聖女が剣を振るっちゃ駄目だっていうんですか!?
……………………
「ヴィクトリア・フォン・アイゼンフェルト」
透き通るような銀髪の少女は自分の名を呼ぶ男性を見る。
男性の名はアーダルベルト。このオーステル王国の第一王子だ。
男子の王族は陸軍か海軍に奉仕せよとの王国の決まりから、アーダルベルトも陸軍の灰色の軍服を纏っている。
彼はこの場での自らの威厳を高めようと考えたらしく、これまで授与された勲章をつけ、陸軍大将の階級章を光らせていた。
だが、ヴィクトリアはそれらが彼が王族だからという理由で苦労せず貰えたものであることを知っているため、彼の威厳はさほど高まっていない。
それどころかそのような礼服を必要とする場でもないのに、それをわざわざ纏っていることで威厳とやらは空回りしていた。
「お前を我が国の大聖女の地位から追放する」
しかし、次に発された彼の言葉はヴィクトリアにとってそんな些細な問題など吹き飛ばすものであった。
ヴィクトリアは若くしてこのオーステル王国の大聖女に任命されていた。
それも彼女の実力を評価されてのことである。
彼女は元々は貴族の血縁ではなかった。彼女は傭兵団長の娘だ。
しかし、12歳のときにその傭兵団が討伐を命じられた『血塗れ渓谷の悪魔』討伐で聖女としての多大なる素質を見せたことから、王国聖務省の聖女として召し抱えられた。
そこからは王国に蔓延る無数の悪魔を討伐したことで聖女としては最高位の大聖女に任命されたのである。
「……理由をお聞かせ願っても?」
そんなヴィクトリアに追放される理由に覚えはなく、彼女は僅かにその細い眉を歪めてアーダルベルトにそう尋ねる。
「お前の行っている悪魔祓い、とやらが虚偽であるとの報告を受けた。専門家に聞けばお前のやり方は『全くの間違い』であり『正式に定めれた手法から著しく逸脱したもの』であり『何の効果も期待できない』そうだ。ん?」
アーダルベルトは意地悪く笑ってヴィクトリアにそう言う。
「前々から思っていたのだ。なぜ聖女なのに神に祈りを捧げることで悪魔を退けず、その物騒な剣を振り回していたのかと!」
そう言って彼は追及するようにヴィクトリアが腰に下げている剣を指さした。
その剣は飾りも何もないシンプルな剣で、確かに聖女と呼ばれる人間が持っているにはいささか物騒なものであった。
「高位悪魔に祈りの言葉は通じません」
それに対してぴしゃりとヴィクトリアが言い返す。
「特に『血塗れ渓谷の悪魔』のようなこの世界に実体を持った悪魔を祈りだけで撃退するなど不可能です。なぜならば……」
「黙れ!」
ヴィクトリアが説明しようとするのをアーダルベルトが声を上げて遮る。
「言い訳を聞くつもりはない。専門家が言っているのだ。お前のやり方は間違っていて、何の効果もないと」
「その専門家とやらは誰です?」
「フリーデリケ・フォン・アーレンスベルク嬢だ。丁度、彼女に来てもらっている」
彼女から話を聞こうとアーダルベルトがベルを鳴らし従者を部屋に呼び、従者がそのフリーデリケなる人間を連れてきた。
「初めまして、ヴィクトリアさん」
現れたのは烏羽色の長い髪を持ち、その女性的な体のラインが出た喪服のように黒いドレスを纏った──燃え滾る地獄の炎のような真っ赤な瞳の若い女性だった。
ヴィクトリアはそれを一目見た瞬間、背筋がぞっとした。
女性が醜かったからではない。逆だ。美しすぎたのだ。
それはあまりにも人工的に感じる美しさであった。
そう、魚を釣るためのルアーが魚から見てカラフルで美味しそうに見えるように、フリーデリケの美しさも何かを釣り上げるために作られたかのような美しさであった。
魚から見た人間のような、人間を捕食する存在が作ったような……。
「さあ、フリーデリケ嬢。この自称聖女にちゃんとした悪魔の払い方というものを教えてやってくれ」
