると話題になってるとか?」
思いつきを口にしながら、湊は一抹の不安を覚えた。
信心深い人々は、時に暴走することもあるからだ。
一方、祠に後ろ足で立つウツギは、なんの不安も感じていないようで、合点がいったようにポンと前足を打った。
「ああ、そうか。だから、供物もやたら豪華なんだ」
「――そんなに?」
「うん。大袋の菓子やつくりたての弁当、あとはね、酒もた~くさんくれるよ。酒は取り合いになるからすぐなくなるんだけど~」
誰と誰が、などあえて訊くまでもない。
むろん、妖怪らだ。
「!」
突如として濃密な妖気を感じ、湊は祠の後方を見やった。
うっそうと茂る木々の奥で、感情を高ぶらせた妖怪がいるようだ。
もしかすると、登山客が妖怪と揉めているのかもしれない。
「――ちょっと、見に行ってみるよ」
硬い声でいうと、反対にウツギは陽気に言った。
「いいよ~、行こうか」
「うむ」
肩に乗るカエンも、緊張している様子は微塵もなかった。




