295.恐怖は続きます
鈍い音は人が人を殴る音であった。
正確に言うならば、結弦が火を纏わせた小槌で、桜の頭をバッドで球を打つかのように横殴りに殴った音。
鈍い音ののちに、桜の頭からはたらりと血が流れ、そしてーー桜はパタリと倒れた。
「……逃げるわよ!」
目にはたっぷりの涙をためて。
両手で小槌を持ち震える結弦は誰が見ても余裕の一切がない。泣き出す寸前の赤子のような切迫感である。
「御意。喜藤氏は拙者が抱え「必要ねぇよ。自分で立てらぁ。」
司が横抱きに抱えようとすれば、魁斗は拒否して立ち上がった。
魁斗が走り出したのを見て、結弦や司も後に続く。
「……大丈夫なの?」
魁斗の横を走りながら、結弦は聞いた。心配そうに、チラッ、チラッと魁斗の腕へと視線を向けながら。
魁斗自身の武器を何とか抱えてはいるものの、いまだに魁斗は両腕をあまり動かさないようにしていた。
「問題ねぇよ。ちょいと痺れるだけでぇ。」
フンッと鼻を鳴らす魁斗はいつも通りの魁斗であるが、額ににじむ汗は結弦やつかさ2 =冷や汗のようにしか見えなかった。
魁斗が強がっているようにしか見えなかったのだ。
「そう。」
強がりであるように感じられたからといって、それを指摘してもどうにもならない。結弦らに優れた治療能力があるわけでもないのだ。
大丈夫だと言う魁斗の言葉をとにかく今は信じるしかない。
何もできずにいる自身が結弦には歯痒く、悔しくてならなかった。
「助かった。」
結弦が泣き出したい思いで走っていると魁斗が結弦に言った。
「え?」
何を言われたのか、一瞬理解することができず、結弦は聞き返してしまう。
自身の考えが甘かった。だからこそ、スキを作ってしまった。魁斗の足を引っ張ってしまった。
故に、魁斗は負傷しさらに窮地に立たされている。
助かったと言えるような状態ではない。
だからこそ、結弦には魁斗の言ったことが理解できなかった。
「注意散漫だった。あの女ばかりに気ぃ取られて落ちてくる枝に気づかねぇなんざ、情けねぇ。もうちょいで危なかった。お前ぇさんのおかげで助かった。」
目をパチパチさせて、魁斗が何が言いたいのか理解できていない結弦に魁斗は言葉を重ねる。
そこで、ようやく魁斗が言いたいことが結弦にも理解できた。
「……い、いえ。私は…。」
理解できはしたが、しかし、礼は素直に受け取れなかった。
「大事な道具なんだろ?」
暗い空気に包まれる結弦に、魁斗は結弦の手に握られている小槌を指差しながら言った。
「……えぇ。これなら、ダメージくらいは与えられるかなって…。」
結弦は小槌に視線を落とす。
片す暇もなく、握りしめたままであった小槌。結弦の愛用しているものだ。
手入れを欠かしておらず、いつもならばきれいな状態である小槌なのだが、それが今は血で汚れてしまっていた。
「さすがでぇ。」
小槌を見て、顔を歪める結弦を魁斗は称賛の声をかけた。
「…………ごめんなさい。」
褒められたと言うのに、やはり結弦の表情は暗かった。
魁斗が結弦を横目で見て口を開いたが、言葉を発するより先に、騒音が響きわたった。
「くそがぁああああああいあああああああああああああああっ!」
「アイツぁ、随分な石頭みてぇだなぁ。」
轟く騒音に司や結弦が絶望に肩を震わす中、魁斗ははぁーっと深くため息を吐いた。
武器を何とか握りしめ、感覚を確認している様子から、魁斗が再び戦いの前線へと自分が出ようとしているのは明らかである。
「自己修復能力でもあるでござるか?!」
司がもしやとハッとなった様子で叫んだ。
ぶっ飛んだ思考となっているが、司はもしかしたらそうなのではと本気で思っているようだった。
「そりゃあどんな化け物でぇ。もはや、人間やめてんだろ。……さっきは軽い脳震盪をおこしただけだったんだろ。で、目ぇ覚ました。」
司の思考にすかさず魁斗はツッコミを入れ、その上で1番可能性のありそうなものを提示した。
「覚醒早すぎだわッ」
魁斗の言った可能性に結弦は叫ぶ。もう少し気を失っていて欲しかったと。