「はい、殿下」
ヴィクトリアはにこりと微笑むフリーデリケの姿にすら寒気を感じたが、アーダルベルトは何も気づかず僅かに鼻の下を伸ばしている有様であった。
「神の言葉は何よりの武器。我らが預言者が神から授かった言葉で祈れば、どんな悪魔だろうと逃げ散ります。神の言葉は敵対者である悪魔にとっては、剣よりも恐ろしいものなのですから」
「そんな馬鹿な。何も分かっていない。低位悪魔ならともかく高位悪魔は……」
「ああ! なんてことを! あなたは聖女の身でありながら神の言葉を否定するのですか!?」
ヴィクトリアが反論しようとするのに、ショックで眩暈を覚えたと言うように天を仰いでよろめくフリーデリケ。
それを慌ててアーダルベルトが支える。
「フリーデリケ嬢、しっかり!」
「失礼を、殿下。しかし、聖女としてはあまりにありえない言葉でして……」
「全くだ。神の言葉を否定するなどとは!」
アーダルベルトは怒りの満ちた目でヴィクトリアのを見る。
「お前は傲慢だ! 神の力ではなく、自分の力で悪魔を払ったと言いたいのだろう! 聖女失格だ!」
「そんなことは言っていません」
「言ったも同然だ! 出ていけ! 追放だ!」
アーダルベルトは叫び、ヴィクトリアは力なく首を横に振るとアーダルベルトの執務室の外に出た。
「お嬢。どうでしたか?」
宮殿の出口でヴィクトリアを待ち、彼女を呼ぶのは聖女であるヴィクトリアを護衛する騎士ベルンハルト・フォン・シュトルムだ。
どこか狐のような印象を受ける顔立ちで、細い目からは翡翠色の瞳が見え、そこには僅かにからかいの色がある。
きっと宮殿の中の騒ぎを聞いてよくない話だったと見当をつけたのだろう。
「私は追放だそうだ」
「はあ? 何かお偉いさんでも起こらせたんですか?」
「私の悪魔祓いの方法は間違っている、ということらしい」
だが、そんなベルンハルトもこれには驚いたようで目を僅かに見開き、ヴィクトリアの方は深々と溜め息。
「間違ってるって何が?」
「神の言葉で祈れば悪魔は退散するから剣は必要ないとさ」
「んな馬鹿な。どこの阿呆です、そんなことを言ったのは」
ヴィクトリアの言葉にベルンハルトは思わずそう尋ねる。
「アーダルベルト王子だ」
ヴィクトリアはそう言い、ベルンハルトとともに待っていた馬車に乗る。
「聖務省に行く。本当に追放されるなら引継ぎをしておきたい」
「えらく落ち着ていますね」
「元々私には過ぎた地位だったからな」
ヴィクトリアはそう自嘲する。
彼女は自分が高貴な血筋でないのに政府の要職にあることに息苦しさを感じていた。
貴族たちが陰口を叩いていたのは知っている。
『あれ傭兵の娘だ』
『野蛮な人殺しの娘が聖女とは』
『一応爵位を与えられたようだが見せかけに過ぎん』
『私の娘の方がよっぽど聖女に相応しい』
そういう陰湿な反応を彼女は知っていた。
ヴィクトリアを召し抱えてくれた国王が健在であったときは、表立ってそれを口にするような人間はいなかったが、その国王が病に倒れてからはヴィクトリアにとってこの国は息苦しい場所になっていた。
「まあ、確かに聖女って柄じゃないですもんね、お嬢は」
「おい。お前までそんなこと言うのか?」
「だって、もうちょっとにこにこ笑って愛想よくしてればいいのに、いつも眉を歪めて不愛想にしているでしょ。そういうところも周囲の評価に響いたと思いますよ。聖女らしくないって」
「そう、なのか……?」
ベルンハルトの言葉にヴィクトリアは馬車の窓に自分の顔を映して眺める。
彼女はちゃんと整った顔立ちをしている。今年17歳の彼女は美少女にカテゴリーされるだろう。
しかし、そこに笑みなどはない。
窓に映った不機嫌そうにぶすっとした顔が、ヴィクトリアを見つめ返していた。
