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視線の先に

 夕方前の電車の中は空いている。

 俺たちは船の中で熟睡したので、元気満タンになっていた。

 劇場に行く前にスタッフさんにつばさを連れて行くことを再度連絡する。ラインを入れたそばから変なスタンプが大量に送られてくる。

 俺の横にすわるつばさに声をかけた。

「あのさ、キャラが濃い人たちが多いから、色々気にするなよ」

「大丈夫」

 つばさは平然と答えたけど、俺は少し心配だった。

 数回しか関わって無いけど、劇とかマニアックなことを仕事にする人たちは、俺からみるとみんな「良い意味で変人」なのだ。


 中北沢の劇場は建物自体は古く、それほどキャパも大きくない。

でも歴史がある場所で、ここで劇をすることがステータスになる場所だ。支配人の方が「面白い」と言ったものは何でも流す場所で、聞いた話だと3人しかいない劇団の脚本にOKが出て、200人の箱の 前に演じ切って大評判になったらしい。ちなみにその3人は今テレビで超売れっ子になってるから、支配人の目は確かなんだろう。

 この前寄った時はライブトークをしてた。おばちゃんが老老介護の愚痴をしてるだけなのにめっちゃ面白かった。

 ここで何かを演じることは、すごく価値があること。

 演劇とか知らない俺もそれくらいは知っている。

 裏口から入るとすぐに制作の石塚さんが走ってきた。

「春馬くん、来てくれて助かるー! そっちが話に聞いてたお友達? よろしくね!」

 この人は全ての雑用を担う人で、別名残像。残像しか見えないほど常に高速で動いていて、つねに仕事をしている。

 つばさが「お邪魔します」という返事も「よろしくーー」と遠ざかりながら手を振って去っていく。その名の通り残されたのは残像のみ。

 つばさはキョトンとしていたが、俺が知る限りこの劇団で石塚さんが一番の常識人だ。


「さて、やるか」

 俺たちは裏に旅行の荷物を置いて、場所についた。

 そこは正式な入り口からほど近い場所にある【差し入れ受け取り所】だ。

 この劇団には昔売れていた俳優さんから、これから売り出すアイドル、前シーズンの特撮ものに出た有名人まで、とにかく『ちょっと有名な人』がたくさんいる。

 そういう人に直接会えて差し入れを渡せる劇場には、とにかくすごい量の差し入れが持ち込まれる。

 俺の手伝いはそれを受け取って、仕分ける事。


「これをお願いします」

「お渡ししたい方のお名前と内容物を付箋紙に書いて貼ってください」


 俺たちが入り口に立ったのは開演の1時間半前だが、すでに100人以上から差し入れを受け取っている。俺の裏でつばさはそれを段ボールに詰めている。

 この前は受け取って詰めて……一人でやっていたから目が回ったけど、今日は少し楽だ。

「これどら焼きで……賞味期限が短いんですけど、大丈夫でしょうか」

「その旨お書きください」

 俺も二回目にして慣れてきた。というか、接客というか人間と接するのはランスでバイトしてるのもあるし、苦手じゃない。

「こちらでも受け取ります」

 俺のよこにつばさが立った。俺がしてるのをみて要領を得たのかつばさも受け取り業務を手伝いはじめた。というか、開演が近づくと行列が始まった。

 つばさの判断は正しくて、とりあえず受け取るべきだ。

 仕分けは後でもできる。

 

 開演10分前のアラームと共に、お客さんは並ぶのを一度諦めて劇場内に消えた。

 俺とつばさは顔を見合わせて「ふうう……」とため息をついて椅子に座り込んだ。

 後ろの机にはうず高く荷物が積まれている。

 俺たちはお茶を一口飲んで、荷物の仕分け作業を開始した。

「これは……どっち?」

 つばさに聞かれて確認する。賞味期限が四日後……。

「今日持ち帰りの箱。期限が長いものは宅急便の箱に入れてな」

 俺は答えた。

 この仕分け作業が大変なんだ。

 ここの劇団の座長は変わった人で普通なら絶対に断る生ものの差し入れも受け入れている。『食べ物の差し入れ歓迎! 若いヤツはそれで生きてるから、何でもガンガン差し入れしろ!』と公言していて、沢山の食べ物がくる。

 さっきのどら焼きが良い例で、期限が短いものはすぐに食べられるように手渡し。

 期限が長いものは宅急便で個人宅に送る。

「これは手紙だけ抜くのか?」

 確認すると中はカニの缶詰で、カニの絵柄の封筒が入っていた。

「そう、手紙は今日持ち帰り用に入れて」

「手紙は今日読むのか……なんか、いいな」

 つばさはカニの封筒を持って言う。

 手紙は今日中の箱に入れるのも座長さんの指示だけど、ファンの子からしたら嬉しいよなあと思う。まあ忙しい初日に制作さんがこの作業を出来ないのは分かる。

 だからこうしてほぼ無関係な俺が駆り出されてる訳だけど。

「またカニだ。この俳優さん、カニが好きなのか」

 つばさは両手にカニ缶を抱えた。

「たぶん好物なんじゃね?」

 俺が持った袋からもカニ缶が出てきた。ていうか、カニ缶って買うと高くないか?