「嘆いても仕方ねぇよ。」
「それはッ…そう、だけど!」
「ぐっ!こんのクソガキがぁああああ。化け物の分際で生意気な!このっこの!!!」
後ろから近づいてくる怒声に嘆きたくもなるだろうと結弦は顔を顰めた。
はじめの優しそうな印象が嘘かのようだ。
とてもじゃないが、魁斗のように肩をすくめるだけですんなり受け入れられるほど、桜の存在は軽くは感じられないと結弦は思う。
「山姥がお目見えでぇ。気ぃ失ったはずなのに、動きが鈍っちゃいねぇなぁ。」
「ちょこまかすんな、ゴキブリが!!穢らわしい!!!」
「追っかけになりふり構わずになってきたな。」
半分呆れを含んで魁斗はつぶやいた。その視線の先には乱れる髪を気にすることもなく、鬼の形相で走る桜がいた。
森の中を走ることで草木に皮膚を擦ってしまっているが、気にも止めていない。
嬉しくないことに、時間が経てば経つほど、桜から追いかけられる絵面はショッキングなものへと変貌を遂げていた。
「喜藤氏に散々コケ落とされて、キレたご様子。……あの形相をさらして良いものか。」
原因は魁斗だけではないだろうが、司は主に挑発を繰り返している魁斗にフォーカスを当てる。
「人様に見せちゃあマズい顔であることは確かでぇ。」
自分のせいにされている事を一切スルーし、魁斗はチラッと桜を振り返って鼻で笑った。
「誰のせいでござるか。」
「俺ぁ、悪かねぇ。」
さすがに悪びれもしない態度に対して司がじとーっと魁斗を責めるように見たが、やはり、魁斗は自身は悪くないと主張する。
あくまで真実しか口にしていない、と。
「話している暇はないでしょう!!避けてッ!」
軽口でも言っていなければやってられないのは分からなくもないが、結弦にはそんな余裕はない。
《プシューーー》
結弦は魁斗や司に叫ぶや否や、噴射した。スプレー缶のようなものから噴射された液体は桜の顔に降り注ぐ。
「きゃーっ!いたい!痛いっ!わっわわっ!」
結弦が噴射した液体は桜の目にも入ったらしく、桜はその場で立ち止まると大粒の涙をこぼして叫んだ。
次から次へと溢れ出す涙は止まる気配がない。
「走るわよ!」
顔面大惨事な桜から早々に離れると結弦は魁斗や司に視線をやる。
「待ちなさいよ!」
目から大粒の涙をとめどなく流しながらも、桜はなんとか声のした方へと足を動かした。
が。
「何これ、気持ち悪い!くっついた!!」
結弦が物を投げれば、あたりに桜の悲鳴が再度、響き渡った。
振り向いて見なくても分かる。結弦らの後ろでは大惨事が起きている。
「あれは?」
甲高い耳障りな騒音が響く中を走りながら、魁斗は桜を振り返り見た。
桜の身体中にくっついているのは10センチ程度の緑色の物体であった。小人のような形のそれは身体の表面が刺々している。
それが身体に刺さり、怪我をするまでに至らないものの地味に痛いようだ。
桜は必死に服に引っ付いたものを取り外していた。
人型であると言っても表面は刺々しているがゆえに大きな毛虫のように見えるのが気持ち悪く感じさせ、桜の悲鳴の音量を大きくする要因となっているようにも見える。
「吹きかけたのは草の汁よ。目に入れば痛いでしょ。あと、投げたのはくっつき虫。少しくらい足止めになるはずよ。」
くっつかれるだけ。ちょっと痛みがあるだけ。大した能力もなく、危険性の低い魔物で、まるで人への嫌がらせのためだけに存在しているかのような魔物だ。
交戦中に引っ付かれたら集中力を削いでくる地味にうざい奴だと。
ひっつき虫の存在を知らなかったらしい魁斗に結弦は軽く説明する。
「なるほど。人間相手だからこそ、かぃ。」
「えぇ。子供騙しでしかないわ。対人戦に役立つからって師匠から教わってたんだけど…使い道ないと思ってたわ。」
なぜ師匠は対人戦に役立つと教えていたのか。桜らのような者たちに会うことを想定していたのか。
結弦はいろいろ気になることがあったが、とりあえず考えるのをやめ、魁斗との会話と走る事に集中した。