「──それでも俺にとってはあなたは唯一の聖女ですよ」
茶化すような雰囲気が消え、ベルンハルトが力強くそう言う。
「何せ、俺たちを悪魔から助けてくれたのは他でもないあなたですから」
ベルンハルトは『血塗れ渓谷の悪魔』討伐に参加していた王国の騎士のひとりで、あわや悪魔を前に全員が食い殺されるところをヴィクトリアに救われたのだ。
彼はその日からヴィクトリアに一生仕えると誓った。
「……ありがとう、ベルンハルト」
ヴィクトリアは少し照れたようにそう言い、馬車が聖務省に付くのを待った。
オーステル王国の王都クローネベルクは繁栄している。
市場では賑やかな声が響き、通りでは雑踏の音で満ち、その通りに面する建物はどれも白く塗装された立派なものばかりだ。
クローネベルクの人口は増え続け、市場は拡大を続け、そうであるがゆえに悪魔たちが集まっている。
人が多ければそれだけ人間同士のトラブルが生まれる。
人々の妬みや怒りが悪魔たちに付け入る隙を与えるのだ。
聖務省はそんな王都の中心部から西に向かった場所にある。
それは4階建ての赤レンガ造りの建物で、周囲は塀に囲まれ、ゲートには槍を持った番兵が立っていた。
しかし、ヴィクトリアたちの乗った馬車が近づくと番兵はゲートを閉ざした。
「と、止まれ!」
番兵が声を上げ、馬車が停車するとベルンハルトは何事かと馬車を降りる。
「なぜ止める。この馬車の紋章が見えないのか」
馬車にはアイゼンフェルト男爵家の紋章と大聖女の紋章のふたつが描かれている。
当然、それは聖務省のゲートを潜る権利のあるものであった。
「ア、アーダルベルト王子殿下からの命令です。ヴィクトリア・フォン・アイゼンフェルトは『偽聖女』であるため大聖女の地位から解任し、爵位も取り消すと。またそれによってヴィクトリア嬢は部外者となるため聖務省内に入れるなということです……」
番兵はそう述べてゲートを開けようとしない。
「やれやれ。随分と手際がいいことだ」
ヴィクトリアも馬車を降りて聖務省の建物を見上げる。
「聖務大臣のヨアヒム・フォン・ブルクハウゼン閣下に面会できないか? 一応引継ぎをしておきたいことがある。いきなり私がいなくなれば問題が生じることは、彼も理解しているはずだ」
「……ブルクハウゼン閣下も解任されました」
ヴィクトリアが言うのに番兵はそう答えるのみ。
ヨアヒム・フォン・ブルクハウゼンは国王の信頼の厚い貴族で、国王とも親しかったことからヴィクトリアを可愛がってくれていた。
だが、そのブルクハウゼンも地位を追われていた。
早すぎる動きだとヴィクトリアもベルンハルトも思った。
先ほどアーダルベルトと揉めた直後でいきなり大臣の解任まで行われているとは。
「ほう。このことは国王陛下はご存じなのか。もし、国王陛下がご承知でないのに勝手に聖女や大臣を解任したりしてたら、えらいことになるよ?」
「じ、自分は知りません!」
不審に思ったベルンハルトが番兵に対して凄むのに番兵は首を横に振って青ざめた。
「やめろ、ベルンハルト。彼を問い詰めてもしょうがない」
ベルンハルトの肩を掴み、ヴィクトリアは首を横に振る。
「この馬車は聖務省の馬車だ。ここに返しておく」
「た、確かに返却承りました」
「それでは」
ヴィクトリアはそう言って番兵に背を向けた。
「あ、あの!」
そこで背を向けているヴィクトリアに番兵が声をかける。
「自分はあなたのこと、絶対に聖女だって信じてます! 以前、家族を悪魔から救っていただきましたから!」
番兵がそう言うのにヴィクトリアは小さく頷いただけで、振り返らずに聖務省のゲートから去っていった。
* * * *
「……って、どこ行くんです!?」
聖務省の前から颯爽と去ったヴィクトリアを追ってベルンハルトはそういう。
「まだ決めていないが、聖女を解任された以上は別の食い扶持を探す必要があるな」