 開ける袋五割にカニ缶が入ってるのを笑いながら荷物を仕分けた。


「ふー、とりあえずおつかれ」

 作業が終わった。また劇が終わったら沢山くるんだけど……。

 俺たちは石塚さんに誘われて、三階にある照明さんが居る場所に入れて貰った。

 舞台を一瞬見て、俺は爆笑したいのを、ぐっと我慢した。

 なぜなら舞台に4体? 4人ほどカニがいたのだ。どうやらカニと普通に共存している世界? らしい。これは確かに差し入れにカニが増えるわ……。

 横を見たら、つばさも口元を抑えていた。カニ缶の謎が解けたな。

 俺は正直、舞台で軽快に踊るカニが気になって仕方なかったが、その後つばさは微動だにせず舞台を見ていた。というか雑用を頼まれたのに、つばさは集中してて聞こえてなくて、俺だけ雑用済ませて戻ってきても、つばさは気が付いて無いほど集中していた。

 楽しんでもらえたなら良かった。


「すごく、うん、良かった。なんかすごかった」

 つばさは荷物を運びながら小声で何度も言った。

「独自の熱があるよな」

 俺は頷いた。その熱に一度ハマると、その人は永遠に舞台に縛られるって座長も言ってた。

 舞台が終わってから即荷物受取所に戻り、仕事を再開、また100個近くの荷物を受け取って作業が終わったのは終演から1時間以上経ってからだった。


「春馬くん」

「あ、新田さん」


 宅急便さんに荷物を全て渡し終わった頃、靴職人の新田さんが来た。俺は一度だけ会った事がある。笑顔がにこやかな銀縁メガネをしたおじいさんだ。

 大通り沿いにある靴工房で普段はオーダーメイドの靴を作ってるらしい。

「この子?」

 新田さんはつばさを見て、笑顔でお辞儀をした。つばさも丁寧に頭を下げた。

 たぶんプライベートな話になるだろう……と想像した俺は、お互いを紹介だけしてその場を離れることにした。俺がいたら出来ない話もあると思う。

 逆に俺だったら、親類の相談をするときに友達が隣にいるのはイヤだからな。

 俳優さんたちが今日持って帰る荷物を抱えて楽屋に向かうと、机で死んだように眠っている七々夏が居た。

「生きてんの?」

 俺は荷物を置いて話しかけた。

 七々夏はカカカ……と壊れた人形のように顔を上げて

「モ……モンケル皇帝液を……そこのバックから皇帝さまの液体を出してください……」

 七々夏の目は8割寝ている。わが姉ながら、なかなか残念な姿だ。

 俺が鞄を開けようとしたら、横からヒョイと奪われた。

「七々夏ちゃんの荷物はこれかなー?!」

 名物座長だ。座長は七々夏の鞄を開こうとする。

「あっ、座長やめてください!」

 八割寝ていた七々夏が目を開いて立ち上がる。

「うわあ七々夏ちゃんの鞄の中はモンケルの山だ!」

 名物座長は笑いながら七々夏の鞄を横に置いて、七々夏にモンケルを渡した。

「はい、おつかれさま」

「……ありがとうございます」

 七々夏は苦笑しながら受け取った。

「打ち上げ行くよ~!」

 座長が言うと、みんな「うおおお……!」と立ち上がった。

 でも七々夏はトスンと椅子に座り込んだ。その瞳は少し潤んで……?

 んんん? この表情……。甘酸っぱい匂いがするぞ?? 七々夏さん……? 俺が横を見ると七々夏はモンケル(@4500円の高級品)を抱えて

「……これ私が持ってきたヤツじゃないじゃん。冷えてるもん……座長のやつじゃん……」

 と呟いている。

 んんんん? 俺はまた姉の恋を見学するポジションなのか?

 しかも相手はあの名物座長。

「……じゃあ俺は七々夏のモンケル飲むわ」

 俺は七々夏の鞄を勝手に開けて、生ぬるいモンケル(@800円の安いやつ)を飲んだ。

 ものすごく不味い、酷い、むしろ元気を吸い取られてる。

 いつもなら「春馬!」ってキレるのに、七々夏は横で冷えたモンケルを優しい瞳で見つめてる。

 そんなうっとりした表情してないで、俺を怒ってくれよ、七々夏!


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