「その食い扶持の当て、ちゃんとあるんですか?」
「もちろん」
ベルンハルトが尋ねるのにヴィクトリアは腰に下げている剣の柄をポンと叩いた。
「私は『正式な手続き』とやらではなくとも悪魔祓いができる。そして、この世界には賞金首になっている悪魔が山ほどいる。そいつらを狩っていけば、それなりにいい稼ぎになるだろう」
この世界は常に悪魔に脅かされている。
地獄から現れ続ける悪魔たちの中にはこの世界に根を下ろし、極悪非道の限りを尽くしているものもいた。
そういう悪魔には賞金がかけられており、傭兵たちはそれを仕留めることを仕事にすることもあった。
ヴィクトリアの父が率いていた傭兵団もその手の仕事を請け負う傭兵たちだった。
彼女は幼いころから悪魔を狩る父親たちを見て育ったのだ。
「はあ。じゃあ、本当にもうこの国の聖女をやめるんですね?」
「追放されたんだ。仕方ないだろう」
「未練のかけらもないみたいですねぇ……」
ベルンハルトがため息交じりに問いかけるとヴィクトリアは肩を竦めた。
「……お前はどうする、ベルンハルト。お前は別に追放されていないし、もしかしたら新しい聖女に……」
「言ったはずですよ」
ヴィクトリアが僅かに目を伏せて問いかけるのにベルンハルトが告げる。
「俺にとっての聖女はあなただけだって」
ベルンハルトは真剣で顔でそう言った直後、その狐顔に胡散臭い笑みを浮かべる。
「それにお嬢は世渡りってのを知らないでしょう。絶対に報酬ごまかされたり、ただ働きさせられたり、挙句の果てには身ぐるみはがれて娼館に売られちまうかもしませんから。ちゃんと俺がついていかないと不安になりますよ」
「そこまで私は馬鹿じゃない!」
けらけらを笑ってベルンハルトが言うのにヴィクトリアは一度眉を八の字にして声を荒げたが、すぐにぎこちない笑みを浮かべた。
「……じゃあ、これからもよろしく頼む、ベルンハルト」
「ええ」
お互いの信頼を確かめ合ったふたりは、とりあえずクローネベルクから引き払う準備をすることに。
偽聖女としてアーダルベルトに追放された今、下手にクローネベルクに残っていてはどのような目に遭うのか分からない。
今は追放だがいつまでもクローネベルクにいれば次は処刑される恐れもあった。
それで家から必要な衣類や金銭類を回収するつもりだったのである。
ヴィクトリアの住まいはクローネベルクの郊外にあり、そこは郊外に多く並ぶ2階建ての建物のひとつだったのだが──。
「──ベルンハルト」
扉の前でヴィクトリアが鋭く声を上げる。
その手はすっと自然に腰の剣に伸びていた。
「ええ、お嬢。いますね。招かれざる客が」
ベルンハルトも腰に下げた剣の柄を握っていた。
「準備はいいか?」
「いつでもどうぞ」
「いくぞ」
ガンと自宅の扉を蹴り破り、ヴィクトリアが踏み込む。
家の中は荒らされた形跡がくっきりと残る惨状となっていた。
戸棚は開けっ放しにされ、皿の破片が床に割れて散らばり、壁には巨大な肉食獣が残したであろう爪の痕跡。
そして、他の何より不気味に漂うザクロと硫黄の臭いがヴィクトリアの鼻を突いた。
「乙女の部屋に入るに相応しいデリカシーはなかったようで」
「そんなものを連中が持ち合わせているものか」
鋭く剣を構えたまま、ヴィクトリアとベルンハルトは互いの背中を守って進む。
「臭いが濃い。近いぞ」
「了解」
ヴィクトリアが告げ、ベルンハルトもおふざけ抜きに頷く。
ふたりは階段を上り、そしてヴィクトリアの寝室の前に立った。
そのときだ。
扉が砕け、中から巨大な何かが飛び出してきた。
『ヴィクトリアァァァァッ!』
それは黒色の化け物だった。
獣と人間が融合したかのようなシルエットをした真っ黒な怪物で、両腕には10、12センチは伸びた鋭い爪がある。
「低位悪魔か」
その姿を見てヴィクトリアは小さく呟く。
これが悪魔だ。この世に非ざる化け物の姿をした人類の敵。
『忌まわしき悪魔殺しよ! お前の首を地獄の門に掲げてくれるわ!』
そう言って低く唸りながら悪魔はヴィクトリアに突撃してくる。
ヴィクトリアは逃げることも、祈ることもせず、ただ静かに刃を構えた。
そして両者がすれ違ったとき、ヴィクトリアの銀髪がゆらりと揺れ、それからぐらりと悪魔の身体が揺らぐ。
『ば、馬鹿な……』
悪魔は袈裟懸けに斬られており、だが血を流すことなく傷口から煤の黒い物質を漏らしながら崩れ落ちた。
悪魔に対して祈りの言葉は決して無意味ではない。
だが、それは悪魔がこの世に具現化する前の段階に限られる。
具現化してしまった悪魔を前に神に祈っても、祈り終える前に殺されるだけだ。
「流石、お嬢。お見事!」
「低位悪魔程度ではな」
ベルンハルトがにやりと笑い、ヴィクトリアは無感情にそう返しながら背後で倒れた悪魔の方を向く。
「お前は使い走りだろう。どこの誰に言われて来た?」
ヴィクトリアは地面で逃げようと這いずる悪魔の背中に剣を突き立てて問う。
『誰が言うものか……! 殺すならば殺せぇ……!』
「そうか」
ヴィクトリアはその言葉に抉ってから剣を抜き、そのまま悪魔の頭を叩き切った。
すると悪魔は一瞬で灰となり、そのまま消えていった。
ほのかに腐ったザクロと硫黄の臭いを残して……。
「ありゃあ。多少痛めつけて情報を吐かせるべきだったんじゃ?」
「無駄だ。知っているなら喋っていた。低位悪魔ごときに秘密を守るなんてことができるはずがない」
自分が助かるならば仲間を売るのが悪魔だとヴィクトリア。
「それもそうですね。しかし、まあ……」
ベルンハルトは破壊された扉から寝室の方を見る。
中は下着やら服が乱雑に散らばっていた。
最初から散らばっていたのか、先ほどの悪魔が家探しをしたのか分からないが、散らばっている衣類はどれも色気のない質素なものばかりだ。
「お金はあるんだからもうちょっと見えない部分もお洒落していいのでは?」
「うるさい。じろじろ見るな!」
にやにやと笑って言うベルンハルトの頭をぴしゃりとヴィクトリアは叩き、それから散らばった衣服を集めて荷造りをする。
幸い旅行鞄は悪魔に破壊されておらず、その中に衣類や僅かな金銭を詰め込んだ。
「よし、行くぞ。お前の荷物はどうする?」
「あとで腰を落ち着けたら送ってもらいます。家賃は再来年分まで払ってますからね」
追放されてすぐにクローネベルクを離れなければならないのはヴィクトリアだけで、ベルンハルトはまたこの街に戻ってこれる。
「分かった。では、また悪魔に絡まれる前に街を出よう」
そう言いベルンハルトとともに慌ただしく家を出るヴィクトリア。
彼女たちは通りを進み、クローネベルクの街を出る前にあるところに寄った。
それは傭兵向けに賞金首の情報やこの周辺で解決を求めているトラブルを掲示している掲示板だ。
今日も掲示板に貼られた人間、悪魔を問わない手配書きに傭兵たちが集まっている。
「ちょっと失礼」
そんな傭兵たちを押しのけてベルンハルトが道を作り、彼の後ろから来たヴィクトリアが掲示板の前に立つ。
「ふむ。王都周辺にいるのは低位悪魔ばかりのようだが……」
掲示板には様々な依頼が張り付けてあり、そのひとつひとつにヴィクトリアは目を通していく。
「お嬢。こいつが残ってますよ」
「腐敗竜ヴォルドラグか……。そういえばこいつを始末するのがまだだったな……」
腐敗竜ヴォルドラグ。その悪魔の手配書には──『高位悪魔』とあった。
悪魔には低位悪魔、中位悪魔、そして高位悪魔が存在する。
それは地獄のヒエラルキーであり、悪魔たちの実力を示すものでもあった。
「『腐敗竜ヴォルドラグ。王都西の山林にて目撃される。人食いの悪魔であり、高位悪魔につき極めて危険。ただし、これを討伐したものには王国聖務省より1000万ドゥカートの褒賞あり』と……」
手配書きにはそのような文章に加えて恐ろしい竜の絵が描かれていた。
「これを仕留めるとしよう。私としてもこいつをまだ始末していないのは心残りだったからな」
そう言ってヴォルドラグの手配書を掲示板から剥ぎ取るのを見て周りの傭兵たちがざわめいた。
高位悪魔の手配書を取る人間はそれなり以上の実力があるか、またその実力があると思い込んでいる間抜けだからだ。
傭兵たちの好奇と畏敬、あるいは嘲りの視線を浴びながらヴィクトリアは手配書を手に王都西の城門に向かった。
「馬屋は襲われていないみたいですね」
王都西の城門にはヴィクトリアたちの馬を預かってくれている馬屋がある。
ヴィクトリアの馬は炭のように黒い毛並みの馬だ。
「ああ。我が愛馬たるマルシュを殺されていたら流石の私も許せん」
ヴィクトリアがそのマルシュと呼ばれた馬の頭を優しくなでてやると馬は気持ちよさそうに嘶いた。
「おや。ヴィクトリア様、お出かけですか?」
馬屋の主人がやってきてヴィクトリアにそう尋ねる。
馬屋の主人はヴィクトリアとは顔なじみの中年男性で、よく馬を世話してくれるのでヴィクトリアも信頼していた。
「ああ。ヴォルドラグを討ち取ってくる」
「おお! それは! 王国の民も喜びます!」
「そうであると願いたいな……」
まだ王国の民はヴィクトリアが聖女の地位を追われたことを知らない。
聖女の地位を追放されたヴィクトリアがヴォルドラグを討ったとして本当に彼らは喜ぶだろうか……?
* * * *
ヴィクトリアたちは馬を走らせ、西にある山林を目指す。
「被害があったのはこの先だな」
「ええ。最初は村が襲われたという知らせがあったんでしたね」
ヴォルドラグが出没したのは1カ月ほど前。
その竜の姿をした悪魔は山林に近い位置にあった村を襲い、住民を襲った。
生存者によればヴォルドラグは生きたまま住民たちを食らっていったとされ、そのおぞましい光景を見た生存者は今も精神的に苦しんでいる。
「もっと早く動きたかったが、他でもいろいろとあったからな……」
「仕方ないですよ。実質上、高位悪魔を相手にできるのは王国の中でお嬢だけなんですから」
「そうかもしれないが」
ヴィクトリアは馬を止めると、山林の近くにある廃村のそばに進んだ。
「ここが襲われた村だ」
村の家屋はどれも焼け落ちていた。
焼け落ちた家屋。
地面には焦げた跡が残り、それなりの大きさであった畑は荒れ放題になっている。
そして、残っているのは濃いザクロと硫黄の臭い。
悪魔がこの村を襲ったあとも臭いが残っているのだ。
「今日はここで過ごすぞ」
「ここにヴォルドラグを釣り出すんですか?」
「ああ。やつは飢えているはずだ。人間を苦しめる欲望に」
ヴィクトリアはそう言い、村の中心部から周囲の地形を見渡した。
南北に荒れた畑が、西には問題の山林が位置しており、それをぐるりと迂回するように小さな街道が伸びている。
その街道に人気が全くないのはやはりヴォルドラグという人食いの悪魔が住み着いたためだろう。
「じゃあ、使えるものがあるか見てきます」
ベルンハルトはそう言ってここで一夜過ごすのに必要なものを探しに行った。
村は突然襲われていたため、火をたくために薪はまだ残っているかもしれない。
食料については期待できないし、悪魔に人食い殺された場所に残された食事は食べない方がいいだろう。
それからベルンハルトが薪を抱えて戻ってきて、火打石で焚火を起こす。
「しかし、お嬢。本当にこのまま賞金稼ぎとして生きていくつもりですか?」
「それ以外に道はないだろう。今さら私に何かできるわけじゃない」
ずっと悪魔を殺して生きてきた。今さらとヴィクトリアが呟くように言う。
「そいつはいくらなんでも自分を卑下しすぎってもんですよ。お嬢には下手な聖職者より悪魔の知識もあるし、剣の腕も立つ。どこか違う国で後進を育成する教師か何かをやるのはどうです?」
「私を雇ってくれる国があればいいが」
「ええ、ええ。悪魔が祈りで倒せるとかいう阿呆なことを言いだす人間がいないまともな国じゃないとですね」
「全くだ」
ベルンハルトが目を細く糸のようにして不満そうに言うのにヴィクトリアはくすりと笑ってそう返した。
それから太陽が沈み、村の周囲も夜に沈んだ。
暗闇の中でぼんやりと焚火の光が浮かぶ。
周囲は焚火の火が弾ける音以外、ほとんど何も聞こえない。
「──来たぞ」
しかし、ヴィクトリアは不意にそう言い、立ち上がった。
西の方角からずるりと巨大な何かが蠢く音がヴィクトリアが立ち上がった直後に聞こえる。
「お客さんのようですね。歓迎してやりましょう」
ベルンハルトも立ち上がり、剣の柄に手をかける。
そしてずるずるという音が近づいてきたかと思うと、その音は不意に途絶えた。
しかし、次の瞬間に暗闇の中から爬虫類の目が光った。しかし、それは片目だけ。
それからその片目の主が姿を見せる。
『おお、おお。誰かと思えば悪魔殺しではないか。これは面白い』
重低音の声でそういうのは半身がグロテスクに腐敗し、腐肉の下にある白い骨が見えているドラゴンだ。
それまさしく異形の化け物であった。
その巨体が僅かに草の残る地面を踏むとその草が一瞬で枯れ果てていく。
「ヴォルドラグだな。死んでもらう」
『ほうほう。お前は聖女の地位から追放されたときいたのだがな? なにゆえに私を殺そうというのだ? 金のためか?』
「ああ。金のためだ。問題か?」
『いいや、いいや。金を求めるのは人間であれば当然。しかし、金のためであるならば私に挑むよりいい方法があるぞ?』
ここで囁くそうに声を落としてヴォルドラグが言う。
『私の協力すればどんな願いだろうと叶えてやろう。使いきれないほどの富を持った富豪になることもできるぞ?』
甘くヴォルドラグがそうささやく。
しかし、その言葉に対してヴィクトリアはただ剣を抜いた。
「御託はいい。かかってこい。苦しまないように殺してやる」
ヴィクトリアは蒼い瞳でヴォルドラグを睨むように見てそう言う。
『愚かな。であるならば、貴様を生きたまま食らってくれよう! 悪魔殺しがどんな悲鳴をあげるか楽しみだ!』
ヴォルドラグはそう言うとヴィクトリアに向けて突進してきた。
「ベルンハルト。いつも通りだ。やるぞ」
「了解、お嬢」
ヴィクトリアは短く指示を出し、ベルンハルトはにやりと笑う。
『はははっ! 死ぬがいい、悪魔殺し!』
「ふん」
突進してきたヴォルドラグをヴィクトリアは正面から受け止めた。
巨大なヴォルドラグの突進を剣一本で受けきったのだ。
ずうんと音がしてヴォルドラグは静止したが、ヴィクトリアはその場から全く動いていない。
『な、なんだと!?』
ヴォルドラグは突進を弾かれて動揺。
「ほれ! 祈りの言葉が刻まれた銃弾ですよっと!」
そんなヴォルドラグの足元に向けて短銃から銃弾を叩き込む。
その銃弾には祈りの言葉がびっしりと刻まれている。
悪魔に対して祈りだけでは意味がないが、こういう形にすれば祈りの言葉も絶大な効果を発揮する。
足を討たれたヴォルドラグは悲鳴のような叫びをあげ、ベルンハルトの方を睨んだ。
『忌まわしいウジ虫め……! 先にお前から焼き殺してくれるようか……!』
ヴォルドラグがそう言い、ベルンハルトに向けて口を開くとそこから炎のブレスを放った。
火炎放射器のような炎が地上を舐め、ベルンハルトに迫る。
「おっとと!」
迫る炎をベルンハルトは素早く躱す。
飛ぶように横に飛び、そのまま前転で炎を回避しきった。
「どこを見ている? お前の相手はこっちだぞ」
ベルンハルトを狙ったヴォルドラグに横合いからヴィクトリアが殴りかかった。
刃がヴォルドラグの目を貫き、潰れた目からやはり黒い煤のようなものが漏れる。
ヴォルドラグはまた悲鳴を上げて、苦しむように首をぶんぶんと振り回す。
ヴィクトリアはそれから距離を取り、ベルンハルトの下に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「ばっちです。それに相手は瀕死」
「ああ。しかし、手負いの獣はなんとやらだ。用心してかかるぞ」
「了解」
ヴィクトリアはベルンハルトの無事を確認すると、彼女たちはふたりで剣をヴォルドラグに向ける。
『忌まわしい、忌まわしい悪魔殺しめ!』
ヴォルドラグは怒りに叫ぶが、その動きはやや弱弱しい。
身体にめり込んだ祈りの言葉付きの銃弾が彼から力を奪っているのだ。
しかし、このまま弱り切るのを待つには敵は強い。
「こっちだ、醜い化け物。私はこっちだぞ!」
ヴィクトリアはそう言い、ヴォルドラグを引き付ける。
それと同時に聖職者が祈りを捧げて作った聖水を剣の刃にざっとかけた。
これもまた祈りの言葉の正しい活用だ。
『悪魔殺し! せめて貴様だけでも殺す!』
ヴォルドラグはその音を聞いてヴィクトリアに向けて口の中に炎を渦巻かせて放つ。
放たれた炎のブレスはヴィクトリアに直撃するかに見えたが──。
「高位悪魔にしては弱いな」
ヴィクトリアは驚異的な身体能力で地面を蹴り、大きく数メートルは飛翔してそれを回避。
そして、そのまま刃を下にしてヴォルドラグの頭に降下し、それを突き立てた。
『あが、がっ……』
ヴォルドラグはそのまま地面に倒れ、倒れた巨体から地震ような振動が生じる。
「片付いたな」
ヴィクトリアはヴォルドラグの頭から剣を抜き、そう呟く。
すでにヴォルドラグの巨体は灰になったように崩れ落ち始めていた。
『ふ、ふひはははは! 愚かな悪魔殺し! 何も知らぬのであろう?』
しかし、消えゆく中でヴォルドラグが言う。
『お前がどれだけ悪魔を殺そうと無意味だ! 無意味! すでに我々はクローネベルクに偽りの王冠を授けた! お前たち人類はこれから破滅に向けて進んでいくのだ……! ふひ、ふひははははっ! はははは……』
不気味で意味深な言葉とともにヴォルドラグは完全に灰となって消えた。
「今のは……」
「分からん。だが、悪魔どもはよからぬ企てをしているようだな」
ベルンハルトが怪訝そうに言うのに、ヴィクトリアはそう言って東にある王都クローネベルクの方を見る。
「企みは阻止したいが……今の私では無理だな……」
「なら、もっとお嬢の知名度を上げる必要がありますね」
「知名度?」
ベルンハルトの言葉にヴィクトリアは首をかしげる。
「悪魔殺しの名を響かせて、お嬢が偽聖女なんかじゃないって示すんですよ。どうです? ただ金のために悪魔を狩り続けるよりやり甲斐があるでしょう?」
「それもそうだな……」
今のヴィクトリアには国王が病に臥せったことで政治的な後ろ盾が存在しない。
もしこれからヴィクトリアが活躍し、有名になれば国王の代わりにバックについてくれる有力者が出てくるかもしれない。
「分かった。その方向で行こう」
「よおし! じゃあ、お嬢の二つ名を決めないとですね」
「二つ名は別にいらないだろ……」
「そうですねえ。“純銀の剣姫”、なんてのはどうです?」
「私は姫でも何でもない」
「じゃあ、“悪鬼殺しのヴィータ”!」
「やめてくれ、恥ずかしい……」
かくしてヴィクトリアとベルンハルトの悪魔との戦いは、太陽が昇り始める中で静かに始まったのだった。
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